はぎおの「ツボ」note

興味がかなり偏ったはぎおが「ツボ」にはまったことを、のんびりと、時に激しく?!思いつくまま綴ってます…

一年経って思うこと 。

2012-03-11 15:32:23 | 雑感

地震発生の時刻に合わせ、黙とうをしながら、ちょうど一年前のことを思い出していました。

あの日は金曜日でした。
休暇を取って行っていた病院のロビーで流れていた国会中継、つまんないなぁと思いながら見ていると、地震が起きた様子。
それもただ事ではない感じでした。
広島では全く揺れを感じなかったので、実感がわきませんでしたが、その後の報道は全く信じられないものでした…

 

あれから一年。
自分には何ができたか。
ただ、早い復興を願い、本当に本当にささやかな募金を続けることだけ。

ここ数日、関連報道を見ています。
特に、地震を経験していないものとして、見る義務があると思ったから。

でも、結局何をしても「わかったつもり」の「自己満足」なのではないかと思うこともあります。
このトピを掲げていること自体も。泣きながら番組を見ていることも。
被害にあった人たちの気持ちはわかりたくても恐らくわかることはできない。
無力感だけが残ります。

放射能の影響が強い地域に残ることを選んだ、今年成人を迎えた若者たちが「自分たちは人体実験にされている」「どうせ死ぬのなら面白おかしく遊んで生きたい」と、自暴自棄になっているのを見てショックを受けました。
きっと、今の彼らには届かないと思いますが、長年、苦しい思いをして復興した広島の人たちもいたということを、知ってほしいな。普通の生活を奪われて悔しいと思いますが、何とか諦めずに生きてほしい…そう願うことしかできません。

「忘れられている」という言葉も多くなりました。
そんなことはないのですが、マスコミの報道が少なくなったことも事実です。
毎日、どんな形でもいいから、被災地のニュースを報道してほしいです。

 

去年の夏、青春きっぷで東北3県に行きました。
でも、線路上から、落ち着いた生活を眺めていただけかもしれません。
実際住んでいる人たちの気持ちには、地元のテレビでしか触れることはできませんでした。

何となく、あの日のことを「聴いてはいけない」気がして。

 

実は、先日も、仙台・松島に行ってきました。
震災1年を前に、母が急に東北に行きたいと言い出したんです。
とは言え、一応「高齢者」なので、無理はできません。
電車で行ける範囲で考え、松島にしました。

松島は10数年前、家族旅行で訪れた場所でした。
到着して、一見したところ、変わっていないように思いましたが、よく見ると、海に面した塀の一部は崩れたまま。
賑わっていたお土産物屋さんの多くもシャッターが下ろされたままでした。

海から何百メートル先の、伊達政宗ゆかりの寺「瑞巌寺」も、長い参道を津波が上ったと聞きました。

帰りの電車待ちで、駅前の喫茶店に入りました。
お客さんは誰もいません。
2人で入ってコーヒーを1杯頼みました。(これがいけなかったと思いますが)
「大変でしたね」と言葉をかけたのですが、全く無視されてしまいました。
きっと「そんなこと聞いてどうする」「何がわかる」とお怒りになったのかもしれません。
そう簡単なことではないんですよ、きっと。

 

今回は、東北本線に乗らず、「仙石線」に乗って松島に行きました。
前よりも海岸沿いで、被害の大きかった、塩釜・多賀城を通る路線です。
1年たった今でもがれきの山があり、船やジェットスキーなどが陸地にあがったまま。
壊れた家もそのままでした。
改めて、被害の大きさと、がれきの撤去が手つかずだということがはっきりわかりました。

 

1年たちましたが、阪神・淡路の時とはまた違う、復興の遅さともどかしさばかりが残ります。
とにかく、皆さんが、早く元の、穏やかな生活に戻れますよう、心から願うばかりです。
そして、当たり前の毎日がおくれることに幸せを感じて、日々感謝したいです。

 

最後に、芸能人や有名人のいろんな形の支援やその方法に、批判している人がいると聞きます。
彼らが一番「支援」に対して模索して、行動しているような、そんな気がしています。
いろんな立場の人がいて、いろんな考えがある。
地元の人からすればいろんな意見もあると思いますが、何の関係もない、何もしていない一般人が、ネットでいちいち揚げ足撮ったり、ただただ文句を並べているのが本当に悔しい。


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4 コメント

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Unknown (しゅう)
2012-03-12 00:25:22
 震災から1年経ったけど、被災地の沿岸はいまだにガレキの山で、処理が終わらないと復興なんて先の事。それと沿岸の被害が大きい分、内陸との温度差が激しい感じがします。震災で起きた事は忘れちゃいけないし、伝えていかないといけないなって思います。
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Unknown (はぎお)
2012-03-12 21:17:48
>しゅうさん
こんにちは。
瓦礫のこと、放射能のこと、風評のこと…何にも終わってないですよね。
「絆」とか言ってる割には、結局みんな「他人事」なのかな。自分のところにまで持って来るなって感じで。…偉そうに言える立場じゃないですが(^_^;)何も片付いていかないことが悔しいです。
忘れたくないです。良いことも悪いことも、きちんとした報道を続けてほしいです。
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想うといこと (かしまし娘)
2012-03-14 13:18:04
はぎお様
はぎおさんの想いを読んで、書くことって大切だと思いました。
私は東京で恐い目にあいました。
被災地の方に比べればちっぽけな恐怖ですが、
それでも3.11はどんな気持ちになるのか、心配でした。
そういう気持ちを書いてみたら、自分の心が少し落ち着きました。
「あの時こうだった」というコメントを貰って、もっと落ち着きました。
はぎおさんの心を読んで、また落ち着きました。
どうもありがとう♪
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Unknown (はぎお)
2012-03-14 22:09:15
>かしまし娘さん
こんにちは。
きっと、西日本の人はそうだと思うんですが、本当に実感がないというか、わからないんですよね。だから、何を書いても「無神経」になるんじゃないかと…

でも、かしまし娘さんのコメントをいただいて、ちょっとホッとしました。
こちらこそありがとうございます♪
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