―体育の役割 4―
さて、前回までで…
体育の大まかな役割と機能をお話してきました。
詰まるところ…
「体育」というのは身体にある“センス”を磨くことです。
前回のコラムでお話したように…
『情報を正しく認知できる気づきのよい身体。』
『入力された情報をきちんと処理して、それをまた活かせる身体。』
と、言えます。
つまり「ゼロをゼロとして認識できる身体」ということです。
「ゼロは何もないから感じない…」
「刺激は量(結果)があって初めて認知できるはず…」
そうではないんですね。
「何もない」という状態を通過して刺激の量や重さが生まれてきます。
また人間の反応は…
「何もない」あるいは「何かがない」状態の方が刺激が大きいのです。
例えば「無音の空間」「光の無い暗闇」「無色(白一色)の部屋」…
たぶん、とたんに忙しなくソワソワするはずです。
人間は誤魔化しのきかない世界に放り出されると不安で何も出来なくなるんです。
ほどよい喧騒とアクションがないと自己認識が出来ないのが人間です。
また「嫌な奴」を想像してみてください。
実際に会っているときと当然「嫌の質」が違いますよね?
実質的な反応があるのと無いのとでは同じ「嫌」でも違う感覚になるわけです。
また、想像力が介入すると勝手なストーリーも作れるので余計にムカつくんです。
それはつまり…
刺激量が多すぎてある種のパニックを起こしていると言えます。
細かく言うと…
「かもしれない」「どうしよう」っていう焦りがループしちゃっているんです。
“何かがある”という反応が返ってこないから怖くなるんですね。
つまり、刺激が“大きく膨らむ”・・・
拡散してとっ散らかっちゃったのが「不安」という状態なんです。
通常の反応は集中して“向かって”きます。
例えば…知ってる人は想像してください。
ドラゴンボールに出てくる神様の神殿にある“精神と時の部屋”を…(笑)
あの中でトレーニングして平気な奴らって…
ましてや順番待ちでイラついているべジータはもはや変態の領域でしょう。
ですが、逆に言えば何も無い世界なので集中できるとも言えます。
何も無いからこそ自分と相手とをよく見つめられる。
そこから何をしようか?と目的を見つけられる人は優れた感覚の持ち主でしょう。
ゼロやそれに近いものでも…
実体として捉えて“1つの状態”としてカウント出来るか?ということですね。
つまりゼロという基準があるからこそ…
1を1として正確に把握することが出来るということです。
身体・心・思想など、偏っている人に・・・
「偏っているよ」と言ってもわからないのはニュートラルがないからなんですね。
本人の中では偏ったところから中心をとって3次元を形成してますから。
また、そう指摘する人も偏ってますからね(笑)
人は基本、悲しいかな分かり合えない生き物です(^^;)
それを分かった上で生活をすることがストレスケアの第一歩かもしれません。
分かり合えないからこそ「個」があり・・・
その「個」が「社会」という大きな枠組みを形成しているんですよね。
う~ん、正に「STAND ALONE COMPLEX」ですな。
遠目で見れば人間は皆、等しく同じような事を繰り返しているだけです。
起きて寝て、ご飯を食べて、うんちして、仕事して・・・
趣味、お稽古事、遊びを楽しんで1日、24Hを繰り返し、繰り返し・・・死ぬまで。
個々人でその質が違うだけ・・・。
虚しいようですが・・・
戦争や病と隣り合わせの人たちに比べれば繰り返せるというのは幸運なことです。
(つづく…)
さて、前回までで…
体育の大まかな役割と機能をお話してきました。
詰まるところ…
「体育」というのは身体にある“センス”を磨くことです。
前回のコラムでお話したように…
『情報を正しく認知できる気づきのよい身体。』
『入力された情報をきちんと処理して、それをまた活かせる身体。』
と、言えます。
つまり「ゼロをゼロとして認識できる身体」ということです。
「ゼロは何もないから感じない…」
「刺激は量(結果)があって初めて認知できるはず…」
そうではないんですね。
「何もない」という状態を通過して刺激の量や重さが生まれてきます。
また人間の反応は…
「何もない」あるいは「何かがない」状態の方が刺激が大きいのです。
例えば「無音の空間」「光の無い暗闇」「無色(白一色)の部屋」…
たぶん、とたんに忙しなくソワソワするはずです。
人間は誤魔化しのきかない世界に放り出されると不安で何も出来なくなるんです。
ほどよい喧騒とアクションがないと自己認識が出来ないのが人間です。
また「嫌な奴」を想像してみてください。
実際に会っているときと当然「嫌の質」が違いますよね?
実質的な反応があるのと無いのとでは同じ「嫌」でも違う感覚になるわけです。
また、想像力が介入すると勝手なストーリーも作れるので余計にムカつくんです。
それはつまり…
刺激量が多すぎてある種のパニックを起こしていると言えます。
細かく言うと…
「かもしれない」「どうしよう」っていう焦りがループしちゃっているんです。
“何かがある”という反応が返ってこないから怖くなるんですね。
つまり、刺激が“大きく膨らむ”・・・
拡散してとっ散らかっちゃったのが「不安」という状態なんです。
通常の反応は集中して“向かって”きます。
例えば…知ってる人は想像してください。
ドラゴンボールに出てくる神様の神殿にある“精神と時の部屋”を…(笑)
あの中でトレーニングして平気な奴らって…
ましてや順番待ちでイラついているべジータはもはや変態の領域でしょう。
ですが、逆に言えば何も無い世界なので集中できるとも言えます。
何も無いからこそ自分と相手とをよく見つめられる。
そこから何をしようか?と目的を見つけられる人は優れた感覚の持ち主でしょう。
ゼロやそれに近いものでも…
実体として捉えて“1つの状態”としてカウント出来るか?ということですね。
つまりゼロという基準があるからこそ…
1を1として正確に把握することが出来るということです。
身体・心・思想など、偏っている人に・・・
「偏っているよ」と言ってもわからないのはニュートラルがないからなんですね。
本人の中では偏ったところから中心をとって3次元を形成してますから。
また、そう指摘する人も偏ってますからね(笑)
人は基本、悲しいかな分かり合えない生き物です(^^;)
それを分かった上で生活をすることがストレスケアの第一歩かもしれません。
分かり合えないからこそ「個」があり・・・
その「個」が「社会」という大きな枠組みを形成しているんですよね。
う~ん、正に「STAND ALONE COMPLEX」ですな。
遠目で見れば人間は皆、等しく同じような事を繰り返しているだけです。
起きて寝て、ご飯を食べて、うんちして、仕事して・・・
趣味、お稽古事、遊びを楽しんで1日、24Hを繰り返し、繰り返し・・・死ぬまで。
個々人でその質が違うだけ・・・。
虚しいようですが・・・
戦争や病と隣り合わせの人たちに比べれば繰り返せるというのは幸運なことです。
(つづく…)