はぎおの「ツボ」note

興味がかなり偏ったはぎおが「ツボ」にはまったことを、のんびりと、時に激しく?!思いつくまま綴ってます…

役者として、人として、好きでした…徹さん 。

2022-12-04 12:23:00 | 気になる:人
世の中がワールドカップスペイン戦の熱狂で醒めない中、私は衝撃のニュースに動揺したまま。
サッカーの話題になればなるほど、余計に。(すごいことだけど、もうそろそろいいよね・・・)

金曜日、昼休憩、ネットニュースを見ていると、目を疑うような記事が。
「いやいや、最近老眼が進んでるし、読み違いだよ」
でも、何度読んでも間違いなかった・・・

確かに最近、体調を崩すことが多く、心配してました。でも、先日も舞台に出ていたし、ブログでも楽しい話題を提供してくれていた。
突然こんな日が来るとは。

 
もちろん、出会いは、何度も書いてますが
 
 
 
物心ついて、ちょうどリアルタイムで見始めた頃に彗星のごとく現れた、眩しいくらいのキャラクター。
思えば、鮮烈のデビューから最後まで見届けた形になってしまった。


デビュー当時は、(本人は望んでいなかったとは思いますが)流れと勢いに乗って、新人俳優の枠を超え、完全に「アイドル」でした。きっと葛藤がありながらも、それを明るく、楽しんでいたように思います。

完全に私も、ラガー役と、アイドル渡辺徹、両方のファンでした。
ヒット曲も大好きだし、アルバム(カセット)も持ってました(実は名曲揃いなんです)。ジャニーズアイドル並みに夢中だった・・気がする。
ラガーが殉職した時、部屋で号泣しながら見ていたことを思い出します。


ただ、徹さんは、それだけでは終わらなかった。

デビュー作やアイドル的存在という過去の経歴を隠す、否定しながら次へ進みたいと思う人の方が多い中、それを逆にネタにして、昔のファンも楽しませながら、役者としても新しい顔を次々と見せてくれいた。
2017.関連記事

そして、役者だけでなく、バラエティ、司会・・・どの分野にも挑戦して、多くの人を楽しませてくれた。
とにかく、トーク力は、下手な司会者・芸人さんよりずば抜けて高かった。

他にも、実はサッカー経験者で、将棋にも精通していたり、お笑いの公演のプロデュースを手掛けていたり。
早くからパソコンでホームページを立ち上げて情報発信を始めた、芸能人では先駆者的な存在だった。
今でもブログを登録し、表現が独特で、分かりやすくて、徹さんらしさを感じられる文章が好きだった。
先見の明があるというか、恐らく「思い立ったらすぐ行動」という、情熱家でフットワークの軽い人だったに違いない。
 

明るくて、いるだけで場が和む印象
上からは可愛がられ、同世代・下からは慕われる。どんな人とも垣根を作らない、そんな印象。
どの場所でも「座組のまとめ役」みたいな存在だった。
ああいう表側でもプロデューサーのような裏方としても活躍できる存在は、これからなかなか出てこないかもしれない。
 

とはいえ、やはり「役者 渡辺徹」が好きだった。上手かった。コメディはもちろんシリアスまで、幅広かった。
特に最近は、脇役やゲスト主演として、舞台で培った土台があっての、大袈裟ではなく、地味だけど同世代の役者さんとは一線を画すような「貫禄」「重厚感」がね。
 
いろんな分野に進んでも、最後まで文学座に在籍していたことも、徹さんの好きなところでした。
やはり「役者」そして劇団を大事に思っていたのだと思う。
情熱ゆえに、きっと、劇団やお芝居については厳しい方だったと思う。
 
ラガーだけで言えば、最初は末っ子のアイドル的存在だったけど、後輩が入ってくると、どんどん「大人の顔」になっていったのを思い出す。4年ですっかり貫禄の存在だった。

「腕に覚えあり」の主人公の相棒、細谷源太夫
「はんなり菊太郎」の公事宿の主人
「秀吉」の前田竹千代

…朝ドラ、大河、現代劇、時代劇どんなジャンルも主に、脇に、ずっと第一線だった。
出演者に「渡辺徹」とあれば、内容を問わず見ていた。本当に気になる存在だった。
 
本業?の舞台での姿をあまり見れていないのが残念だ。
山のように保存している舞台映像の中に、きっとあるはず。探さないと。
 
 
全てが自分の想像で、画面越しでしかわからないけど、こうやって振り返っても、人を引きつける笑顔と人柄の良さ、人望、ブレない芯の強さ、そしてお芝居・・・人として、役者として、渡辺徹という人が好きだったのだと思う。
 
 
今年、衝撃的な訃報に触れる機会が多かったけど、年末にダメ押しのようなショックだった。
 
突然の訃報、御家族、共に仕事された方達はもちろん、私たちのような視聴者にとっても残念でならない。
さまざまな分野との潤滑油・パイプ役となりつつ、文学座を背負って立ち、演劇界の重鎮となる存在になるはずだったに違いなかった。あくまで個人の意見だけど、演劇界・芸能界の大損失だと思っている。
一番悔しいのは徹さん本人だと思う。まだまだやりたいことがあったはず・・・


きっと、ボスや地井さん志村さんからも「来るのが早すぎるよ」って怒られてるよ・・・


心よりご迷惑をお祈りします。
 
太陽座談会のDVDを見たり、徹さんの名曲を一緒に口ずさみながら、追悼したいと思ってます。
 
 
追記
 
  
貯金はたいて買った「太陽」のDVDセット。
この座談会、本当に楽しかった。
話があちこち行く先輩相手に、結局は徹さんがまとめてた感じ(笑)
先輩たちは、今どんな思いなのだろう。



 

デビュー当時、殉職時の思い出、そして、後任役の金田さんへの温かい言葉。
撮影当時の光景が目の前に浮かんでくるような、徹さんらしいトーク力。楽しくもあり、番組や仲間への思い、芝居への熱意も感じられる内容だった。



話逸れますが
日テレさんはかつての看板番組を大事にしないんだなぁと。(今年は「太陽」放送開始50年の記念な年だそうです)
やはり、過去は過去ってことなのかな?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 晩秋の収穫 。 | トップ | ワクチン、4回目 。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。