メーカー:ハセガワ
商品名:S-61A SEAKING `J.M.S.D.F.′
去年(2011)のいつ頃だったでしょうか?
ハセガワからS-61A救難ヘリコプターのプラスチックモデルが発売されました。
S-61A救難ヘリコプターとは米国シコルスキー社のSH-3ヘリコプターを三菱重工がライセンス生産した海上自衛隊向けの救難ヘリコプターです。2012年現在、海上自衛隊の救難ヘリコプターはUH-60Jですが、その1世代前の救難ヘリコプターがS-61Aでした。ちなみにS-61Aの前の世代はシングルエンジンのS-62でした。
そのS-61Aはワタクシが水兵さん時代、直に関わった大変に思いで深い航空機です。ハセガワが発売したのは模型のサイズとしてはかなり大きな1/4インチスケール=1/48スケールのプラモデルです。そのスケールはどう逆立ちしても1/10インチスケール=1/120スケールとは結びつかないスケールです。しかし、ここは年明け一番、お正月ということで1/120に結びつかない1/48のプラモデルを重箱の隅をつつくように見てみたいと思います。
このキットは限定品ということで、いつでも買えるプラモデルではありません。そんな訳で作るか作らないかも分からぬまま、とりあえず1箱を購入しました。元々は米海軍SH-3のプラモデルとして20年位前に発売となった模型で、その後にデカールを替えて海自のHSS-2Bに化けて出たりもしました。今となってはそれなりに年数の経った古いプラモデルなので、エッチングパーツや今回の限定モデルではスペシャルパーツとしてサーチライトが付いていたりもしますが、最新のハセガワ製プラモデルに比べれば見劣りしてしまう箇所があることは否めません。
パッケージには厚木救難飛行隊の44号機の写真が用いられています。
この厚木救難飛行隊(厚木救飛)が所属する第4航空群にはもう一つ硫黄島に救飛がありまして、ワタクシはその硫黄島救飛の整備班に1年間所属していました。当時は都合により1.5年くらい勤務する人もいましたが、普通は1年で元隊に戻りました。なので、ワタクシが硫黄島にいた1年はごく平均的な期間でした。
パッケージの写真になった44号機は最初はどこの救飛にいたのか分かりませんが、ワタクシが入隊した頃は厚木救飛の所属で、その後、厚木から硫黄島に配置転換され、更に厚木か?徳島か?に配置転換されました。
ワタクシが硫黄島に渡ったのは日航の747が墜落事故を起こした年で、海自にXSH-60ヘリがやって来る以前のことです。
着任当時、硫黄島救飛には44号と45号の2機が配置されていましたが、まもなくして44号機は内地へ帰ります。44号機に代わって硫黄島にやって来たのは46号機でした。ワタクシが着任して数ヶ月後に44号機は交代し内地へ戻ったので、44号機とはそんなに長い付き合いではありませんでした。替わりにやって来た46号機も途中から来た機体でしたので、丸々1年、一番長く付き合いがあったのは45号機でした。45号機はワタクシが厚木に着任したとき、体験搭乗で乗った機体だったかもしれないので、硫黄島で搭乗した事も合わせて一番付き合いがあった機体かも知れません。そうは言ってもこの44号機もワタクシが航空整備の勉強をさせてもらった内の1機です。思い出の機体なのです。
箱を開けて説明書を取り出します。
このプラモデルはS-61A救難ヘリコプターなのですが模型のタイトルは「S-61A SEAKING `J.M.S.D.F.′」となっています。航空&プラモデルマニアの間ではこのタイプのヘリはすべて「シーキング」なのでしょうが運用現場の飛行隊で、この機体をシーキングと呼ぶ人は誰もいませんでいた。
現場の人たちは当時のワタクシも含めて機体番号で呼んでいました。例えばS-61A 44号機でしたら44号。S-61A 45号機なら45号といった呼び方でした。S-61Aそのものを呼ぶときは「えすろくじゅういちえー」または「えすろくじゅういちあるふぁ」でした。シーキングとは誰も呼びません。S-61Aの元となった対潜型のHSS-2はダッシュツーと呼び、HSS-2Aはツーエー、HSS-2Bはツービーorダッシュツーブラボーとも呼びました。しかし、シーキングは呼んだことも聞いたこともありませんでした。
説明書の実機説明は何故か南極向けの輸送機の説明になっています。こちらの限定販売品は救難型なのでこの説明では意味不明です。ワタクシは館山の南極向けの機体を見たことがないので南極向けのことは分かりません。
救難型の説明を補足すると、機内には担架が12床設置できるようになっていました。これは当時、海上自衛隊の救難ヘリは、海上自衛隊の航空機の海上航空救難を目的としていたので、その保有する航空機で搭乗員数が最大であるP-2Jのクルー12名を救出するための12床でした。また普段、担架は設置しておらず、時折、航空救難エマージェンシーが発動されましたが、その時も担架設置をしていない状態で発進していました。
さらに目を進め、実機説明の終わり、データに目を移すと、座席数:最大30席とありますが、一般に想像する椅子などないのでこれは30人乗れるということでしょうか?別の型の説明でしょうか?よく分かりません。
また、エンジンはT58-IHI-8Bではなく、改良型のT58-IHI-10M2でした。これは、この機体のベースがHSS-2Bだったからです。なので出力の数値も説明書の1120kWよりもう少し高かったかもしれません。
ページをめくるとコックピットから作るようになっています。
キットによっては部品の名称が記載されているモノもありますがこのキットは部品名称等は一切ありません。1/48クラスのサイズになると細部までよく目立ちますが、前述したようにこのキットはベースが古いのでこんなモノです。さっぱりしていてモデラーとしては作り甲斐があるキットです。ディティールアップの足しに気づいた点を上げると、特技のない初任海士だった大昔のことなので記憶が定かではありませんが、ライセンス生産機だったこの機体はペタルに三菱のスリーダイヤモンドがあり、コックピット入口には、おチ●ポを挿して小用を足すホースが付いていました。
もちろんコレは色々な問題があるので誰も使用しませんでした。
さらに間引きながらページを進んでいきます。
この機体は船底のような構造を持つ機体で着水可能な性能を持っています。メインランディングギヤー(主脚)を格納する部分をフロートと呼ぶ人は少なくないと思いますがこの名称はスポンソンです。
あえてフロートと呼ぶのなら部品 T1の脇に付いているグレーに塗装する部分はオギジャリーフロートといいます。
スポンソンの内側にガスタンクがあり、そのガスでオギジャリーフロートが膨らみ浮遊能力と着水時の安定性を向上させる構造になっています。また、スポンソンを機体へ繋ぐ部分はスタブウィングといいます。
テールローターが付くこの部分はテールローターパイロンといいます。
この機体の大元は米軍のシーキング艦載ヘリコプターなので、S-61A救難ヘリコプターは艦載型ではない陸上型ヘリコプターですが、ファスナーを外して折りたためる構造は共通です。通常はドライブシャフトと繋がっているのでテールローターが勝手に回ったりはしませんが折りたためばドライブシャフトとの結合が外れるので手で回せます。
テールローターの付け根付近にはローターごとに違う色の帯が付いていて、1~5まで番号が決まっています。また、水平尾翼はこの機体の元がHSS-2Bなので2B同様に長いタイプが付いています。
メインローターといえば、年間平均気温22度ある島の真夏の格納庫で、汗とアブラにまみれてグリスアップしたことを思い出します。
この機体はグリスアップをするポイントが色々なところに多数あり、その中でもメインローター周りは実に沢山のグリスニップルが付いていました。
クルマその他の整備をする方はポンプ1~2回グリスを挿せば良いと思うかもしれませんが、自衛隊の航空機は古いグリスが可動部等からはみ出てくるまで給油します。その後、はみ出たグリスはウエスで拭き取ります。なので、メインローター周りをグリスアップするとウエスはもちろん手までグリスでベチョベチョです。
このメインローターもテールローターのようにブレードの付け根に各色の帯が付いています。また、各ブレードが取り付けてある部分にはロータードループレストレーナーという部品があって、その丸い部品は白だったか黄色だったかで塗られていました。長く重いローターブレードは回転が止まり、遠心力が無くなるとその重みで垂れ下がってきます。それを支えているのがロータードループレストレーナーです。このレストレーナーもそうですがメインローター周りは実にディテールアップのやり甲斐のある部分です。
前述しましたようにこのヘリコプターはその大元が艦載機です。ですからメインローターも小さくまとめることができます。
この模型もローター展脹(スプレッド)とローター折りたたみ(ホールド)の状態を選べるようになっています。駐機しているときはスプレッド、ホールド問わず根元に赤い帯が巻いてある№1ブレードが背中のドライブシャフトに沿うようにローターブレーキを掛けてあります。図のC20に取り付けるブレードが№1ブレードです。№2が左右どちら周りだったのか、また何色だったのかなどはすべて忘れてしまいましたが、それぞれの色の帯が付いていました。
サーチライトやミラーなど各装備もそうですが橙色に塗装され、救難の文字が記されてこそ救飛のS-61Aです。
橙色に塗装して付属のデカールを貼ればもう雰囲気は十分です。このデカールには箱の写真にある厚木救難飛行隊(エンジェルスター)の44号のほか、小月救難飛行隊(オーバースター)51号、八戸救難飛行隊(ホーリースター)42号、鹿屋救難飛行隊(キングスター)43号の機体が作れるようになっています。ちなみに44号機をワタクシが所属した硫黄島救難飛行隊(アイランドスター)の機体に変更するにはテールパイロンに貼るデカール「ア8944」の「ア」を「イ」に替えればアイランドスター44号になります。
最後にこの写真は硫黄島救難飛行隊が何かの表彰を受けたときのモノです。総員制服着用だったのですが、本業が救難飛行隊ですから当直の飛行班はエマージェンシーに備えてオレンジの飛行服を着ています。また、当直整備班の数名も作業着です。
そして後ろに写っているヘリはワタクシが勤務していた当時、44号に替わって内地からやってきた46号であります。
当時、いおうじま(硫黄島)と呼んだその島は現在、いおうとうが正式な名称となりました。
そこに所在していた基地も硫黄島航空基地分遣隊から硫黄島航空基地に替わりました。
クルーの飛行服もオレンジからグリーンに替わりました。
そしてワタクシがかつて在籍した硫黄島救難飛行隊も第73航空隊に組織が代わりました。
今回、ここに記したことは航空機のことも含めて懐かしい昔話です。