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PHATS-VOICE♪

日常の風景、出来事、食、遊び・・・その他モロモロ、ときどき身体。

ストレスケア 35

2008年02月18日 | 身体、こころ、ストレスケア
―体育の役割 3―

さて、前回…
『相手に伝えたい「知」があるのなら…
感じさせる「体」を作り、そのために誰の目にも写らない「陰徳」を積む。』

と、いうお話までしたかと思います。
今日は本題である「体育」を掘り下げていきましょう。

「体育」という言葉を分解すると…
「脳育」と「姿育」という2つのテーマが見えてきます。

現代人は「脳育」や「姿育」と聞くと…
最近、流行りの「脳トレゲーム」や「キレイな姿勢」と、想像するはずです。

でも、実は単純にそんなことではなくて…
身体の用い方(機能)をどうやって発揮することが最良なのか?
と、いう実社会に向けた非常に実践的な教育のことを指しているのです。

例えばゲームの脳トレをやっている人…
実社会でどんな効果が出ていますか?また、どういった効果が望まれますか?

「楽しい」と言うのはあるでしょう。

しかし、アレは所詮ゲームですから(笑)
脳年齢が若くなっても、思考や発想が“幼稚”なら実益が出るわけがないのです。

当然“若くなった脳”で…
何を考え、何を思い、何を実践したのかという本態の部分が大事なのです。

さて、そこで「脳育」と「姿育」という言葉に戻ります。

もちろん、これも先日お話したように…
お互いが補完し合ってその機能を発揮するわけです。

つまり心身を如何に安定的に保つのか?という一つのテーマが見えてきます。

感じて、動いて、また感じる…
双方向の気付きと循環があって初めて“体が育まれる”わけですね。

結構、スローで繊細な作業なんですよね。

それを繰り返し行うのが「体育」です。
だからスポーツが上手とか下手なんていうのは本来、別の問題なんです。

情報を正しく認知できる気づきのよい身体。
入力された情報をきちんと処理して、それをまた活かせる身体。

それをスポーツとして捉えられるのなら良いのですが…
だとすれば“そうである”という哲学も一緒に教えてあげなければなりません。

また、外面的な姿勢の良し悪しもそうですが…
物事への取り組みやスタンスといった態度も重要ですね。

そして、そうなる身体こそが良い姿勢であり、脳の反応と処理なんです。

だから見た目の悪い姿勢が悪いのは見た目だけであって…
中にはそうでなければ身体を安定させることが出来ない人も居るわけです。

ただし、それには条件があって…
本人の思い込みが排除された上で、その結論が出ているのか?ということです。

そこを素直に感じ取れるのが気付きです。

子供が出す反応を殺すことだけは絶対にやってはいけません。
素直に出せるときに出させてあげないと後で“とんでもない事”が起こります。

そうすると怒り方や誉め方とか、練習のさせ方とか…
そのタイミングや質というのが個々人で明確な違いがあるということですね。

集団教育の難しさはこういったところにもあるんですよね~。

偉そうなことを言っておきながら・・・
自分が出来るか?って言ったら・・・絶対に出来ません(^^;)

でも、理想とか、やりたい事を明確にしておくのは大事ですから・・・。

(つづく・・・)

ストレスケア 34

2008年02月09日 | 身体、こころ、ストレスケア
―体育の役割 2―

さて「体育」つまり“体を育む”訳ですが…
体を育むためにはどんな教育が必要でしょうか?

学校では…
「知育・徳育・体育」という標語があります。

でも、これも「知育」に偏りすぎだし…
その知育も「中身に問題がある」と教育現場には危機意識が芽生え始めました。

学校の先生方には「知・徳・体」の…
“相関連動特性”に気づいてもらわねばと思う次第です。

つまり一つは単独で奏功するものではなく…
互いを補完し合って相互に作用、発展するということです。

体も徳もない「知」は単なる「電脳」で実体がないわけです。

例えばネットだけのコミュニケーション・・・
ネットコミュニケーションは厳密にはコミュニケーションとは言いません。

パラ・コミュニケーション・・・つまり副、手前の状態です。

また、一つの要素を特質して使いたいのなら…
他の部分がそれに見合った「実質性」を持っていないとダメなのです。

例えば総合格闘技の大会にキックボクサーが出るとします…
他の選手の分析もせず、何の対策も無く試合に出れば寝かされて終わりです。

ですが自分の特質を活かすため…
相手にキャッチされずに蹴るためには?
相手の攻撃を捌き自分が安定するポジションをキープするためには?

と、試合環境と相手に見合った練習を積み…
少異を捨て、勝つために作戦を建てて試合に臨むわけです。

つまり自分の「得意」は…
環境や対象、場によって出し方が異なるということですよね。

100%を出さなければ通用しない時もあれば…
逆に“100%では通じない場”というものも存在するわけです。

自分が何を伝えたいのかが明確でも…
伝わるか?伝わらないか?は受け取る側の感じるか?感じないか?です。

相手に伝えたい「知」があるのなら…
感じさせる「体」を作り、そのために誰の目にも写らない「陰徳」を積む。

最近、強くそう感じるようになりました。

(つづく…)

ストレスケア 33

2008年02月05日 | 身体、こころ、ストレスケア
―体育の役割 1―

ストレスケアとはちょっとズレるのですが…
今日は学校でも大方、好きな教科であったはず?「体育」に関するお話。

ちなみに私は数学と並び大嫌いでした(笑)
なぜか?両方とも“出来なかったから”です

子供心ってシンプルですよね~・・・。

さてさて、今も昔もですが・・・
体育の時間って本当に子供達のことを考えた有意義な時間なのでしょうか?

昔から思っているのですが…
スポーツの捉えが“肉体的過ぎる”んです。

心身一如と言われるように…
心の働きやストレスケアを考えた「身体」として捉えなければなりません。

そういう感性を小さいときから持っている子供は…
今の体育教育を嫌うので、せっかくの素材を日本は逃しているんです。

変な話、体育が嫌いな子供の方が…
実は“身体センス”は優れているんじゃなかろうか?と、感じるときがあります。

上手にサッカーや野球が出来る子の評価が「5」…
2軍的な惜しい子が「4」参加しているだけの子が「3」休みがちな子が「2」…

こんな評定しかできない学校教育の規定がある限り…
“身体センスが良い子供”なんて到底育たないわけですね。

「2」をもらった子は…
特に才能がないのだなと自覚してしまい、どんどん苦手になっていきます。

“分かっていない大人”の評価で…
如何様にも出来る子供の才能を摘み取る作業が「成績表」ですね…。

これはある意味“罪”ですよね。
「子供の可能性&センス略奪罪」的な・・・。

そうやって子供達を一つの基準でしか見れない…
感性のない先生が、可能性の宝庫である子供達に何を教えようというのでしょう?

大人になった時「そんな評価はどうでもいい」と、思えても…
子供時代は一度きり、ちゃんとリード(良導)してあげたいですよね。

むしろ子供達から学ぼうとする…
そんな視点とスタンスを持つべきだと思います。

人間としてひと通り固まった大人達は…
柔らかで自在な心と身体を持った子供たちをよ~く観察してみましょう。

大抵は「先生」と呼ばれる立場に居る自分が恥ずかしくなるはずです。

無論、私も恥ずかしい!!
ですが、一方でオレが子供のときはこんなことはしなかったゾ!!
っていう、状況もあったり…子供全体の性質が変わってきているのも事実です。

いや、社会全体が変わってきているのでしょうね。

(つづく…)

ストレスケア 32

2008年01月26日 | 身体、こころ、ストレスケア
人は誤りの塊です。

例えば「理解」と言う言葉の中には・・・
一見すると程遠いと思われる“誤解”や“曲解”も含まれます。

でも、それを「正解」と思っているから・・・
様々な問題が起こっているのに当人は気がつかないわけです。

理解したわけでも、つもりでもなく・・・
また、納得したわけでもなくて「誤った解釈」で“分かって”いるんですよね。

ちゃんと分かっているんです。
だからこそ問題が起こっているし、複雑化してしまうんです。

そうやって決め付けや結論がしっかりしている人ほど・・・
決められない事で悩んだり、結論が出ないで不満が噴出するんです。

世の中、不確定のことの方が多いくらいですよね?
思い通りにいかないのが常なのに、決め付けで上手く回るわけがありません。

だからあえて“分からないでいる”というのも一つの手なんですね(笑)

私みたいに・・・(^^;)

“理解する”ということは・・・
物事の本質とその成り立ち、背景までがしっかり分かっているということです。

これが「理を解す」
つまり、結論に至るそのものと、それが出来上がる過程の把握です。

表面上の理論の後ろには、ものすごい情報が隠されています。
これをキャッチ出来るのは、やはり受け取る側のセンスになるのでしょうが・・・。

得てして“成り立ち”の中に本当の意味があるのが「理論」です。

何かの原理を聞かれて・・・
コレコレこうです!!と、スラスラと答えられるのは専門家だけでしょう。

でも、そんな専門家も・・・
ひとたび専門分野外に出れば普通の人と変わらない程度の認識で生活しています。

しかし、その・・・
“そんなに分かっていない”というのがミソでして・・・
誤解も曲解もしていないから当たり前に使いこなせたり、簡単に出来るわけです。

素直に捉えてさえいれば迷わないで済むのです。

・家族内の人間関係
・学校、職場の人間関係
・ご近所同士のコミュニケーション

人間に関わるすべてのストレスの始まりは誤った認識と行き違いで起こります。
(※誤った理解とその固定ということですね・・・)

ストレスケアも・・・
発散という誤った認識が、高ストレス状態を助長するわけです。

誤りや曲がりは解せば修正可能です。
また、一度ちゃんと解さなければ修正は出来ないわけですね。

身体・こころは柔軟に・・・
且つ思考は立体的で広範な視野を確保しておきましょう!!

って、まず自分に言い聞かせろよっ!!

(つづく・・・)

ストレスケア 31

2007年12月21日 | 身体、こころ、ストレスケア
久しぶりの真面目話(^^;)
最近は、くだらない話ばかりで申し分けありません。

いや、そもそも・・・
私なぞに真面目な話など期待していないと思うのですがね(笑)

さぁ、え~っと今日も?改めまして…
ストレスは“解消”するという観点を持ってください。

ほとんどの人が“発散”する事を解消していると錯覚しています。

また指導者が口を揃えて言うもんだから・・・
我々は「発散する」ことしか、ストレスケアを知らなかったのです。

ストレスの性質が「緊縮系」なので発散が正しいように見えるのも事実です。

要はストレスという“締め付け”があって・・・
そこから“解放する気持ちよさ”をストレス解消と思い込んでいるわけですね。

ストレスの反応は単純ですが・・・
ケアは単なるスクイーズ&リリースという関係ではありません。

実感があるものはすべからく抵抗です・・・
ストレスという抵抗に内的抵抗値を高めてぶつかっているのが発散なんですね。

必要量の抵抗は自立する上で絶対に必要です。
しかし反発という抵抗状態をつくれば、容易に必要量をオーバーします。

そんな風に高まった内的抵抗を・・・
「よっしゃー!!」って言いながらストレスに対し押し当てている。

実にトレーニング的過ぎることをやってしまっているわけですね。

でも、ここがミソでして・・・
それでも、それなりに砕けてしまうから実際、気持ちが良いんですよね。

ですが、そんな一連の例え話の間にも・・・
身体の生理反応は新たなストレスに対する準備と処理に大忙しです。

つまり内面は「何も変わっていない」のです。

自分が好きでやっていることだから・・・
思考では納得出来ていても、その実・・・そう思っているだけなのです。

1の利益を求めるのに10の損害を出す思い込みの恐怖!!
ここからの脱却は非常に難しいのですが、絶対にやらねばなりません。

一度、振り切ってしまったテンションは・・・
次から次へと発散という捌け口を求めだし、より強いストレス状態に晒されます。

それが最終的にどこに蓄積されるかといえば・・・
身体(脳幹、内臓、筋機能)に溜められるわけですね。

自律されている機能全てにダメージが波及すると言っても過言ではありません。

それがストレスばかりを抽出して感じるという・・・
非常に悪循環で損な身体を作り上げてしまうことになるのです。

いわゆる「神経質」とか「過敏体」と言われるような状態…。

「何をやっても上手くいかない」という認識は・・・
上手くいかないものだけしか見ていない自分が上手くないんですね。

解消とは「解いて、消す」・・・そして解くには何が必要か?

自己内面を「見つめる事」そして「認める事」です。
つまりストレッサーを分解しながら、自らの認識を変えること。

誤解も理解の一部で思い込みを形成する要因になります。

「自分で思っている事は絶対に合っている!!」
そう言うのならば根拠と実益を示してみせろ・・・と、自分に問いかけてみる。

ほとんどが根拠の無い決定で間違っています(笑)

人は「誤りの塊り」です。
でも、その誤りを見つめ、認めるからこそ新たな道が拓けてくると思うのです。

解消とは「解いて、消す」…
注意したいのはそこに物事の分析や情報の収集はありません。

解かれる感覚はありますが・・・
最終的に“消す”わけですから、意思が介在するような実感はないのです。

ストレスの解消に実感は伴いません・・・
つまり実感があるものでは、永久に解消されないということなのです。

単純なことの難しさや…
シンプルなスキルの本質は、実はこんなところにあると思います。

(つづく・・・)

生活に活かす仏教の智恵

2007年12月12日 | 身体、こころ、ストレスケア
先日、お手伝いしてきました講演会・・・
某大学の社会福祉学科の教授をお招きし、開催させて頂きました。

非常に勉強になりましたので・・・
今日はそんなお話をリポートしていきましょう。

釈迦の教義の根本は「縁起」です。
何を悟ったかといえば因縁・因果というこの世の法則を悟ったわけですね。

ですから僕らがよく言う・・・
「縁起が良い」という言葉は誤用というか、縁起違いをしていると言えます。

縁起とは「因縁生起」の略で「縁って起こる」のです。

「因」は直接の原因
「縁」は間接の原因

だから基本、縁起に良いも悪いもないわけです。

ガリレオやジェームズアレンではないですが・・・
結果には必ず原因があり、原因は直接的・間接的に全てが影響しあって成り立ちます。

しからば目の前の「今」は結果であり・・・
過去の全ての「原(因)」が影響しあって変化をしているということです。

「これ」有⇒「かれ」有
「これ」無⇒「かれ」無
「これ」生ずる⇒「かれ」生じる
「これ」滅する⇒「かれ」滅する・・・と、いう双方向システムで成り立ちます。

これを「相依相関関係」と言います。
お互いが関係しあってひとつの“小さな枠組み”を形成しているわけですね。

例えば身体はそれぞれの役割が明確です。
骨という土台、それを動かす筋肉、支配する脳・神経があってはじめて動きます。

さらに各所で役割を担った内臓や脈管が連携することで生命を保てるわけです。

正に一つの目標に向かい・・・
自分の出来ることを、出来るだけ、確実にこなす。

私はこの秩序が生命の素晴らしさだと思います!!
自分の身体を見習いながら、人間関係・社会でも皆で協調したいものですね。

「我」というのは二人称前提ありきです。
人が居て自分が居る・・・家族・友人・恋人・関わる全ての人に感謝!!

持ちつ、持たれつ、共存しながら生きているのが人間です。

“色”の操演

2007年11月08日 | 身体、こころ、ストレスケア
人間はそれぞれの個性や慣習・・・
出やすい傾向というものがあります。

“傾向がある”ということは・・・
得手不得手、得意なものと苦手なものの両方を内包しているということです。

例えばミーティングや面接など・・・
何か自分から情報を“発信”するときなどはその傾向は顕著に表れます。

また、「そういう性格だから」と言われるように・・・
非常に原始的で、それだけに直接的な反応であるとも言えます。

これは思考や嗜好の居付き・・・
志向にも影響を及ぼすもので、本人の動因や目的意識に深く根付いています。

今日はこれを「色」に例えてお話していきましょう。
(※捉え方はイメージですが、基準になります・・・)

自分がどんな場面でどのような対応をとるのか?
様々な局面を考えて、必要な時の“色み”を考えると物事がスムースに運びます。

黒(ブラック)悲観的:物事のマイナスの側面を考える

黄(イエロー)楽観的:物事のプラスの側面を考える

赤(レッド)主観的:感覚・感情・直感をもとに考える

白(ホワイト)客観的:現実のみを対象に考える

緑(グリーン)創造的:クリエイティブに考える

と、デボノ博士は定義しました。
これは会議を円滑に行うためのトレーニングなのですが・・・
日頃から実践すると中々面白く、見えない自分、いつもの自分がよくわかります。
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・何かにつけて否定する「黒人間」・・・
これは皆様の周りでも、きっとよく見かけるとタイプだと思います。

会議などでは対案が無い限り否定などもってのほか・・・
「井戸端会議なら道でやっていろ、ボケ!!」っと、断罪されます(笑)
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・お気楽モードの「黄人間」・・・
付き合っていて楽しいタイプですが・・・
真面目に付き合い過ぎると結構疲れるかも知れませんね?

「そんなんでいいの?」って、いう・・・。
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・感情で動く「赤人間」・・・
例えると最近の“エリカ様”でしょうか(笑)

これは一番困ったちゃんの類のタイプですね。
気分に依存して物事に取り組まれちゃ~“プロ”とは到底言えないですよね。

まぁ、何れにせよ・・・
あんな態度がとれるほど、お前はメインストリームに立ってはいないっ!!

謝罪しても~・・・生きづらい環境を自ら作っているわけです。
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・係数につよく現実的な「白人間」・・・
私が最も弱く、こういう人に対処しろと言われたら真っ先に白旗(笑)

データや資料を提示されると・・・
反撃の余地な~し!!実現性が限りなく高く、最も正論好きなタイプですね。

でも、のっぺりと“つまらない”タイプでもある。
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・創造的、建設的な「緑人間」・・・
楽しくてエキサイティングですが、どこか夢見がちなきらいもあるタイプ。

「で、どうすんの?」っと突っ込まれること請け合い(笑)
建設的な楽しい話でも、出来なければ「なんにも無い話」になってしまいます。
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と、まぁこのように色んなタイプがあるわけですが・・・
基本的に人はどこかの色に属し、反射的に出やすい反応があります。

それを改善し、思考のスロットをよく回すためのトレーニングなのです。

何か目標を定めたら・・・
色んな観点から見つめてみて、視野と思野を広げよう!!という訳です。

自分が掲げた理屈は時として足枷になることがあります。
時に柔軟に対応するからこそ新しい何かが芽生えたり、変化が起こるのです。

誇示したり、固持することは・・・
変化の無い硬~い“無機物”になりかねません。

思考も生き物です。
脳を活かす観点からみても別タイプを演じるのは非常に面白いですよ(^0^)

ただし、順序には気をつけてくださいね。

黒で終わらせたら、人間関係も終わりです(笑)
楽観的になり、且つ現実を見て、最後には次を創造する。

感情表現は相当に深い関係でだけ出すのが望ましいでしょうね。

だから私みたいに人付き合い(社会的な)を・・・
好き嫌いでやっているのはもう、終わっているんですねorz

先に挙げたお馬鹿さんと同類な自分・・・
でも、最近の若者には多い傾向かもしれません(^^;)

基本的に現代社会って・・・
付き合いづらい人が多いような気がしますね~。

無論、私もその一員(爆)・・・己を鍛えよ!!

ストレスケア 30.5 -番外編 3-

2007年10月26日 | 身体、こころ、ストレスケア
10刻みで訪れる“.5シリーズ”も第三弾です。
なんだか手抜きみたいですが(^^;)今日は“総集編”をお送りします。

今までお話してきた内容を簡潔にまとめてみます。

また過去のお話を自分で読みながら・・・
今の感覚と発想の質が違うものも幾つかありましたので訂正しつつのお届けです。

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●ストレスは発散せずに“解消”する。

口がすっぱくなるほど言い続けている私の主張なのですが・・・
発散という「発して散らす」ような実感が伴うもので、脳は解放されません。

「解いて消す」わけですから・・・
消えている段階で実感すらも一緒に消えていなければ、誤魔化しと同じです。

●成すべく動きのために、在るべく形を調える。

物事の働きの部分・・・
つまり動きや機能を司っているのは主体となる「構造」であるということです。

構造を超える動きは絶対にありませんし、する必要もありません。

だから「やりたい、こうしたい」という・・・
目的が優先されるのではなく、構造に無理の無い範囲で動くことが重要です。

それが身体を“有効”に使っている状態です。

●無理・無駄とは“反自然性”の総称である。

無理は即ち「理」がないこと。
無駄は即ち「利」がないこと。

高望みをしても・・・
資質に“見合って”いなければ成果どころか、足を引っ張ることになります。

自然に“らしく”生きることで最良を発揮しましょう。

●“抵抗”を活かし、また殺す。

生きるために必要な抵抗と・・・
生きるうえで不必要な抵抗とを明確にすることは大変、重要です。

自立するために欲しい抵抗は捉え、無駄なものは抜いていきます。

無駄に出されない力は…
予備の力となって解消され、また新たな力を取り込むことができます。

“抜く”という事は…
結果として力を出すために絶対に必要な準備なのです。

●動物は動き・働きの中でしか癒されない。

読んで字のごとく動物とは「動く、物」生きるとは「動く」ことです。

動物に留まりは許されません。
常に変動しているからこそ、様々な事態に対応できるわけですね。

思考や身体、心が固着したとき・・・
人は動物という動く物から“動かざる物”へと変貌します。

そうなると、動きたいけど動けない・・・
動く物であること自体が、ストレスになってしまうわけです。

ただし、動く“速度”は任意で決定できます。

●最大出力を発揮するために、最大に“ゆるむ”こと

次の瞬間に大きな力が発揮できるのは、今、緩んでいるものだけです。

フレキシブルで居るように心がけ・・・
また、そうあるように願う気持ちは潜在的に蓄えられます。

肩肘張ったしかめっ面は無駄な力の塊です。

●ストレッチやワークは・・・
単に関節の可動域を広げるのではなく、身体機能の可能性を“拓く”もの。


見た目の柔らかさは必要ありません。

欲しい能力は固定されたところから…
如何にして有意な動きを作っていけるのか?という工夫と創造です。

固定されて動けなくなったときに・・・
わずかな間隙を内外を通して見つけられる能力が本当の柔軟性です。

●想い悩みがあるときは、自然の理法を“纏う”こと。

「天地自然の理法に従うものは栄え、逆は滅びる」

易経ではないですが・・・
間違いを犯すのは“人間以外”にないんですね。

ミスリードをしないために・・・
分からないときは「より“自然”にやってみる」という感性を大事にしましょう。

天地自然に間違いはありません。
また“本来の”身体構造と反応にも間違いはありません。

●破壊や損傷は加速的、回復や開発は遅速的である。

壊すのは一瞬で事足ります。
しかし、再生には時間が掛かる上、元通りには絶対になりません。

一度、失うということは・・・
その時間を含めて、永久に失うということです。

しかし、その遅速的な時間進行のおかげで・・・
新たな気づきや発見という好意の副産物が必ずあります。

ここに喜びや楽しみを見出さなければ…
身体的な“老化”や“退化”がそのまま降りかかることになります。

生物学的には老化や退化かもしれません…
でも、それを“変化”として捉えれば心身の成長に繋がるわけです。

●自然物理に“適った”身体と動きを身につける。

これは“原則”といっても良いですね。
自然物理に適応・適合しているからこそ健やかでいられます。

不適合な動作を行い・・・
不適応な考え・想いを抱いているから、間違いが起こるのです。

怪我をした、病気になった、上手くいかない・・・
すべての「否」は自然物理の不適応・不適合からはじまります。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

はい・・・それなりにまとめられました~

次回からはまた本編がスタートします。
と、言ってもこの10項目の言い回しや、中身が変わるだけだと思いますが(笑)

(つづく・・・)

ストレスケア 30 [5R-5]

2007年10月18日 | 身体、こころ、ストレスケア
第5回、今夜のテーマはレジリアンスです。
⑤レジリアンス[Resilience]:社会的な適応性であり、物理的な弾性

これは比較的、最近の新しい言葉です。
(※以前記事にしたのも併せてどうぞ~レジリアンス能力

調べると「弾性」ということで表記されることが多いのですが・・・
イメージ的に物理的過ぎるので私は「適応性(力)」で使っています。

実際、弾性には「エラスティック」とかもありますしね。
(※こっちは完全に物理学的な用語になりますが・・・)

さて、このレジリアンス・・・
能力のことは以前の記事にもありますから省略するとして(^^;)

結局は突きつけられる「現実」に如何に適応できるか?ですよね。

理想を掲げたり、気持ちの良い関係を築こうとしても・・・
現実はそう上手くいってくれませんよね自他、環境共々・・・。

でも、それでいいと思うのです。
いや、むしろそうでなければレジリアンスなどという意識は出てこないはず。

上手くいかないことに対して・・・
どう対処しよう?どう今の自分を適応させよう?という感性が大事です。

生物、特に人間の進化は“レジスタンス”と“レジリアンス”の連続です。

抵抗にに屈せず・・・
適応しているからこそ、それぞれで最良の「姿」が確立されてきました。

人間は抵抗によって生かされています。
重力という支え、支柱があるから“迷わず”立つことができます。

「ストレスケアは立つこと、そして座ること」とした理由はここにあります。

抵抗に対する抵抗状態・・・
即ち「拮抗状態」は動きの妨げと留まり、抑圧や緊張を生み出します。

拮抗ならずして・・・
如何に安定して動き、目的を達成するか?

その簡単なトレーニングが立つこと、そして座ることなのです。

立つ、座るという行動はさして難しいわけではありません。
ですが、その簡単な動作の普遍性を考えると難しくてしょうがありません。

なので「楽~に立つ」という感じでそれぞれ追求してみてください。
「楽~をする」ではないのでご注意ください。

解剖学的な解説を含め・・・
「立つ」ことの詳細はまた別のコラムで書いていきたいと思います。

2つの落第点

2007年10月17日 | 身体、こころ、ストレスケア
1本で「1日分の野菜」のウソ ―35品目が落第―

調査した35品が“落第”・・・だ、そうで。

まぁ、そうだとは思っていたけれど・・・
現実に調べることは出来ないので疑問符だけはありました・・・

う~ん、やっぱりね・・・と、言ったところ。
これはサプリとか他の健康補助食品、製品も当然、同じだと思う。

正しくやっていても・・・
製造過程で少なからず“劣化”や“減少”が起こる。

始めにちゃんとあったとしても・・・
製品として消費者の手に届く時点で“別のモノ”になる。
(※始めからテキトーな悪徳業者は別として・・・)

豆腐や水などの食品だって運んでくるだけで“味”が変わる。

「変質」って身近なところに結構あるもんなんですよね(笑)
(※だからと言って表示と違うのは問題ですが・・・)

そもそも何が一番の“落第”かって言ったら・・・
“代替品”で目安量を満たそうとする・・・そんな消費者の感性が落第だっ

「健康」という言葉に踊らされ・・・
なんの思考も持たずに大量消費する・・・そんな無責任さに元凶がある。

企業は売れればイケイケどんどん。
売れなければ早々に撤退・・・大きな商売ほど、そんなスタンスです。

なんでお肉だけではダメなのか?
なんで野菜をとることがいいことなのか?
雑食こそ“究極の偏食”なんじゃないのか?

と、色んな角度から見つめ、疑問を持ち・・・
自分の考えとその答えをしっかり持たなければいけないと思います。

科学的に正解とか、不正解というのは別のもの・・・
いつか本当の答えが分かったときに、それはそれで修正すればいい。

と、私はそんな風に思う次第です。

などと、偉そうにモノを言う・・・
私こそが一番テキトーなヤツであることは、今更言うまでもありません