伊勢志摩つれづれ

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人生楽じゃないよ 転職

2020-07-14 17:38:39 | 写真と観光・伊勢志摩の風景
昭和31年8月 僅か4か月で転職
就業先の味噌屋は 直径3m 高さ3mほどの
樽で大豆を蒸気で焚き上がると すかさず湯気で霞む
樽の中へ 藁靴と下着だけで入り 
蒸した大豆をスコップで起こし 筵の上に出した
体全体から 滝のように汗が流れる
また 麹作りも同じあるが 地下室に炭火で加温し
昼夜を問わず 3~4時間間隔で 麹の手がえしをした

(この会社は 赤穂浪士が討ち入り後 
泉岳寺へ向かう途中で休んだ味噌屋)

辛抱できず 就職担当の先生に手紙を送り
新たな就職先を依頼した

鉄道会社が経営するホテルのトップに 
大阪高商時代先生の同期生がいた
頼むと 就職難であるが 当時の接客業は不人気で 
万年人手不足 渡りに舟と 
将来経理を任せられる人を育てたいと採用された

この会社は 昭和21年 戦後いち早く国立公園の指定を受け
県 鉄道 交通会社が 建築家村野藤吾さんが設計した
戦争資産の航空隊集会所を 平和産業に活用のため 
払い下げを受けて 事業を起こしたもの 
マッカーサーも宿泊したホテル 規模は 25室
その裏の事情は ある団体の連合軍から
解体を避ける目的だったと 県職で政治家と親しい義兄から聞いた

当時ホテルに宿泊でできる人は外国人
ガラガラでも何時訪れるかも知れないからと 
冬は全館暖房で 経営は厳しい 

会社は 年中無休 日曜日の数が休日だったが
経理は事務量が多く 月2日程度の休暇 
勤務は8時から 22時勤務の 
今風に言えば 過労死ラインだった

休日出勤手当 残業手当など無かった
日給月給 確か 7500円ほどの時代
しかも 営業職より 事務職は安かったが
更に転職はできないと黙々と働いた 


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