最終章だけど、、、

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実証してみました

2020-05-28 17:00:27 | 日記
遠慮もなく、かりんからです。少しマシになったかと思いましたが、、、


全身がかゆくなるくらい不気味です
すみません。
陋屋にきました。敷居の有無についてしばし、探検。

勝手口から台所に入るドア。敷居なし。


前のトイレに廊下から入るドア。敷居なし。



仏間と居間の間は敷居。普通に襖です。段差なし


畳み廊下から奥座敷もバリアフリー

これなんか、究極のバリアフリーです。

畳、なぜか床、障子、畳廊下

みそ部屋横のトイレも敷居はありませんでした。
画像なし

お粗末でした。私の物好きな探求でした。

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10 コメント

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いくらか先日よりはマシですが (madonna)
2020-05-28 21:44:46
木だと思うと気持ち悪いです(笑)。
それにしても、何年、そこに住んでいるのですか、と訊きたくなるほど、敷居が気になりだしたものですねえ。
本式の洋館はどうなっているのでしょうか。
前回の私のコメントですが、京都に今は市電はないことを忘れていました。
京都の市電 (ぽこ)
2020-05-29 06:21:14
鴨川沿いに出町柳まで市電が走っていましたね。大学1年の2月ごろ、大学の友人5名と一緒に東京から上洛しました。大原までも行きましたので、寒さは半端ではありませんでした。四条河原町の大きい喫茶店のウインドウにたくさんのパーラーなど並んでいてその呼名が「こびとの靴」とか「真理探究」とか「虹色の恋」とか優雅に面白くつけられていて、アイスクリームやフルーツの中身よりも真剣に選んで何度もそのお店に通いました。
母のお供でお家元に行くのに上洛したことも少なくなかったのですが、いつ市電が亡くなったのか記憶が定かではありません。
出町柳から叡電に乗り、いくつめかの一乗寺に宿をとった女子大かしまし娘の旅・・・途中になぐるけるのけんかも友人はしていました(笑)
ムスコは2002年上洛、学生生活ののちも、市内で就職、マイホームも北のはずれながら学生時代を過ごした左京区で求め、京都はこれで、18年余りになります。
親元にいたのとちょうど折り返し点になります。
ムスコのふるさとである自宅の敷居も鴨居も何にも気にしたことがなくここへきて急に気になりだしたのは、老後どうするかのその老後にそろそろ入ってきているなぁ、と考えることが多くなっているからですね。いかに安全に楽に暮らすか、140歳の陋屋はオール畳の隙間風だらけの家ですが、意外にバリアフリーなのにきづきました。そして平屋建てなので、階段の心配がないこと。35年の自宅は、構造的には安心物件かもしれませんが、敷居に躓き、階段の使用の問題もあり(実は一部三階建てにもなっています)足腰の不安を考えるといかがなものか、と揺れ動いています。
ムスコには2015年までに断捨離を終えてどちらか住む家を一つにする、と約束していましたが、いっこうに片付けは進みません。。。
おはようございます。 (madonna)
2020-05-29 10:30:06
今、思い出しました。
岡本和子さんのお宅ですが、息子さん3人が結婚されてから建て直したようです。それでも私がお邪魔するようになってから40年は建っているかと思うのですが、個室がひとつあるだけで、台所から居間から全部オープンになっていました。L字型になった下の部分に和子さんのベッドが置いてありましたが。ところどころ、低い本棚などで仕切りをしていました。あれだと1人ならダンスも出来るし車椅子もOKかと(笑)。

最初、立て直すときに和子さんは普通の自分好みの住宅で2階建てを考えていたらしいです。するとアメリカに住む3男の嫁から電話があって、年を取ったら2階は大変だから平屋にするようにと厳命があったそうで。

和室は年を取ってから住むのには良いかと思います。でも、後から建てた家にも思い出が詰まっているのでしょうから、そのままにされていた方が良いのでは。年を取ってから生きるのに思い出も生きる糧ですから。
畳廊下とは・・・ (なっとう)
2020-05-29 19:32:48
過日の掛け軸にも 驚きましたが、今日は畳廊下ですか・・・。久しぶりで見ました。来客のご挨拶に廊下畳に正座して・・・。普通の家ではまず見たことないです。カリモクの椅子もすばらしい。

・・・で、市電は 廃止路線が始まったのは昭和51年ごろだと記憶しています→センミツのオッサンの言うことだけに 微妙に 記憶間違いしてるハズ・・・。
バリアフリーと言えば (すらいむらいだー)
2020-05-29 20:18:27
築20年位の市営住宅に住んでますが、意識的にバリアフリーをしており、家全体が、ほぼ、まっ平らになっております。
浴室、トイレには手すりもあり、車椅子利用者も、生活できるよう、工夫されております。
昔の家 (ひよこ)
2020-05-30 14:28:58
考えられて作られているんですね。 
普段は気がつかないけど、
ふとしたときによさに気づく感じなのかも。

苗字のおかげで (ぽこ)
2020-05-30 15:03:11
マドンナさん、
旧姓を名乗っていた期間×2=結婚後の現在の名前の期間
まもなくこの式が成立します。もう銀行などで旧姓を呼ばれて、「はい」と立ち上がることはないでしょうね(笑)

外観と無関係に名前だけで、
宝塚を意識されています?なんて冗談を言われたこともございました。名前はレアではありませんが、苗字が一字で画数が多く、名前は柔らかいひらがなモードですので、目にするとちょっとだけユニーク?当時の女の子に共通な〇〇子でもないですし(笑)

まあ苗字で損をしたことはなかったと思います。
そして、実家には、クスノキをはじめ、欅やタイサンボクやモチノキなど、松の木以外に大木が庭を暗くしていましたので(この実家で暮らした期間は私はそう長くはありません。むしろ、結婚後にいつも子連れでやってきては子守をしてもらっていた記憶ばかり)町の中にあって木々のうっそうとした中にいるのに慣れていました。

自宅を建てた時も、棟梁が材木の目利きと知り、なるべく本物(高価という意味ではなくて、しっかり屋台骨を支える材木です)でお願いできることが安心でした。
ですから、ムスコのふるさとである自宅には思い入れがあるのも確かです。

陋屋は平屋であること
標高が高いこと…市のハザードマップにも最も安心地域と明記されています

この2つの点でほぼ移住に傾いています。
ムスコに整理の難題を残していけないので、家を手放すことはしなくても 概ね家財の整理はしておかないと、、しかしこの先10年計画で。10年後もかろうじて70歳代ですから、98歳までだいぶ楽しめます!

いろいろご提言ありがとうございます。
まああんまり気に病まずに、ぼちぼち、やっていきます。
それより先にカメラの腕を何とか矯正しませんとね。

>畳廊下とは・・・ (ぽこ)
2020-05-30 15:09:23
なっとうさん、そんな大それたもんじゃございませんって!

確かに私はいつでもどこでも正座して家族やお客を出迎え送り出す、これは習い性というのでしょうか。。。

最近は長時間正座していますと、ひざの裏が痛みで立てなくなっています。しびれたことはないですが、体重の姓だとは思います。

こんな時代遅れの生活様式をさらにコロナ風新様式も取り入れまして、ソーシャルディスタンスを守り、ひっそり、蟄居。
あのへんなばあさんのいる家だぁ、と人々に陰口たたかれていたりして。。。
>バリアフリーと言えば (ぽこ)
2020-05-30 15:19:05
20年前築でしたら、まだまだ新品同然でございます!
1982年だったかに建築基準法が大きく変わったと聞いたことがあります。
スライムライダーさん宅はなんといっても平成の家、すでにバリアフリーは当然考えられていた と思われます。
で、高層ですか?
戸建てということはありませんでしょうね。お住いの大都会では。。。
140歳の陋屋のお風呂もトイレも手すりがあります。側面総タイルばりの昭和そのものなのに、明治生まれの父のために強固な手すりを跡付けしたのでした。
>昔の家 (ぽこ)
2020-05-30 15:50:24
ひよこさんのお名前を目にすると
嬉しい、ほっとします。
ひよこちゃんたち、コロナで小学校も行けず、
どのようにお過ごしかと。。
きっと、耳を澄ますとぴよぴよ、心に響く声が届くはず。

昔の家は、隙間風だらけですが、濃密にはなりません。自然の換気ばっちり。夏向けです。ひさしが深いので日光の直撃を受けません。その分、冬の寒気も換気も(笑)
生活の知恵みたいなものを先人はマイホームに取り入れていらした、ってことでしょうね。

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