最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

天神さま

2021-01-30 07:33:17 | 日記
あと二日で、一月が終わります。
どうしても今月中にしておかないといけないこと、
それは、天神さまのお戻りをして差し上げることです。

実は、一月二十五日が、初天神の日で、この日に年末年始と1か月間お出になっていたのをお戻りいただきます。
天神さまは、学問の神さまです。
ムスコの生まれた年末に、少し名前のある方に描いていただいたのを、私の実家から進呈されました。
それから30年以上は、自宅の床の間に、雪洞や立派な三宝二組やら、と一緒にこの自宅で一年に一か月お飾りしました。
その後、お嫁ちゃんのご両親が、年頭のご挨拶にいらっしゃるのが、陋屋の方なので、ムスコの天神さまは、陋屋に出ていただくことに。
ムスコの天神さまの前のお鏡は、大正5年の杉の三宝の上に置いています。

で、自宅の床の間は、選手交代で、義父のです。掛け軸の入っている桐箱には、作者名(帝展画家)と作成日が書かれています。
大正8年ですから、1919年、もう百年以上前、義父の生まれた年ですね。
さすがに箱まで撮影するのも面倒で、今掛かっているのだけ撮りました。

自宅のこの義父の天神さまの前には、先日まではお鏡餅(11日にお下げしました)とお酒徳利二本を乗せたのと、二つの三宝がありました。ムスコの天神さまの立派な付属物です。それは、25日にお下げしまして、今はこのお酒のみ置いています。
一応、年末にうす薄端にそれなりの新年のお花を生けましたが、それもくずして、こうして簡単な投げ入れの花も平常に戻りました。
黒文字と梅の枝がお正月の名残です。



こんなところを写真に撮ったのははじめてです。
床の間横の吊り押し入れ、その右隣りが二階階段ホールに続く三階への階段(観音開きの網代の戸になっています)で、そこから三階へ行く途中の小さな空き収納場所に天神さまも一年のうち11か月いらっしゃることになります。
学問の神さま、ということで、間違いなく、1月25日には三階への階段途中にお送りしていましたが、今年はやる気をなくしていまだ、、、。
陋屋の方のムスコの天神さまは、すでにあちらの土蔵にお戻りいただきました。

大雪とコロナですっかり意気消沈して、やる気まるでなし。
本来、天神さまは、男子の手で出したり入れたりするのです。。。
わが家は、冒頭の写真にちらり見えますが、掛け軸に羽はたきで表面の埃を落とすのから始まる作業、私がしました。
このあと、掛け軸をおろして、丸めてカビ除けの小袋を入れて、、、と簡単ですが、どうにもめんどくさい。

何とか今日明日中にいたします。
とりあえず、送信しておきます。読み返さないで、、、

昨年の記事より、天神さまの話題を探しました
https://blog.goo.ne.jp/poco_a_poco_2019/e/8d97de8b6f40e7cf63b95de18d9c7066
ムスコの天神さまを出した話を記しています。
昨年のお正月にはまだ到来する方も少なからずいらして、私の生活も少しは華やいでいました。
私に限らず、みなさまも、ですね。


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MOLESKIN2021

2021-01-08 03:41:01 | 日記
おはようございます。
かなり早起き鳥の今朝、やはり、これくらいの時刻に動かないとまずい実態がここにあるからです。
大袈裟な出だしですが、要は、今から暖をめいっぱいとって、いざや向かわん、とやる気満々なのです。
行く先なんですが、わが家の玄関におりて、ポーチにある軽いアルミのスコップを持つ、緑色のプラスチックの木の棒のついた雪かきはもっと軽いので、それも一緒に門の柱に立てかけとこう。
昨夜8時少し前まで暴風雪警報が出ていました。北西の風が30mも吹き荒れて、陋屋の黒松でもなぎ倒したら近所迷惑なことに・・・と不安を募らせました。自宅の庭は概ね雪つりで固定されていますので、どんな強風や大雪にも簡単に折れたりしません。この2,3年は地球温暖化のせいか、雪つりに白いもの(雪)がつかず、風物詩とさえいえないくらいでした。
私は、8時ごろから1時間ほど、ムスコの提案でPC会議を行っていて、あちらは、最近家族に加えた柴犬の赤ちゃんの話題が尽きず、私は1年ぶりの実物の息子夫婦の様子をいくら見ても見飽きず、で、あと。もう一台私のPCの不具合にも助言をもらったりしていて都合1時間ほど会議に興じたと思います。
それを閉じて、ブラウザを変えたから、ユーチューブが「聞きやすくなったのでは、とバッハのメヌエットやユーモレスクの演奏というより指導、模範演奏をつないでみました。以前に比べて安定した画面で聞きやすく、ついに自分の楽器を居間に持ち込んで、ユーチューブの奏者と一緒に合奏したりして、終わったのは10時ころ?だったでしょうか。
とにかく風の音が消えてあたりは静かで、自分の気持ちも満たされていて、申し分なかったのです。
10時半過ぎ、施錠を確かめるために玄関の三和土に降りた私は、びっくり仰天。その時点ですでに50センチくらいの積雪になっていました。強い雪玉が切れ目なく落ちていました。

わずか1時間かそこいらで、積もるんですね。

今回は山雪ではない証拠に南下した白川郷でも68センチ、そして海岸の氷見が50センチです。台風並みの低気圧が風と雪を思いっきり運んできたようです。

夜更けて少しだけ(玄関回りだけ)除雪して、まずは睡眠補給。先程目覚めましたから今から道路に出ます。自宅前の市道は、融雪装置といって地下水が一定の気温になると放出されるしかけで、普段は、この装置のおかげで全く除雪は要りません。
今日の雪は新雪で軽いので、車が一台通ってくれれば、轍が除雪を兼ねることになりますが、恐らくこんな日は、みなさん、まだ始動されていないでしょう。

早朝の除雪が目途がついたら、そのことも併せて新しい手帳に記そうと思います。

イタリアMOLESKINの手帖です。
思ったより大部で、重いのがちょっと気になりますが、日記も兼ねて活用したいです。
世界の時刻とか祭日とか度量衡などそこの原語で記されているのも面白いです。

最近、ニュウヨークの株式も日本もコロナ禍と無縁に上がる上がる、やはり、祭日の違いは分かった方が何かと便利らしいですね。
トランプさんの暴挙もどんな結末になるのか、そして、アメリカ経済だって日本に劣らず危機的のはずでしょうけれど、どんなこれからになるのか、
世界をほんの少しでも注視するきっかけになってくれたらいいな、と新しい手帖に思いを馳せる私です。
さて、と、油を売るのはこれくらいにして、と。せいぜい30分くらいしか続かない作業です。明るくなるまでできるわけではないので、とりあえず、5時に休憩することにして、頑張ります。
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ご無沙汰しています。

2021-01-05 23:16:55 | 日記
遅きに失したと思われる緊急事態宣言が、それでも発出は7日以降らしいですが、そろそろあるそうです。
だいぶ、ご無沙汰しましたが、私はこの疫病に幸運にも感染も免れて何とか棲息しております。
ご無沙汰の理由は、あるにはあるのですが、過去を振り返っても始まらないので、現況から記すことでブログ復帰の手始めとさせてください。

新年に入って今日は五日目、あと30分でそれも終わります。
朝に、1年以上ぶりのメールが携帯に入りました。それも迷惑メール扱いで。削除しようとして、差出人のフルネームをメルアドに発見したので、首の皮一枚で助かりました。

タイトル:ご無沙汰しています。
あけましておめでとうございます。
お元気なことと思います。
去年はあまり会えなくて残念でした。
今年はなんとか頑張りたいです。
70歳、体はあちこちガタが来ました。
テニスは出来ないかもしれません。
エールに魅せられて朝ドラのファンになりました。「栄冠は君に輝く」をハーモニカで練習しています。
11月から長女家族と同居です。
時節柄どうかご自愛ください。

2014年に、主務校以外に兼務する高校へ、週に2日、行っておりました。
主務校は自宅から北へ14キロ、兼務先は南へ6キロ、おまけに兼務の日は、直行、直帰でよくて、週に二日の南の学校での仕事は楽しみでした。
と同時に、そこで、思いがけない友情を結ぶことができて、生涯のベストフレンドといえる方のうちのおひとりと週二日、よもやま話を楽しむも、語る話種は尽きることがありませんでした。
私の返信は次のとおりです。

タイトル:Re:ご無沙汰しています
明けましておめでとうございます。メール拝読、今年最初の喜びです。昨年の有事を思いますと、ご無沙汰もやむを得ず、普通の暮らしがどんなに大切か、あらためて思い知らされます。本年も変わらぬご交誼を心よりお願いいたします。
エールは、昨年の生活には、欠かせない少ない喜びの一つでした。エールロスを埋めるべく、今はおちょちゃんを楽しみに見ています。昨日から、富山弁のキャラクターが登場していますね(笑)
お嬢さまご一家とご一緒とは、至極のお幸せ、小さい人たちからもらう日々の元気は、仰せのように七十路の衰えと両立すべく、ギリギリの部分も否めませんが、賑かなのは、このご時世、贅沢というもの音符羨ましいですね。一年会えない息子夫婦は、柴犬の赤ちゃんを求め、リモートワークの慰めにしている様子です。
特に楽しい話題もない私ですが、老いの身で始めたバイオリンを何とか続けております。今から今年のお稽古始めに参ります。
添付写真は、百年前の先祖作成の羽子板、コロナの難関突破の勧進帳のつもりです。
お互いに健康専一で、またお会い出来る日を楽しみに何とか無事に過ごしましょう!!️メールありがとうございました。



今日は、偶然にも、もう一方、生涯のベストフレンドからもメールをいただきました。こちらの方ともずっとお会いすることなく、一年は過ぎています。

同年代で、ほぼ同業、ただし、これらお二人のベストフレンドは、どちらも現役の時は相当活躍されたらしいことが伺えます。私のような甘ちゃんではありません。

ベストフレンドの前者の方は、同じ県内に居住されていて、毎年夏と冬に、手作り野菜を車のトランクいっぱいにお持ちくださっていたのが、昨年はもちろん、それも叶いませんでした。
文字通りの晴耕雨読生活らしく、晴れたら畑とテニスコート、降ったら囲碁と新聞、それでも、週に3日くらいは、未だに熱心に教壇にお立ちになっています。70歳の誕生日は、今月ですが、それで、講師はもうおりる、と一昨年末に仰ってお別れしたのを覚えています。

ベストフレンドの後者の方と、メールで何信か、やりとりをしました。私が雪の季節に急性鬱 らしくなるのをご存じで、それを案じてくださっていました。が、今回は、雪が気鬱の原因ではありません。だいたい、積雪ゼロですし、ここまで一度もブーツや長靴のお世話になっていません。一応玄関前には、軽めのスコップとプラスチックの雪除けを置いていますが、自宅前の道路もそこから玄関までのアプローチも一度も雪除けの要はありませんでした。今週は、また大寒気団の到来で、大雪が報じられてはいますが、外出も殆どいたしませんので、大丈夫でしょう。

私が心を曇らせている(いた)原因は、ばらす気になれば吐露するつもりです。
ちょっとだけ、心の雲が晴れたのは、今日、アマゾンで日記兼用の手帖を注文したことがその証拠。
昨日まで、私は、日記の類を求める気になれずにいました。
亡き実父は、几帳面な人で、五年連用日記を没す前年まで7,8冊毎日記した人でした。今日は巨人が勝った、とか、〇くん(私のムスコ)の沐浴をした、体重が〇キロになった。など実用的なメモがほとんどですが、それでも懐かしく、暖かい生活の記録として私の心に響きます。
私は父に似ない不肖の娘で、几帳面に日記はとてもとても・・・
ただ、能率手帳をはじめとして、同じタイプの手帖を求めて予定やメモはする習慣は欠かしたことがありません。ほぼ年末には、整えます。学校では印刷屋さんとか本屋さんとか旅行業者とか出入りの人がいくつもくださるのですが、自分の使い勝手のいいのを買い求めて、新年になります。

今年はどうしても、その気になりませんでした。
私は、やがて七十路に入り、仕事もやめ、家にひきこもる、それが念願だったけれど、そんな喜びの日がこの先どれだけ続くだろうか、一人だけいるこどもは、男子だから、うるさい母親が朽ち果てても、案外ほっとして、悲しみはすぐに癒えるだろう、つれあいは、少し不自由するとしても、割り切って、自分を律して元気に生きてくれるだろう、大丈夫、ありがとう、さようなら、と来る日も来る日もお別れの日を想定しました。

そして、今朝、ベストフレンドの一人から明日を生きるためのヒントのメールをもらい、
もう一人のベストフレンドからは、「杞憂」の非生産性を諭されて、
今年の手帖注文にこぎつけた次第です。
そこに、さようなら、ありがとう、一足お先に行きますね、なんて書き込む日が来る、とは今のところ思っていませんが、この先、果敢に事実には向き合って、その時できることに対処していくつもりです。
不思議なことですが、ネットを通じて得た数少ない友人(大切な大先輩です)からも、同じ1月5日メールを頂戴して、私のブログずる休みを案じてくださいました。ひとりで悶々とすることはない、と心強く有難く、感謝するばかりでした。

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