「パパさん、もう止めてください」
と言う悲痛な声が私には聞こえる。
何が私をそこまで追い詰めたのか?
社会情勢なのか?
両親の老い、自分の加齢という時間の流れなのか?
インターネットの普及という進歩なのか?
そういう外圧なのか。
自分が障がい者であるという負い目なのか?
心を患っているという事実なのか?
そういう内圧なのか。
私はこれまで、張り詰めた糸を引きちぎるようにして生きてきた。
切れてしまうまで自分を追い詰め、そして切れてしまう。
しかし、また結びなおし、また切れるまで引っ張る。
その繰り返しの人生だった。
今回の心の死は、ただの一本の糸ではなく、
外圧という縦糸と、内圧と言う横糸で編んだ布切れを、
まるで引きちぎるように引き裂いた。
理由がひとつな訳がない。
私は今、生き地獄の中で、泥だらけになり生き恥を晒している。
「もう止めて」という、少年少女達の悲鳴を聞きながら。
私の事はもういい。
マラソンにたとえれば折り返し地点をとうに過ぎ、帰路に向かっている。
しかし少年少女たちは、まだ上り坂だ。
もしかしたら競技場でさえ、出ていないのかもしれない。
私の人生は山の頂上を過ぎた。
あとは、惰性で転がり落ちていけばいい。
しかし、君達は違う。
私の生き方の真似をしては、決してならない。
本来なら、生き恥など晒さずに、何度も名誉を挽回できる時期があった。
DBに来た時だってそうだったんだろう。
しかし、私は嘘に嘘を塗り重ね、英雄になってしまった。
光を、その光が強ければ強いほど、私は輝く。
そして足元には、光が強いほど、濃い影が浮かび上がってしまう。
DBのせいではない。
私自身の落ち度なのだ。
私は今、生き地獄と言う底なしの沼で必死にあげきもがいている。
普通、40にもなれば、泥だらけになろうが、沈んで行こうが、
関係なく、進む道が底なのか、天井なのかは、知らないが
みんな平静に沈むものは沈み、浮かび上がるものは浮かぶ。
私が他の40代と比べて違う点といえば、
それは泥だらけになりながらも、必死にあげき苦しんでいる点だろう。
それが乱反射し、時には美しいスペクトラムのプリズム光線を反射し、
キラキラ光る。
DBに来て、私を慕ってくれた人。
エクサのブログに来て、私のブログを読み続けてくれた人。
みんなは、そのもがき苦しみながら、キラキラ光る光に、
他人とは違う、おおきな子どもの私に、何かを感じたのかもしれない。
そして、その感じてくれたみんなに対し、
私は、死んでしまった心の再生を誓う。
まずは、喜怒哀楽の感情を、自らの手で再生する。
本を読んだり漫画を見たり、アニメを見たりドラマを見たり。
音楽を聴いたりして、壊れた心のかけらを結びつける、
そして新しい別の細胞組織から作る、心の「再生医療」に取り組む。
それが、この世界で生きてゆくためにの「最終楽章」なのだ。
始めにも断っておいたが、これは終わりではない。
心の再生という、誰もが通過しなければ生きてゆけないほど壊れた社会の中で、
生きるために、私が実験台となって、心の再生医療を実践する。