私は、早期教育賛成派である。
私自身は、子どもの生育を本当に考えたのではない親のエゴの
ようなものとは多少区別をしてもらいたいと思っているが、
多くの「早期教育反対」な人は、早期教育そのものを親の
エゴだと思っているんだろうな。
日本語にない発音のある言語を聞き取るようにできるには
早期であるほうが間違いなく有利で、同じ理由で早い時期に
身に付けた能力というのは、成長段階のあとの方で成し遂げ
ようとするより、有利なことが多いだろうと思っている。
とくに話題でもなく、子どもが好きで見ているのでもないテレビ
とかの時間に子供をほったらかす方が育児放棄のようなものに
私には見えて、娯楽全然抜きでお勉強ばっかりとかは考え物だけど
そこを子どもの精神状態に合わせて娯楽と教育を用意できるのが
本当の意味での「早期教育」だと私は思っている。
私自身、親が教育について疎いタイプで、自分で勉強したくて
頑張ったけれど、中の上ぐらいで、それでもそんな出自のことは
感じなかったのだけど、外大に行ったぐらいのときに、親子共に
教育熱心だった家の子で、断然無理なく高い学力を手に入れている
ケースを多く見たので、自分が子供を生んだ時には、同じやり方は
無理だけれど、子どもが小さいとき何の訓練も受けない状態よりは、
大人になってから要求される学力やスキルを、その子の個性に
合わせて早い段階から身につけるようにやっていきたいと思った。
社会人になってからもう一度大学に行くようなお金があったの
なら、それを貯金して子供を塾に行かすという選択肢も考えられた
のだろうと思うけれど、教育学の基礎がわかるように自分に投資する
ほうを選んだつもりだ。
実際、教育機関に頼んだらものすごくお金がかかっただろうな、
ということを割と市販の教材費ぐらいですませられたこともあるし、
それでできなかったようなことは、そもそも私の学費ぐらいを貯金
していたぐらいでは間に合わないような本格的な教育機関で身に付け
させることだったのだろうと思うので、自分の選択がそんなに
間違ったものだったとは思っていない。
人によって早期教育の理由っていうのは違うんだと思う。
私の苦手なエゴの塊みたいなタイプで、我が子の出来を自慢する
ためだけみたいな人もいるんだろうし、将来像とかを鑑みながら
その子の個性と成長具合をみながら適時に最善策を練っていく
人もいるんだろう。もちろん代々知的職業に付くのが当たり前の
家系で、そもそも他の選択肢を考えたことのないような家も
あるんだろうし。
外大時代に見た映画で何百回見たかというDVDで何度も
名前を出しているけど、
で、ヴィトゲンシュタインの姉がヴィトゲンシュタインに
「不幸な賢人より、幸せな弟が欲しかったわ。」
というセリフがあって、それで何度も泣きそうになった覚えがある。
うちの母親には私みたいなものでも自慢の種で、中の上ぐらいの
成績なのに、頭の悪い母にはそれがとてもいいものに見えたらしく
その程度のことで自慢して回って、私の首を締めてくれた。
(本当に、無駄に私の敵を増やしてくれた)
Noneには、学力を付けて欲しい、それは私が自慢するためとか
そんなのではなしに、同じ環境にいるのに考える力があるのと
ないのとでは運命が違うということをよく知っているから。
で、なにかで人と意見が対立したとき、第三者は(とくに思考力の
ない第三者は)自分と相手との学歴の差などで判断してくることが
多いものだから。学力をつけても、学歴がついていかなければ
なかなか世間は認めてくれない。
まあ、私立高校の選択肢が昔とは違っているので、家に余裕が
ないから絶対公立しか行けないのに、内申点で損をする、みたいな
私の時代とはまた状況が変わってきているのかもしれないけど。
でも5教科以外が弱かったので有力公立に入れなかったからと
いって、同レベルとされている私立に入っても、中高一貫の
途中から入って苦労して大学は中途半端なんてこともありそう
なので、努力しなければならないことは多そう。
基本、Noneが十分だと思うところまでやれたらそれでいい。
教育という底なしの世界に囚われた不幸な秀才より幸せな娘が
いたほうがいい。
だけど
上のDVDの結果で、ヴィトゲンシュタインは言語とは論理的な
ものだけで構成できるものではなく、不確定要素を必然的に
内包するものだと気づく、けれども論理的な世界の方が好きな
彼は途方に暮れる。それはどうしようもない悲しさでである。
人間が対人関係を結ぶときにいくらかの「かみあわなさ」
みたいなものが必然なのであるが、彼は数学の問題のように
完全な知識の共有を求める。
たぶん私もNoneもそういった「分かり合える」状態を
求めるタイプだ。
ただ、ヴィトゲンシュタインは俗的な社会から隠遁したり、
肉体労働の社会で言語以前の了解を求めたりしたんだけど
私は相手をより良く理解したり理解される能力をつけたり
理解のある相手を求めたりするタイプだし、Noneも
そうするタイプだと思っている。
地元の公立小学校より、真面目に勉強するつもりで来ている子の
多い塾の方がNoneには居場所がある。たぶん、そういう塾の
子が多く進学するような学校の方が、活発なタイプの学校より
Noneには性に合いそうに思う。
私の早期教育の努力というのは、できのいい子にして誰かに
勝ち誇りたかったとかいう理由ではじめたものではなく、上手に
生きていくスキルを身につけさせるためのものであった。私は
小中学生の基礎学力というのは、より正確に伝言ができたり、
買い物ができたりなどという能力につながり、それが上手にできる
ということは、生活する上でのトラブルが少ないということだと
思っている。実際、人の話を十分に理解する能力とか、間違いなく
作業を一定時間続けるとかは子供が思うより訓練のいるスキルだろう。
それより上の学歴については、子供本人が就きたい職業に有利に
就くための期間だと思っているから、理科的な知識をつかう職業を
現在願っていて、成長してもそう思うなら、そうなって欲しいな、
という考えである。
もちろんね、夢があるばかりでなく安定とか考えて欲しいなとか
いう大人の現実的な期待とかは正直あるんだけど。
何歳までになんとかを、みたいなテキストや雑誌がたくさん
売られているのだから、早期教育に関心のあるひとはそういう
出版物の産業を支えるのに十分いるということで、そのとらえ方や、
各家庭での方針はまたいろいろあるんだろうと思うけど。うちでは
そういう感じ。
教えていることも何かの資格とか順位を目指すものより生きる技術に
つながると私が感じたものを優先することがけっこうあるし。
母方の親戚のほとんどが旧型の「教育ママ」で、あまり成功例とは
言いにくいから、私はそれを踏まえて新しい教育熱心型になりたいと
思っています。
だいたいこんな感じです。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
ランキングに参加しています。応援クリックおねがします。
私自身は、子どもの生育を本当に考えたのではない親のエゴの
ようなものとは多少区別をしてもらいたいと思っているが、
多くの「早期教育反対」な人は、早期教育そのものを親の
エゴだと思っているんだろうな。
日本語にない発音のある言語を聞き取るようにできるには
早期であるほうが間違いなく有利で、同じ理由で早い時期に
身に付けた能力というのは、成長段階のあとの方で成し遂げ
ようとするより、有利なことが多いだろうと思っている。
とくに話題でもなく、子どもが好きで見ているのでもないテレビ
とかの時間に子供をほったらかす方が育児放棄のようなものに
私には見えて、娯楽全然抜きでお勉強ばっかりとかは考え物だけど
そこを子どもの精神状態に合わせて娯楽と教育を用意できるのが
本当の意味での「早期教育」だと私は思っている。
私自身、親が教育について疎いタイプで、自分で勉強したくて
頑張ったけれど、中の上ぐらいで、それでもそんな出自のことは
感じなかったのだけど、外大に行ったぐらいのときに、親子共に
教育熱心だった家の子で、断然無理なく高い学力を手に入れている
ケースを多く見たので、自分が子供を生んだ時には、同じやり方は
無理だけれど、子どもが小さいとき何の訓練も受けない状態よりは、
大人になってから要求される学力やスキルを、その子の個性に
合わせて早い段階から身につけるようにやっていきたいと思った。
社会人になってからもう一度大学に行くようなお金があったの
なら、それを貯金して子供を塾に行かすという選択肢も考えられた
のだろうと思うけれど、教育学の基礎がわかるように自分に投資する
ほうを選んだつもりだ。
実際、教育機関に頼んだらものすごくお金がかかっただろうな、
ということを割と市販の教材費ぐらいですませられたこともあるし、
それでできなかったようなことは、そもそも私の学費ぐらいを貯金
していたぐらいでは間に合わないような本格的な教育機関で身に付け
させることだったのだろうと思うので、自分の選択がそんなに
間違ったものだったとは思っていない。
人によって早期教育の理由っていうのは違うんだと思う。
私の苦手なエゴの塊みたいなタイプで、我が子の出来を自慢する
ためだけみたいな人もいるんだろうし、将来像とかを鑑みながら
その子の個性と成長具合をみながら適時に最善策を練っていく
人もいるんだろう。もちろん代々知的職業に付くのが当たり前の
家系で、そもそも他の選択肢を考えたことのないような家も
あるんだろうし。
外大時代に見た映画で何百回見たかというDVDで何度も
名前を出しているけど、
![]() | ヴィトゲンシュタイン(廉価版) [DVD] |
アップリンク | |
アップリンク |
で、ヴィトゲンシュタインの姉がヴィトゲンシュタインに
「不幸な賢人より、幸せな弟が欲しかったわ。」
というセリフがあって、それで何度も泣きそうになった覚えがある。
うちの母親には私みたいなものでも自慢の種で、中の上ぐらいの
成績なのに、頭の悪い母にはそれがとてもいいものに見えたらしく
その程度のことで自慢して回って、私の首を締めてくれた。
(本当に、無駄に私の敵を増やしてくれた)
Noneには、学力を付けて欲しい、それは私が自慢するためとか
そんなのではなしに、同じ環境にいるのに考える力があるのと
ないのとでは運命が違うということをよく知っているから。
で、なにかで人と意見が対立したとき、第三者は(とくに思考力の
ない第三者は)自分と相手との学歴の差などで判断してくることが
多いものだから。学力をつけても、学歴がついていかなければ
なかなか世間は認めてくれない。
まあ、私立高校の選択肢が昔とは違っているので、家に余裕が
ないから絶対公立しか行けないのに、内申点で損をする、みたいな
私の時代とはまた状況が変わってきているのかもしれないけど。
でも5教科以外が弱かったので有力公立に入れなかったからと
いって、同レベルとされている私立に入っても、中高一貫の
途中から入って苦労して大学は中途半端なんてこともありそう
なので、努力しなければならないことは多そう。
基本、Noneが十分だと思うところまでやれたらそれでいい。
教育という底なしの世界に囚われた不幸な秀才より幸せな娘が
いたほうがいい。
だけど

上のDVDの結果で、ヴィトゲンシュタインは言語とは論理的な
ものだけで構成できるものではなく、不確定要素を必然的に
内包するものだと気づく、けれども論理的な世界の方が好きな
彼は途方に暮れる。それはどうしようもない悲しさでである。
人間が対人関係を結ぶときにいくらかの「かみあわなさ」
みたいなものが必然なのであるが、彼は数学の問題のように
完全な知識の共有を求める。
たぶん私もNoneもそういった「分かり合える」状態を
求めるタイプだ。
ただ、ヴィトゲンシュタインは俗的な社会から隠遁したり、
肉体労働の社会で言語以前の了解を求めたりしたんだけど
私は相手をより良く理解したり理解される能力をつけたり
理解のある相手を求めたりするタイプだし、Noneも
そうするタイプだと思っている。
地元の公立小学校より、真面目に勉強するつもりで来ている子の
多い塾の方がNoneには居場所がある。たぶん、そういう塾の
子が多く進学するような学校の方が、活発なタイプの学校より
Noneには性に合いそうに思う。
私の早期教育の努力というのは、できのいい子にして誰かに
勝ち誇りたかったとかいう理由ではじめたものではなく、上手に
生きていくスキルを身につけさせるためのものであった。私は
小中学生の基礎学力というのは、より正確に伝言ができたり、
買い物ができたりなどという能力につながり、それが上手にできる
ということは、生活する上でのトラブルが少ないということだと
思っている。実際、人の話を十分に理解する能力とか、間違いなく
作業を一定時間続けるとかは子供が思うより訓練のいるスキルだろう。
それより上の学歴については、子供本人が就きたい職業に有利に
就くための期間だと思っているから、理科的な知識をつかう職業を
現在願っていて、成長してもそう思うなら、そうなって欲しいな、
という考えである。
もちろんね、夢があるばかりでなく安定とか考えて欲しいなとか
いう大人の現実的な期待とかは正直あるんだけど。
何歳までになんとかを、みたいなテキストや雑誌がたくさん
売られているのだから、早期教育に関心のあるひとはそういう
出版物の産業を支えるのに十分いるということで、そのとらえ方や、
各家庭での方針はまたいろいろあるんだろうと思うけど。うちでは
そういう感じ。
教えていることも何かの資格とか順位を目指すものより生きる技術に
つながると私が感じたものを優先することがけっこうあるし。
母方の親戚のほとんどが旧型の「教育ママ」で、あまり成功例とは
言いにくいから、私はそれを踏まえて新しい教育熱心型になりたいと
思っています。
だいたいこんな感じです。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
ランキングに参加しています。応援クリックおねがします。