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被災地へ絵本を贈るプロジェクト―― ピコの会(小学校で絵本の読み聞かせをしている母親のG)

東北・関東大震災で避難している子ども達に絵本を贈りたいと、読み聞かせをしている母達が立ち上がりました。

いちごの思い出し仙台日記 10

2011年06月09日 | 日記
17:40  チェックイン ホテルルートイン名取

イオンモールから徒歩5分、杜せきのした駅からだと6分と駅近 ビジネスホテルと言った構えで入口がすぐ解らなかった 
通用口かと思ったのが入口だった
予約時、1ヶ月を切っていたので空き室がわずかで、シングル4室・ツイン1室になってしまい じゃんけんで部屋決めをした 
今思えば、ロビーでじゃんけんなんて学生みたいな事をしてしまったわ! ラッキー?アンラッキー? 負けてツインになった 
先に支払いを済ませていただきますとのこと ツインルーム1泊 11200円 一人あたり 5600円のお支払い 
バイキングの朝食付き 人工だけど温泉大浴場もある お手頃価格でうれしい!
私たちは809号室 昨年の12月15日にオープンしたばかりとあって奇麗  こじんまりしているけど、ベットが120センチと広めでうれしい!
ちなみに、シングルの部屋は140センチだったそうだ バストイレが一緒だけど旅行に来ているわけではないので十分だ
全員8階だったが、メンバーの一人は高層階は嫌なのであらかじめ電話で下の階を希望したが このプランは8階より上の設定なっていて
駄目だったそうだ  高層階だと地震のマグニチュードは‘1’ほど上がるかな?
さて、夕食は19時にツインの私たちの部屋で頂くことになり、それまでは自由時間という事で
お風呂だ~ ルームメイトのsakuraさん(勝手に名前つけました)と一緒に1階の大浴場へ
ピコの会 創立から早や13年目 お泊まりはもちろんの事、裸のお付き合いも初めて!
Hayashiさん(ブログの名前頂きました)も入ってきた! 嬉はずかし(*^。^*)  いちごさんは視力が悪いので良く見えませんのでご安心を…何を?

19:00  夕食

皆さんがっつりとお弁当を買ってきましたね~ いちごさんは明日の朝食は‘種類豊富な朝食がバイキング’だと
しっかりチェックを入れてきたのでフル-ツだけにした
今回のメンバー6人 ソルトさん(勝手に名前つけました)はHayashiさんのお友達で特別参加 
残りの5人は子供が小学1年からのお付き合いなので お互いの性格、ピコでの自分の立ち位置を把握していて
実に動きやすいし居心地がいい
良くここまで続いたよね~の言葉に、すかさずHayashiさんは言った
「ピコのメンバーは、人の悪口を言わないからここまで続いてきたんだと思う」と
そうだったのかと なんか…心のもやもやが晴れた感じがした

いちごの思い出し仙台日記 9

2011年06月06日 | 日記
17:00  イオンモールへ

再び、Sさんに迎えに来ていただき、イオンモールまで送ってもらった 彼女こそ忙しいのに長い時間本当によく案内してくださった
今回 彼女は、衣料が足りないとのことで、衣料満載の4トントラックとともに名古屋から実家のあるここ名取市に支援に来ている
しかし、準備している間に必要なものが刻々と変わり 被災地に届けに来た時には必ずしもそれが必要になっているとは限らないとの事 
今は食器類が必要とされているそうだ 迅速な行動が不可欠だ

最後に彼女は 車で逃げるときは必ず窓を開けて!! 家に戻ったら、家族にも友達にも知り合いにもこの話をして皆に広めて欲しいと何度も言った

Sさんと別れ、夕飯の買い出しにイオンモールに入った。昼間より人が多い 駐車場も満車状態だ 
午前中にも来たのに 閖上とのギャップが大きいからか、違和感のある変な感じ すべてが流され何もない廃墟のような場所とこの華やかな場所 どちらも現実  閖上では無残な様子に圧倒され何も考えられず その状態を頭で整理するだけで、頭も心もいっぱいで感情まで出てこなかったが 何なんだろう 急に涙が出てきた

親子連れやカップルお年寄り 皆、楽しそうに買い物をしている 
4月24日(日)から専門店1階・2階の一部及びワーナー・マイカル・シネマズは営業を再開して、地元近隣の方々は待ちに待ったオープンだったそうだ 
所々で 入荷未定の張り紙がしてあり欠品になっているものはあるが品物は豊富にある
焼きたてパンのいいにおいがする お惣菜・お弁当類は特にたくさん用意されているように思えた。
サラダ・カットフルーツ・和食洋食の惣菜・焼き魚・お寿司・オードブル迷うくらいある 
おなかがすいてなかったのでカットフルーツ78円 飲み物98円 お菓子(湖池屋すっぱムーチョ梅)88円 計264円だけ買った
さあ、ホテルに行こう 流石に疲れた

いちごの思い出し仙台日記 8

2011年06月04日 | 日記
体育館の入口の張り紙に 地震が起きたらすぐに校舎の屋上に避難してください と書かれてあった
正直言って、ここに来るまで怖かった 今地震が起きて津波が来たら、逃げる高台が無い 
乗ってる車でひたすら逃げるしかない あの日どれほどの人が逃げ惑ったことか 私は、今その場所にいるのだ

入り口の外には、トロフィー、お位牌、ランドセルが分別されてきれいに並べられていた
ランドセルは泥まみれだったが比較的新しいものが多くみられる 1年生のかな?
手書きで名前の張り紙が付けてあったが 半分以上が不明だった 泥で読めないのかな? 名札が流されてしまったのかな?



体育館に一番近い1階の1年生の教室は津波に襲われ泥だらけだった 児童机がピアノの下敷きになっていた
水の力は軽々とあの重いグランドピアノを持ち上げたのだ
窓ガラスは水位の後がくっきりと残っていた グランドの高さからだと3メートルくらいある
幸い小学校にいた児童は全員無事だったそうだ 

災害の後は色がたくさん無い ほぼ茶色一色だ 緑の木々も塩の被害で枯れてしまってる
でも、、花壇の中に見つけました。黄緑色の小さな息吹  …雑草かな?



ちょっと感動 イヤ かなり感動した 草木もがんばっている

余談ですが…上の写真は携帯で撮ったので画像が鮮明でなくて済みません(^_^;)
しばらく投稿できなかったのは、娘にアップの仕方を教えてもらうのに彼女のお休みの今日まで待っていまして…やっとできました


いちごの思い出し仙台日記 7

2011年05月29日 | 日記
海岸に近付くにつれ、家が跡形もなくなりコンクリートの基礎だけが残っている、電信柱は根元から折れ曲がり中の芯がむき出しになっていた
建物が無いと遠くまで見渡せ、この辺りが平地だという事が良くわかる
仙台東北有料道路まで、一気に津波は襲ったのだ

田んぼの真ん中に車がある。流されてきたのか?逃げ切れなかったのか?
車に乗っていて、助かった人との生死の分かれ目は、窓を開けていたか、いないかで大きく左右するそうだ

Sさんは力強く言った   車で逃げるときは必ず窓を開けて!!

津波の音や避難の放送も聞こえないし、津波に巻き込まれた場合窓が開かずに水死してしまう
お知り合いの方が、窓を開けて逃げたので津波に巻き込まれても脱出でき助かったそうだ
もっと世間の人に、車で逃げるときは必ず窓を開ける!!という事を浸透させていればもっと多くの人たちが助かっただろう 救えただろう
なぜ、新聞社やテレビ局は 助かった人の生の声を取材に来ないのか?もっと広めて欲しいとSさんは何度も繰り返して言った

所々で自衛隊の方たちが作業をしている 遠くに瓦礫の山が幾つもある 砂が混じって茶色くなり本当に山のようだ 
どれだけの労力を費やしたのだろう 主要な道路は車が通れるようなっているが、他はほとんど手つかずと言っても過言ではない
長期的な支援の必要を改めて感じた

閖上小学校に着いた 今度はタクシーで先に来ていたメンバーを案内してもらい、ここで待つことになった
外人の取材班、家族連れ等、何人かの人がいた
体育館には集められた思い出の品々が保管されていた 入口に行ってみると入りきらず外にまで並べてあった
入口入ってすぐ右脇にアルバムが広げて置いてあった 奥に目をやると壁に写真が貼ってある 乾燥も兼ねているのだろうか?
私は空気が重たすぎて 中に入ることができなかった…

つづく

いちごの思い出し仙台日記 6

2011年05月21日 | 日記
14:30  閖上へ

今回、この朝市の企画を教えて下さったSさんに、津波の被害の大きかった閖上を案内していただきました
閖上=ゆりあげと読みます 仙台空港の東側に位置します
Sさんの車と、タクシーとで分乗して向かった
タクシーは、いったん閖上小学校へ
私たちは、津波が襲った海岸方面へ

県道129号線を南下していくと、駅前の様子と変わらず表面上は普通の街並みだ
市街地を抜けると休作中の田園風景が増えてきて 大曲(海岸から4キロ程)辺りから津波によって流されてきた瓦礫が道路脇や田んぼの中に見え始め、無造作に重ねてあった その量がだんだん多くなり仙台東北有料道路の高架下をくぐると様子は一変した まさしくテレビの映像で見た光景だった
有料道路より北側に津波の被害が少なかったのは仙台東北有料道路が土盛りの上に道路が走っていて堤防になったからで、道路が交差する高架の下から津波が入り込み その付近には被害が出た

すぐに目についたのは道路わきのビニールハウス 芯だけになり中が丸見えになっている
有料道路に入る道とに分かれる先からは通行許可証が必要になり警察官が立ちチェックをしていた
Sさんの許可証でさらに先へ

この辺りは家の壁などであったであろう木くずの細かい瓦礫、洗濯機などの電化製品、車、船が道路わきに散乱している
左側に10メートルくらいの大きな船が1隻、300メートル先にも1隻 波の力を感じる
家屋は1階部分が柱だけになっていたり かろうじて壁はあるものの家具が散乱していたり土砂が入り込んでいたり ひどい有様だ 残った壁にも押し寄せた海水の水位がくっきり残っている
海岸より少し離れていたため津波の意識が薄く、地震後のかたずけをしていて津波に気が付かず、命を落とした方が大勢いたのだそうだ

写真を取り始めると、Sさんが「私は、まだ写真をを撮る事が出来ない ここにはたくさんの家があり 大勢の友達や同級生が暮らしていた この現実を理解できない自分もいる」
それまで、Sさんが運転しながら津波の被害を説明してくれていたが、どの話よりも心に重く響いた

つづく

いちごの思い出し仙台日記 5

2011年05月19日 | 日記
13:00  イオンモールへ

朝、電車の中でおにぎり2個食べただけだったので
被災地のお店の様子も気になっていた事もあり、昼食を食べにイオンモールへ行った

びっくりした!
すごい人 人 人 新宿のデパ地下並みの人出
建物が大きいだけあってお店も多種多様
レストラン街は15店舗も入っており、どこの店も並んで待っている状態

とりあえず、比較的待ち人の少ないフルーツ・カフェ ‘ル・ベェルジェ’ へ
人気がないのではなくて、お昼時なのでカフェは少しすいていたのだと思います
私は、疲れたので並んで順番待ち
館内を見てきたメンバーの話によると
上の階では、一部まだ店を閉めているところもあったそうだ

メニューは、フルーツタルト、フルーツパフェ、フルーツドリンク、サンドウイッチ・カレーなどの軽い食事などがあり
私はサンドウイッチセットを注文した

サンドウイッチはレタス・焼きベーコン・トマト・チーズが入っていて酸味のあるドレッシング?ソース?がさっぱりしているので、ボリュームがあっても食べやすい
メンバーが頼んだフルーツサンドと交換したが、これも、おいしい!
生クリームが甘さ控えめで、くどくなく、生クリームを普段食べない私も完食してしまった
フルーツサラダ(フルーツ・カフェだけあって サラダもしっかりフルーツが入っていた)とフリードリンクが付いて1000円でお釣りがきた…と思う 
皆と会計が一緒だったのでレシートもらうのを忘れた
安い! 地元だったら1200円位だな 

甘いものも食べて元気回復

活気あふれるイオンモールだったが、出入口のガラス窓にひびが入ってテープの応急処置がされていて
地震の爪痕がまだ残っていた

つづく

いちごの思い出し仙台日記 4

2011年05月18日 | 日記
09:00  朝市の様子

お客さんの足並みも、落ち着いてきたので 交代で朝市を回った
私たちの目の前には、魚屋さんが並ぶ 入口付近はとてもカラフルなチョコバナナ・たこ焼きなどの出店
お菓子問屋のような一角(カントリーマームなどの大袋菓子が3つで500円は安いわね!) ん~良い匂いがしてきた
おやき・焼きそば・温かい日本そば その場で調理していて食欲をそそる  
仙台みそ等地元の名産も販売している
朝市の会場は、周りを地元のかたのブース、内側にボランティア等によるフリーマーケットブースの並びになっていて
オムツなどの雑貨・洋服を安く提供している
会場の一角でミニコンサートが開かれ ばんばひろふみさんの「いちご白書をもう一度」 久し振りに聞いたわ~

戻ってくると、騒ぎになっていた

「東京で大きな地震があったらしい!あそこのテレビで放送しているよ!」とピコメンバー
私の仙台行きを余震を心配しながらも送り出してくれた家族の方が地震にあってしまった?
走っていくと、見てきたメンバーが知らせてくれた
「3月11日のニュースの録画だったよ~」 びっくりした~
行ってみると テントの中央に大画面のテレビが設置され20人くらいの人が見ていた
確かに コンビナートで火災が起き、建物からコンクリートの塊が落ちてきている映像が流れている

間違えるのも無理はない 放送内容の案内がない でも、なぜ今頃ここで?

皆さん真剣に見入っていた
ゆっくりテレビを見る余裕もテレビ自体もなかったのだろうと 理解した

10:00  店じまい

お昼までと聞いていたが、早い終わりになった
絵本が2/3ほどなくなり、特に子供向けの雑貨は残りわずか 
そういえば、朝市には、子供向けのブースがなかった!
持ってきたのは、皆様からの本と一緒に集めた遊び物、同梱されていたぬいぐるみやペンケースなどのみで
量は少なかった
あ~ 家の中に家にあったキャラクターシールやメモ帳持ってくるべきだった~

本日の売り上げは(売上と言っていいのか…)27181円でした

つづく

いちごの思い出し仙台日記 3

2011年05月08日 | 日記
07:15 イオンモール名取エアリの駐車場に到着

朝市は駐車場で行われる ここは駐車場 ただの駐車場 がらーんとした駐車場 ??
イオンモール名取エアリは広かった! 建物は一つだけど、4つのビルがくっついた感じの建物
この場所からだと大きくて端が見えない 
エアリは‘エリア’と間違えているわけではない
イオンモール名取エアリは 新しい「まち」とともに大きく発展する意味を込め、新しい空気をこの街に吹き込む「空気(AIR)」、東北の玄関口である「仙台空港(SENDAI AIRPORT)」、地域との共生「名取(NATORI)」の3つの言葉の一部を繋ぎ、「エアリ」と命名されたそうだ

後で知ったが、大きな駐車場が8ブロックもある 駐車台数にして約3,900台
「朝市の開催されるイオンモール名取エアリの駐車場までお願いします」と言うべきだった
運よく? 警備員さんがこっちに来る 2人も! 自転車で!(こんな大きいのだ 自転車で巡回だろうな)
朝市はこの先の西の駐車場です と教えてくれた

07:20  やっと朝市

朝市の品物を求める人々が集まっていた
きちんと「朝市の開催されるイオンモール名取エアリの駐車場までお願いします」と言った もう一台のタクシーチームは、届いた荷物を開け始めていた
そのとたん、わっと人が集まってきて、出す品物をどんどん手に取り始めた まだ開けていない段ボールにも「何が入っているの?あけていい?」 今、着いたばかりの私はどうなっているのか理解できず 圧倒された
とにかく、どんどん本や小物など並べなくては

皆様から贈られました絵本や折り紙などの遊びものは、ご存じの通り、すでに避難所や児童館などに送らせていただきました
今回、朝市に被災者の方々がいらっしゃるという事で、直接さし上げられると思い参加をお願いたしました
しかし、主催者側の意向で お金を動かして活性化を図りたいので 無料で配るのは考えていただきたいと申し出がありました
ピコでは、悩みました 新品の本を買って送ってくださった方も大勢いて それを安い金額で売ってもいいのだろうか? 自分自身で渡せるがお金を頂いては、集めた趣旨に反するのではないか?

それでも直に渡したい!

絵本は100円、漫画は50円、お絵描き帳と鉛筆消しゴムなどをセットした袋詰め100円、他の小物は20円から300円の値段を付けました お子さんが好きそうな小物は無料にした

たやすく避難所に入って プライバシーが完全に確保されていない場所に善意とはいえ見知らぬ者が‘物’を配る事はできません 自分の家に他人がいきなり入ってきて「お子さんと是非読んでください 絵本をどうぞ」と言われても 必要と感じていない人には 迷惑になる

必要とする方々 ピコのブースにたくさん来ていただきました 
本を手にとって、自分のお子さんや孫の為に、時間をかけて選んでいる お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん あまりの真剣さに「どうぞお持ちください」と言いたかった 100円でも買っていってくださった
ありがとう
ありがとうございました

売上金の用途が、夏の鐘楼流しに使われると聞き、安心した
先が見えるお金の寄付で良かった

つづく

いちごの思い出し仙台日記 2

2011年05月07日 | 日記
06:58  名取駅着 

私たちの目的地 イオンモール名取エアリは名取駅から仙台空港アクセス線で一つ目の杜せきのした駅の
すぐ目の前 しかし、アクセス線はまだ復旧しておらず代行バスで行く事に
駅員さんに詳細を聞くとちょうど7時発があるとのこと あ~後1分しかない 
大荷物の私たちには階段を駆け下りても間に合わない!!
間に合わないどころか救急車に乗る羽目になる!!即諦め 次は30分後…
タクシーで行く事にした

落ち着いて、あたりを見渡すと名取駅はとても新しそうで奇麗だ 
それもそのはず 仙台空港アクセス線は2007年3月18日に開通 
それまでは、仙台―空港間を市営バスが高速を使って40分かかっていたが空港まで最速17分と便利になった。さらに、バスは片道910円だが、アクセス線では630円と安くなった

階段を下りるとタクシーが何台か止まっていた ほっ 良かった 実はタクシーが走っているかは不安だった
代行バスの本数が1時間に1本だったら最悪歩いていくことも考えていた なにせ朝市は6時から始まっているのだ 急がねば

07:10 イオンモール名取エアリ朝市へ

分乗してタクシーに乗った 「イオンモール名取エアリの駐車場までお願いします」
おそらく私たちよりも少し年配の運転手さん はじめて話す地元の方 思い切って話しかけてみる 
少しなまりがあるかな 仙台弁?(そんなものはあるのかな?)

建物の被害について聞いてみた
この辺りは建物の亀裂・瓦屋根の被害がほとんどで倒壊したのは築年数が経っている3棟だけ
「壊れてぇいる瓦屋根は、凝って作った屋根がほとんどだぁ」と運転手さん(実際の話し方ではない 雰囲気です) 凝って作った屋根??
 説明しましょう  ここでの‘凝った’は屋根の傾き(傾斜角)のことを指しています 4寸勾配、5.5寸勾配と
            増えていくと傾斜角が急になり、瓦の枚数も増え、費用もかかってくる 
            だから 凝って作っている ということです 
            社寺仏閣でよく使われる屋根形状の反り屋根は 超凝った屋根 と言えますね
特に山の尾根のような部分の棟部や袖部(けらば)の被害が目につく

ブルーシートが時々目に入ってくる以外は、普通の静かな街並みだ
と思ったら、街並みは、ひと区画100坪以上ありそうな高級住地に一転 もちろんブルーシートも見当たらない
変にきょろきょろしているうちにイオンモール名取エアリの駐車場に到着
時間にして5分くらい 料金は720円 領収書に(株)ミナト高橋新蔵商店 と記されていた
…商店なのね 

つづく

いちごの思い出し仙台日記 1

2011年05月06日 | 日記

5月2日月曜日 

22:05  いざ仙台へ 家を出る
かばんの中に、読み聞かせに選んだ本「ミロとまほうのいし」マーカス・フィスター作 谷川俊太郎訳
を入れて、駅までの道をガラガラ音を立てて歩いていく
夜の静かな住宅街に響く…申し訳なくゆっくり歩く

22:15  聖蹟桜ヶ丘駅
すでに、4人集まっていた
ジーパン姿に運動靴 ボランティアに行くぞという出で立ち 頼もしく見える!

23:30  新宿駅
駅から出発場所の工学院前まで歩いていくと 人 人 人
バーゲンセールかコンサート会場?と思えるくらいのすごい人
何十台ものバス バス 夜中にこんなに人が集まってみんながみんな被災地に向かって行くように見える
先についていたSさんの携帯での誘導がなければ迷っていただろう
ほぼ満席のバス 前方にボランティアに行くような格好をした若い男性達 男性ばかりでちょっと圧倒された
後方に女性 夜行バスはそのように配置するのだそうだ
二時間ごとの休憩 最期の休憩所 国見ではサービスエリア渋滞が起きていた 

5月3日火曜日 晴れ

06:20  1時間遅れで到着   
降り立った仙台駅西口は早朝のためか静まり返っていた 少し寒いが空気が澄んでいて気持ちが良い
建築年数が浅いのだろうか? 整えられた道・歩道・駅ビル 大きな地震が起こったとは思えないほどきれいな街並みだった

06:45  名取へ
宮城の玄関口である仙台駅 さすがに大きい 地下通路を迷ってうろうろ JRに乗りたいのに反対の西口に出てしまった (この地下通路は自由通路と言って駅をまたぐための通路だった きっと途中に改札に行く入口があったのかもしれないがわからなかった)
ようやく改札に入って三番線へ ホーム案内には2・3・4番線と案内がある 1つのホームに3つの番線?
ホームに降りると2番と4番しか見られない! 2番線に入ってきた電車の車掌さんに3番線を聞くと もっと前の方にあると教えてくれた 三番線は折り返しになっていて前半分を利用してホームになっていた
そういえば富山駅も在来線が折り返しになっていてこのような形のホームだったなぁ 合理的  
6時24分発 JR在来線(普通列車) に乗り名取駅へ 列車の中で4人づつ向かい合ったシートに座り 各自持参したおにぎりやパンの朝食を急いで食べた 京王線ではできないことだ 
車窓からはところどころに青いビニールシートが見えるくらいで外見上はひどい崩れや倒壊など見られなかったがきっと家の中は家具などの転倒の被害で大変なものだっただろう もっとも震災から2カ月弱たっているが…

つづく

たくさんの思いをありがとうございます!!

2011年04月07日 | 日記


私はここ毎日、泣いております。 うれし泣きです。 感動の涙です。

宅配便のお兄さんが、「今日は4個ですよ~」と言って、皆さまがお送り下さった絵本の箱を置いていきます。

箱を開けるたびに、そこに詰まった皆さまの「思いやり」「被災地を思う心」に涙しているのです。

本当に、ほんとうに皆さまご協力頂きまして、ありがとうございます。

本日、ある方が作者さんのサインと挿絵を入れてお送り下さいました。(上の本です)著者のH@Lさんが可愛いみんなが手をつないでいる絵を書いて下さっていました。お送り下さった方はコメントを。(スキャナーが故障してここにアップできないのが残念です、ごめんなさい)感激でした!ありがとうございました。


いつも、
帯のついた新品の絵本を手にしては、送ってくださった方のお顔を想像しながら、「あ~被災地の子どもの事を思いながら購入してくださったんだなぁ」と思うと「新品に準ずるものでお願いします」と言ったのが申し訳ないような気持ちになりますが、これを手にした子ども達はどんなにか喜ぶことでしょう。

お子さんに読んで差し上げたような本を手にする度に、「あ~大事なご本を放出して下さったんだぁ」とホッと温かな気持ちになります。

どちらにしても、一つひとつに皆さまの思いが入っていて、私の胸を熱くします。

届いた箱の中には「このプロジェクトに誘って頂きありがとうございました」「取りまとめていだたき感謝します」などとレターが入っておりました。

お礼を言うのは私どもなのに、「ありがとうございます」と言われてしまいます。

本当に本当に皆さまありがとうございました。どうかこれからも見守っていてくださいませ。

皆さまの思いをきちんと届くようにしなければと、メンバー一同、背筋がさらにピンとなります。

昨日も一昨日も沢山の包みが届いておりますが、ごめんなさい、「ありがとう」のお返事は少しお待ちくださいね。
メールもレターも書けない日々です。ご理解を!

お返事遅くなっております。 ごめんなさい!

2011年04月01日 | 日記
メールを頂いている方、本を送って下さったかた、情報を下さった方、等々・・・ありがとうございます。

ごめんなさい、返信が遅くなっております。

日中仕事で、夜帰宅してから、食事の支度を終え、それからPCに向かいますが、本日は届いた本の開封と記録付に追われ、毎日沢山の反応を頂いて、その返信に追われ、今日など届いた方へのお礼のメール返信さえ出せておりません。

すいません、みなさま、少々お待ち下さいませ!

嬉しい悲鳴です!

携帯メールの苦手な私ですが、この1週間、通勤電車の1時間は携帯の返信メールを打ちっぱなしです。
お陰さまで、会社に着いた時は右手が腱鞘炎ぽくなっております!(笑)

順番に返信いたしますので、待ってて下さいませ!

(誰か、パソコンに強い人、メンバーの中に居ないかな?)     by hayashi




名もなきおばあちゃんたち

2011年03月28日 | 日記
皆様のお気持ちありがとうございます。


昨日実家の母と(静岡県沼津市)電話で今回の地震の話をして、

私たちのグループが子供たちに本を贈る活動を始めたことを知らせましたら、

「私たちはもうはじめてるよ。」と言うのです。

平均年齢75歳を超える名もないおばあちゃんグループが、

手作りの袋もの・ぬいぐるみ等を被災地に向けて制作を開始していました。

そして、経験者でもあったのです。

中越地震の時、被害にあったところの幼稚園に送っていたのでした。

相手の幼稚園からは、母たちが贈った小物を手にみんなで撮った写真を送ってくれたそうです。

もう歳で一日に1つしか出来ないけれど、段ボールいっぱいを目標に頑張っていました。


被災地の方々への気持ちはみんな一緒ですね。


ちょっとパワーをもらったひと時でした。      Y