―体育の役割 3―
さて、前回…
『相手に伝えたい「知」があるのなら…
感じさせる「体」を作り、そのために誰の目にも写らない「陰徳」を積む。』
と、いうお話までしたかと思います。
今日は本題である「体育」を掘り下げていきましょう。
「体育」という言葉を分解すると…
「脳育」と「姿育」という2つのテーマが見えてきます。
現代人は「脳育」や「姿育」と聞くと…
最近、流行りの「脳トレゲーム」や「キレイな姿勢」と、想像するはずです。
でも、実は単純にそんなことではなくて…
身体の用い方(機能)をどうやって発揮することが最良なのか?
と、いう実社会に向けた非常に実践的な教育のことを指しているのです。
例えばゲームの脳トレをやっている人…
実社会でどんな効果が出ていますか?また、どういった効果が望まれますか?
「楽しい」と言うのはあるでしょう。
しかし、アレは所詮ゲームですから(笑)
脳年齢が若くなっても、思考や発想が“幼稚”なら実益が出るわけがないのです。
当然“若くなった脳”で…
何を考え、何を思い、何を実践したのかという本態の部分が大事なのです。
さて、そこで「脳育」と「姿育」という言葉に戻ります。
もちろん、これも先日お話したように…
お互いが補完し合ってその機能を発揮するわけです。
つまり心身を如何に安定的に保つのか?という一つのテーマが見えてきます。
感じて、動いて、また感じる…
双方向の気付きと循環があって初めて“体が育まれる”わけですね。
結構、スローで繊細な作業なんですよね。
それを繰り返し行うのが「体育」です。
だからスポーツが上手とか下手なんていうのは本来、別の問題なんです。
情報を正しく認知できる気づきのよい身体。
入力された情報をきちんと処理して、それをまた活かせる身体。
それをスポーツとして捉えられるのなら良いのですが…
だとすれば“そうである”という哲学も一緒に教えてあげなければなりません。
また、外面的な姿勢の良し悪しもそうですが…
物事への取り組みやスタンスといった態度も重要ですね。
そして、そうなる身体こそが良い姿勢であり、脳の反応と処理なんです。
だから見た目の悪い姿勢が悪いのは見た目だけであって…
中にはそうでなければ身体を安定させることが出来ない人も居るわけです。
ただし、それには条件があって…
本人の思い込みが排除された上で、その結論が出ているのか?ということです。
そこを素直に感じ取れるのが気付きです。
子供が出す反応を殺すことだけは絶対にやってはいけません。
素直に出せるときに出させてあげないと後で“とんでもない事”が起こります。
そうすると怒り方や誉め方とか、練習のさせ方とか…
そのタイミングや質というのが個々人で明確な違いがあるということですね。
集団教育の難しさはこういったところにもあるんですよね~。
偉そうなことを言っておきながら・・・
自分が出来るか?って言ったら・・・絶対に出来ません(^^;)
でも、理想とか、やりたい事を明確にしておくのは大事ですから・・・。
(つづく・・・)
さて、前回…
『相手に伝えたい「知」があるのなら…
感じさせる「体」を作り、そのために誰の目にも写らない「陰徳」を積む。』
と、いうお話までしたかと思います。
今日は本題である「体育」を掘り下げていきましょう。
「体育」という言葉を分解すると…
「脳育」と「姿育」という2つのテーマが見えてきます。
現代人は「脳育」や「姿育」と聞くと…
最近、流行りの「脳トレゲーム」や「キレイな姿勢」と、想像するはずです。
でも、実は単純にそんなことではなくて…
身体の用い方(機能)をどうやって発揮することが最良なのか?
と、いう実社会に向けた非常に実践的な教育のことを指しているのです。
例えばゲームの脳トレをやっている人…
実社会でどんな効果が出ていますか?また、どういった効果が望まれますか?
「楽しい」と言うのはあるでしょう。
しかし、アレは所詮ゲームですから(笑)
脳年齢が若くなっても、思考や発想が“幼稚”なら実益が出るわけがないのです。
当然“若くなった脳”で…
何を考え、何を思い、何を実践したのかという本態の部分が大事なのです。
さて、そこで「脳育」と「姿育」という言葉に戻ります。
もちろん、これも先日お話したように…
お互いが補完し合ってその機能を発揮するわけです。
つまり心身を如何に安定的に保つのか?という一つのテーマが見えてきます。
感じて、動いて、また感じる…
双方向の気付きと循環があって初めて“体が育まれる”わけですね。
結構、スローで繊細な作業なんですよね。
それを繰り返し行うのが「体育」です。
だからスポーツが上手とか下手なんていうのは本来、別の問題なんです。
情報を正しく認知できる気づきのよい身体。
入力された情報をきちんと処理して、それをまた活かせる身体。
それをスポーツとして捉えられるのなら良いのですが…
だとすれば“そうである”という哲学も一緒に教えてあげなければなりません。
また、外面的な姿勢の良し悪しもそうですが…
物事への取り組みやスタンスといった態度も重要ですね。
そして、そうなる身体こそが良い姿勢であり、脳の反応と処理なんです。
だから見た目の悪い姿勢が悪いのは見た目だけであって…
中にはそうでなければ身体を安定させることが出来ない人も居るわけです。
ただし、それには条件があって…
本人の思い込みが排除された上で、その結論が出ているのか?ということです。
そこを素直に感じ取れるのが気付きです。
子供が出す反応を殺すことだけは絶対にやってはいけません。
素直に出せるときに出させてあげないと後で“とんでもない事”が起こります。
そうすると怒り方や誉め方とか、練習のさせ方とか…
そのタイミングや質というのが個々人で明確な違いがあるということですね。
集団教育の難しさはこういったところにもあるんですよね~。
偉そうなことを言っておきながら・・・
自分が出来るか?って言ったら・・・絶対に出来ません(^^;)
でも、理想とか、やりたい事を明確にしておくのは大事ですから・・・。
(つづく・・・)