一応、「また愚にもつかないことを」の続き。
これから書こうと思ってるのは、この前よりももっと「愚にもつかない」ことで、ある意味重箱の隅をつつくようなことかもw。
儂、仏さまの勉強をしていて、人間以外の生き物について仏教で言われてることには「うーん?」と思うことがなくもない。もちろん、仏さまにたてつくなんて、そんな恐れ多いことをするつもりは毛頭ないんだけどw、この際なのでちょっと書いてみる。(スミマセンスミマセンスミマセン💦
儂が一番ひっかかっているのは、人間以外の動物が人間よりも下だと思えるようなことが言われていること。
儂、これ、少し、いや、かなり違うんじゃないかと思ってるんだよね。(スミマセンスミマセンスミマセン💦
まず六道の一つである「畜生道」。「畜生道」は「餓鬼道」と「地獄道」を合わせ三悪道とも言われていて、生きてる間に不道徳なことなんかをすると、次は畜生=人間以外の動物に生まれ変わると言われてる。
そこで、六道と言えば「往生要集」らしいので、それにある「畜生道」の記述の一部を見てみる(川崎庸之・秋山虔・土田直鎮約、講談社学術文庫)。
この本によれば、畜生道は人道と同じ世界にあり(つまり今の人間の世界ね)、畜生は34億種類いて(ホント?)、鳥禽類、獣類、虫類の3つに分かれると書いてある。そしてこれらは、強弱あい食んで危害を加え合っていて、しばしの間も安穏無事じゃなくて昼も夜も恐怖におののいていて爪を磨かざるを得ないんだと。
うーん、これって、生き物にとってはまあまあ普通のことじゃね? でも大げさに書きすぎで、多分、「昼も夜も恐怖におののいて」る動物なんていないと思うわw。
さらに、馬、牛、ロバ、ラクダ、ラバなんかは背中に重い物を背負わされて鞭で打たれてただただ水を飲み草を食むことだけを思いとか、ゲジゲジとかイタチとか(なんでゲジゲジとイタチが同列で語られてるのかわからんけどw)は生涯を闇の中で送り死んでいくとか、シラミやノミなんかは人に寄生してはかなく命を閉じるとかとかとか、書いてある。
確かに人間から考えたら、水を飲んで草を食べるだけじゃつまらないと思うし、生涯を闇の中で送るのも辛いし、そりゃあ「はかない」って思うよね。
でも、この動物達からしたら、端からそういう仕様で生まれてその通りに死んでいくわけだから、別に辛いなんて感じてないんじゃないのかな。
要するにこれらって、あくまでも人間を基準に考えた場合の話でしょ。それも、人から動物に生まれ変わった時に、人間の時の記憶が残っているんだったらそう感じるかもしれないけど、いろいろ学んでると、ちょっとそうは思えないんだよね。
そして、人間の死体を喰ってるとか、犬やジャッカルになって地獄から畜生界に抜け出すと他の畜生の遊び道具になるとか、それらの犬やジャッカル達は色黒・斑点・腫物・掻痒・脱毛・虚弱云々だとか、もう散々な書かれ様(法華経上巻、植木雅俊訳、岩波書店)w。
(あ、この記載がこの譬えの目的じゃないことは十分理解してます。スミマセンスミマセンスミマセン💦 )
このように、「往生要集」にしても「法華経」にしても、人間以外の動物はみんな生きるだけで大変で酷い目にあって不幸な一生を送る、みたいな感じで書かれてる。
でも、実際の動物って、そんなに悲惨なもんじゃないし、これらはあくまでも人間を基準にすればそう思えるっていうだけのこと。当の動物達は、そんなことまったく思っても感じてもいないでしょw。
それを、「悪いことしたら人間以外の動物になっちゃうぞ」というのは、あまりにも理不尽な申しよう、と、儂は思うわけ。(ヤメテー
それから、前の記事でもちょっと触れたように、問題なのは人間の知能ではなく、知能から生まれた欲なんじゃないかと思うんだけど、その欲についても、人間以外の動物の欲は際限がないように言われてるように思うんだよね。
でも、実際にはそんなことないんじゃないかなあ。
儂は、あらゆる生き物の中で、人間の欲が一番深くて醜いと思う。人間の欲は、深いどころか、それこそ際限がないでしょ。
よく「三大欲求」と言うけど、これはだいたいどの動物でも同じようにあるんだろう。生きるための最低限必要の欲求だからあって当然。
ただ、やっぱりその程度が問題なんだろうけど、人間以外の動物は、多分、必要な分だけ得られればそれ以上求めることはしない。ケージの中でトカゲの前をコオロギが歩いていても、その時食べる必要がなければ、まったく無視するのを何度も見た。でもこの三大欲でさえ、人間は際限がないんじゃない?
さらに、それ以外の欲、例えば富とか名声とか権力とか、そういうものへの欲っていうのは多分人間にしかない。そしてこれが一番悪さをするように思う。それもどうしようもない悪さをね。
ちょうどこれを書いていたら、こんなニュースが流れた。この事件の真相はまだハッキリしてないし、欲とはまた違うかもしれない。
でも、この類の事件は世界中でそれほど珍しくないし、理由もなく and/or 極めて不条理な理由で無差別に人を殺すなんていうことは、人間以外の動物ではあり得ないんじゃないかなあ。
仏教には、いろんな教え、いろんな戒が山のようにある。でも、それが必要なのは実は人間だけ。動物は念仏を唱えられないとかお経を読めないとか修行ができないとか言うけど、そうじゃなくて、そんなもの端から必要ないんじゃない?
そもそも、人間以外の動物は生死のことなんか意識してないし、まさにその刹那その刹那を、ただ一生懸命に生きてるだけなんだと思う。
やっぱり仏さまの教えを一番実践できてるのは、実は人間以外の動物なんじゃないかと、強く思う。
儂、3年間あの子と暮らしてみて、本当にそれを感じたんだけど、多分、野生でも同じ。いや、むしろ野生の方がもっとそうなのかもしれない。
去年の今日の狛犬さん「あ」、狛犬さん「うん」。(チガウ
こんなのものも見つけた。
ここまで、「人間を基準に考えれば」と何回か書いてきたけど、仏教って、元々お釈迦様が人間の為に生み出された(と言っていいのかな?)ものだから、人間が基準なのは当然。
そしてお釈迦様は、最初からあらゆる生き物の中で人間が一番救いようがないことを見通していたと思う。だからこそ、いろいろな教えや戒めが必要なんだと考えられてたんじゃないのかな。
そして、それをわかりやすく説明するための手段として、人間以外の動物を引き合いに出したのかな。ただ、その当時は今のような生物学なんかなかっただろうから、今読むと「違うな~」ということになってるのかなと思ってる。
確かに今でも、被捕食者としてではなく、一方的に命を奪われたり残酷な目にあうこともあるだろうけど、その加害者って主に人間だよね。でも、それこそ、そういうことしちゃいけないっていうのが仏さまの教えじゃないのかねw。
仏教が生まれて2500年も経ってるんだから、いろんなことが変わって当たり前。だから、それに合わせて少しずつ変わる部分、変える部分があってもってもいいんじゃないかなと思うし、実際、変わってることもあるんだろう。
ならばそこに、人間と人間以外の動物は何も変わらないということを、是非加えていただきたい。あ、むしろ「人間は人間以外の動物を見習え」か、な?w
仏教のプロでもなんでもないただの凡夫の儂が好き勝手なことを書いてしまって、スミマセンスミマセンスミマセン💦。
見当はずれや間違ってることも多々あると思うけど、それを教えていただけるとありがたい。
そしてなにより、仏さまの教えを勉強していて本当に良かったと思うし、それに助けられてることがたくさんあって、感謝しかない。
それと、これは先の記事に貼った方が良かったと思うんだけど、昨日知ったことなのでここに貼っておく。
ワンちゃんを飼ってる人にとっては、当たり前のことなのかなとも思うけど、儂は素直にビックリしたw。
やっぱり動物って、人間が考えてる以上の存在だと思うけどね。
わたし、手塚おさむの「ブッダ」を持ってまして、
ブッダの一生を見るみたいな感覚で
読んでいたのですが、
パパさんのブログを読み出して、また、一巻から
読んでみたりしてます。。
ガッツリ勉強されているパパさんから見たら
弱いんですけど(^_^;)
動物の無垢には、勝てないなぁと
思います。腹減ったときしか狩りはしないし。
無欲なんですよね。
裸一貫で産まれ、裸一貫で死ぬ動物。。
人間は、じいさんになっても、
収賄で捕まるし、、
醜いですよね。。(>_<)
手塚治虫の「ブッダ」をお持ちなんですね!
私は読んだことがないのですが、前から読みたいと思っています。
でも結構長いですよね~。
釈迦って、実はいろいろなことをすべて見通していたんだと思うんです。
そして、悟った本当の内容は、実は誰にも伝えていないと言ってる研究者もいる位なので、もしかしたら今伝わってる仏教は、釈迦の本当の教えではないのかもしれませんね。
少なくとも日本に伝わってる大乗仏教は、いろいろな時代のいろいろな人達の思想や考えが入っていると思いますし、中国仏教の影響もかなりあるんじゃないでしょうかね。
このあたりは、アコさんにうかがいですけどねえ。
>動物の無垢には、勝てないなぁと
>腹減ったときしか狩りはしないし。
>無欲なんですよね。
>裸一貫で産まれ、裸一貫で死ぬ動物
まったくおっしゃる通りです。
食欲だけじゃなくて、性欲についても、人間は慎みがあるけど動物は見境なく交尾するみたいなことを書いてる仏教の本がありますが、これ、まったく嘘ですよ。
もし法律や道徳、宗教なんかの縛りがなければ、多分、人間の方が見境がないと思います。
動物はそんなものがなくても、自然の摂理として見境があるんです。
それどころか、交尾なんかしなくても、単為生殖で子孫を増やせる種だっていますからね。
これなんて、まさに仏さまの教えの通り(;'∀')
とにかく、すべてにわたって生きてくために最低限の欲しか持っていないと思います。
私、今の仏教にはそこを認めて修正してほしいんですよねえ。
色々考えさせられますね〜
あ。sanchaさん、私も手塚治虫のブッダもってますよ!かなり勉強になりますよね。そして面白い!tristanさんブッダはなかなかタメになるかもしれません。ただ、手塚先生の創作ではあるけれど、考えさせられますよ。近かったらお貸ししたいくらいです^^それを見ると動物に対して、そんなに深く追求はしてないような…むしろ、動物ほど凄いものはないって感じがするんだけどなぁ。あと、漫画見ると、仏教は、お釈迦さまの全て…と言いたい所だけれど、教団が作った…とも言えなくないかもです。漫画見ると色んな人の思惑などもあるような。
それから今と2500年前は、かなーり違ってはいますよね。動物だって、昔のインド、カースト制度のあるインドでペットを飼う余裕は無く、とにかく生きる方が優先されるだろうし、インドは特に差別が強いから、そう言う思想も無くなはいのかな。だから、動物は下と言う見方になるのかな。お釈迦さまが言った事が仏教の全てで、やはり変えることは出来なくて、だからこそ、いろんな経典を見てみて、動物だって、赤ちゃんだって口の聞けない人だって、往生するんだと言う見解を、今だからこそそれぞれの先生達が打ち立てられたりするんですが、、、tristanさんの言うように少しは現代風に仏教もなっているのかもしれませんね。
確かに、インドから海を渡って中国にやってきて日本に来た仏教は、その時その時少しづつ変わって日本風の仏教になっていますね。中国に来た時に、儒教とか道教の思想も入ってるだろうし、、因みに3回忌とか7回忌なんてのは、インドには無くて、中国から伝来して来たときに仏教で大切とされている3と7の付く年に法要を営む習慣が生まれたそうですよ〜。
>動物に対して、そんなに深く追求はしてないような…
>むしろ、動物ほど凄いものはないって感じがするんだけどなぁ。
そうなんですね。
私も「ブッダ」読んでみます。
私は、お釈迦様はやはりあらゆる真実を見通していたと思うので、多分、動物の、さらに自然の摂理も完全に理解していたと思います。
もしかしたら、今の生物学のようなことさえもわかっていたのかなとも思っています。
その上で、あの当時のカースト制度なんかを考えると、動物を下に置く方が説明がしやすい、わかりやすかったんじゃないのかなと思っています。
でも、そのあたりのことは釈迦自身ではなく、その後に教団なんかが追加したのかもしれませんね。
私は、多分人間に飼われている動物よりも、野生の動物の方が欲もなにもないだろうなと思ってるんですよねえ。
飼われている子達は、飼い主に媚びることを覚えますし、結構あざといこともしますからねw。
でも、野生の子達はそういったことも一切ないし、ただ一生懸命に生きてるだけ、そしてそれが自然なんだと思うんです。
お釈迦様って、突き詰めて言えば、人間も余計なことは考えずにただ自然に生きなさいと言ってるだけなのかとさえ思うんですけど、ちがいますかね~。
>儒教とか道教
確かにこれの影響は大きいんでしょうね。
ただ、よくわからないのですが、今の仏教界には、これも含めての大乗仏教だという考えと、そういうものをもう少し減らした方が良いんじゃないかという考えの両方があるようにも思うことがあるのですが、そうでもないのでしょうか。
私は、「この世界に絶対のものはない、変わらないものはない」ということこそが、唯一の変わらないことだと思っています。
だから、仏教も少しずつでも変わって然るべきなのかなと思うんですよねー。
アコさん、パパさんは、
「現役」なんですよね。
今の、現代の人間と、仏さまを
見ている。。
だから、考えも、シビアというか、
「だよね!」と、こちらも、うなずけます。
わたしは、「ブッダ」は、持ってますが
アコさんのおっしゃる通り、手塚制作ですし、
時代が古いんです。
Amazonなんかのレビューで
「ブッダ」は、永久保存版で、我が家では
子どもにも、代々、読ませて、、
とか、書いてましたが、
ブッダって、富とか地位とか投げ出したじゃ
ないですか。。
あれを、見本て、するなら、統一教会とか、
私財を手放すのが真理みたいに、学ぶ子どもが
でたら、嫌だなぁと、思いました。
(・・;)
だから、そのためには、今とはどうしても合わないなと感じることがあるわけです。
ただ、仏教って、宗教の中では極めて哲学性が高いですよね。
そもそも、仏教にはいわゆる絶対神は出て来ませんし、海外の研究者の中には、仏教は宗教じゃなくて哲学だと言ってる人もいるらしいですから。
もし、只管信じることが宗教だというなら、私は仏教を宗教としては捉えていないと思います。
でも、例えば、輪廻なんてあり得ないとか、往生なんて嘘とか、そんなことは思っていません。
私には多分できませんが、富とか地位を投げ出して出家するというのは、有りじゃないですかね。
ただ、それを洗脳のような方法を使って、正気に戻ったら無理矢理だったみたいな感じで引き出すのは、統一教会とか、その他諸々カルトだと思いますw。
まあ、親が自分の価値観だけで、何もわからない小さな子供のうちから刷り込むのも、洗脳ですけどねw。
コメント欄なので、この辺りにして、また記事として書きますね(;´∀`)