前のブログでイサンの生活費の事を書いて見たのですが、其処までびっちりでなくて気楽にタイに居た人の?事を書いて見たいと、思います。
何を今更、と、言われそうですが、私の経験は、多くの雑誌やネットで書かれて有るのとは、少し違う状態で20世紀末から今まで、ずっとタイに居る事実に、基づく説明なので、気楽にタイに居たいひと向きだと、思うので、参考にならない可能性が高いのですが、書いて見たいと思います。。
私のタイでの1日めは、休暇を取らない私に強制的に、勤め先から休暇を取らされた事に始まります、書類を書くので、行き場所を考えて居る途中に、都内の地下街の出張旅行デスクに、8日で70000円の海外旅行が、出て居たので、決めて書類を勤め先に出して出向いた、海外がパタヤだった訳で、プールサイドでコーラ干しを、目指してタイへの、飛行機に乗っちゃいました。
着るものは現地で買えば、良いぐらいの気持ちで、手持ちの旅行バックは、アタッシュケースを、一回り大きくした位の、もので、中身もてじかなものと、本ぐらい。。
この時はまさか此処から、20年近く日本に戻らないとは、夢にも思わない、タイの始まりでした。
続く。。
と書き出しは文章で書くと、綺麗ですが実際は、結構ドタバタな始まりでした、最初は、両替で当時一万は二千バーツも無かったので、小遣いを余り持って来なかったので、此処で金欠病になり、慌てて送金、次にパタヤの町の特徴を、まるで知らなかった、為の間違いなど、次に言葉の問題、当時のタイ人の白人崇拝主義など。。
此処で最も大きな問題は、タイでは無くて日本人の問題、当時の日本人の多くは日本では、滅多に見掛けない日本人が、大半を占めて、又、彼らを普通の日本人だとタイ人が思っている事など、多くの点で日本の日本人のそれとは、違う事。。
これらが、当初予定のタイの滞在期間に全て起こって仕舞ったこと、これらの事が結局、私の足をタイがひっぱって、現在に至る訳ですが、これらの事の問題を、上手く切り抜けて、現在に至る訳ですから、ある意味タイは、逆に目に見えない部分で住み易い国なのかも、知れません。。
続く。。
話は、庶民的なスペースに戻るのですが?短いツアーから始まった、私のタイの日常ですが、着替えをパタヤで買えば良い考えが、買った服の仕舞い場所が、元から無いので、パタヤでスーツケースを、買う羽目に、成りました。
幸いな事に当時の、タイの物価は今に比べて、日本円のレートは悪いのですが、安かったので、服もバリバリ着替えが増えて、スーツケースのサイズも、大きく変わって行ったのには、笑って仕舞いました。
続く。。。
で次は食い物の話で、私はタイに旅に来る人の様に、何もタイ料理を食べる趣味や気は無かったし、バカの一つ覚えの様な、バックパッカーの様な屋台でメシを食う気もないので、ずーっと日本食を普通にタイのパタヤの日本食屋で食べて居ました、気楽に格安に便利に当時のパタヤでは、日本食がたべれた所為も有りますがこれが、私のタイ全土へ旅をする場合の、障害になりそうでしたが、不思議と当時でも日本食を食べれる所が、大抵の地域にあったので、問題にはならなかったと言えます。。
最近は韓国式の様なムウカタと言うのが、多いのですが、当時は普通の日本風の焼肉も各地域にあったので、これが、幸いして、地方でのスタミナ補給に、成った感じですね。。
偶然、立ち寄った茶店にてステーキが有り、注文して、食べたところ、懐かしい昭和の時代のビフテキの、味だったので、結構田舎の茶店だったので、思うにタイでタイ料理を食べるだけで無くて普通の、物を食べて見るのも良いかも知れませんね。。
これが私がお節介を、頼まれはじめた大きな原因になり、日本食しか食べれないかたや、帰国後直ぐに重要な要件の仕事などが有り、食を試せない方が多かった所為も有ります。
続く。。
何を今更、と、言われそうですが、私の経験は、多くの雑誌やネットで書かれて有るのとは、少し違う状態で20世紀末から今まで、ずっとタイに居る事実に、基づく説明なので、気楽にタイに居たいひと向きだと、思うので、参考にならない可能性が高いのですが、書いて見たいと思います。。
私のタイでの1日めは、休暇を取らない私に強制的に、勤め先から休暇を取らされた事に始まります、書類を書くので、行き場所を考えて居る途中に、都内の地下街の出張旅行デスクに、8日で70000円の海外旅行が、出て居たので、決めて書類を勤め先に出して出向いた、海外がパタヤだった訳で、プールサイドでコーラ干しを、目指してタイへの、飛行機に乗っちゃいました。
着るものは現地で買えば、良いぐらいの気持ちで、手持ちの旅行バックは、アタッシュケースを、一回り大きくした位の、もので、中身もてじかなものと、本ぐらい。。
この時はまさか此処から、20年近く日本に戻らないとは、夢にも思わない、タイの始まりでした。
続く。。
と書き出しは文章で書くと、綺麗ですが実際は、結構ドタバタな始まりでした、最初は、両替で当時一万は二千バーツも無かったので、小遣いを余り持って来なかったので、此処で金欠病になり、慌てて送金、次にパタヤの町の特徴を、まるで知らなかった、為の間違いなど、次に言葉の問題、当時のタイ人の白人崇拝主義など。。
此処で最も大きな問題は、タイでは無くて日本人の問題、当時の日本人の多くは日本では、滅多に見掛けない日本人が、大半を占めて、又、彼らを普通の日本人だとタイ人が思っている事など、多くの点で日本の日本人のそれとは、違う事。。
これらが、当初予定のタイの滞在期間に全て起こって仕舞ったこと、これらの事が結局、私の足をタイがひっぱって、現在に至る訳ですが、これらの事の問題を、上手く切り抜けて、現在に至る訳ですから、ある意味タイは、逆に目に見えない部分で住み易い国なのかも、知れません。。
続く。。
話は、庶民的なスペースに戻るのですが?短いツアーから始まった、私のタイの日常ですが、着替えをパタヤで買えば良い考えが、買った服の仕舞い場所が、元から無いので、パタヤでスーツケースを、買う羽目に、成りました。
幸いな事に当時の、タイの物価は今に比べて、日本円のレートは悪いのですが、安かったので、服もバリバリ着替えが増えて、スーツケースのサイズも、大きく変わって行ったのには、笑って仕舞いました。
続く。。。
で次は食い物の話で、私はタイに旅に来る人の様に、何もタイ料理を食べる趣味や気は無かったし、バカの一つ覚えの様な、バックパッカーの様な屋台でメシを食う気もないので、ずーっと日本食を普通にタイのパタヤの日本食屋で食べて居ました、気楽に格安に便利に当時のパタヤでは、日本食がたべれた所為も有りますがこれが、私のタイ全土へ旅をする場合の、障害になりそうでしたが、不思議と当時でも日本食を食べれる所が、大抵の地域にあったので、問題にはならなかったと言えます。。
最近は韓国式の様なムウカタと言うのが、多いのですが、当時は普通の日本風の焼肉も各地域にあったので、これが、幸いして、地方でのスタミナ補給に、成った感じですね。。
偶然、立ち寄った茶店にてステーキが有り、注文して、食べたところ、懐かしい昭和の時代のビフテキの、味だったので、結構田舎の茶店だったので、思うにタイでタイ料理を食べるだけで無くて普通の、物を食べて見るのも良いかも知れませんね。。
これが私がお節介を、頼まれはじめた大きな原因になり、日本食しか食べれないかたや、帰国後直ぐに重要な要件の仕事などが有り、食を試せない方が多かった所為も有ります。
続く。。