ねうねう句日記

いつか秀句をはきたいと、ねうねうとうち鳴きながら、より所なげに春の夜を・・・
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覚書2・

2012-03-30 23:48:05 | 日記
この前のブログで知識や心構えがなかった私たちはいろいろと臍をかむことになった、と書いた。
それは日本の福祉の中の「生活保護」の制度に対してのものではなく、その制度に携わる人や組織と私たちのような無知な代行者のスレチガイによるものと言っておかなくてはならない。制度そのものは改めて「よく出来ている」と思う。社会保険労務士、ってどんな資格なのか見当もつかなかったが、こういう制度のプロなのかな。

一月は三人の従妹たちでシフトを組み、夢うつつ時々正気の叔父を見舞う。叔父とも「海に散骨なんてバカ言わないで、亡くなったおばさんと同じお墓に入るの!」などと話ができて、この頃が一番親密で楽しい叔父と姪のなごやかなひと時だった。
S病院の担当医師は丁寧に病状を知らせてくれ、今後の見通しなど三回面談して伝えてくれた。看護士たちも明るくきびきびとよく働き、患者の困った言動にも(錯乱してる時汚い言葉を吐いたらしい!!)笑い流してくれるし、私たちがいつ行っても「マズイんじゃない」と思えることはなかった。何より叔父が命をとりとめたことが、この病院の救急医療とその後の対応が私達には目がハートだった。

急展開その1)
一月下旬、担当医師に叔父の容態が安定したことを告げられた。しかし両肺は真っ白で、もう肺機能が極限まで落ちており、酸素吸入は必須で病院からは出られないという。ここは急性期の病院なので、治療の継続と療養ができる病院に転院してもらいます、ケスワーカーがいるから相談してね、とも。死ぬまで病院暮らしか~。
その2)
ケースワーカーKR嬢は若く、親切で、専門知識に裏打ちされた説明は頼りになることこの上ない。しかし若さゆえに知らないこともあってあたりまえだな~と、責めることの出来ないリスクを感じてもいた。彼女がいうには療養型病院が決まるまで別の病院に移ってもらうことになります、ということだったが、はあそんなもんかと深くも考えなかった。
その3)川崎市生活保護課STの登場
ST氏とは従妹Tがこれまでも対応していたが、叔父が自宅に戻ることはムツカシイという医師の判断を聞いて、さっそく「もう帰ることはないようですから、なるべく早くアパートを引き払ってください」と通告される。引き払うって、だれが片付けるんだ!
しかし税金で保護費を頂いている以上とにかく早く引き払わなければならない。しかしみんな家庭があって仕事もしてる。あんなに無理して超特急で片付けしなくたってよかった。何しろ独り者のくせにその荷物の量ったら!

・・・・・・続く


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