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Pimoco の散歩道 ★ CocoとCoo そしてMilk

Pimocoのつぶやき 愛犬Milkと私の日常生活。

ミルクとの出会いまで

2018年6月21日外耳道手術の麻酔事故で
突然命を落としてしまったクッキー
最愛のクッキーをうしない悲しみにくれていましたが
クッキーの別れから2ヵ月、新たな犬との出会いがありました

2018年8月3日、マルプーのミルクが我が家にやって来ました
新たな犬との日々がはじまりました。

120年前の日本人の朝鮮旅行記(本間九介)

2019年10月27日 17時03分05秒 | 日記
1894年李氏朝鮮時代の朝鮮を旅した
本間九介と言う人が書いた旅行記の
現代語訳が面白いです
『朝鮮紀行』で有名なイザベラ・バートより
4年前に刊行された旅行記だそうです


李氏朝鮮末期の凄惨 (外国人の見聞録)
https://tyousen72.jimdo.com


悪辣な両班、苛烈な搾取、
悲惨な貧困、極限的不潔、
未発達な社会、残虐な刑罰、
動物以下の女性の生活など、
外国人が見た人間業とは思えない
李氏朝鮮末期の実態

( 朝鮮民族の研究者も認めざるを得ない外国人の李氏朝鮮末期の観察記録)


 先に私は朝鮮半島の歴史を概括しながら、韓国人の反日の根源について考え、ホームページを作成した。そこで私は「韓国の国家としての正統性の薄弱性」と「朱子学の弊害」が反日の根源的な原因であると結論づけるに至った。しかし、ほぼ書き終えた時点でもいまひとつ納得がいかない胸のつかえを感じていた。朱子学が朝鮮社会に与えた害毒について、理屈では分かったつもりになっても、社会の実態に関してはほとんど分かっていないことからくるものであると感じていた。

 最近、1876年の朝鮮開国以降たくさんの外国人が仕事で、あるいは布教や旅行で半島に入り、多くの見聞録を書き残していることを知り、紐解いてみた。驚いたことに、そこには私の拙い語彙力ではとても表せない、人間業とは思えない、あまりにも凄惨な実態が書かれていた。しかも多くの人が観察し、書き残したものが、場所や時期が違ってもほとんど同じ実態が書かれていた。ということは、その内容に相当の信ぴょう性があるということである。

 私はあえて、それらの本をただ引用するだけで、李朝末期の社会の実態について皆さんに紹介したいと思います。


引用文献

イザベラ・バード『朝鮮紀行』講談社学術文庫 1998
(イギリス人女流旅行作家、併合前の1894~97年の3年間に4回朝鮮を訪れ、文庫本で600ページ近い詳細な調査報告を著わした。)



金学俊 金容権『西洋人の見た朝鮮』山川出版社 2014
(朝鮮民族の著者が南北分断の根本的原因を探るため、李氏朝鮮末期に半島を訪れた外国人の観察記録を検討した米国スタンフォード大学での研究報告)
(朝鮮亡国の原因は何か。日本が武力で朝鮮を併呑したという「外因論」、朝鮮末期の指導層が無能で腐敗しており、民衆はそんな指導層の搾取にあえぎ、怠惰と無気力に陥っていたため内部から崩れていた、という「内因論」。著者たちは、西洋人の観察記録を読んで「内因論」にもそれなりの根拠はあると認めざるを得なくなった、と述懐している。)

ダレ『朝鮮事情』平凡社 1979
(『朝鮮教会史』の序論として書かれたものであり、1876年の朝鮮の開国に先立つ時期に、厳重な鎖国体制下の朝鮮に目的意識的に潜入し、そこでの生活を体験したほとんど唯一のヨーロッパ人の集団である、パリ外邦伝協会所属のフランス人宣教師たちの通信を素材としており、宗教的意味にとどまらぬ史料的希少価値をもっている。)

本間九介『朝鮮雑記―日本人が見た1894年の李氏朝鮮』
クリストファー・W・A・スピルマン監修・解説  祥伝社 2016
(1894(明治27)年4月17日から6月16日にかけて「二六新報」という日刊新聞に掲載され、連載が終了した直後に、ほぼそのままの形で書籍として出版された。イギリスの女性旅行家イザベラ・バードの『朝鮮紀行』(1898)よりも4年早く刊行されており、朝鮮に関する紀行文としては先駆的で、史料的価値が高い作品である。)

アーソン・グレブスト『悲劇の朝鮮』白帝社 1989
(スウェーデン人ジャーナリスト、日露戦争当時の報告)

崔基鎬『韓国堕落の2000年史』祥伝社 2001



https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.sankei.com/life/amp/160528/lif1605280026-a.html%3Fusqp%3Dmq331AQOKAGYAZuIoJD_jcec_AE%253 D

朝鮮半島の人々が理不尽に耐えなければならないのは何故か 本間九介著『朝鮮雑記日本人が見た1894年の李氏朝鮮』 古美術鑑定家・中島誠之助





🔼
この本を電子版で買って読んでいます
朝鮮民族は当時の日本人にも不可解な人種だったみたいです
本の中ながら1部抜粋してまみます


混沌未判 

 かの国には、定まった国旗がないも同然である。 
 ただし、釜山(プサン)近辺では、わが国にならって、国王の万寿節(誕生日)には、図のような旗を上げ、また、船舶にも同様の旗を翻しているのを見る。これが、おそらく、かの国の国旗の濫觴(起源)ではないだろうか。この旗章には※天地未判の意
味があるという。
  元来、かの国は、混沌の図を尊ぶらしく、地方の官衙(役所)の門には、図のような模様を画くのが常である。  
     ああ、かの国は、堂々たる四千年の古国でありながら、何をもって混沌未判を尊ぶのだろうか。今日、この国の文明はいよいよ衰退し、その混乱のあまり、ついに意味不明の境地におちいっているような傾向があるのも、けっして偶然のことではないだろう。  
      かつて、※典圜局が、新造の銀貨の雛形に梅の花を鋳出したこことがあった。その意図を思うと、※一陽来復、冬の時代だった朝鮮にも、いよいよ春が訪れる、朝鮮はこれから開けていくと。しかし、現実はどうか。典圜局の事業は停止してしまっている。
 この国は、とうとう混沌のうちに終わろうとしているのだろうか。憐れむべきは、この混沌図である。
 朝鮮は、なお腐った卵のようである。すでに孵化する力はない。どうやって、腐った卵から孵化し、自分で殻を破って、コケコッコーと鳴く朝がやってくるというのか。  

   ※  天地未判……正しくは、「天地未剖、陰陽未判」。天と地、陰と陽が、いまだ混沌として、分離していない状態。

   ※  典圜局……圜(銭)の鋳造をつかさどる局。

   ※  一陽来復……陰の気が極まって、陽の気が生じる。冬が過ぎれば、必ず夏が来る。悪いことがあっても、そのあとには、必ずよいことが起こる。






女医

 かの国の中流以上の婦女は、病にかかっても、男医に診察を受けることはない。たとえ、診察を受けることになっても、顔を見せることを恥じ、被服より手を出して、わずかに脈を診てもらう程度である。
 もっとも、女医というものもある。しかし、医者というのは名ばかりで、『※傷寒論』一冊を読んだこともなく、その現実は、売春を渡世とするものである。このような女医が、まさかのときの役に立つわけもなく、哀れにも、かの国の婦女は、重病におかされたら、みすみす命を棄てるしかない有様なのだ。
 日進月歩のわが国の文明では、婦女が医の道を志し、業を卒えたものが、たいへん多い。もし、日本人女医が、折よく一葦水(一衣帯水)の海を渡って、かの国に入り、この憫れむべき病婦を※済度(救済)したならば、その※功徳無量、また※利益も、たいへん多いものになるだろう。
 京城(ソウル)に在留する日本人で、医業を行なうものは三人あるが、みな、それ相応の資産を有し、毎月の平均収入も百五十円を下らないという。
 日本人婦女で、波濤(海)を越えて、外国に入ろうとするものの多くは、売春婦である。もし、女医が、その技術をもって海外で万金をかせぐのを見れば、今はろくでもない売春婦も、医を学ぶ志を立てるだろうか。

   ※  傷寒論……三世紀の中国で書かれた古典医学の基本書。

   ※  済度、功徳無量、利益……仏教語を用いているのがおもしろい。







明治時代初期位の日本人旅行者から見た
韓半島の人々の話は興味深いです
韓流時代劇を頭の中で想像しながら読んでます












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