最終章だけど、、、

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認知症の兆しって・・・

2019-07-27 11:10:36 | 日記
おはようございます。
午後にはまた雨になるらしいですが、今のところ、太陽の照り具合はさすように強い。

中国の少年たちを預かっている間プラスαの期間は、私はコンタクトレンズを装用していました。

私の近眼歴はもう半世紀以上に及びます。
小五まで1.5だった視力が六年生の時、急に0.2になり、歯と目の健康に細心の注意を払っていた母を嘆かせることになりました。
早速、隣県の大学病院の眼科に月一度、市内の最も古い眼科さんに週一度、通院することになりました。
その効果があまりないのでは、といつも不安を覚えていましたが、母の信念を覆すのが怖くて、アリナミンを毎日2錠飲み、ヤツメウナギの粉?を毎日二回飲みこみ、お医者ではすっかり覚えこんだ視力表で検眼、だんだんよくなっている、とお医者と母に思われているのが苦痛のかわいそうな少女であり続けました。

いつ最初のメガネを買ったのか記憶にはありません。
中学の時にはコンタクトレンズ(当時はハードしかありませんでした)をつけていました。何度落としたり、割ったり、度数がすすんで、新調したり・・・当時は片目が8,000円くらいだったと思います。
大学生くらいの時、それまでに買ったレンズを覚えているだけ列挙したら、すでに50万円はつかっていた記憶があります。卒業前に当時のランドタワーとでもいえる横浜西口の駅前ビルのレインボーコンタクトで、作ったのは、落とさずに数年もちました。
家庭人になっても目が悪くなり続け、粗忽にも落としたりなくしたり、も頻繁にあり、コンタクトレンズはいつもスペアももっていたほどでした。
あまりにハードを長く装用したせいで(と処方してきた上記の眼科医は言われました)目の表面の細胞数が極端に少なくなりもうレンズはだめです、メガネをかけることにしたのが、今から数年前。50代前半まで毎日使い捨てのソフトでした。今でも何箱も在庫が残っています。
それから眼鏡を模索する旅が始まりました。
いくつ作ったか記憶にありません。
メガネがコンタクトレンズより何倍も高くつくのも知りました。
近視の度数が強いので、たまを薄くする技術に費用がかかるらしいです。
この3,4年は京都でつくったメガネが最も身体にフィットしているので愛用していますが、先日来所在不明となりました。

タイトルにありますように、認知症の兆しか?と我を疑うのはメガネ探しの旅の途上で起こります。
そして、この10年くらいの間につくった別なメガネにも遭遇して、今探しているメガネがしばらく不在でも不自由はありません。
仕事に忙しかったときに、県内の学校ばかり営業していた車内販売のメガネ屋さんで求めたことがありました。口がうまくて、ずいぶん高いフレームのを買わされていたようです。
ふつう私の求めるメガネはたまを重視してフレームはそのたまが入るもの、とあとまわし。たま(レンズ)の加工にお金がかかるので、2万円くらいのフレームであってもメガネができあがると10万円以内でおさまることは少ないです。
フレームはチタンに決めています。踏んづける心配から解放されるので(笑)

今も京都産の愛用メガネを探し尋ねる小さい旅を一日の内の多くはない時間しております。
あの口のうまかった車内に検眼室をもったメガネ屋さんは今も営業しているのでしょうか。さきほど、あった!と手にしたメガネはシャネルのフレームでたまが厚い当時のものでした、仕方なく今それをかけています。疲れてくるのが早いです。

近眼は、頻発する頭痛の主たる原因でしたが、コンタクトレンズ時代になくなり、上記の車営業のメガネ屋さんのメガネ使用で再発し、京都のメガネで治りました。

早く探さないと。

ちなみに、今は眼科医の処方箋なしで、直接メガネ屋さんで購入します。
市内の技術の高いメガネ屋さんの多くは高齢になられ、廃業されているところが多いです。メガネ〇―〇とかその他量販店でしか求められません。
電気屋さん、お米やさん、酒屋さん、薬屋さん、メガネ屋さんも
かつては個人営業のお店が信頼を勝ち得て町のあちこちにありました。
今は郊外の大型店まで行かないと求めることが出来ません。

と、ついでに感慨にふけるのも、一種の認知症の兆しなのかしら?
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