ボチボチいきる。

ぽいぽいです。癌と10年以上共存、現在緩和ケアへ移行。
詳細はブックマークに年表、動画有り。ピアサポートやってます。

ご報告

2017-12-27 10:02:21 | 病気っす!
poipoi は、2017年5月21日の日曜日に亡くなりました。急逝でした。

私は、poipoiがリビングニーズの手続きを始めた時点で、亡くなった後のこちらのことを本人から頼まれた者です。
亡くなる直前のこと、亡くなってからのことは、前記事のコメントとして書きましたが、改めて記事として書かせていただきます(何故今更記事として書くのかは、この記事のコメントに書いておきます)。


5月21日、日曜日の早朝、poipoiは病院で亡くなりました。肺に溜まった水を抜くための入院であり、最期のための入院ではありませんでした。
退院予定日は亡くなる前日の土曜日。しかし金曜日に体調がおもわしくなくなり、土曜日は辛い時間が長ったようですがベッドに座っていた時間もあったとか。そして日曜日の早朝に逝きました。
本人含め誰もが予定通りの退院をするのものだとおもっていたし、未だそのようなことになるとは到底おもうことができませんでした。

私は、体調がおもわしくなくなった日の前日、木曜日の昼過ぎに見舞いに行き、このブログのことなどを話しました。病室を出たのは夕方。二時間半以上話込みました。次の見舞客が来ないと長話をするのが常でした。
この日は途中で少し辛くなってきたようで、オプソを飲み、そして眠そうになってきたので、私は病室を後にしましたが、その間しっかりと話は出来ていました。

話の内容は、このブログのこと、残りの時間をどう過ごすか。
このブログを poipoiがどれだけ大事にしていたのか、読者の皆さんはご存じだとおもいます。なので、亡くなった後のことを任されたときから荷が重いと感じ、「コメント用意しておいてくれ。それをアップするから」と頼み、この日も同じことを伝えたら「おぅ」と低い声で返事をしていました。
「いつまで生きるつもり?」と訊くと「お前、俺を殺そうとしているだろう!」と突っ込みを入れながらも「そうだな、誕生日(9月)までかな」とこたえていました。誕生日パーティーの具体的な話していたら眠そうになってきたので失礼することにしましたが、最後に体の現状を訊きました。ぼこぼこになった胸(シュワルツネッガーと書いていましたね)を見せてもらい触らせてもらいました。

あの日、しっかり話をしていたし「痛い」とか「辛い」という言葉は本人の口から出ませんでした(オプソを飲んだし、顎で息をしていましたので辛かったのだとはおもいますが)。なので日曜日の早朝に連絡を受けたときは「まさか」でした。


poipoiの身の上話は書かないようにするつもりですが、家族でもない私がこれを書いていることからも、最期の時に近くに居た身内が限られていたことは想像できるとおもいます。

葬儀は友達を中心に行い、納骨もすぐには出来ませんでした。
四十九日は、poipoiが暮らしていた部屋で友達たちが集まり飲み食いしました。毎年正月二日は同じことをしていたように。誰でも都合のいい時に来れるように、日のある時間から深夜まで部屋を開放し、飲み物(酒中心)食べ物を用意していました。
納骨がのびのびになり、百箇日辺りの日に「偲ぶ会」を行いました。このときはもう部屋は引き払っていたので会場を借り、昔のビデオなどを流したりしました。
通夜、告別式、四十九日、百箇日と多くの人が訪れてくださいました。人の価値は本人の葬式のときに来た人の数で分る、といいますが、poipoiがどれだけ多くの人に愛されていたのか改めて実感しました。それはきっと、多くの人たちと親身に真剣に付き合ってきたからだとおもいます。

そして 今月12月の2日に納骨となりました。墓はpoipoiが両親のために、そしてそ自身のために用意したものです。
この病気になってから「親より先に死ぬのはなぁ」と洩らすこともありましたが、奇遇にも同じ病気でご両親は先に他界することになりました。poipoiが用意した墓はきっちり三人分の骨壺が入るようになっていました。


急逝後はあれこれあったからか身近にpoipoiを感じていましたが、「偲ぶ会」から少し経った頃から強く感じる時間は少なくなりました。
納骨が決まり、その日が近付くに連れ、poipoiの存在も薄れてゆくんだろうなと想ったりしました。しかし、納骨当日にある出来事があり、このブログの過去の記事みを読み、ここに(コメントではなく)記事として書込もうと考えました。
過去記事を読んだ時、自分は患者ではないので患者の方々が感じていることは分っていないんだなと痛感しました。そして、poipoiから頼まれていたことは、亡くなったことの報告だけでなく、患者さん含めこの病気に関わる人へのメッセージだったのだろうことも思い出しました。

しかし、患者ではない私がここに書込んでいることは申し訳ない気持ちでいっぱいです。
治療のこと、緩和のこと、社会保険はじめ諸手続きのこと、そして日常のこと。患者の方々でなければ分らない感覚や感情があると思います。患者ではない私にはそれは分りません。

治療方針や社会保障の使い方などの判断に苦慮・苦悩されることも多々あるかとおもいますが、ご自身がしっかり調べて、基本的にはご自身で判断していただければとおもいます。
患者でない人間は、お手伝いは出来ますが判断をすることは難しいです。本人が熟慮の上で出した結果であれば、周囲の人間はそれを尊重するでしょう。もし、周囲の人間が理解・同意できないときは、その結論に達するまで何を考えてきたのかを根気よく伝えていただければ、きっと周囲の人間は理解してくれることとおもいます。理解出来なくともご本人の強い意志であることを感じてくれるとおもいます。


このブログの中で「頑張れって言葉は嫌い」と何度か書いていましたが、患者ではない人間には理解できない頑張りがあっての日常なのだろうなと、なんとなく感じています。

poipoiは仕事に人付き合いに多忙な人間でしたが、その日常の中で癌患者の皆さんへのメッセージとしてこのブログを書き続けました。具体的かつ先進的な内容になると分かりにくい文章になることがありましたが、そのような時は本人に直接確認したことが何度かありました。その度に幅広い人への配慮を常に考えているのだなと感じたものでした。

このブログを読み返したとき、改めて病気のこと以上に「人生の質」について考えようよ、と伝え続けたかったのだとおもいました。そのサポートしたかったのだとおもいます。
治療や緩和の客観的な情報を伝えてきたのも、そのためのものであり情報提供そのものが目的ではなかった。なので、食事のことはじめ、自分の楽しみも書いていたのでしょう。
頑張れとは言わず、決して押し付けず、自分の身を以て「人生の質」について語りかけ続けてきたのだとおもいます。



善い人ほど早く逝くと言いますが、まさにその通りだとおもいます。

2017年5月21日の日曜日の早朝、poipoiは亡くなりました。
誠に残念ではありますが、ここに報告させていただきます。



これを書こうとおもった出来事はコメントに書きます。

また、poipoiが(言えなかったことを含む)言いたかったことを次の記事に書いておきます。
poipoiが亡くなってから半年以上が経ち、この病気に関わるこに触れる機会はほとんどなくなりました。また、半年経っただけでも医療をはじめ、とりまく環境は変わりますので、現在この病気について無知に近い状態です。
そんな人間の書くことですから、おかしなことを書いていたら、忌憚なくご指導よろしくお願いいたします。

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3 コメント

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今更、記事を書いた訳 (ゆげ)
2017-12-27 10:25:07
納骨の数日前、友達から「お墓の場所を教えて」とメールがあったので、お墓の場所をマークしたGoogleMapのURLを送りました。そのときのタイトルが「お墓はここ」。

納骨当日、最寄り駅が何処だか思い出せない。自分がお墓に辿り着けなくなりそうになった。あのメールがあれば分る。メールを検索。条件は、タイトルに「ここ」が含まれている、として。

何故か探し出したいメールは出てこない。代りに出てきたのは、poipoiのブログの下書き。

亡くなった直後、遺族の方にお願いしてブログの下書きメモを全て送っていただきました。その中の一つ。最近のものとしては違和感を感じ、それがどのような記事になったのか気になり、ブログを遡って読んでゆきました。冷静に読み返せば、その内容はとても古いものだと分るのですがそれに気が付かず遡ってゆくと、納骨の約一年前の以下のブログが目に入りました。

おさかな日記_ご報告。。。
http://blog.goo.ne.jp/poipoi64/e/1e382852d5dc3fff5ad40677f9b8c5ca

これを読んだ時、病気と向き合うこと、そしてそれが終わることの重さを改めて感じました。

それが記事として書込もうと考えた理由です。


何故最寄り駅が思い出せなかったのか、何故友達に送ったメールが出てこなかったのか、何故とても古い下書きが保存されていたのか。それらが不思議でなりません。

パンくずを拾い続けるように辿り着いたの記事が、こうして書こうと思った動機です。


poipoiのことを忘れ始めた今日この頃です。
今、生きていることがとても素敵なこととは思えませんが、感謝しなければならないことだとは感じます。
1年が経ちますね (くろやぎ)
2018-05-21 14:56:54
こんにちはpoipoiさん早いもので1年が経ちますね僕は同じ日に腸閉塞で入院しました、お亡くなりになったのは後から知りましたpoipoiさんの教え自分に優しくボチボチと生きてます、 不安になったり迷ったりした時にはブログを読み返したりしてます、それではまた。

ゆげ様ありがとうございます。
一年経っても (ゆげ)
2018-06-30 09:27:52
コメントは見ていたのですが、私が書き続けていいものか、その他いろいろと考えていました。
一年が経ったにも関わらず、私の中のpoipoiはそれほど遠くに逝っていないような気がしてなりません。

先日、自分のメモを整理していたら、poipoi が残したものが出てきました。
亡くなる随分と前から「ネット関連の後のことはよろしく」と言われていたのですが、パスワードも教えてもらえず(苦)。まずパスワード探しに四苦八苦したのですが、見つけてあちこちを確認してみたら完全に整理された後でした。秘密のメールくらい見ることになるだろうなと(ちょっとニヤニヤしながら)おもっていたのですが、そんなものは一切ありませんでした。

しかし、このブログのための下書きは残っていました。既に形にしてこちらに書き込み済みのものもありますが、そうでないものも。中には大人気ないというか辛辣なものも。

poipoiが逝きそびれているのは、これらを公開してほしいとおもっているのかな、と考え始めた今日この頃です。

腸閉塞、苦しいですよね。入院されたということは開腹もされたとおもいます。心中お察しいたします。
今はもう落ち着いていることとおもいます。再発がないことを祈っています。

自分は医者に病名つけられた訳でもなんでもない人間ですが、年齢的に「あとどれくらい時間があって、何ができるだろう」と考えることがあります。
そしてpoipoiの顔が浮かんで「時間じゃないよな、何が出来るか、するかだよな」とおもいます。
だからと言って無理は善くない。自分にも周囲にも。

ボチボチ、いい言葉だと、私もおもいます。

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