ねうねう句日記

いつか秀句をはきたいと、ねうねうとうち鳴きながら、より所なげに春の夜を・・・
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貰う滋賀の味と贈る山吹町ハム

2010-12-22 23:39:55 | 日記
 結婚してからいったい何回年末年始を迎えたのだろう。
わかっているはずなのに毎度毎度の嘆き節。今年も切羽詰まってきた。
11月は母の米寿があったり、外出が多かったりで忙しかった。でも11月に準備し始めないとすべてが後手後手になってしまう。
その一お歳暮の手配。
ついに12月になって人から貰ってから大慌てで何にしようかと頭の中はグルグル回転。
去年はJA滋賀蒲生の『蒲生ふるさとBOX』を早々に贈って大好評だったのに、今年注文受付はすでに11月16日で終ってる。それどころか蒲生の隣町愛東在住の知人から『故郷の味セット』をいただいてしまう。

東近江市のJAは競って小分けにした特産品の数々を詰め合わせて御歳暮用に売り出すのである。
それは本当に、野州川や愛知川にはぐくまれた近江平野の豊かな村々が、一つの箱にぎゅうぎゅう詰まっている、といった優れものの特産品セット。
ちなみに愛東地区の『故郷の味』には1)メロンの粕漬(愛東メロンの産地)2)べりーAジャム(ぶどうも作ってる)3)梨ゼリー(これも地元産)4)うり奈良漬5)小梅ちゃん⑤黒豆ソフトポンなどなど11種類入ってます。
送り損ねて編み出した案は新宿山吹町にあるKテス食品のハムセット。
横浜や鎌倉に有名なハム屋はあるが、早稲田の隣の山吹町にもそこそこ知られたハム屋があるのです。
地元のものを送るのっていいな、と自分で納得してあわててネット注文した。
しかし・・・Kテス食品さん、この注文フォームはひどいよ。一件ごとに注文者の名前入力が必須、送り先を入力しても「異なる送り先」にチェックをいれないと送り先のデータは一瞬にしてパア、しかも注文者あてになってしまう。もちろん郵便番号から住所を書いてくれる機能もなし。5件分のデータ入力はこたえた。
やがてKテスから確認の返信があって、あらためて電話で一件送り先を訂正をした。

それからやっとお買物と年末の鳥の予約に高円寺へ
まず高円寺の三菱東京からハム代金の振込み・・・
送られてきた振込み先の口座番号は 061-○△×□△○×
今ATMの振込みは店番じゃなくて支店名から入るのよ!しかも普通預金か当座預金かも書いてない!
まあこの数字の並びは普通預金だろう。ATMについてる電話を取りあげると何とかセンターがでた。
「すみません、店番061はどこの支店でしょうか」「ちょっとお待ちください、・・・駒込支店です」男だった。
それから何回やっても「3時までにカウンターにお越しください」が出て送金できない。ついにまたKテスに電話。
「江戸川支店・普通預金です」ときた。そう・・・私は三菱東京UFJのATM担当にもいいかげんな返事をされたのか!?
Kテスの担当に「ATMで振込みしたことくらいあるでしょ、お客の立場に立って、担当してる仕事の文書がおかしくないか、気がつかないの?」と毒づいてやった。
弱り目に祟り目というか、計画的に年末の用事を片付けていない私が悪いのよ~

疲れてしまったので買物の件はまた今度。
ユータカラヤでお義姉ちゃんに言いつかった鳥手羽先を4キロ注文しました。


湖上花火の日から4か月

2010-12-20 02:57:46 | 日記
今日は嬉しいことに、滋賀県HO市で学芸員をしておられる歴女、U平さんの声を聞けた。
今忘年会の最中だという。楽しそう!
しかし酔いにまかせ電話してきたのは、8月の決意に相違してどうも
婚活の筋道がたたないのだそうな。確かに決意表明を聞きましたよ、琵琶湖花火の日に。
具体的になんかしてるの?何にもしてません。
それでは無理でしょ。何かしたくてもどっちに顔を向けていいのか、足を踏み出していいのか
立ち止まったままみたいだ。

電話の後ろがわあわあ騒がしいのでかいつまんで3つ。
  ① 頼山陽の『日本外史』によれば歴史は勢いである。同様に結婚も勢いである。
    勢いで飛び込むべし。反省はあとからするものです。
  ② 結婚は女にとって「免罪符」である。
    一回結婚すれば周囲にとやかく言われることは終生ない。
    「私、一回結婚してますから」のお札を持って仕事でも別の男でも打ち込みましょう。
  ③ 婚活において問題は相手が「どこの馬の骨かわからない」ことである。
    身元はわかっているにこしたことはない。
    U平さん高校は共学?女子高?「共学」です。
    よかった!50、60になって同窓会で女友達と嘆くことは、
    「なんであの男子をマークしておかなかったのだ!」ということ。
    男は年齢を重ねてやっと真価があらわれてくるものです。
    卒業アルバムを見なさい、あなたが売れ残ってるように、男にも何故?
    というのがいるから!

来年四月に滋賀県に行く用事が出来たので、まだ先のことだが再会を約した。
電話の向こうでガッテンガッテンポーズをやっているらしい。


  

飛ぶ教室 古典和歌

2010-12-15 01:10:30 | 日記
 『飛ぶ教室』という童話があった。どんな内容だか忘れてしまったが、そのタイトルが記憶に残っている。
 私はもう6年近く、某文化センターのM先生「古典和歌講座」を受講しているのだが、しかしこの秋先生が体調を崩され、今日が最後の授業になってしまった。
 M先生の授業はいつも「古典和歌」の世界へと「飛んでいく教室」だったのである。
 気の利いた受講生がお花を買ってきてくれてあったので、最後の授業の格好がついた。
 花はこんな時悲しい気分や寒い空気を薄めてくれる。
 昔バリバリの若手大学助教授だった頃はフザケタ学生を追い掛け回して懲らしめたこともおありだったそうだが、今は
とても想像できない穏やかな先生である。
 おくさまに「だらしなくって、弱虫で!」なんてニコニコドヤサレテおいでになる。
 こんな時、先生は生まれついての東京のシティ・ボーイなんだと思う。うちの旦那も東京生まれだが、ハイカラなママや身内のオバサマ、お姉ちゃまが大好きで、とても素直で丁重である。表面だけではなく根っからなのだと思う。
 学問についての問いかけには、どんな小さなことにも、どんな無知なものにも、きちんとお答えくださる。
 ある地方在住元教師の方のブログを偶然見てしまったエピソード。先生のお書きになったことに関してある疑問を出版社を通してだが発したことがあった。
 すると先生は即座にお調べくださって、入院中にもかかわらず、電話で出版社の方にお返事され、しかも「ご指摘ありがとう、その方に宜しくお伝えください」と付け加えられたという。
ブログの主は、とても感激して書いておられた。
 私達にも、この後もいつでも何でも聞きにいらっしゃいと言ってくださる。
 ご迷惑にならないように、たま~にご自宅にお邪魔したり、お食事にお誘いしたりさせていただくつもりだ。長く長く『飛ぶ教室・古典号』に集っていきたい。

百人二、三句(1)芭蕉・追加

2010-12-11 00:49:25 | 日記

昨夜芭蕉の句を挙げたが、眠くて眠くて肝心の句を落としてしまいました。

○ 山里は万歳遅し梅の花  芭蕉 
真蹟懐紙前書に「伊陽山中初春」(『芭蕉全句集』雲英末雄・佐藤勝明・2010)
 生まれ故郷伊賀は山里でいかにも万歳の来るのが遅い。梅の花は咲いてもう春の陽気であるよ。
 三冊子は「山里は萬歳おそしといゝはなして、梅は咲けりといふ心のごとくに、行きて帰る心、 発句なり」という。発句の格をそなえた句なのである。ふくよかな香をただよわせて咲く梅を見 ながら、万歳を待っている山里の人の心持を詠んだ句である。
  これが一茶になると
○万さいや馬の尻へも一祝い 『七番日記』調子にのったまんざいがかたわらにいる馬のお尻を囃している。馬の尻は滑稽感に満ちている。芭蕉とはまた違いますね。そして
○大声や廿日過ぎての御万歳 『七番日記』万歳は一月一日から十九日をめどにやってきたものだそうです。伊賀には大和万歳か伊勢万歳がきたのでしょう。

○ 鷹一つ見つけてうれしいらご崎  『笈の小文』

○草臥れて宿かる比や藤の花  『猿蓑』
  これが一番好きかな
  

百人ニ、三句(1)芭蕉

2010-12-09 21:43:00 | 日記
 古今の著名な俳人百人の句を集めた『百人一句』というのがある。俳人の姿を描いて、余白には人口に膾炙した秀句を載せたものである。他にも『俳諧百一集』とか『女百人一句』、和歌では『百人一首』はもとより『英雄百首』などなど。
 それで私も、お気に入りの俳人を一人づつ挙げていって「ねうねう百人一句」を編んでみたいと思いました。ただ一人一句はいかにもつらい。好きな俳人の句はたくさんあるのが普通だし。
ま、精選百人一句とする前に、ニ、三句(四、五句かも)挙げたものを作ってみることにいたします。手始めに蕉門から

 トップはもちろん「芭蕉」!絵姿はやはり森川許六の描いたものが近いのではないでしょうか。
ただ、にこやかな曾良を従えた芭蕉はごくまっとうな宗匠に見えて今ひとつ。尊敬するあまり、ぎらぎらしたものを抑えてしまったように思います。冬の句から。

    木枯らしに岩吹きとがる杉間かな  『笈日記』  杉木立の間から見れば、木枯らしに吹き晒されて鋭くとがった岩が見えることだ。
 元禄四年の句。三河新城の耕月(菅沼定次)に滞在中だった。鳳来山を見上げた時の句という。

    百年(ももとせ)の気色を庭の落葉かな     『韻塞』
  芭蕉が彦根の門人宅を訪れたのはあとにも先にもこの元禄四年、李由の明照寺であったと言われている。しかも許六は江戸勤務中であった。