4月29日(木)伊藤 恵 ピアノ・リサイタル
~新・春をはこぶコンサートVol.3~
紀尾井ホール
【曲目】
1.シューマン/こどもの情景Op.15
2.シューマン/クライスレリアーナOp.16
3.シューベルト/3つのピアノ曲D.946
4.シューベルト/楽興の時D.780, Op.94
【アンコール】
1.シューマン/ユーゲント・アルバム op.68 から 第35曲 「ミニヨン」
2.シューマン/色とりどりの小品OP.99~3つの小品~第1曲
今年も伊藤恵さんの「春をはこぶコンサート」シリーズを夫婦で聴いた。今年は恵さんが最も敬愛するというシューマンの生誕200年ということで、前半とアンコールでシューマンが演奏された。
「子どもの情景」はシューマンのピアノ曲のなかではすっきりと、余り過度な感情移入をしない演奏が多いが、恵さんは1つ1つの曲を慈しむように、深い情感を込めて弾いていった。音楽の場面ごとにテンポを変え、休符を長く取り、音色の変化にも細やかな心が配られる。そうした表現は決して大げさにはならず、小さな子どもの心に優しく寄り添うお母さんの眼差しを感じた。
「クライスレリアーナ」は更に音楽の深いところへ突き進んで行く。この曲はもっと華やかじゃなかっただろうか、と思うのだが、恵さんの演奏からは心の暗い部分を探っているような内面性を強く感じた。
後半はシューベルト。「3つのピアノ曲」の第1曲はもともと駆り立てられる気分の曲だが、恵さんはステージに登場して椅子に座ったと同時ぐらいに弾き始め、その演奏は不安な気持ちをかき立てられ、焦燥感が際立っていた。その結果、第2曲の穏やかな曲調が切ないほどに哀しく胸に沁みる。
最後に置かれた「楽興の時」でも、恵さんは音楽の内面へとどんどん入って行くアプローチ。有名な第3曲へ短調に湛えられた哀愁にしんみりしていると、更に第4曲嬰ハ短調では聴きなれた馬を駆るようなテンポ感とは全く違い、一歩一歩ゆっくりと手探りで進んで行く。それはまるで生きることに疲れた瀕死の姿。中間部の慰めるような音楽のあと、「瀕死のモチーフ」は多少息を吹き返したように聴こえたが、これは死を受け入れた穏やかな心境だったのかも知れない。最後は安らかに息を引き取るように聴こえた… そして最後の第6曲変イ長調もこの世にお別れを言っているよう。
アンコールの前に、このリサイタルで初めて恵さんが口を開き、「クララへの切なくも熱い思いを音楽に託したシューマンに比べ、シューベルトは同じ頃の年齢で人生に疲れ、死の影を感じるような音楽を書いている。でも、それを支えているのは音楽に溢れる優しさではないか…」という話を聞かせてくれた。恵さんが今日演奏したシューベルトはまさにその言葉通り。死に瀕したシューベルトに付き添い、優しい眼差しを向ける姿を感じた。でも、その眼差しは未来への希望ではなく、天国での幸せを祈るしかない悲しさに溢れている。シューベルトはこんな悲しい音楽でいいのだろうか…
すっかり沈んでしまった気持ちを、去年もアンコールで弾いてくれたシューマンの「色とりどりの小品」が、心からの溢れる優しさで包み込んでくれた。
伊藤 恵/新・春をはこぶコンサートVol.2
~新・春をはこぶコンサートVol.3~
紀尾井ホール
【曲目】
1.シューマン/こどもの情景Op.15
2.シューマン/クライスレリアーナOp.16
3.シューベルト/3つのピアノ曲D.946
4.シューベルト/楽興の時D.780, Op.94
【アンコール】
1.シューマン/ユーゲント・アルバム op.68 から 第35曲 「ミニヨン」
2.シューマン/色とりどりの小品OP.99~3つの小品~第1曲
今年も伊藤恵さんの「春をはこぶコンサート」シリーズを夫婦で聴いた。今年は恵さんが最も敬愛するというシューマンの生誕200年ということで、前半とアンコールでシューマンが演奏された。
「子どもの情景」はシューマンのピアノ曲のなかではすっきりと、余り過度な感情移入をしない演奏が多いが、恵さんは1つ1つの曲を慈しむように、深い情感を込めて弾いていった。音楽の場面ごとにテンポを変え、休符を長く取り、音色の変化にも細やかな心が配られる。そうした表現は決して大げさにはならず、小さな子どもの心に優しく寄り添うお母さんの眼差しを感じた。
「クライスレリアーナ」は更に音楽の深いところへ突き進んで行く。この曲はもっと華やかじゃなかっただろうか、と思うのだが、恵さんの演奏からは心の暗い部分を探っているような内面性を強く感じた。
後半はシューベルト。「3つのピアノ曲」の第1曲はもともと駆り立てられる気分の曲だが、恵さんはステージに登場して椅子に座ったと同時ぐらいに弾き始め、その演奏は不安な気持ちをかき立てられ、焦燥感が際立っていた。その結果、第2曲の穏やかな曲調が切ないほどに哀しく胸に沁みる。
最後に置かれた「楽興の時」でも、恵さんは音楽の内面へとどんどん入って行くアプローチ。有名な第3曲へ短調に湛えられた哀愁にしんみりしていると、更に第4曲嬰ハ短調では聴きなれた馬を駆るようなテンポ感とは全く違い、一歩一歩ゆっくりと手探りで進んで行く。それはまるで生きることに疲れた瀕死の姿。中間部の慰めるような音楽のあと、「瀕死のモチーフ」は多少息を吹き返したように聴こえたが、これは死を受け入れた穏やかな心境だったのかも知れない。最後は安らかに息を引き取るように聴こえた… そして最後の第6曲変イ長調もこの世にお別れを言っているよう。
アンコールの前に、このリサイタルで初めて恵さんが口を開き、「クララへの切なくも熱い思いを音楽に託したシューマンに比べ、シューベルトは同じ頃の年齢で人生に疲れ、死の影を感じるような音楽を書いている。でも、それを支えているのは音楽に溢れる優しさではないか…」という話を聞かせてくれた。恵さんが今日演奏したシューベルトはまさにその言葉通り。死に瀕したシューベルトに付き添い、優しい眼差しを向ける姿を感じた。でも、その眼差しは未来への希望ではなく、天国での幸せを祈るしかない悲しさに溢れている。シューベルトはこんな悲しい音楽でいいのだろうか…
すっかり沈んでしまった気持ちを、去年もアンコールで弾いてくれたシューマンの「色とりどりの小品」が、心からの溢れる優しさで包み込んでくれた。
伊藤 恵/新・春をはこぶコンサートVol.2