我がコの成長・親ばか日記

毎日の子供の成長をリアルタイムで記録していきたいです。

寒い

2013年12月18日 12時38分34秒 | ひとりごと
子供たちがいつもと変わらず話しかけてくる。
やっぱり私も母親。ここに来れば母親でいなければならない。
悲しい顔ばかり見せられない。

けど、昨日の夜から食欲がない。
食欲が落ちたのが何が原因かわからないけど、私まで倒れてしまったら元も子もない。
50歳までは絶対生きる(まだ言ってるけど)

子供たちは笑顔で学校へ送り出す。

それも前に講演会で聞いた話に基づいて。

本当に、何が起こるかわからない。身をもって知る。

しばらくすると、病院から電話があった。

「病室が変わります」

ICUからHCUに変わるんだと。
それはいい方向に向かっているのかな。
でももう、私は期待しない。

お金のことで頭がいっぱいだけど、それはそれで、いつもと変わらない日常もある。
夕飯の献立、お姉ちゃんとの約束。今日は夜会合。


話さないけど、みんなもそうやって生きているんだよね・・・。
旦那に申し訳なくて仕方がないよ。
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渋滞

2013年12月18日 11時56分39秒 | ひとりごと
火曜日。麻酔が切れるのが午後になると思います・・・とのことで、午後に行くことにした。居た堪れない姿を見るのは辛い。

図書館に行って「からだのしくみ事典」を借りた。
小脳ってなんだろう、脳幹のしくみは?と疑問を思ったから。それによってどの程度の後遺症が残るのかを調べるために。

小脳は大まかにいうと、大脳から出される運動指令を細かく調節して、全身に伝える。脳幹には、重要な神経線維が集中して通っている・・・らしい。

なので、脳幹を圧迫し続けると命が危ないということ。

ちなみに、小脳は後頭部に左右二つある。
その右の小脳が出血していたので、左側がマヒする・・・ということ。

そのまま病院へ向かったのに、あと15分くらいで着きそうだったのに、渋滞。
そこで1時間・・・。昨日も遅くて眠いのに、眠れない。日が指して車内は暖かいのに眠れない。ボーっとしながらの運転。あまりの進まなさに本が読めたよ。

午後の、その後の話を先生とみんなで一緒に聞きたかったのに、聞けず。
後から兄から聞いた。妹からも聞いて「右の手足をバタバタさせてたよ」って。
まだ脳に管が通っているため、話すことはできないけど、こちらが言ってることはわかる様子。

やっと到着した時は、なんだか疲れちゃって、区役所に行かなきゃいなかったのを妹に頼んだ。

その間、1人で集中治療室にいる母を見てたら、また泣けてきちゃって、看護師さんは話しかけてもいいですよって言うんだけど、話しかけたいのに、口を開くと涙が出てくるからただ黙って見てるだけ。どうしたらいいかわからない。

どのくらいたったか、区役所から戻ってきた妹。
母の保険証が滞納してるから、それを全額払わないと発行されません、とのこと。
保険証がなければもちろん自費。
お金にルーズな母ということは、もちろん理解してたけど、ここから呆れ、怒り、失望・・・などの感情がみんなに出てくる。


妹が泊まった際、母の部屋を物色。するといろんな請求書、滞納金、督促状・・・などのハガキや通知が出てくる。それもかなり前からのもので、金額も半端ない。
ブログに書く必要ないのかもしれないけど、恥をさらす様かもしれないけど、本当に自分の母親が情けなくて仕方がない。最終的には生命保険にも入ってなかった。
救い様がない。
あの時、手術はしなくていいです・・・。って言えばよかったのか、って思ったりもした。

自分はいいけど、残されたものが負担になる。改めて思った。
「子供には迷惑をかけない」

財産なんてなくていいから、せめて身辺整理だけはきちんとしてほしかった。
突然、何が起こるかわからないけど、日頃からきちんとしてほしかった。
もっと前に言ってくれてたら、こんなに膨らまなくて済んだのに・・・。


実際、母の容態がよくなっても、見た感じから半身不随か、寝たきりか。話が出来ればいい方かなって思う。もう、前の母には会えない。戻ってこない。


今後のお金の問題を兄妹で話し合おうとしても、総額が出てないからどうしようもなく。知りたくもない。
そんなこととは知らず、生命力のある母を責めることも出来ない。
もう、何もできない。どうしたらいいのか。


解決しないまま、家に帰る。
またパジャマがたたまれていた。今度は手紙つきで。お姉ちゃん。
どん底に突き落とされても、救ってくれるのは子供たち。
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本心

2013年12月18日 10時29分51秒 | ひとりごと
月曜日。いつもの仲間と急にランチが決定。現地集合でした。
席について、注文を終えたかどうかの頃、私の電話がなりました。

「お母さんが倒れて、今救急車待ち」

実母が倒れたとの連絡。意識も曖昧、話せない状態だったらしい。
何が何だかわかりません。ホントにドラマの世界。
ドキドキしてきたけど、とりあえず食べてから行こうかなって、正直な気持ち。

でも、一緒にいた仲間の後押しもあり、様子はわからないけど、とりあえず食べずに実家の方に向かおうと車に乗りました。

兄のところに連絡が取れないので、そのことを告げるために、発見してくれたおじさんのところへ電話をしました。

すると、ちょうど救急車が到着していて、いくつか聞きたいことがあるから教えてほしいとのこと。

生年月日や薬を飲んでいるか、高血圧か、など。
実際問題、一緒に住んでいないので、わからないことがほとんどだったけど、救急車が到着しても、すぐには病院に行かない。
「希望する病院はありますか?」も聞かれたけど、そんなのもわからないし。
お任せしたら、後程お知らせしますって電話を切った。

私はただ、実家の方へ向かうだけ。

しばらくすると「○○病院です」との連絡が。

運転中だけど、次から次から電話がなる。
救急車の人が、母の携帯の電話帳でどこまでかわからないけど、電話をかけてくれていたらしい。

電話に出ても、私も運転中だし、とりあえず向かってるからとしか言えない。


病院に着くと、兄が受け付けで話してた。来たばかりの様子。
まだ、頭の中はパニックというより、何も考えられなかった。

先生が「ご家族の方ですか?」って、本当にドラマと同じ。
ドラマの見すぎか、意外と冷静。

「レントゲンの結果、小脳に出血が見られます。脳幹を圧迫しているせいで、非常に危険な状態です。小脳に出血がある場合、3㎝以下ならば、助かる確率は高いのですが、5㎝もあるので、手術をしても助からないかもしれないし、なんらかの後遺症が残るかもしれません。それを踏まえた上で手術を希望されますか?」

・・・兄は一呼吸おいてから「します」って言ったけど、私は兄がそう言ったから「うん」と言っただけ。
ここに着くまでの車の中で、いろんなことを考えた。
「このまま・・・。」

正直な気持ちだった。親にも「あんたは冷たい人」って言われてたけど、本当に冷たいのかもしれない。命があるだけでもいいから絶対助けて!って思うのが普通なのかもしれない。けど、私は違う。
そんなことを考えていると、涙が勝手に出てた。

病院に着いてもすぐには手術はしない。もちろん、手術室が空いていなければできないのだけど、レントゲン、血液検査・・・。その間、手術をするにあたってのリスクやらなんやらの同意書がいくつも。

麻酔担当の先生とも話す。その頃、発見者のおじさんが到着。
麻酔に至っては、お酒、たばこはどうかって、高血圧かってのもまた聞かれた。
ここで、高血圧っていうのはリスクが高いことを認識する。

おじさんが言うには・・・。

9時頃に用事があって電話をかけた時は、普通で。出かけるよって言ったんだけど、もう一回トイレに行きたいから午後でいいよって。(ちなみに母は便秘症)

今度は10時過ぎに母から電話があったんだけど、何を言ってるのかわからなかったって。混線してるのかな?と思って電話を切ったんだって。

15分くらいしたら、またかかってきて。また同じように混線?みたいだったけど、これは何かおかしいって思って今すぐ向うからって。

着いたら、たまたま玄関の鍵が開いてて、行くと部屋のところで倒れてたって。
話しかけてもしゃべれない感じで、慌てて救急車を呼んだんだけど、119番って言うのも忘れちゃうくらいパニックになるって。
ここの住所もわからないから、なんとなくで伝えて、外に出てるからって、救急車を待っていた時に私に電話してきたみたい。

母のかばんに保険証がないので、入院手続きは落ち着いたらでってこと。
事務的なことが淡々と行われてた。

手術担当の先生には「他のご家族の方に連絡してください」って言われたから、妹の留守電に「もうダメかも・・・。」って、半泣きの状態で伝言入れた。

冷血って自分でも思うけど、それでもやっぱり「死」がそこにあるとなんでもなくても涙は出る。本能なのかな。

倒れたって言ってからおよそ3時間。ようやく手術が始まった。
5時間くらいかかりますって言われて、6時間半かかった大手術だった。

待合室で待ってた間もいろんなことを考えた。夜になったけど眠れない。
やっぱりこういう時って眠れないもんだなって思いながら。
母のことはもちろんだけど、お姉ちゃんとの3つの約束を初日から守れなかったことや、今後のこと、そして最悪の時のこともいろいろ考えた。

違う場所で手術していたらしく、集中治療室へ運ばれてきた母は管がたくさんついて戻ってきた。

生きてる。

どっちがよかったのかなんてわからない。
そう思ってしまうのには理由がある。


夜中になってしまったけど、泊まってきていいよと言われたけど、私は家に帰った。

部屋の階段を上ると、私のパジャマがたたまれていた。
こういうのを見るだけで癒される。
帰ってきてよかったって思った。私も母親。
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