7月8日(火)クス弦楽四重奏団
紀尾井ホール
【曲目】
1.ハイドン/弦楽四重奏曲第67番ニ長調Op.64-5 Hob.Ⅲ-63「ひばり」

2. ウェーベルン/弦楽四重奏のための6つのバガテルOp.9

3. クルターク/弦楽四重奏のための「セルヴァンスキ追憶の小オフィツィウム」Op.28
4. ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第12番変ホ長調Op.127
【アンコール】
ジョン・ウィルビー/さよならかわいいアマリリスよ
前回の来日時、モーツァルトの少年時代の名作K.80の入ったプログラムとその時に読んだインタビュー記事に興味を覚え、でも結局行かず仕舞いで、今回の来日公演も気になってはいたのだがチケットを買うまでには至っていなかったところ、紀尾井ホールからこの演奏会のお知らせだけ入ったDMが届いたのが決め手となってチケットを購入(紀尾井ホールしてやったり!)、大きな収穫を得る演奏会だった。
最初のハイドンの「ひばり」第1楽章、ファーストヴァイオリン(ヤナ・クス)の柔らかで清々しい歌だけでなく、下三声のスタッカートによるとてもニュアンスに溢れた伴奏型が素晴らしく、全体として実に柔軟で陰影に富んだアンサンブルが展開した。第2楽章はモーツァルトのような声楽的な表情が美しく、第3楽章では優雅で自然な息遣いが活きた踊りの世界となり、そしてフィナーレはさざめく波に時おりヒューッと風が吹きつけて白い波頭がスッと現れては消えて行くような自然の描写のタッチに心を奪われた。これはいい! 次のウェーベルンへの高まる期待にもクスカルテットは見事に応えてくれた。
ウェーベルンの6つのバガテルを、このカルテットは弦楽器というよりもヴォーカルアンサンブルのようなレアでピュアな響きで表現し、音楽が時間の経過によって表現される芸術であることを忘れさせ、絵画とか、それより活き活きと動いていた印象的なシーンの瞬間の煌めきをつかまえて静止画にしたような、そんな一枚の視覚的イメージが聴く者の心を捉える。これこそがウェーベルンがこの凝縮された世界に込めたメッセージだったのではないだろうか。1つ1つの極小の楽曲がそれぞれに美しい結晶を結んだ名演。
続くクルタークの作品も、ウェーベルン同様に断片的な音楽の集まりではあるが、こちらは静止画ではなく、演奏時間分の動いた画像を普通に見ている気分。これは音楽そのものの純度の違いかも知れない。終曲ではそれまでの無調の音楽とは打って変わって、極めてオーソドックスな叙情的な音楽が突然停止して終わる。これはセルヴァンスキに込めた追悼の思いかも知れないが、少々演出的にはクサい。
後半はベートーヴェンの大曲。雄大で汚れのない序奏が活き活きと始まった第1楽章はしかし何だかあっけなく終わった。続く第2楽章がこの演奏での白眉。クスのヴァイオリンとフェリックス・ニッケルのチェロによる歌と歌の対話に、セカンドのオリヴァー・ヴィレとヴィオラのウィリアム・コールマンがぴったりと付き添い、深い呼吸による柔らかくて温かいハーモニーを奏でていた。第3、第4楽章も彫の深い、陰影に富んだ、密度の濃い演奏を展開したが、このベートーヴェン後期の大作に本当の意味で感動するためには、自分自身この曲をもっともっと聴き込む必要があるのかも知れないと思った。
アンコールではルネサンスの恐らく声楽曲のアレンジ。歌が立ち上っていくような清澄さに溢れた世界に浸った。思えば、ハイドンでもウェーベルンでも、そしてベートーヴェンの第2楽章でも、クスクァルテットから聴こえてきたのはこの人間の「声」だった。どんな時代の音楽であっても、音楽の原点ともいえる「声」を感じ、その「声」によって奏でられる人の心に響く「歌」を呼び覚ますのがクスクァルテットの真骨頂なのかも。少なくともこのクァルテットの大きな持ち味だと感じた。音楽に対する真摯な姿勢も大変好感が持て、次の来日時にも是非聴きに来たいと思った。
ファーストヴァイオリン奏者の名前を取ったドイツのKuss-クァルテット、英語にすればKiss-Quartetなわけで、弦楽四重奏団の中堅としてこれから益々熱いキス
を受けたいものだ。
紀尾井ホール
【曲目】
1.ハイドン/弦楽四重奏曲第67番ニ長調Op.64-5 Hob.Ⅲ-63「ひばり」


2. ウェーベルン/弦楽四重奏のための6つのバガテルOp.9


3. クルターク/弦楽四重奏のための「セルヴァンスキ追憶の小オフィツィウム」Op.28
4. ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第12番変ホ長調Op.127

【アンコール】
ジョン・ウィルビー/さよならかわいいアマリリスよ

前回の来日時、モーツァルトの少年時代の名作K.80の入ったプログラムとその時に読んだインタビュー記事に興味を覚え、でも結局行かず仕舞いで、今回の来日公演も気になってはいたのだがチケットを買うまでには至っていなかったところ、紀尾井ホールからこの演奏会のお知らせだけ入ったDMが届いたのが決め手となってチケットを購入(紀尾井ホールしてやったり!)、大きな収穫を得る演奏会だった。
最初のハイドンの「ひばり」第1楽章、ファーストヴァイオリン(ヤナ・クス)の柔らかで清々しい歌だけでなく、下三声のスタッカートによるとてもニュアンスに溢れた伴奏型が素晴らしく、全体として実に柔軟で陰影に富んだアンサンブルが展開した。第2楽章はモーツァルトのような声楽的な表情が美しく、第3楽章では優雅で自然な息遣いが活きた踊りの世界となり、そしてフィナーレはさざめく波に時おりヒューッと風が吹きつけて白い波頭がスッと現れては消えて行くような自然の描写のタッチに心を奪われた。これはいい! 次のウェーベルンへの高まる期待にもクスカルテットは見事に応えてくれた。
ウェーベルンの6つのバガテルを、このカルテットは弦楽器というよりもヴォーカルアンサンブルのようなレアでピュアな響きで表現し、音楽が時間の経過によって表現される芸術であることを忘れさせ、絵画とか、それより活き活きと動いていた印象的なシーンの瞬間の煌めきをつかまえて静止画にしたような、そんな一枚の視覚的イメージが聴く者の心を捉える。これこそがウェーベルンがこの凝縮された世界に込めたメッセージだったのではないだろうか。1つ1つの極小の楽曲がそれぞれに美しい結晶を結んだ名演。
続くクルタークの作品も、ウェーベルン同様に断片的な音楽の集まりではあるが、こちらは静止画ではなく、演奏時間分の動いた画像を普通に見ている気分。これは音楽そのものの純度の違いかも知れない。終曲ではそれまでの無調の音楽とは打って変わって、極めてオーソドックスな叙情的な音楽が突然停止して終わる。これはセルヴァンスキに込めた追悼の思いかも知れないが、少々演出的にはクサい。
後半はベートーヴェンの大曲。雄大で汚れのない序奏が活き活きと始まった第1楽章はしかし何だかあっけなく終わった。続く第2楽章がこの演奏での白眉。クスのヴァイオリンとフェリックス・ニッケルのチェロによる歌と歌の対話に、セカンドのオリヴァー・ヴィレとヴィオラのウィリアム・コールマンがぴったりと付き添い、深い呼吸による柔らかくて温かいハーモニーを奏でていた。第3、第4楽章も彫の深い、陰影に富んだ、密度の濃い演奏を展開したが、このベートーヴェン後期の大作に本当の意味で感動するためには、自分自身この曲をもっともっと聴き込む必要があるのかも知れないと思った。
アンコールではルネサンスの恐らく声楽曲のアレンジ。歌が立ち上っていくような清澄さに溢れた世界に浸った。思えば、ハイドンでもウェーベルンでも、そしてベートーヴェンの第2楽章でも、クスクァルテットから聴こえてきたのはこの人間の「声」だった。どんな時代の音楽であっても、音楽の原点ともいえる「声」を感じ、その「声」によって奏でられる人の心に響く「歌」を呼び覚ますのがクスクァルテットの真骨頂なのかも。少なくともこのクァルテットの大きな持ち味だと感じた。音楽に対する真摯な姿勢も大変好感が持て、次の来日時にも是非聴きに来たいと思った。
ファーストヴァイオリン奏者の名前を取ったドイツのKuss-クァルテット、英語にすればKiss-Quartetなわけで、弦楽四重奏団の中堅としてこれから益々熱いキス
