最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

私がちびだから?

2024-04-30 00:17:08 | 日記
ちびというより、低身長だから、でしょうか。
そこここを歩いていても目に付くのは、足元の小さい花々ばかりです。
さすがに春先以来、沈丁花のように香りでその存在を教えてくれるものの中では、沈丁花も低木で、私の目にさえ留まりましたね。
踏台とか、脚立とか、はしごとかあったら、よく見えるのに・・・と残念に思うことがよくあります。
手入れの行き届いていない自宅の樹木としては、タイサンボクという木がかなり伸びて、庭師さんの剪定後でさえも二階から花が咲いたのを認められるくらいで、ちょっと手折ることもできないです。

さすがにつぼみもまだのようですが、これだけ気温が高いので来月半ばにはいくつも白い大きな花をつけるでしょう。
同じく、小ぶりのえにしだが、生け花にはとても重宝するのに、大ぶりのしか見かけませんし、そもそも、えにしだそのものも見かけることがほぼありません。実家の後庭には2メートルはあるエニシダがありましたが、今はどうなってるでしょう。心の痛む一瞬です。たぶん、母に頼まれて大きな枝に鋏を入れた時に撮ったものです。


春の始まりの頃、桜の話題でもちきりで、ちっとも話題にされない足元の花々(陋屋の中門付近に繁茂していました)その名もフッキソウ 富貴草でした。

現段階は、紫色の足元背丈の花々が、陋屋も自宅にもこぼれるほど咲いています。
 ツルニチニチソウですね。
 シランです。
その中でほとんど自己主張なく毎年見せてくれるのが このけなげなスズラン。


今年の一年生の最初のレッスンのタイトルは、「春といえば、何色?」です。
先週の授業で、まだまだ元気いっぱいのかれらに聞いてみましたら、「ピンク!」の答は予想通り。中には「黄色」という人も。菜の花の群生を思うそうです。
当地では、20万人ですか、の人出の見込まれるチューリップフェアが開催中で、それこそ、青いチューリップも珍しくないとか。最後に出かけたのは20年くらい前?もっと前だったかしら。。。

このあと季節の推移と共に白い花が目に入るようですね。私の得意な?ドクダミ、ゆきのしたが黙って咲き始めるはずです。私自身を投影しているのかしら???地味で存在感が薄くて。
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いつも変わらぬこの空間

2024-04-23 23:50:49 | 日記
こんばんは!
昨日は、お昼をご一緒することと、2か月分溜まっているはずのお互い話したい事数々のご披露?のために、この数年ずっと交流を続けている友人がやってきてくれました。
期せずして同じ感覚があるのは、地震疲れといいますか、地震鬱といいますか、が意外に根が深いことでした。
何を食べても美味しいと感じられない、嬉しい気持ちを忘れた、なにかするためのモチベーションがない、など、同じ感覚を持て余している二人の老いた姿がありました。

そのまた前日に、玄関先にお届け物をくださったのは、息子のお嫁ちゃんのご両親。お母上さまのお兄さんが、先代から受けついた〇生堂化粧品と洋装品とのお店を経営していらっしゃるのですが、その場所こそが当市でもっとも液状化の厳しかった被災地です。直接お見舞いも申し上げてもいないのです(もともとお付き合いなし、ごくまれにお買い物)が、何時も気がかりでした。お嫁ちゃんのお母上さまにとっては実家となります。そしてお兄さんの奥さまが滑川というところから嫁しておられ、そこのホタルイカの漁業権?を相続したために、この時期ホタルイカ漁にいらっしゃるとか。で、そのとれたてのホタルイカ(生)をわが家にまでお届けくださったというわけです。正直私はこのホタルイカが好きではありませんが、有難くいただきました。お嫁ちゃんのご両親にさえ年一度もお会いしない昨今ですので、むにゃむにゃとご挨拶といつもお取り寄せしている京都美好園のお煎茶をお返し代わりにお出しし、ホタルイカをとってきてくださったご実家にもお託しました。

その時のせつなく、辛い短時間ながらの近況についての話も重くて、簡単に忘れられません。

いつ解決できるか定かではない復興へ向けての取組、傾いた家を新しくする以前に地下の状態は、個人の能力をこえた、自治体ぐるみの予測できない過去に経験しない災難なのです。

さて、昨日は、そんなこんな、日ごろの暗く重苦しい気持ちをさんざんぶちまけているうち、友人と私はどんどん元気になっていきました。
友人の提案で、陋屋のあちこちを写真撮りながら見ましょうと今さらながら、おうちの探検。
ありあわせのお花でも水あげよろしく活けたお座敷はいつものことなので、割愛します。
最後に茶室もどきの小部屋へ、ということで、その部屋へは躙り口を通るやり方で、直接庭からも行けますが、お昼のせいでお腹が縮まらないから、キッチンを通って行きました。
「この食器戸棚も倒れず、中のものも動かず、この150歳のおうち、どうなってんの。戸棚はカリモクだったのがよかったのね」とは、友人の弁。


水屋も変わることなくこうして置かれたままになっています。









大分薄暗くなって、もともと写真撮影の能力欠落の私では手に負えません。友人は県都在住で、バスと電車乗り継いできてくれており、そろそろ帰還しないと、とのこと。






「こうして何事もなく変わらぬ空間に身を委ねて、大切なものが何なのか、よーくわかったわ!」
と、友人は、私の背中をポンポンと叩いて、去ってゆきました。

来月もまたきっと、お会いしましょうね。萌黄色の葉っぱもそのころは濃くなっているはず。私たちが今できることを真摯にやっていきましょう。

去ってゆく友に感謝いっぱいに手をふりました。



以下は、追記になります。
今日は、ささやかながら、責任のある仕事を終えて図書館にも寄りました。

こんなに大部の本ですが、急に読みたくなって2冊重みに耐えながら借りてきました。5月8日が返却日です。4月は25日、来月は8日にバイオリンのレッスンもお約束していますので、大変なことは承知していますが、珍しく明るい気持ちで自分の課題を眺めています。




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いくつもの挫折と、躊躇いと、居直りと

2024-04-18 23:18:23 | 日記
長らく、書く作業を離れて過ごしています。
思うところはありますので、書くべき素材には事足りています。
事後報告で片付けよう、それでいい、それがいいとやっと立ち直った事件の一つには、
今日的なネット(だとしか思えません)詐欺事件がありました。
アメリカで、私のクレジットカードから覚えのない出金がありました。額は多いとも少ないともいえません。実害には至りませんでした。でもかなり疲労困憊した事件ではありました。
PCと携帯電話とどちらも安易に操作しておれない世の中ですね。

遠方より親類ご一行の訪問がありました。先日その折の使用済みシーツその他一式が、洗濯機で洗濯されたまま、干されることなく、いまだに鎮座しているのに気づきました。
もう一度水洗いしてから思いきり外気で干そう、と勢いづいていましたが、この黄砂です。見合わせています。コインランドリーのお世話になるのもありか、とふと思いました。

そんな小さなことも含めてそれなりに、平穏だけでは済まないこの1か月でした。
昨夜の今ごろに四国九州を襲った地震で、再び当地の元日を思い出し、あれ以来、どうにも気持ちが晴れない現実を今一度見たようでした。

桜が一度だけ、半時間ほど当地の古城公園を歩いただけでした。もう藤やつつじの季節ですね。拙庭には、今頃やっと、木瓜の花と椿とレンギョウが咲き乱れています。春の到来が早かったともいえない何とも微妙な昨今の気象状況です。

公園でひっそりと桜の老木の下に、群れになって咲くかたかごの花と会えました。それのみ携帯の画面に取り入れましたが、うまく撮れていませんでした。
今の心境がこの目だたぬ小さい山野草にかぶさります。写真にできなかったのもさもありなん、なのかも。またぼちぼち書きにまいります。

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