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PHATS-VOICE♪

日常の風景、出来事、食、遊び・・・その他モロモロ、ときどき身体。

ストレスケア 43

2008年06月01日 | 身体、こころ、ストレスケア
先月はサボりっぱなしだったので(^^;)
今月はそろそろ真面目に書き出そうかな~っと・・・。

今日は痛みや故障に関しての定説を、改めて考えてみましょう。

姿勢が悪いと肩が凝る・・・
身体が変形することが痛みの原因・・・
そうすることで神経が圧迫され痛みが発生する。

整体などに行かれる方はご存知かもしれませんが・・・
往々にして術者から上記のような説明をされるかと思います。

確かにそう言える場合もあるのですが・・・
この説明は若干、的ハズレというか、間違いでもないが正解でもありません。

また、広義の意味の「歪み」と「変形」も違います。

変形は基本的に痛みとは関係ありません。
あくまでも全体的な不調と動きづらさとかに影響を与えるものです。

が、適応してしまえばなんら問題はないのです。

腰の曲がったお婆ちゃんが全員、腰痛か?と、言えば・・・
全然そんなことは無いわけで、老化という変化に適応するのも人間なのです。

或いはヘルニアと診断され、手術をしたとします。
術後、痛みが消える人と消えない人が居るのはなぜでしょうか?

手術なんていう大事を行うにも係わらず・・・
メスを握る先生はなんとも曖昧な答えしか持っていません。

「回復には“個人差”がある」という理屈です。

回復する速度や反応に個人差はあっても・・・
痛みがとれるか、とれないかに個人差なんてものはないんですよね。

それが医学であり、科学でしょう?

今、欧米ではヘルニア手術をする医師は減ってきています。
「不要な手術をした」と患者から訴訟を起こされるケースもたくさんあるのです。

日本も何れそうなって行くのでしょうが・・・。

さて、話を戻しまして変形と痛みは直接関係ないのですが・・・
誤った身体の使い方、負担を強いる身体の使い方は痛みや故障と関係します。

偏った使い方であったり・・・
自分に合わない、或いは過剰に力んだ使い方など無駄があるときです。

ことにスポーツマンがケガをする時・・・
大事になってしまうのは人より出力が強く、誤りも強調できてしまうからです。

ちょっとの間違いが大きく表現されてしまうわけですね。

もう少し細かいことを言うと・・・
適応していない、しようとしないことでネガティブな変形が固定化されます。

結局、動きは形に支配されるのでこれが悪循環になるわけです。

だから、その形に見合ったルールに則っていれば・・・
首や腰が曲がっていようと、痛みや不調が出ないわけなんですね。

あとは、先日私が起こしたような油断とうっかり・・・
危ないと分かっていても「行っちゃえー」っていう自信を伴う危険運転(笑)

「黄色」はやっぱり止まれですね(^^;)

身体と動きはシステマティックだけに・・・
誤っていても一番強い信号、情報処理を優先するように出来ています。

正解か?不正解か?というのは結果のみぞ知る・・・と、言うわけです。

だからこそ、自己観にプラスして・・・
自己の身体性能をどのように扱うのか?というのが大変重要になります。

どんなに優れた理論や技術があっても・・・
結局は唯一無二の自分のルールは自分で見つけていくしかないのです。

体感で得たものと情報で得たものとでは雲泥の差があります。
だから、日々“検証”という確認作業が必要になってくるのです。

それらを環境に上手く溶け込ませ・・・
ストレスフリーに楽しく生きられたらいいですねー(^0^)/

ストレスケア 42 

2008年04月30日 | 身体、こころ、ストレスケア
―謝罪を求める国、ニッポン―

去年は謝罪、謝罪の一年でしたが・・・
その影響もあってでしょうか?最近は「謝罪」を求める人が多いような気がする。

日本人の気質なのかもしれませんが・・・
何かにつけて謝罪、謝罪と声高に叫ぶ風潮は正直、どうかと思います。

「悪行⇒反省⇒謝罪」っていう・・・
自主的な気付きと流れがなければ、本来、謝罪など意味をなさないものです。

「それを分からせてやる!!」
「気付かないのなら教えてやる!!」

そんな似非正義を振りかざす人が多くないですか?

もちろん、そんな場面が必要な時もあります。
しかし、それで解決することなんて一つもないんですよね。

去年、今年とそんな状況が一挙に噴出しているように思います。
だけど、本当に謝罪していた人がいましたかね?一連の食品偽装事件とか・・・。

吉兆なんかは取り繕い会見でしたもんね~。

世間の風潮に煽られて・・・
やらざるを得ないという状況でやっと謝る企業側。

ある種、開き直りともとれる態度で“とりあえず”形だけ謝る経営者。

良心や道徳観を持たない人がトップに立つ・・・
社員が腐っていくのは当然ですよね?あ、腐るとか言うとマズイでしょうか?

“腐らされる”と言った方が良いですね。
腐らなかったらやっていけない、ある意味それが「社会適応」という矛盾・・・。

だって会社に勤めていれば・・・
自分のため、家族にため、給料のために働いているわけですから。

トップがやれっていうことに・・・
会社が普通にやっていることに・・・ミソ付けられませんよね?

きっと、良心のある人ほど・・・
そんな社会生活とのズレにジレンマをを抱えていることでしょう。

本来、悩むべき人ではない人たちが・・・
悩む必要のないことで、一番、悩まされているという現状・・・。

ストレスやエネルギーは・・・
上から下、高いところから低いところ・・・
強い者(もの)から弱い者(もの)のところにしか流れません。

熱力学第2法則的な意味で・・・。

会社で言えば役職を辿りながら・・・
一番苦労をしているのは社長ではなく末端の人たちです。

苦労の質が違うと言った方が良いかもしれませんが・・・。

会社から無言のノルマを押し付けられ・・・
顧客やクライアントからは不満、難題を言われて縛られる・・・。

逃げ道も、はけ口すらもない・・・
そんな閉ざされた空間に居るわけですから問題が起きるに決まっているんです。

謝罪の“謝”の字は「ありがとう」でもあります。
客は企業に感謝する、トップは社員に感謝する、社員は顧客に感謝する。

そんな循環された社会環境を目指して行きたいものですよね。

それこそがストレスフリーな本来の社会構造であるはずです。

人間、最終的に“ひと”に付いていきます。
どんな企業、環境にも素晴らしい人はたくさん居ます!!

不景気な現状だからこそ・・・
自信とプライドを持って頑張っていきましょー!!

ストレスケア 41

2008年04月25日 | 身体、こころ、ストレスケア
人には様々な視点があります。
また、それぞれで「基準」としていることも違うでしょう。

Aさんの行動を見てビックリする人も居れば・・・
全く興味を示さない人や一緒になってやる人など、反応は様々です。

でも、共通していることは・・・
「自分は正しい」「これがノーマル」という認識だけはしっかりしています。

だから人と人は強く結びつくし・・・
また、絶対に相容れないという拒絶反応も起こります。

これは当然、私もそうでして・・・
「人それぞれ」「個性」「価値観の違い」などを分かっていても・・・
自分と違う意見の人や考え方の人とは付き合っていこうとは思いません(笑)

正直、変わらないし、交わっても“炎上”するだけなのでね(^^;)

「内輪」でワイワイしていた方が楽でしょう?
これが最近の若者(私を含め?)の傾向のような気がするんです。

でも、これは「停滞」に他ならないんですね。

同じものが同じ条件で集まればそれは「凝固・凝集」・・・
同じ思考や行動では巡りが途絶え、滞って停滞するだけなのです。

これは閉塞的な組織やチームによく起こっていることです。

トップダウンのワンマン運営や・・・
リーダーがいない、期限がない、時間感覚がゆるいなどが挙げられます。

分かっているけどやめられない・・・
人は「楽」な方に流れるし、停滞している方が安心できる習性があります。

同じ事を繰り返せばいつもと同じ見返りがあり・・・
今以上の変化を望まなければ、自分が予測できる反応が返ってくるからです。

決まった条件、方法、行動・・・
変化がないという事は、新たに適応する必要がないので非常に楽なのです。

「いつも通り」の時、人は安心しているのです。

例えばニートや引きこもり・・・
実際、理由は様々ですが、自身に“嫌悪感”を抱きつつも同時に安心しています。

引きこもれる、ニートで居られる環境に・・・。

自分以外の誰か(家族等)の力があるからこそ・・・
現状での生活環境を、ある意味では謳歌できるわけですね。

「変えたい」という思いと同時に・・・
「このままでもいい」という相反する感情が同居しているのです。

それらの感情が拮抗しているので「何も変わらない」という状況が出来るのです。

これを「感情の打ち消し効果」と言うのですが・・・
両極端のものが交わると、凄くなるのではなくて「虚無」になります。

「変化の無い環境」に身を置き続ければ・・・
同時に「変化に適応できない自分」を造ることに繋がります。

適応できない状態を繰り返すことで・・・
変化しない、したくないという自分が完成するのです。

期間が長ければ長いほどそれは顕著になっていきます。

でも、ありがたいことに人は変われます。
「時間の経過」という変化の波は絶対だからです。

最終的に老化して、死を迎えるという事実だけは・・・
世界一の大金持ちでも、貧乏人でも、私も、そして皆さんも共通しています。

「いつまでもあると思うな親と金」
ではないですが、自分への協力者やサポーターは必ず居なくなるのです。

変化は怖いものではありません。
ですがどんな変化にも痛みは必ず伴います。

心が痛いとき・・・
それは変化の最中であるというプラスの認識をしてみましょう。

「いつも通り」というパターンを変えなければ好意の変化は絶対に訪れません。

また、真逆なことを言うようですが・・・
好調を維持したいのなら、そうなるパターンを持つという事も一方では重要です。

いい意味で捉え、実践すれば「ルーティン」としてまとまるのです。

でも、それは完成している、もしくはその状態に近しい人です。

つまり、自らを客観視出来て・・・
ストロング&ウィークポイントをしっかり把握している人です。

“好意のパターン”を身に付けるための試行錯誤・・・
経験値の獲得、転身、転職、スキルアップ、様々な交流などを行うわけです。

ですが、これだけに走っていると結果として結果が伴わないのです(笑)
「で、何に活かすの?活かそうとしてるの?活かしたの?」っていう・・・。

また、どんなに「想い」を募らせていても・・・
実際の行動が伴わなければ、絶対に結果は付いてきてくれません。

「因果」は絶対なのです。

そして、人は動物です。
動物は動き(循環)を前提に設計されていることを忘れてはいけません。

ストレスケア 40.5 ―漫画“ジャンプ”な話―

2008年04月11日 | 身体、こころ、ストレスケア
10回毎に訪れる.5シリーズ・・・
なんだかんだでこのシリーズ:ストレスケアも、もう40回目を超えたのか~

とりあえず、目指せ100回だな・・・。

ふと考えると・・・
少年ジャンプと言えど、人気漫画のほとんどに「影」が描かれています。

「るろうに剣心」については随分前にお話した通り。
過去の罪への贖いとして“不殺精神”で目に写る人々を守るというスタンス。

今やっている作品だと「BLEACH―ブリーチ―」なんかも典型的です。

自らの「仮面(影)」の力をいかに統制するか・・・
そこに活路を見出し、主人公は強力な力を得ています。

その敵対組織がアランカル(破面)「仮面を破る者達」
て、いうのがまたミソですね。

更に主人公に“仮面の統制”を教えている奴らがヴァイザード「仮面の軍勢」
と、いうのがこれまたミソなんです。

よく考えているなぁ~っと思うのは・・・
やはり「NARUTO」でしょうか?この作品は主人公とライバル達との対比が秀逸

主人公ナルトは完全に陽。ライバルのサスケは陰。

兄に復讐を誓うサスケは・・・
強力な力を手に入れるため自らの影を受け入れ、闇に歩を進めます。

望みを叶えるためなら手段を選ばないという決心で影を受け入れました。

一方、主人公ナルトはそれに納得せず・・・
かつての友を救い出そうと仲間たちと協力し合い、必死で頑張ります。

そして、自らの身体に封印された・・・
「九尾の狐」という影の力を統制しながら力をつけようと修行を積んでいます。

そんな一生懸命でひたむきに頑張る姿が・・・
多くの少年少女たちの心を掴んでいるのでしょうね~。

私も掴まれているのですが(笑)

一昨年くらいからは「陰陽五行論」も取り入れ・・・
敵味方を含め、攻守の“相性”を取り入れることで戦闘に奥行きが出ています。

画力が無いのを上手いことカバーしてますよ。

ちなみにドラゴンボールももちろんそうですが・・・
これを語らせるとシリーズ化してしまいそうなので“敢えて”やめます(^^;)

まぁ、そんな訳で・・・
漫画のキャラクターでさえ影・闇と闘っているのです!!

我々、現実の人間は・・・
当然もっと深い影があり、闇があり、それを抱えて生きています。

影とどう付き合い・・・
自分なりの答えを見つけ「自己一致」を果たせるのか?

昨今の無差別殺人や親殺しなど・・・
よく犯人宅から殺戮系の漫画が出てきたなどと報道がなされますが・・・
そんな描写しかしていないのなら確かに問題ですが、それは極々一部でしょう。

趣味、嗜好、性癖等・・・
「これがあるから」っていう短絡的な結びつけで果たして解決するのでしょうか?

それがどうその子の情動発達に影響しているのか?
コメンテーターの心理学者なる人達は客観的な論理で解説しているのでしょうか?

イメージと印象経験論によるメディア用の仮説ではないでしょうか?

そういう事件が起こるたびに出てくる精神科医や心理学者・・・
正直言って「この人達の問題解決能力は皆無だな」と、思わざるを得ません。

自分が思い悩んでもこの手のセンセイ方には絶対、相談しない(笑)

その前に私みたいなおバカさんタイプは悩まないorz
悩むとすれば・・・お金が無いとか、今月の小遣いのやりくりなどだ!!

さて、仮面の存在に気付き始める思春期にこそ・・・
こういった漫画を読ませて考えさせるのもいいかも知れませんね~?

もしかしたら気付かない内に・・・
そんなヒーロー達に自分を投影させ、自然に浄化させているのかも・・・。

思春期にこそ漫画・・・存分に読ませてあげてママ、パパ~♪

ちなみに中・高生の女子が・・・
同年代の男子に比べて国語力があるのはなんでだか知ってます?

文脈感情やストーリーを重視する少女マンガをよく読むからです。
(※もちろんそれだけではないです;)

漫画って頭のいい人が考え、書いているわけで・・・
「漫画ばっかり読んでっ」ていう人たちよりはるかに頭の良い人達なんですよ!?

その辺りが分かるとそんな台詞は出てこないんですわ~(^▽^)/

よくよく考えてみてください。
現場取材、広範な知識、創出するアイデア、チームでのブレスト・・・
頭脳労働、且つ、シーンを描写するという芸術労働?素晴らしい賢者達ですよ。

あぁ~来週のジャンプが今から待ち遠しいわ~♪

ストレスケア 40 ―姿形役能論 Ⅲ―

2008年04月05日 | 身体、こころ、ストレスケア
―自由と不自由―

更に続けて「手首」と「足首」の話・・・
上肢は上腕骨という1本の骨が、肘を介し撓骨と尺骨という2本の骨になります。
更にその2本の骨は舟状骨・月状骨・三角骨(手首)というブロックに連結します。

1本が2本、そして3個に連結されます。

ちょっと覚えておいてください。

続いて下肢の話・・・
大腿骨という1本の骨が、膝を介して脛骨とヒ骨という2本の骨になります。
更にその2本の骨は距骨(足首)という1つのブロックに連結します。

1本が2本、そして1個に連結されます。

気づいて頂けたと思うのですが・・・
上肢は1が2が3・・・なのですが、下肢は1が2が1・・・になるのです。

これが何なの?ということなのですが・・・
手首のようにブロックの数が多いということは、関節面が多く存在しているということ。

つまり“よく動く”・・・ということなのです。

じゃぁ、動かない足は悪いのか?ということではなくて・・・
関節の「数」を減らしている分、1つの「面」を大きくとって安定させているのです。

つまり“しっかりと定まる”・・・ということなのです。

これが逆だったら、人間は逆立ちでもしながら生活をしていることでしょう(笑)

ブレーキという機能が備わっていない車で・・・
アクセルを目いっぱい踏み込もうという人は居ないですよね?
(※居ては困りますが・・・)

身体も全く同じで、全ての関係が・・・
指示系(“最大限”に動くもの)と支持系(“全力”で補助するもの)
と、いう関係になるように非常に有意義な設計が成されているのです。

進化の過程の真っ最中でもない限り・・・
人間は全ての行為・行動、果ては思考・意識までも形によって支配されています。

ぐでんぐでんでたらったら歩いてる人が・・・
高尚な意識と思考を持っているのか?と、言ったら答えはNOです。

美しく機能的な動作の極み・・・
所作、立ち居振る舞いって根っこの意識からしか生まれません。

悪いヤツがひと目で分かるように(笑)
デキる人間は総じてデキる意識と身体、動きとを身に付けています。

イチローやヒデがデキるヤツらだなんて・・・
彼等のバックボーンを詳しく知らなくても分かるでしょう?ソレです(^^;)

これを人目に分かるまで昇華させるのが大変なんです。
普通の人はファッションとルックスで中身を判断しようとしますから・・・orz

まぁ、でも基本、人を人たらしめているのは・・・
「直立2足」という長軸で行動が出来る「形」によって創られているのです。

不安定な状態を如何に安定的にしようか?
と、いう物理的な抵抗がスイッチとなり、その反応によって動けるのです。
(※やる気・活力などの心理的なものそうです)

これが人間の“ゆらぎ”とか“うつろい”の正体でもあります。

つまり、同じ状態で長期間居られない・・・
安定しているというのは、大小の変化を経ているから安定しているのです。

自分の体調や気力が充実している時の身体の形・・・
そうではない時の身体の形・・・じっくり観察し、感じてみてください。

テーマにあるように自由な動きの影には・・・
不自由さがあり、それは「能動」という生きた動きを形作るためバランスなのです。

一つ一つの「部分」に最大限発揮する役割があり・・・
それは「全身運動(協調)」という名のもとに一つに集約されるわけです。

実際の運動や行動での理想形・・・
個人の運用法の違いなどは、いつか大特集?で書いてみたいと思います。

ストレスケア 39 ―姿形役能論 Ⅱ―

2008年04月03日 | 身体、こころ、ストレスケア
―支持と指示―

さてさて、前回の続きから・・・
では、身体の「形」にはどんな秘密が隠されているのでしょうか?

前回も触れましたが・・・
形があるということは機能、即ち“動き方”が決まっているのです。

例えば肘の関節は・・・
蝶番関節ですから曲がって、元に戻る(屈曲・伸展)という動きしかありません。

これ以上のことをする必要はないし、するときは壊れるときなのです。

そんなの当たり前じゃん
と、前回と同じ展開なのですが・・・では、なぜ当たり前なのか?

そう問われると・・・
パッと解答できる人は少ないのではないでしょうか?

当たり前だから(笑)

当たり前過ぎて考える必要がないからです。
でも、当たり前だからこそ、その理屈を知っている人は強いのです。

例えば肘の場合であれば・・・
最も自由度の高い関節である肩の動きをカバーするために“あの形”なのです。

即ち肩の動きを「支持」し・・・
且つ、肩からの「指示」を安定させるための意味のある形なのです。
(※もちろん肩も“指示”を受けていますが、そのお話は別の機会に・・・)

そのために決まった角度と、単純な構造になるのです。
肘が球体関節だったらモノを投げたりするのに相当苦労するはずです(笑)

自由度の高さを確保するために・・・
誰か(この場合は肘)が、それを伝える役割を担っているのですね。

これは下肢でも同じです。

股関節と膝の関係・・・
股関節を最大限、有効に使うために、膝が支持・抑制系となる。

どちらも自由な指示系統だったら・・・
動きがバラバラで無秩序な動きの展開を余儀なくされてしまいます。

これも膝が球体だったらクネクネとした奇妙な動きになるでしょうね(^^;)

もし、そうであれば・・・
人間の「直立2足」という基本形状は無かったでしょう。

スポットで見れば不自由であっても・・・
全体で大きく見ると「あぁ~」って納得する事は多々あります。

身体機能は正にその「あぁ~」っていう感覚が非常に大切です。

だから全身を協調させて動かねばならないし・・・
調整も症状が部分であっても全身を見ていかないと意味を成さないのですよ。

と、この辺りで次回に続きます。

ストレスケア 38 ―姿形役能論 Ⅰ―

2008年03月30日 | 身体、こころ、ストレスケア
“姿形役能”
「しけいやくのう」と、読みます。

実はコレ、私の造語なのですが・・・
PHATSの哲学であり、私の全ての考えの基本でもあります。

で、簡単に解説をしますと・・・
読んで字のごとく姿・形には既に機能(働き)が備わっているということ。

形にはそれらを存在させる理由と、その役割が決まっているということです。

もう少し平易に言うと・・・
森羅万象すべてのものは、その“形によって支配”されているということです。

更に噛み砕いて一例を挙げてみれば・・・

四角形は円形(球)より安定的です。
接地面積が広く、摩擦係数も高いので、その場に“留まる”ことが出来ます。

でも、円形(球)のように“転がる”ことが出来ません。

逆に円形(球)は四角形のようにどっしり“構える”ことが出来ません。
でも、ほんの少しの傾きやアングルがあれば、転がって“動く”ことが出来ます。

当然、意思が介在しない物体は動きを制御することは出来ません。
でも、我々人間がどんなに手を加えてもこの法則・原則は絶対なのです。

四角形のものを転がるようにするにはどうしたら良いのでしょう?
どんな人が考えても、それは円(球)という形の論理に変えていくしかないのです。

上の話は平面上にどうやって存在するかのお話でした。

だから転がすためには、特殊なモーターと翼を付けるとか・・・
地面の凸凹を計算して、それ自体が出し入れするような特殊な機構が必要になります。

無理やりな感じがしませんか?

そうなんです・・・転がるということに関しては・・・
四角形は絶対に円(球)以上の機能性を得ることが出来ないのです。

なぜなら“形”によって決まっているからです。

そんなの当たり前じゃんな、訳ですが・・・
その当たり前だけにスルーテーマと化してしまうのが実はミソ。

原則だけに思考する必要がないようにと巧妙に設計されているのです。

構造の“自然性”という観点から見ると・・・
形に従い、そこから発生するエネルギーの抵抗値を低いまま使う。

これを極限まで追求したものが言うなれば「究極の動き」でしょう。

なんてことはない・・・
ちょっとした物理のお話なのですが、これを身体に用いて発想すると・・・!?

実は人の「体形」にもそんな規則性があるのです。

ちなみに「体“形”」となっていますが・・・
体型の“型”はタイプの型なので、ここでは形そのものを表す“形”にしてあります。

と、そんなところで今回はここまで・・・次回に続きます。

“日本刀”という道具の素晴らしさ。

2008年03月06日 | 身体、こころ、ストレスケア
先日、非常に良い経験をさせて頂きました。
いわゆるテレビとかで見る畳表を真剣で斬るという単純な体験なのですが・・・。

これが非常に奥深い!!

当然、初めてだったのですが・・・
斬ること事態はどの方向からも簡単に出来てしまってビックリしました。

そして、すぐにピーンと感じました。
日本刀という道具の凄さ、素晴らしさに・・・。

「あぁ、だから心や精神、魂なんだ」・・・と。

素人が振っても難なく斬れる道具としての洗練さ。

物理的に完成された構造を持ち・・・
「斬る」という目的を明確に表現してくれる日本刀。

つまり「技」だけの追求なら・・・
それこそスポーツと同じ感覚ですぐに上達していきそうです。

だからこそ扱う人間の「心」が重要になってくるのだと。
そして心を賭して追求し、はじめて具現化されていくのが「術」なのだと。

素人が生意気を言うのもなんですが・・・
まとめて斬るとか、速く斬るとか、ぶっとい巻藁を斬るとか・・・
それまでは純粋に「凄いなぁ」と思っていたのですが、そうでもなさそうです。

多くのものと同じように単純な「慣れ」と「経験」のようです。

それよりも日本刀という・・・
凄すぎる道具を扱う人間の心の在り方に大変、興味を持ちました。

「武士道」というのは、これだけ凄い道具が・・・
身の元に置かれているからこそのメンタリティなのかもしれません。

今更ながら「心・技・体」という言葉が自分の中で輝きだしました。

この言葉は優先順位として捉えられますが・・・
多くの人はここを間違えて捉えているのだと思います。

心を養うために「肉“体”」、「“技”術」を鍛えても、「心」は養えません。

ですが、心を説きたいのに体・技がなければ実質性がない。
そして、それぞれは相補性の原則に従い、相乗されなければ生きて表現されない。

そして、この3つの均衡の中に刀という道具を介してみると・・・
さらに一つの状態が見えてくるのですが・・・それは秘密と言うことで(^^;)

そんな事を偉そうに言える身分でもないですからね・・・。

取り敢えずもう少し生意気が言えるように・・・
若いうちは稽古に励んで、人より優れた体と技をまずは身に付けたいと思います。

なんだかんだで(笑)

「じゃぁお前は出来んのか?やれんのか?」
「出来るよ、こうだよ」って“見せなきゃ”理解できない人が多い世の中ですから。

もちろん私もそうですが・・・
見たものしか信用できないっていうのは五感で生きる人間の宿命なんですかね?

偏屈にはなりたくないもんさね~・・・

ストレスケア 37

2008年02月25日 | 身体、こころ、ストレスケア
―体育の役割 5―

なんだか長々と続いていますが…
一応、5回目の今日でおしまいにします(^^;)

話が四方八方、私自身が皆さんのストレス?!
前回までの話がよく見えてこないので、今日は簡潔にお話できればと思います。

毎度、お騒がせします(笑)

さて、「体育」体を育むこと…
これは“肉体を強化する”という単純な作業ではありません。

「素直な心身」を涵養することです。

だから、せめてスポーツやらマット運動やらを…
単純にやらせて、その能力の上手、下手で評価するのは止めてほしいもんです。

また、上手下手という範疇ではないもの…
つまり、ストレスケアとか身体のケア法を児童期から教えてあげて欲しいのです。

皆さんもそうだと思いますが…
身体のケアって誰に教わりましたかね?

そう言われると~?って、ほとんどの方が教わっていないはずです。

血が出たら止血するとか…
捻挫をしたら固定するとか…
ぶつけたらアイシングをするとか…
そんな生理的過ぎることではなくて、です。

一日、酷使した身体の疲労や…
偏った使用による凝りや緊張の解除の仕方など、習ってきましたかね?

“そういうこと”こそ体育の時間にいっぱいやって欲しいと思うんです。

また、身体のケアは…
結果として「安全な動かし方」の教育になりますから、
スポーツの質、日常の生活行動の質、学習効果の質、すべての質が変わります。

あとは全身を協調させるような“遊び”を…
先生も混じって適当にやってりゃいいんですよ(笑)

よく漫画やドラマでは…
体育教師は“筋肉バカ”というのが定番ですが

肉体的なイメージで捉えているからこそのキャラ設定なんだと思うのです。
ジャージの上下で竹刀を持って校門に立ってる…しかも毛深い…みたいなね

でも本来、体育の先生は…
どんな教師よりも理知的でセンシティブじゃなきゃダメです!!

それはそれは、数学教師や美術の先生よりも…。

「問題はエレガントに解く!!」
体育教師こそこの感覚を持っていないといけません。

特に児童期の「体育」は…
将来の人生を左右すると言っても過言ではありません。

そんな責任を自分に課して教育という現場に立ちたいですね。

でも、残念!!私は学校教育には携れないので…
体育の先生を目指す若人たちよ!!頑張って改革してね!!

ちゃんちゃん♪

ストレスケア 36

2008年02月22日 | 身体、こころ、ストレスケア
―体育の役割 4―

さて、前回までで…
体育の大まかな役割と機能をお話してきました。

詰まるところ…
「体育」というのは身体にある“センス”を磨くことです。

前回のコラムでお話したように…
『情報を正しく認知できる気づきのよい身体。』
『入力された情報をきちんと処理して、それをまた活かせる身体。』

と、言えます。
つまり「ゼロをゼロとして認識できる身体」ということです。

「ゼロは何もないから感じない…」
「刺激は量(結果)があって初めて認知できるはず…」

そうではないんですね。
「何もない」という状態を通過して刺激の量や重さが生まれてきます。

また人間の反応は…
「何もない」あるいは「何かがない」状態の方が刺激が大きいのです。

例えば「無音の空間」「光の無い暗闇」「無色(白一色)の部屋」…
たぶん、とたんに忙しなくソワソワするはずです。

人間は誤魔化しのきかない世界に放り出されると不安で何も出来なくなるんです。

ほどよい喧騒とアクションがないと自己認識が出来ないのが人間です。

また「嫌な奴」を想像してみてください。
実際に会っているときと当然「嫌の質」が違いますよね?

実質的な反応があるのと無いのとでは同じ「嫌」でも違う感覚になるわけです。
また、想像力が介入すると勝手なストーリーも作れるので余計にムカつくんです。

それはつまり…
刺激量が多すぎてある種のパニックを起こしていると言えます。

細かく言うと…
「かもしれない」「どうしよう」っていう焦りがループしちゃっているんです。

“何かがある”という反応が返ってこないから怖くなるんですね。

つまり、刺激が“大きく膨らむ”・・・
拡散してとっ散らかっちゃったのが「不安」という状態なんです。

通常の反応は集中して“向かって”きます。

例えば…知ってる人は想像してください。
ドラゴンボールに出てくる神様の神殿にある“精神と時の部屋”を…(笑)

あの中でトレーニングして平気な奴らって…
ましてや順番待ちでイラついているべジータはもはや変態の領域でしょう。

ですが、逆に言えば何も無い世界なので集中できるとも言えます。

何も無いからこそ自分と相手とをよく見つめられる。
そこから何をしようか?と目的を見つけられる人は優れた感覚の持ち主でしょう。

ゼロやそれに近いものでも…
実体として捉えて“1つの状態”としてカウント出来るか?ということですね。

つまりゼロという基準があるからこそ…
1を1として正確に把握することが出来るということです。

身体・心・思想など、偏っている人に・・・
「偏っているよ」と言ってもわからないのはニュートラルがないからなんですね。

本人の中では偏ったところから中心をとって3次元を形成してますから。

また、そう指摘する人も偏ってますからね(笑)
人は基本、悲しいかな分かり合えない生き物です(^^;)

それを分かった上で生活をすることがストレスケアの第一歩かもしれません。

分かり合えないからこそ「個」があり・・・
その「個」が「社会」という大きな枠組みを形成しているんですよね。

う~ん、正に「STAND ALONE COMPLEX」ですな。
遠目で見れば人間は皆、等しく同じような事を繰り返しているだけです。

起きて寝て、ご飯を食べて、うんちして、仕事して・・・
趣味、お稽古事、遊びを楽しんで1日、24Hを繰り返し、繰り返し・・・死ぬまで。

個々人でその質が違うだけ・・・。

虚しいようですが・・・
戦争や病と隣り合わせの人たちに比べれば繰り返せるというのは幸運なことです。

(つづく…)