早いもので8月も今日で終わり。
季節はどんどん進んでいるのに
暑さだけは変わりない、
暑過ぎて狂いそうな今年の夏だけど
そう言えば去年の今頃は介護の日々から解放されて
5年振りの旅行に北海道に行った
去年の8月31日は、中標津空港から
羽田空港を目指して帰る日だった。
おりしも東京は台風の真っただ中だった
なので、もしかしたら中部国際空港や伊丹空港に行く事なるかも知れなくて
そうなったらどうしようかと思ったのが、無事に羽田に着けてよかったって
喜んだりしていたんだっけ
そして翌日入院させていた母を迎えに行って
また介護生活が始まったんだった
去年の今頃はまだ母は生きていた。
これは去年のブログからの回想です
母が全く動けなくなったのは、今年の6月の事だった。
それまでは介助付きで、一日一回お風呂に入るため、お風呂場まで歩く、
そう言う生活を5年間続けた
チビデブでおそらく、私より体重のある母、
一人では介護出来ないと、真剣に悩み、
そうなったら介護施設に入れようと思った。
動けなくなる日は突然やって来た。
6月、膝の痛みを訴え、立てなくなった。
膝に水がたまり、ほとんど歩かない人が、なんで?(゜゜;)
と思いながら病院に連れて行った。
偽痛風だった。
歩けなくなった母のために訪問入浴をお願いした。
7月、暑さのために意識が混濁。
母は朦朧とした意識の中で、自分のお葬式をしているらしい。
本当に生死の境をさ迷ったらしい7月。
母の死を覚悟した月。
8月、ついに入院。
4年10ヵ月振りに、介護から解放された自由な月。
9月、介護生活再開。
何も出来ない母と向き合う事になった。
歩く事も、食べる事も、水を飲む事も、寝返りさえも、
全く何ひとつ出来ない。
私の最も恐れていた事が、現実に始まった。
しかし、人間って必要に迫られると何でも出来るものだ。
一人でオムツ替えも出来る様になったし、
着替えだってさせられる。
介護が苦労と思わなくなった。
もう何も期待していないし、これ以上悪いことは起こらない。
そう思うと、自分の精神も安定する。
母に優しく出来る、そんな自分も好きで愛しい。
2004年の10月17日から始まった介護生活は
2009年、10月26日に幕を閉じた。
いつも介護から解放されたかったけれど、
生きていてくれるだけでも、私にとって大きな力だったのだと
初めて気がついたこの1年だったなぁ~
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