最終章だけど、、、

日記や趣味を書く

いろいろありまして、、、

2020-01-28 19:35:50 | 日記
自宅の居間には、イタリア製の丸テーブルと猫足椅子2脚を置いている。もともと隣の楽器部屋に置いてあり、来客用にしていた。私の私物がふえて来客はあまりものを置かない和室にすることにしたとき、居間に移動。広くない和室に先住のかりもくソファ大小2脚とテーブルもある。
少しきどったイタリア家具は日常用に使うことになり、ついに、ダイニングセットと実用に。キッチンが10畳の広さがあるので、ダイニングセットはもともとそこにあったのだが、寒いなどの理由で食事は居間で、とあいなった。
狭いところに家具がひしめき、使い勝手が悪いかと思いきや、案外楽でこの数年、すっかりなじんでいた。
そして2年前くらいに猫足の椅子の一脚がぐらぐらしてきたので、かりもく家具工房で治してもらった。1万円かかった。
それが、家人用。いよいよ私のもぐらつき始めてきた。
また直してこのまま使うか、、、

ふと家人が提案。台所の椅子と交換したらどうだろう。

イタリア家具の椅子の方が少し高さがある。
あっ、これではありません。これは陋屋で私のバイオリン練習用に座る椅子。

元に戻ります。
案外キッチンのダイニングセットの椅子が座面が広くて安定している。紬の座布団を敷いて高さは補った。

そして元のダイニングテーブルの場所にはイタリア椅子をおさめて万事解決、
と思って元気にお米をとごうとしたら、その椅子の背もたれが意外に高くて、持っていた一合カップがひっかかって、半分弱下に落としてしまった。
いつもは、こしひかりと、ミルキークイーンと半々でブレンドしてお米をとぐ。今ミルキークイーンしかないので、100%それのみ。
下に落ちたのは、もったいないし、罰当たりだけど、ほこりもあるから、とにかく掃いてみた。カップ半ばい弱集められた。
やはり陋屋のスズメにあげるのが一番。

今日は暖かかった。

みんな、山形取り寄せているくず米です。
最後のこれ、

手前がミルキークィーンです。

あっという間にそれだけがなくなった。

すずめちゃんにはわかったのでしょうか?
家人はきっと甘みが違うのだ、と申しています。
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6 コメント

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スズメにも味覚があるんだ! (madonna)
2020-01-28 20:31:50
ぽこさんはどちらがお好きなんですか?
コシヒカリとミルキークイーンと。
ミルキーというくらいですから、甘くて味が濃いのかしら?
ぽこさんのお宅みたいにお部屋がたくさんあると、冬は暖房が大変ですね。夏は涼しいでしょうが。
うちのような狭いマンションでも、トイレとお風呂に行くのが寒くて面倒です。
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もち米のような (ぽこ)
2020-01-29 02:10:36
粘りのあるミルキークィーンは、少し大げさすぎて、毎日のごはんには好みません。
おいしいのはおいしいのですが、もち米だったら、おはぎにしたい方なので、まあこしひかりとのブレンドが一番しっくりしますね。コシヒカリだけでも十分です。家人が知り合いから買っているので、少しは安いかと思いましたが、5キロ4000円ですので、ちょっと高いのでしょうか。
拙宅も陋屋もコンパクトな在来工法の和風、加齢とともに立ち居ふるまいが苦しくなって、座卓を前に過ごせません。二階にある10畳4室のうち、使っているのは寝室だけ。それもやっとこどっこい階段をあがって。陋屋は平屋建てなのが嬉しく、築140年余りの危ないかもしれないあばらやですが、将来はここで、とも思っています。
実家は、街中にありますが、1000坪の庭、家の坪数は、ほぼ平屋でしたが80坪だったかありました。母方曾祖父の建てた分院(本院は金沢)に都落ちした私の実父が住まわせてもらい、明治の洋風建築の家をもちこたえました。今、一体だれのものになっているか、父亡きあと一度しか入ったことのない私には実家ははるか遠くになりました。建物も残っているのかどうか。。。そんな家を知っている私には、自分の家は身の丈に合ったそれなりに居心地良い住めば都の場所ですね。
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Unknown (5キロ4000円の米って)
2020-01-29 14:12:16
ちょっと 高杉晋作!!
我が家は コシヒカリ30キロ7000円で直接 農家から買っています。平野部の農家なので 味はイマイチかも・・・。私の好物は おにぎり。オカカと美味しい海苔で・・・。これに勝る食べ物は オッサン的には ありません。

しかし 驚いた。1000坪の敷地。➡約60m四方の敷地ってことやん・・・。ソフトボールできますやん。それに80坪の平屋建築。お金持ちしかムリ。延べ160畳ですぞ・・・。雪隠でも
16畳くらいはありそう・・・。➡まるで、お坊ちゃま君の家やん・・・。
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風が吹けば桶屋が儲かる、如く、 (すらいむらいだー)
2020-01-29 23:32:57
色々あって、猫足椅子がグラついたら、スズメが美味しいお米を食べる事が出来た。

てコトでいいんでしょうか?
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正真正銘のお坊ちゃまといえば、 (ぽこ)
2020-01-30 18:43:00
それは、実父です。
1916年、信州の真ん中の広大な田んぼのど真ん中に生まれました。2000石の地主の次男。両親が早逝しており、嫡子だった長男は、不労所得・不在地主で鎌倉に住み、信州の方は人任せ。年の離れた弟(父)は、旧制中学から大学まで東京の根岸の借家でばあやと共にお気楽な部屋住み生活。徴兵の義務を果たした後は、官吏となり、1943年ごろ結婚。都内で家を新築し、田舎から女中さんを2,3人連れてきて困らない生活のサポートをする、と言っていた伯父(父の兄)は戦後まもなく亡くなった。そのまま鎌倉に在住した伯母もやがて永眠。
父はいわゆる農地解放をまともに受難。昔は周囲1キロくらいの土地は誰でも父に挨拶し、小さいお殿様然としていたらしいが、先祖然来の墓地までいつの間にか失っていた。
すでに母と結婚していたので、母には「約束不履行、結婚詐欺」呼ばわれをしたようです。
真面目に役所勤めを果たして55歳定年だったころ、そのぎりぎりで、やっとマイホームを持ちました。それまでは、官舎住まいです。私も小学生時代は目黒区の官舎に住んだ記憶があります。中学以降は横浜の郊外にあった父の建てた家に住むわけですが、天下りで奉職したのが金沢だったのでそこから母方の曾祖父宅とのつながりが出来ます。横浜の二世帯住宅は私の長兄が結婚、やがては熟年離婚した時に内孫を尊重して長兄の元妻一家に残すことにしました。
以来、金沢と当地との母がらみの家を何とか維持して、生涯慎ましく終わりました。できたら富士山を望む、神奈川か静岡に小さい家を持ってあったかい空気を吸って生きたい、と言っていましたが、叶わず、1000坪の庭の手入れを庭師と一緒に励む父でした。
明治の実家(といっても私は高校時代から結婚までの数年しか住んでいません)は、当市の文化財に指定されそうになりましたが、母の強い意向で固辞したため、最終的には煉瓦造りの分院を母亡きあと壊しました。トイレは全部で4か所ありました。少し広かった記憶があります。全て洋式に改造されていましたが、ひとつは畳敷きのがありました。
煉瓦造りが亡くなった時にもう全てが変わりましたね。庭の手入れもしていないから、実家の近くを通るときは勇気が要ります。父の亡くなった年の翌春、何十匹の鯉がお腹を見せて昇天していた、という話を聞いて益々実家には足が遠のきました。
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そうです、桶屋はスズメちゃん (ぽこ)
2020-01-30 19:10:16
まあこれっきりの話になるでしょうけれど、簡単に言えば、猫足不良、椅子取り換え、取り換えた猫足でお米が引っ掛かり、スズメの口するところとなった

たったこれだけをくどくど説明したのをわかりやすくまとめてくださいました。ありがとうです。
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