1月18日(金)ダン・エッティンガー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団/新国立劇場合唱団
~東京フィルハーモニー交響楽団第826回定期演奏会 ~
サントリーホール
【曲目】
ロッシーニ/小荘厳ミサ曲(オーケストラ版)
S:ミシェル・クライダー/A:エドナ・プロフニック/T:ハビエル・モレノ/B:堀内康雄
ロッシーニの小ミサ曲は、はるか昔ミラノのスカラ座が初来日した時、ピアノ伴奏でやったのをテレビで観て、音楽のスケールの大きさと合唱の圧倒的なパワーに度肝を抜かれた覚えがある。今となってはあれが小ミサ曲だったかも怪しいが、とにかくロッシーニはオペラだけじゃなく、凄い宗教曲も書いたということは記憶に焼き付いていた。それで今回の演奏会のチラシを見て、すぐに聴きたい、と思った。しかも合唱が命の曲に願ってもない新国立劇場合唱団が出演し、オケは新国のオペラ公演でいつも熱く充実した演奏を聴かせてくれる東フィル というのも嬉しい。指揮のエッティンガーは名前はよく聞くが、イケメンのにいちゃんが登場。若々しい指揮ぶりに似つかわしく、瑞々しくて活きがよく、パワフルな演奏が繰り広げられた。
オペラの筆を断って既に30年以上経たロッシーニが書いた宗教音楽の大作なら、という「先入観」と古い記憶も手伝って、楽しく威勢のいいオペラとは趣を異にした荘重な音楽のつもりで臨んだが、実はウィットに富んだ、溌剌と弾けるロッシーニの音楽そのものだった。たまに深刻な雰囲気を漂わせても、いつの間にか活きのいい音楽に変わっている。神妙なはずのet incarnatus est...のくだりをさらりと流してしまうのはちょっと物足りなかったけれど、悲痛なはずのcrucifixus が、解説にはバッハのロ短調ミサと同様に悲痛な半音階バスが付いていると書いてあったにもかかわらず、深刻さのカケラも感じない洒落っ気のある音楽で、やっぱりロッシーニの持ち味はこういう音楽なんだと納得してしまった。
こういう前向きで活きのいい音楽を、今夜の演奏者達はそれに相応しく心行くまで楽しませてくれた。エッティンガーの指揮はとてもキビキビして的確に音楽の表情を伝え、オーケストラも合唱もこれに敏感に反応した。生命力に溢れ、弾力性があり、パワーがみなぎる。cum sancto spiritu やCredoのフーガは、華やかで躍動感に満ち、楽しそうに輪舞しているよう!フーガでこんな楽しそうな躍りを表現してしまうのはロッシーニならではだが、それは素晴らしい演奏あってのこと。瑞々しく輝かしい新国立劇場合唱団と、パワフルで伸びやかで、スウィングを楽しむ余裕さえ感じる東フィル。エッティンガーと東フィルが、これまでにもオペラで実績を積んできた成果といえるかも知れない。4人のソリスト達も、自分の持ち歌を朗々と伸びやかに聴かせ、見事な花を咲かせた。なかでもクライダーの艶のあるソプラノと、モレノの輝かしいテノールに聞き惚れた。
Credo までは本当に充実した音楽が繰り広げられたが、オルガンの間奏を挟んで続いたその後の音楽は、SanctusもAgnus Dei も物足りなさを感じた。それまでの曲とは明らかにウェイトが後退。ロッシーニの気合いが失せてしまったのでは、と思う終わり方。最後のdona nobis pacem なんて、ロッシーニならもっと喜びと幸せに溢れる音楽を書けたはず。合唱も最後までもっと活躍するかと期待していたが、尻つぼみのようなエンディングには拍子抜けしてしまった。
~東京フィルハーモニー交響楽団第826回定期演奏会 ~
サントリーホール
【曲目】
ロッシーニ/小荘厳ミサ曲(オーケストラ版)

S:ミシェル・クライダー/A:エドナ・プロフニック/T:ハビエル・モレノ/B:堀内康雄
ロッシーニの小ミサ曲は、はるか昔ミラノのスカラ座が初来日した時、ピアノ伴奏でやったのをテレビで観て、音楽のスケールの大きさと合唱の圧倒的なパワーに度肝を抜かれた覚えがある。今となってはあれが小ミサ曲だったかも怪しいが、とにかくロッシーニはオペラだけじゃなく、凄い宗教曲も書いたということは記憶に焼き付いていた。それで今回の演奏会のチラシを見て、すぐに聴きたい、と思った。しかも合唱が命の曲に願ってもない新国立劇場合唱団が出演し、オケは新国のオペラ公演でいつも熱く充実した演奏を聴かせてくれる東フィル というのも嬉しい。指揮のエッティンガーは名前はよく聞くが、イケメンのにいちゃんが登場。若々しい指揮ぶりに似つかわしく、瑞々しくて活きがよく、パワフルな演奏が繰り広げられた。
オペラの筆を断って既に30年以上経たロッシーニが書いた宗教音楽の大作なら、という「先入観」と古い記憶も手伝って、楽しく威勢のいいオペラとは趣を異にした荘重な音楽のつもりで臨んだが、実はウィットに富んだ、溌剌と弾けるロッシーニの音楽そのものだった。たまに深刻な雰囲気を漂わせても、いつの間にか活きのいい音楽に変わっている。神妙なはずのet incarnatus est...のくだりをさらりと流してしまうのはちょっと物足りなかったけれど、悲痛なはずのcrucifixus が、解説にはバッハのロ短調ミサと同様に悲痛な半音階バスが付いていると書いてあったにもかかわらず、深刻さのカケラも感じない洒落っ気のある音楽で、やっぱりロッシーニの持ち味はこういう音楽なんだと納得してしまった。
こういう前向きで活きのいい音楽を、今夜の演奏者達はそれに相応しく心行くまで楽しませてくれた。エッティンガーの指揮はとてもキビキビして的確に音楽の表情を伝え、オーケストラも合唱もこれに敏感に反応した。生命力に溢れ、弾力性があり、パワーがみなぎる。cum sancto spiritu やCredoのフーガは、華やかで躍動感に満ち、楽しそうに輪舞しているよう!フーガでこんな楽しそうな躍りを表現してしまうのはロッシーニならではだが、それは素晴らしい演奏あってのこと。瑞々しく輝かしい新国立劇場合唱団と、パワフルで伸びやかで、スウィングを楽しむ余裕さえ感じる東フィル。エッティンガーと東フィルが、これまでにもオペラで実績を積んできた成果といえるかも知れない。4人のソリスト達も、自分の持ち歌を朗々と伸びやかに聴かせ、見事な花を咲かせた。なかでもクライダーの艶のあるソプラノと、モレノの輝かしいテノールに聞き惚れた。
Credo までは本当に充実した音楽が繰り広げられたが、オルガンの間奏を挟んで続いたその後の音楽は、SanctusもAgnus Dei も物足りなさを感じた。それまでの曲とは明らかにウェイトが後退。ロッシーニの気合いが失せてしまったのでは、と思う終わり方。最後のdona nobis pacem なんて、ロッシーニならもっと喜びと幸せに溢れる音楽を書けたはず。合唱も最後までもっと活躍するかと期待していたが、尻つぼみのようなエンディングには拍子抜けしてしまった。