さすがに昨日は疲れてぐったりしていました。
一人別行動で4日に岩手県九戸郡野田村(絵本を贈ったところ)へ旅立ったメンバーも昨日無事に戻りました。
また違った被災地の景色だったそうです。
私たちは運よく、「顔の見える人に手渡しで絵本を渡したい」この希望が叶い、朝市と言うところで、欲しい人に好きな本を選んで貰って配ることができ、本当に幸せでした。
そしてこれもまた運よく、「避難所で読み聞かせのボランティアを」も叶い、名取市文化会館で大型絵本を読ませて頂きました。
子供の遊び場広場で 絵本を読む その後大型絵本の時はもう少し人数も
本当はその後も他の被災地の避難所を訪ねようと考えていたのですが、先に文化会館の様子を拝見し、「今日はやめよう」と云う事にしました。
連休も有り、避難所の大方の人は外へ出かけていました。子供さんも数人が残る程度で。
仮設住宅への移動も連休から始まったとお聞きしました。他の避難所も同様でしょう。
避難所は、段ボールで区切られた畳1畳から3畳くらいのスペースの個人生活環境でした。当然ですがプライバシーは限りなく無い生活。テレビも無い生活。疲れることでしょう。
そう言えば、朝市に大型テレビが設置され、人だかりが出来ていました。何を映しているかと思えば、3月11日の地震の後の津波の映像でした。
メンバーの一人がそれを見て、勘違い。「大変、昨日も地震があったみたいよ、東北に津波警報が出ていた」と大騒ぎ。
良く良く見れば、それは何と3月11日の映像。「え、なんで今頃」
被災地の皆さんは、今初めて観るのでしょう、自分達の家が流されていく様子を。
私達には何度も見せられた、これでもかと繰り返し見せられた、悲惨な映像を大勢の皆さんが食い入るように観られているのはとても印象的でした。
その後、閖上(ゆりあげ)小学校へ。 ここには集められた沢山の思い出の写真が所狭しと並べられておりました。


友人の友人はご主人を3年前に亡くされ、遺骨はお寺さんに預けてあったそうです。でも今回、お寺さんも流され、お墓に入れるものが無くなってしまったので、せめて写真でもあればと、ここにきて一緒に探そうとしたけれど、これではあまりも・・・。無理だと諦めたと言っておりました。


海から2キロも離れた閖上(ゆりあげ)小学校からは海が見えません。 しかし波はここまでも来ていて、泥の被ったランドセル、泥でメチャクチャになった1階の運動具置き場(?)がそのままでした。まだここまではボランティアの掃除も回って来ていないのですね。
そして、通行許可を持っている人しか入れない海辺近くの閖上地区へ。
友人は叫びます「ここには家がびっしりあったのよ」と。 ここは「閖上商店街だった」と。
Youtobuで観ると、震災直後はまだ壊れた家も残っていたようですが、今は片づけられ、何も無い平地と化した町に、初めて見る私は想像もできなくて、悲しい事でした。
本当に真っ平らな町で、逃げ場が無かったと言っておりました。

波はここまで船を運んでいました。
小学校に置かれていた自動車は津波の威力を表していました。
降り立った仙台駅、街は連休もあって賑わっておりました。どこを見てもきれいで、地震があって被害を受けたとは思えないほどでした。
名取市も津波に襲われなかった所は、まだ綺麗で整然としていました。でもひとたび、津波の来た場所まで来ると、そこは何も無く、田圃にはゴミが残っており、海の砂浜のように砂があり、磯の香りがして・・・。
避難所の名取市文化会館にも読み聞かせで中へ入れて頂けました。 段ボールで囲まれた部屋部屋を見て、もうすぐ2カ月、疲れるだろうなぁと悲しくなりました。
その中にも家族を亡くされてまだ見つからない方もいるのです。
これが被災地の人々の抱えている現実なんだと思う時、賑やかな仙台市の町の様子とのギャップに何とも言えない思いになるのでした。
私たちのやっていることなんて、どれほどの役にたつのだろうと、悲しくなりました。
所詮、東京に帰れば普通の生活に戻れる私たちに、被災地の人の心の痛みがどれだけ分かるのだろうかと。
しかしながら、皆さまの温かい思いは現地にしかと届けられた事だけはご報告出来るのが何よりです。
多くの皆さまに感謝申し上げます。 本当にご協力ありがとうございました。 (ハヤシ)