最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

岡山の白桃とマスカット

2019-07-30 18:29:12 | 日記


立派な白桃とマスカットの贈り物をいただきました。
毎年、同じ方からです。お歳暮は、山形のラ・フランスと決まっています。

私共からは、毎年お花(鉢植えのランなど)にしたり、千疋屋から季節のフルーツの入ったお菓子など、迷った挙句の結局はありふれたお返しを進呈し続けてきました。

先に出す方の勝ちだわ、と勝ち負けはおかしいのですが、くだものに勝てる品はない、というのが、私の本音で、つい。はしたなくも。。。

私の方は、このお中元が契機となり、多くはないいくつかのお届けの手配を昨日したところです。
お茶の先生とヴァイオリンの先生と、あとは、岡山フルーツの方、そして数名の友人知人にです。
同じものにしました。フェーヴ自由が丘のお菓子ですが、どんな反応でしょうか。。。

ところで、虚礼と言われるお中元お歳暮のおつきあい、についてです。
私は、乾麺(そば、そうめん、うどん)の類を家庭を持ってから一度も購入したことがありません。
すべていただきもので充当されます。二人家族になってからは、昨年、一昨年のも残って越年することに。すべて二階の冷蔵庫保管になります。
海苔もセットになってよくいただきました。最近は海苔を送ってくださった方が亡くなってさすがに購入しています。
私の偏見でなければいいのですが、石鹸、タオルを生活用品として買われるご家庭は少ないのではないでしょうか。石鹸使用をする人も少ないせいもあり、かつては、贈答品としてメジャーだった気がします。
同様に、ラップやアルミホイルなども金融機関などちょっとした時にくれるので、買うことはありませんが、これも当たり前だとは思っていいのか間違っているのか、、、

お酒を家庭内で飲む習慣のない私の家では、ビール券(香典の返礼に多いです)も期限切れさせることが度々ありました。最近の酒屋さんでは、ビール以外の買い物にも使用可能なので、消費するようにしていますが、それよりも、好きな人にさしあげることが多いです。

こうした交際の結果いただくものは、もとは、全部自分のところからも出ている、というふうに考え、それこそリサイクルショップにでも持っていくのが賢明なのかもしれないけれど、、、
折角心をこめてくださった方のお顔を思い出しては、いつまでも包装も解かずに冷蔵庫内に置いたままにしている。。。

さすがに、白桃とマスカットはこの2,3日で食べきらないと。
実は、私は、桃をいただくと、口の周囲が痛くなり、ちょっと苦手です。最初にいただいたのは10年くらい前でしたが、大好物です!とお礼を言ったのが失敗でした。主人の大好物です、というべきでした(笑)マスカットは嬉しいです。不謹慎です。本日の記述が時代錯誤だったり、お気に障られる方がいらしたりするかもしれないなぁ、思いのままは、無分別ではいけないのに、、と心を残します。
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こうべを垂らして行き来する!?

2019-07-28 18:57:25 | 日記


コメントでちょっとお話していて、
思いつくまま、何枚か写メしてみました。
キャパの劣るガラケイから。
相変わらず、撮影は下手なうえ、
この時刻少し薄暗いのに、この部屋は天井に照明がありません(笑)
これが出入り口。高さ50センチくらいでしょうか。。。

この部屋の天井の高さは240センチあります。戸は(ぼっと という戸です)つきあたりの鴨居の下20センチくらいのところまでが戸になっています。高さ150センチ。

天井の高さはこの部屋も240センチありますが、この障子戸は130センチしかありません。
この家でご先祖の亡骸を守り、納棺、いざ、斎場へとむかったその日、親族の中に慌ててこの戸をくぐろうと、前頭をぶつけて、脳震盪まで起こした危険な戸です。

他に少なくとも三か所、低い出入り口の障子戸、杉戸など、あります。
もっと撮りたかったのですが、どうにもうまくお伝え出来そうにないので、これくらいにします。

こんなところで、頭もぶつけずに、例の男の子たち、無事に帰ってくれました。
なぜ、こんなに戸障子が低いのか、説明はいたしました。
部屋の向こうで待っていてくれる方々への敬意をあらわすため、と。
儒教精神が、本家本元のかの国の若者に理解ができたかどうか、、、でも確かにお行儀はよかったのでした(笑)

母逝去以来、うるさく注意する人がなくなって、ぞんざいになりがちの私も、ここのところ、お辞儀や三つ指をつくのが昔日の如く、自然に所作ができる 不思議なことです。
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認知症の兆しって・・・

2019-07-27 11:10:36 | 日記
おはようございます。
午後にはまた雨になるらしいですが、今のところ、太陽の照り具合はさすように強い。

中国の少年たちを預かっている間プラスαの期間は、私はコンタクトレンズを装用していました。

私の近眼歴はもう半世紀以上に及びます。
小五まで1.5だった視力が六年生の時、急に0.2になり、歯と目の健康に細心の注意を払っていた母を嘆かせることになりました。
早速、隣県の大学病院の眼科に月一度、市内の最も古い眼科さんに週一度、通院することになりました。
その効果があまりないのでは、といつも不安を覚えていましたが、母の信念を覆すのが怖くて、アリナミンを毎日2錠飲み、ヤツメウナギの粉?を毎日二回飲みこみ、お医者ではすっかり覚えこんだ視力表で検眼、だんだんよくなっている、とお医者と母に思われているのが苦痛のかわいそうな少女であり続けました。

いつ最初のメガネを買ったのか記憶にはありません。
中学の時にはコンタクトレンズ(当時はハードしかありませんでした)をつけていました。何度落としたり、割ったり、度数がすすんで、新調したり・・・当時は片目が8,000円くらいだったと思います。
大学生くらいの時、それまでに買ったレンズを覚えているだけ列挙したら、すでに50万円はつかっていた記憶があります。卒業前に当時のランドタワーとでもいえる横浜西口の駅前ビルのレインボーコンタクトで、作ったのは、落とさずに数年もちました。
家庭人になっても目が悪くなり続け、粗忽にも落としたりなくしたり、も頻繁にあり、コンタクトレンズはいつもスペアももっていたほどでした。
あまりにハードを長く装用したせいで(と処方してきた上記の眼科医は言われました)目の表面の細胞数が極端に少なくなりもうレンズはだめです、メガネをかけることにしたのが、今から数年前。50代前半まで毎日使い捨てのソフトでした。今でも何箱も在庫が残っています。
それから眼鏡を模索する旅が始まりました。
いくつ作ったか記憶にありません。
メガネがコンタクトレンズより何倍も高くつくのも知りました。
近視の度数が強いので、たまを薄くする技術に費用がかかるらしいです。
この3,4年は京都でつくったメガネが最も身体にフィットしているので愛用していますが、先日来所在不明となりました。

タイトルにありますように、認知症の兆しか?と我を疑うのはメガネ探しの旅の途上で起こります。
そして、この10年くらいの間につくった別なメガネにも遭遇して、今探しているメガネがしばらく不在でも不自由はありません。
仕事に忙しかったときに、県内の学校ばかり営業していた車内販売のメガネ屋さんで求めたことがありました。口がうまくて、ずいぶん高いフレームのを買わされていたようです。
ふつう私の求めるメガネはたまを重視してフレームはそのたまが入るもの、とあとまわし。たま(レンズ)の加工にお金がかかるので、2万円くらいのフレームであってもメガネができあがると10万円以内でおさまることは少ないです。
フレームはチタンに決めています。踏んづける心配から解放されるので(笑)

今も京都産の愛用メガネを探し尋ねる小さい旅を一日の内の多くはない時間しております。
あの口のうまかった車内に検眼室をもったメガネ屋さんは今も営業しているのでしょうか。さきほど、あった!と手にしたメガネはシャネルのフレームでたまが厚い当時のものでした、仕方なく今それをかけています。疲れてくるのが早いです。

近眼は、頻発する頭痛の主たる原因でしたが、コンタクトレンズ時代になくなり、上記の車営業のメガネ屋さんのメガネ使用で再発し、京都のメガネで治りました。

早く探さないと。

ちなみに、今は眼科医の処方箋なしで、直接メガネ屋さんで購入します。
市内の技術の高いメガネ屋さんの多くは高齢になられ、廃業されているところが多いです。メガネ〇―〇とかその他量販店でしか求められません。
電気屋さん、お米やさん、酒屋さん、薬屋さん、メガネ屋さんも
かつては個人営業のお店が信頼を勝ち得て町のあちこちにありました。
今は郊外の大型店まで行かないと求めることが出来ません。

と、ついでに感慨にふけるのも、一種の認知症の兆しなのかしら?
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二通めのメールに添付されたきた写真

2019-07-26 13:47:14 | 日記
小玉すいかですが、一つ買いました。
あの子たちにも食べさせたらよかった、と今頃悔やまれます。
ハーゲンダッツは20個テイスト違いで冷凍庫に入れて食べ放題にしましたが、
いつも、食べていいですか?と聞きにきて、半分くらいしか消化してありませんでした。
私が思っていた以上に遠慮深かったあの子たち。

写真を添付してメールをくれました。
ダウンロードして保存しましたから、ここにそっと載せますね。


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撮った写真はなんと、2枚のみでした。

2019-07-25 10:50:35 | 日記
おはようございます。
図体が大きいとはいえ、16歳(九月から高2生)の男子をわずか4夜だけあずかったにすぎない・・はずだった。
昨夜は思いがけない自分の気持ちの揺らぎを覚える長い夜だった。

この4日とも、基本は自主的に、で、あんまり干渉したつもりはない。
でも、最後の夜など寝る部屋に最後まで行こうとせず、ずっと、私たちに語ってくれた。とても字のきれいな子がいて、聞くとお父上が、趣味で書道をしているそうだ。スマホでわざわざ電話して、父上の作品を写メして、と頼み、私たちに見せてくれた。
金沢で金箔工芸の体験をしてきた話をしたので、うちにもあるよ、と彼らのいる間は開けなかったお仏壇の扉を開けて見せた。うぉーと歓声があがった。スマホで撮っていいか、と興奮気味。
実は奥座敷は片側的な形をしており、一部仏間にもなっている。そこの天井だけが低くなって区切ってある。そこまでで3畳弱残りの十畳足らずの座敷でかれらは、閉塞された空間に床を敷き詰め(朝には押入れに片づけてくれた)不自由を凌いでくれたはず。。そこと居間(といっても今時のではなく、明治から令和同じであり続けた天井低くこじんまりすぎる和室にカリモクのソファやテーブルを置いてある)に朝昼晩いてくれた 我が家の茶の間、かれらの目にはどううつっただろうか。。。仏間の前を何十回と行き来してその茶の間にやってきていたんだった。。。

感傷に溺れまい。
ただこのことを記し残しておきたい。
いよいよ翌朝は帰路につくという前日の6時半ごろ、ひとりの少年が私に相談に来た。AUショップに行きたいとのこと。アクセサリーになっている何か電化製品を買いたいらしい。7時閉店だったが間に合ったし、その品もあった。ただ色が気に入らなかった。べつのAUショップに行けば彼の欲しい色があるかもしれない、とのお店の人の助言から何とか別店へ。夫の運転が助かった。閉店準備中だったが、対応してくれた。そこには色違いがなかったし、そもそも求めるものは見本だけ。注文するらしい。
ショップの店員のアドバイスにより、ヤ〇〇電気など量販店に行くことに。や〇〇電気に電話で照会した夫は、やはり、物を置かずに注文にしている情報を得る。
ケ〇〇電気の店員さんは親切だった。かれに見本を使用させ、スマホにつながせ、試させた。全く同じ品はそこにもなく、、スマホのヘッドホンでWi-Fi対応値段は4万円弱、お小遣いとしても決して少額でないそして命がけ?の買い物のはずだ。
他の量販店にも直接言ったり電話照会して、敢無く空振りに終わった。
途中移動の車で彼はこんなメモを私に渡した。
「自分の完璧主義のせいで、大変困らせている。自分でもこんなこだわる性格を申し訳なく思う」と。
私はこれを見てすぐに、「その性格が一番私は好き。こだわること、妥協しないこと、いずれもこれからも大事にしてほしい。私たちもそのために今協力するから」

かれはどこかの量販店の前の自販機で私たちに水を買って渡してくれた。

結局空港で(免税店?)帰ると思うから気にしないで、という彼の言葉で、次なる彼らの目的地ブックオフに向かうこととした。

その最期の夜、写真を数枚撮ったり、
(私は二枚しかとらなかったのが悔やまれる)喋りつかれるほど語った。

これだけの小さな小さな体験。
私には嬉しかった。

昨夜寂しい思いは彼らの一人からのeメイルで払拭された。
くだんの電機や巡り騒動少年からではなく別の人。
スマホを持たない私にスマホからはメール不能といっていて、手書きの手紙は少し遅くなると言っていた。
タブレットを持ってきていた少年がふつうにヤフーアドレスの私に着いたよ、いろいろありがとう、のメールをくれていた。。。



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