ねうねう句日記

いつか秀句をはきたいと、ねうねうとうち鳴きながら、より所なげに春の夜を・・・
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生麦転院・さあこれからだ

2012-04-14 02:59:43 | 日記

4月9日月曜、朝から良い天気で汗ばむほどだ。従妹Tと川崎S病院に赴く。ちかくの公園は桜が満開。濃い色の桜もあって、コントラストがきれいだった。
叔父はすでに寝巻に着替えさせてもらっており、搬送をまつばかり。H医師やSWソーシャルワーカーのK持さんにも挨拶を済ませた。先生には叔父の命を助けてもらい、K持さんには生活保護打ち切りの報にあたふたする姪たちによく対応してくださった。
しかしながら三か月を超えた入院は許されず、K持さんが探してくれたN麦病院へ移送されるのだ。

救急車のようなストレッチャー付きの搬送車にはじめて乗り込む。運転手と介添えの女性が一名ついていた。きびきびニコニコした二人に、車内で話が盛り上がる。

  一番遠くへ行ったお仕事はどこへ?
    北海道です。
  え~どういうルートで?
    船ですよ、でも大洗からフェリーに乗れなくて、東北自動車道を青森まで行って連絡船です。
  青函連絡船ですよね~ 他にはどんなとこへ?
    金沢も、新潟も、京都にもいきますよ。
なごやかに川崎生麦間を移動中、ふと思いついてご介添えの看護士にたずねてみた。
  お二人はあちこちの病院に患者を運ぶのですから、いろいろな病院にはお詳しいですよね、私たちこれから叔父を療養型の病院へ落ち着かせないといけないのですが、皆目件見当がつかないので、名前をあげてみてくださいませんか。
  湘北病院、・馬嶋院、上の原病院などの病院を教えてもらった。(これは早速家に帰ってネットでさがさなくては)
話していると時間は短い。もうN麦病院に来てしまった。
こちらのSW有賀さんに挨拶。次の転院先には八王子の山の病院ではなくて、おじのかかりつけ病院であったK同病院に根回ししてくれるよう依頼。かんじのいい人だった。
院長に面談。以下を確認
①延命医療はしない。胃瘻はしない。
②入院めどは一か月。(二か月目になると診療報酬が悪くなるのだろう)
③次の転院希望のK同病院は先方が受け入れてくれれば可能。

まだ若くてバリバリだ。「前の病院は点滴が高カロリー」ですねーという。すると従姉がすかさず、「そうなんですよ、普通のでいいんじゃないでしょうか」という。へー、高カロリーのほうが、体力つけるのにいいんじゃないの?と思うが・・・院長はむくんでいる、という。ふ~ん。そんなものか。
叔父の病室に行く。従姉が席をはずしているとき叔父と少し会話。携帯のラジオからニュースを聞かせてあげたら、ラジオがほしいという。送ってあげると約束。
帰り際に婦長に、「嚥下のリハビリはしていただけるのでしょうか」と聞いたら、ここではやりませんという。早くK同に移って嚥下リハビリをしないと、食べられないで命尽きることになるかも。
歴史の町生麦はひっそりしている。急行も快速も全部生麦通過である。ホームで待ってるだけで疲れる。


























































































































































































































































































  

ちょっと楽しかったこの3日・・・聖マリアホーム・哲学堂・能楽堂

2012-04-09 01:17:39 | 日記
4月6日金曜 母、特養マリアホームのショートステイ。こちらに毎月一回ショートステイするようになって2年くらいたつ。これがあるから何とか母も私もやっていける。この間、担当のスタッフと看護士がかわらず(二人でシフト)、いつ行ってもどちらかが対応してくれる。これが本当にありがたい。近くにグループホームもできて、そちらもなかなか魅力的だが、2年間毎月同じスタッフになじんでいるというのはかけがえがない。まただいたい第二週ころにしているのだが、ショートにくる人の顔ぶれもほぼ同じなので、知り合いになれたようだ。

4月7日、昼間哲学堂公園という珍しいところに花見。あまり混んでいなくて花もきれいでよかった。そのあと新井薬師駅から新宿西口へ移動して栄寿司で会食。お寿司はあんまりおいしくない。ヨドバシならびの立ち食いのほうがよっぽどおいしいと思います。まあ広いし安いし、おばさんの店員たちも愛想や立ち居振る舞いがよくて、飲み会するにはよいところだ。

4月8日 母がショートステイ中なので完全にだらけて毎日すごしている。しかし母のズボン下をスーツケースにいれたかにわかに心配になり、二時ごろホームに届けに行ってきた。母は退屈そうだったが元気に過ごしていた。

これは今夜のおかず酢豚のつもりがイチゴ盛り合わせみたいなお絵かきになってしまいました。右はデコポン?!?

そういえば4月5日(木)お能に行ったのだ。国立能楽堂「安宅」観世清和が弁慶。男性客が多かった。演目が「安宅」だからね。またそういえばだが、昔安宅産業という商社があったと思う。高級輸入家具なども扱い、青山ツインタワーにショールームがあった。安宅の地名、人名からの名前かな。富樫など人間国宝だそうだが名前を忘れた。

ゆうちょへ委任状・通帳再発行そのほか

2012-04-06 00:39:34 | 日記
(中央線からみる秋葉原近辺。東京駅へ向かう)
4月2日、S病院、フジエ叔母の次は川崎郵便局である。
用件は ゆうちょカードだけが存在する郵便預金を使えるようにすること。叔父は川崎信金しか取引がなく、ゆうちょ窓口での依頼は

通帳再発行。カードの暗証番号紹介。改印(どの判かわからない)。住所変更届け(旧住所のままらしい)の4項目。これだけのことをするのは四重苦なんてものではなかった。たいした残高もないのだから、新しく口座作れたらいいのに。しかし一人一口座なのだそうだ。
4月4日に書類をそろえ、ゆうちょ外交に叔父の意志確認をしてもらう手筈を整える。
そして2時20分叔父がもともと通っていたK病院にいってS井医師に面談する。このいきさつと結果は日別途書くことにしよう。


4月4日午前10時、ゆうちょ外交のK川さんとS病院受付で落ち合う。
ナースセンターで時間外の面会許可をもらう。「叔父さん今日は調子がいいですよ」と聞いて安心。叔父に会い、まず「通帳再発行するから私が手続きするよ」と私が言ってから、K氏が叔父に「姪御さんに手続きしてもらっていいですか」と聞くと叔父は大きくうなずき「はい」と返事をしてくれた。K川さんの役目は本人の意思確認をすることなので、「このあと委任状を書いてもらったら局へ持ってきてくださいね」、と先に戻っていった。ゆうちょ所定の委任状は上記4項目をすべて自筆で書く様式。これを全部叔父に書いてもらうのは大変だったが、途中で筆跡など変わっているものは受けられませんと厳しく言われているので、何とか時間をかけて書いてもらう。気が遠くなりそうだった。戸塚に住む従妹のEも見舞いに来たのでその後二人で食事。

例のAZOLEAだかなんだかの、「叶」という蕎麦やにした。麺がやや細く「ねぎと鴨たっぷりの温そば」はなかなか秀逸なお味でした。ボリュームもあった。

其の後ふたりで川崎郵便局に行き、委任状を示して事務手続き開始。とにかく書くものがありすぎて、窓口の女性が一人つききりで応対、差し出されるままにひたすら記入していく。
問題は通帳の受け取り方だ。再発行については今は店頭渡しというものがない。郵送される。不在だったら不在通知がドアにはさまれるだけである。特に通帳は「転送不要」という封筒にに入れてセンターから送ってくるらしい。

幸い叔父の部屋はリフオームが後少しで終るところで次の入居者はいない。不動産屋と隣のオジサンに通知票がきたら教えてもらい、すぐ取りにいくことにする。
前の覚書に書いたことだが、家賃扶助の生活保護が打ち切りになった場合、役所は入院生活が続くと確信するやいなや住居の明け渡しを迫ってくる。病院以外にその人間の社会生活をサポートできる住所を確保しておかないと、今回のように現実にさまざまな不都合がおこる。現時点で叔父を自分の同居人とする気持ちは三人の姪にはないのだ。

今日は忙しかった・・・来週はいよいよ叔父にN麦病院へ転院してもらうことになる。

覚書5・初めて会う叔母・S病院K病院

2012-04-04 02:11:27 | 日記

(近所の桜)
4月1日、エイプリルフールのようなことがおこった。子供のころから話だけはきいていた不二江叔母から電話があったのだ。
日曜日で出かけるところもなく自室でぶらぶらしていた母がかなり真剣に、あわてて私を呼びに来た。「誰だかわからないけど、M藤、M藤と言ってる」M藤は倒れた川崎の叔父である。
電話を代わると「M藤さんに電話がつながらないから、H姉さんなら事情を知っていると思って」という。「叔父さんは病気で入院してます。私はHの娘ですが、あなたはどなたですか?」「あ~Mちゃんね、わたしはフジエです。」叔父さんの弟M邦さん(故人)の奥さんだ。明日川崎に行きますが、お見舞いに行かれますか?と聞いたら二つ返事で行くという。

4月2日、ホリイ先生に面談のため従妹Tと川崎S病院へ。もう急性期は過ぎていること、しかしいつまた悪化するかわからないことを言われた。請求書の金額が大きいこともあって、肺炎も公害医療で診療することをお願いしたが、「気管支炎とかぶる部分(吸入など)は公害医療でやってます。ただ金額の大きな部分が高カロリー栄養剤なんだよね。」という返事だった。低カロリーにしてくれとも言えず・・・もうお金のことはいいから最大の要件を言ってみる。
「叔父が長くかかっていたK病院でかかりつけの先生に見てほしいのですが、そういうことはだめですか?(そこへ転院したい)」N麦病院移送をソーシャルワーカーが一生懸命やっていたので、おっかなびっくりの質問だった。しかし案に相違して、「それはいいですよ、でもどうかなー、受け入れてもらえるならいいけど」 とりあえずサウンドはした。面談が終わって、病院玄関にt到着したフジエさんを迎えに行く。11時半。
三人で叔父をお見舞い。フジエさんが来てくれて叔父さんは嬉しそうだった。

お昼は西口のAZOLEAだかAZALEAだか、響きのよくない駅ビルに入っておうどんを食べました。あまりメリハリのないランチセットだった。ひとしきり話をして叔母を一時半に送る。
K病院の先生には 途中市役所の環境保健課で書類にハンコを押し、ついで失くした郵便局の通帳の再発行依頼にゆうちょに郵便局へ行く。

続く・・・・


閑話休題・茨城のやわらか春菊はおいしい

2012-04-02 23:40:18 | 日記
(写真はおかめ印やわらか春菊・茨城産)
きっと水耕栽培されたものなのだろう。土がついているのを見たことがない。しかも「やわらか春菊」とうたっているだけあって
よくある春菊の筋っぽさがない。においも青臭さがなくて食べやすくおいしい。

春菊が身体によいことはあちこちに書かれていて、医学健康サイトのTmedicalを見ると、
栄養素を豊富に含み、特にβカロチンは、抗酸化作用により活性酸素の働きを抑制、ガンの予防効果のほか、肌の老化を防ぐ美容効果もある。他にも、動脈硬化や高血圧など成人病を防ぐ、風邪の予防、便秘の改善、整腸作用、食欲増進などの効果が期待できる。と書いてあった。またそのの歴史は古く、17世紀末の農業全書の中に記述があるくらい昔から食べられてきた野菜で、さらに、漢方においてものぼせを鎮めて回復力や抵抗力を高める「食べるかぜ薬」として珍重されていた、とも紹介されている。
カリウムは余分な塩分を排出するのに有効、とあり、塩をけちったメリハリのない料理が嫌いな者には必須の野菜かも。

さてこの春菊、売っているスーパーは私の知るかぎり「西友」と「サミット」に2月ころから置きはじめられていた気がする。しかも近くのサミットでは入荷日が決まっていて数が少ない。見つけ次第、三束くらい買うのだが、そうしょっちゅう買いにもいけない。そんなに長持ちする野菜ではないが、濡れ新聞にくるみ、冷蔵庫に立てておくのが良いそうです。