(5)薬物療法
前回の診察から1週間後、華絵は、悠治に付き添ってもらって病院に行った。メンタルヘルス科が先だった。初診の医師から変わって、少し若い医師が担当してくれた。初診の医師との連携というのか申し送りが上手くいっていないようで、初診と同様の説明をしなければならなかった。華絵があまり口を利かないので、悠治が替わって説明をした。前回は睡眠剤と抗鬱剤をもらって、医師から言われたことは1週間後に様子を聞かせてほしいということだった、と悠治が言うと、
「大病をすれば誰でも鬱になりますよ。1週間くらい服用してその薬が適当かどうかは、決められませんよ」
と今度の医師が言う。
「それじゃ、同じ薬でもう少し様子を見るということになるんでしょうか」
「ええ、そうしましょう」
あまり診察にならない診察だったが、精神科というのはこんなものかと思えば、悠治は気が楽になった。薬を処方してもらって、2週間後に今度は同じ医師の予約を入れた。
午後は、乳腺科のKY医師の診察で、華絵はまた悠治について行ってもらった。
「先生のおっしゃる、抗がん剤とホルモン剤の併用にすることにいたしますわ」
華絵は、やっとのことで言った。
KY医師は、華絵と悠治に抗がん剤の副作用について説明するように、薬剤師を診察室の隣の小部屋に呼びよせた。抗がん剤はTS-1といい、乳がんばかりに使われるわけでなく、というよりも臓器がんによく使われる薬である。TS-1服用の手引には、TS-1の副作用には、白血球減少、貧血(ヘモグロビン減少)、血小板減少、食欲不振 、 吐きけ 、下痢 、口内炎 、色素沈着、発疹 、間質性肺炎 が挙げられている。しびれという項目は出ていなかった。
華絵は、翌日から抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスの服用を開始した。TS--1は、2週間服用して1週間休むという3週間周期とする。まず、最初3週間の様子を見てから、続けるかどうかを決めるという処置にしてもらった。TS-1は朝晩の1日2回、ノルバデックスは朝食後の1日1回である。薬は2種類の他に以前から飲んでいたしびれ対策用の漢方薬牛車腎丸の顆粒を毎食後1日3度服用する。華絵の薬物療法生活が始まった。
抗がん剤の服用は特に抵抗なく受け入れられたが、華絵は鬱から抜け出せなかった。鬱が始まったのは、がんが悪化して手術が必要と診断されたときで、そのときに肺に転移の徴候があるということがショックであった。手術後もまだその観念が払拭されていなかった。手術後のCT検査で、肺やその他腹部の臓器への転移はなかったが、リンパ腺への転移があったことから、今後の転移が心配だから薬物療法を続けると言われたとき、今度はリンパ腺から血液で全身に回っていることに対する心配のために、参ってしまった。メンタルヘルスの医師に処方してもらった抗鬱剤は、三、四度飲んだが効き目がなく、その後は飲まなかった。むしろ乳腺科のKY医師からもらった精神安定剤デパスのほうが気を落ち着けさせるので、以前の残りを時々飲んでいた。
メンタルヘルス科の予約は前回から2週間後で、その日が来たので、華絵はまた悠治に付き添いを頼んで病院に出かけた。メンタルヘルス科の医師は前回診察してくれた医師と同じ人で、饒舌だった。症状により薬をどのように選択するかが精神科の医師の仕事であるようなことを話していた。華絵が、薬を飲みたくないというと、その医師は怒りだして、ここでは薬でしか治療ができないという言い方をした。悠治はやむを得ず、もう少し今の薬を続けさせます、おかしなことを言うなら、入院も考えます、と応じた。悠治には、華絵に家で鬱々とされるのにはもううんざりしていた。メンタルが治るには時間をかけて何とか待つしかないと思っていたが、環境の変化があればよいとも感じていた。華絵には、田舎の実家に行ったらどうかと勧めたことがあるが、華絵は、年老いた母親の面倒を見なければならず、家にいるより忙しく、静養にならないから、田舎に行くのはいやだと拒否していた。華絵の手足のしびれのために、悠治が買い物や炊事をするのが、すっかり日常になっていたので、華絵は元のように動けないと感じていたのだった。入院は、隔離になりますよ、と医師は言う。華絵は何も言わないので、悠治が、一応次回の予約を入れて、退出する。薬局で薬を受けとり、支払いを済ませた。抗がん剤と違って安く、華絵は健康保険の3割負担であるが、3週間分でも2千円に満たなかった。薬はもらったが、華絵は、悠治の勧めで抗鬱剤を3日ほど飲んだあと、あまり効き目がないと止めてしまった。薬なしでなんとかしてみようと思うと、もやもやが少し晴れるような気がしてきた。睡眠剤も飲まずにいても眠れる日が増えた。メンタルヘルス科には、次回は行かなくともいいかなあと思い始めた。
華絵は、抗がん剤TS-1の服用を2週間行ったが、特に副作用を感じなかった。消化器系の障害はなく、食欲も減じることはなかった。手足のしびれは依然として残っているが、TS-1のためにひどくなることはなかった、しびれの薬の効果はほんの少しずつではあるが、効果があるようであった。前回の診察から3週間後、華絵は、乳腺科のKY医師の診察を受けに病院に出かけた。悠治にまたついて行ってもらった。抗鬱剤には頼らないが、まだ、不安から抜け出せない。血液検査の後、その結果が出てから看護師に呼ばれて、診察に入った。華絵と悠治が診察室の入るとすぐに、KY医師は、パソコンの画面を見せて、笑顔で、腫瘍マーカーCEAが大きく下がったことを伝えてくれた。5以下が正常値といわれるがその範囲に入って4.7の値を示していた。前回は7、その前が12という数値であったから、劇的な下がり様である。悠治も思わず感心した。華絵は、どれくらい意味があるものなのかぴんと来ず、よくなったのかと思いはしたが、悠治ほどの感動がなかった。手足のしびれがずっと残っているので、それが取りきれないので病人という思いが続いているのだった。KY医師は、自分が勧めた抗がん剤とホルモン剤の併用の効果があったと思ったのだろう、終始にこにこ顔で対応してくれた。今回は副作用をあまり感じないと、華絵が言うと、KY医師は安心して、抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスを続けることにしましょうと言い、今度は6週間分を処方してくれた。
5月になって、華絵はあのひどい鬱状態から脱したように感じた。どうしてよい方向になったのか自分でもよく分からないが、もう精神安定剤デパスにも頼らなくてすむようになった。明るくなったわね、あなたは笑顔がよいのよ、電話で話す友人から、そんな声を聞いた。5月の2週目にメンタルヘルス科の予約を入れていたが、悠治から行かなくとも大丈夫だろうと言われると、大丈夫よ、と答えられるようになっていた。
6月の初めになって、華絵は、KY医師の指示に従って、1年ぶりに骨のCTを撮ってもらいに病院に行った。9時半に造影剤の注射をうった後、一度家に帰って洗濯と食事して、午後から再び病院に行って撮影をしてもらった。この日悠治は知り合いの葬儀のため朝から家を出たため、華絵は一人で行かざるを得なかった。薬の副作用を特に感じない状態が続いている。けれどもがんが治っているかという認識もない。華絵にすれば、がんが治るという認識は、どんなものかは知らないが、しびれが残っているから、いつまでも病人でいる気持ちなのであった。
それから1週間後、前回の診察から6週間目、華絵はこの日も悠治に付き添ってもらって病院に行き、KY医師から骨のCT撮影の結果を聞いた。KY]医師は、二人にX線の写真を見せて、1年前の状況と同じであると言う。良くはなっていないが、悪くもなっていない、骨のがんが致命的なることはない、臓器転移がないから、今は心配することはない、というのがKY医師の診断であった。
華絵が乳がんを宣告されてからまる2年経った。手術で乳がん部分は切除された。リンパ腺のがん部も切除されたが、リンパ腺転移があったために骨にがんが転移されている。他の臓器には転移がない。今は再発と転移に気を付けるという状態である。一番初めの抗がん剤の副作用による脱毛は完全に戻ったが、第二段階の抗がん剤による、しびれと足の爪の黒ずみはまだ治らないままになっている。転移を抑えるために、術後に抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスを服用している。TS-1は、通常4週間28日連続服用し、次の2週間14日は服用を休むというのを1クールとしているようであるが、華絵の場合、2週間14日連続服用し、1週間7日休むという形を1クールにしている。それが、3クール9週間が終了したところだった。華絵は、がんとの闘いというより、抗がん剤の副作用との闘いを感じている。幸い、抗がん剤TS-1の副作用は出ていないので、あまり抵抗なく服用している。TS-1の副作用がひどいという人もいるようだが、華絵は同時に飲んでいる体力増強の核酸飲料のサプルメントが副作用の抑止になっていると思っていて、このサプルメントが止められなくなっている。
華絵の退院後3カ月経過した。メンタルの方はなんとか回復したようだが、日常生活がまだ元通りになっていない。手術で突っ張った右腕がまだ回復していない。リハビリをあまり一生懸命はやっていないせいもある。抗がん剤の副作用による手足のしびれは2年越しになる。足のしびれのため、遠出ができない。歩きのリハビリもやろうとしてもなかなかそんな気になれない。道路をまっすぐに歩けないで、自転車にぶつかりそうになったこともあった。買い物は近くでも自転車で行く。自転車乗りは全然問題ないから助かっている。手のしびれでは、包丁を上手く使えないことがある。二、三度指先を切ってが、痛みをほとんど感じないくらいであった。
毎日、薬手帳に薬の服用具合の他に、体温と体重を記入している。体温も体重も、特に目立って上下することはない。食欲も問題ない。そんな意味では体調は悪くないということになる。元々早起きは苦手だったが、一層苦手になった。怠惰のせいと悠治に言われるが、一向に改まらない。睡眠は、床に入るのが夜11時すぎで、起きるのが朝8時半だから9時間は十分にとっている。睡眠薬を使うこともなくなった。病院に行く日が、少なくなったので、朝7時過ぎに起きるということはほとんどなくなった。悠治はもう起きて食事も済ませているところに、のこのこ起きていくのが心苦しくもなくなってしまっている。そんな気持ちを持つのであるが、体がどうしても正常な動きをしてくれない。なんとかしなければいけないと思うが、まだ鬱状態を引きずっているかのような力が入らない日が続く。
前回の診察から6週間後、華絵は悠治の付き添いなしで病院に行けるようになった。KY医師も笑顔で、今日はご主人が来ませんね、と言ってくれた。診察の前に行った血液検査の結果が1時間後の診察の時には出ていて、腫瘍マーカーが前回の下がった値のままキープして、正常値を示しているというグラフを見せてもらう。華絵からは特に質問することもなく、次の6週間後の診察には、血液検査がないことと、抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスの服用の継続を言われ、6週間分の薬3種の処方箋をもらって、診察が終了する。
夏が過ぎる頃になった。昨年の秋は球根植えをさぼってしまったから、今年は華絵は好きなフリージアの花を見ず仕舞いであった。君子欄の橙色の花がひと月くらい咲いてくれたのが慰みであった。6週間毎の診察と薬の受取りの5回目は、10月に入ってからになった。華絵は、病院の乳腺科の待合室で診察の順番を待つ間、隣に座った女性と話しをしたときに、その女性からしびれにビタミン12がよいわよと聞かされ、早速診察時にKY医師にビタミン12の薬剤を下さいと頼むと、KY医師はすぐに対応してくれた。メチコバールという錠剤である。しびれには、牛車腎丸の顆粒とビタミン12で対応することになった。この月は血液検査を行って、腫瘍マーカーの値を教えてもらったが、異常なく、正常値を保っていて、華絵はほっとした。
「薬はいつまで飲むのですか」
華絵が尋ねると、KY医師は、
「1年は続けなければならないですね」
「そんなにですか」
「3年、4年、続ける人もいます」
華絵はしようがないという思いを持ったまま、診察室を出た。
しびれは、漢方薬牛車腎丸の顆粒の服用で、悪い方向に行かないにしてもなかなか治る気配がなかった。もう一つの悩みの親指の爪の黒ずみは、灰色になっては来たが、つめが剥がれそうになってきて不安になっている。11月中旬の6週間毎の診察のとき、華絵が靴下を脱いでKY医師に見せて聞いてみると、皆さんこんなものです、時間を待つしかないです、というだけであった。この副作用については、華絵が悠治にインターネットで調べてもらうと、抗がん剤により皮膚の基底細胞の細胞分裂や増殖が障害されたり、皮膚の基底層というところにあるメラニンを生み出す細胞が刺激されてその活動が亢進したり、爪の成長が障害されることにより起こると考えられているという。パクリタキセルの影響という。これを防ぐには、パクリタキセルの点滴中に凍結手袋で手を低温に保つと、手の皮膚や爪へのダメージが顕著に少なくなるという。抗がん剤は血流に乗ってがん細胞に届けばいいので、指には不要である。そこで手足の先の血管を冷やして収縮させ、血流を減らすことで抗がん剤の影響を抑えようというわけであるという。フランスの実験で、まだ一般的ではないようだが、華絵にとってはもう遅すぎた対症療法である。今や、じっと回復を待つしかない。
抗がん剤TS-1の服用は、華絵の場合、3週間を1クールとして、今年一杯で9カ月、13クールが終了することになる。来年の3月までで術後の薬物療法1年になる。それまで、抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスの併用としびれ取りのために漢方薬とビタミン12を服用するということで進むことになる。華絵のがんとの闘いは、転移しないことと、抗がん剤の副作用のしびれが取れることになっている。まだ掲げるには大分早いかもしれないが、それが来年の華絵の夢になる。今年は大分遅くなったが、フリージアの球根を植えて、来年の春には花に慰めてもらいましょう、華絵には少し余裕ができたようだ。
[第2部完]
前回の診察から1週間後、華絵は、悠治に付き添ってもらって病院に行った。メンタルヘルス科が先だった。初診の医師から変わって、少し若い医師が担当してくれた。初診の医師との連携というのか申し送りが上手くいっていないようで、初診と同様の説明をしなければならなかった。華絵があまり口を利かないので、悠治が替わって説明をした。前回は睡眠剤と抗鬱剤をもらって、医師から言われたことは1週間後に様子を聞かせてほしいということだった、と悠治が言うと、
「大病をすれば誰でも鬱になりますよ。1週間くらい服用してその薬が適当かどうかは、決められませんよ」
と今度の医師が言う。
「それじゃ、同じ薬でもう少し様子を見るということになるんでしょうか」
「ええ、そうしましょう」
あまり診察にならない診察だったが、精神科というのはこんなものかと思えば、悠治は気が楽になった。薬を処方してもらって、2週間後に今度は同じ医師の予約を入れた。
午後は、乳腺科のKY医師の診察で、華絵はまた悠治について行ってもらった。
「先生のおっしゃる、抗がん剤とホルモン剤の併用にすることにいたしますわ」
華絵は、やっとのことで言った。
KY医師は、華絵と悠治に抗がん剤の副作用について説明するように、薬剤師を診察室の隣の小部屋に呼びよせた。抗がん剤はTS-1といい、乳がんばかりに使われるわけでなく、というよりも臓器がんによく使われる薬である。TS-1服用の手引には、TS-1の副作用には、白血球減少、貧血(ヘモグロビン減少)、血小板減少、食欲不振 、 吐きけ 、下痢 、口内炎 、色素沈着、発疹 、間質性肺炎 が挙げられている。しびれという項目は出ていなかった。
華絵は、翌日から抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスの服用を開始した。TS--1は、2週間服用して1週間休むという3週間周期とする。まず、最初3週間の様子を見てから、続けるかどうかを決めるという処置にしてもらった。TS-1は朝晩の1日2回、ノルバデックスは朝食後の1日1回である。薬は2種類の他に以前から飲んでいたしびれ対策用の漢方薬牛車腎丸の顆粒を毎食後1日3度服用する。華絵の薬物療法生活が始まった。
抗がん剤の服用は特に抵抗なく受け入れられたが、華絵は鬱から抜け出せなかった。鬱が始まったのは、がんが悪化して手術が必要と診断されたときで、そのときに肺に転移の徴候があるということがショックであった。手術後もまだその観念が払拭されていなかった。手術後のCT検査で、肺やその他腹部の臓器への転移はなかったが、リンパ腺への転移があったことから、今後の転移が心配だから薬物療法を続けると言われたとき、今度はリンパ腺から血液で全身に回っていることに対する心配のために、参ってしまった。メンタルヘルスの医師に処方してもらった抗鬱剤は、三、四度飲んだが効き目がなく、その後は飲まなかった。むしろ乳腺科のKY医師からもらった精神安定剤デパスのほうが気を落ち着けさせるので、以前の残りを時々飲んでいた。
メンタルヘルス科の予約は前回から2週間後で、その日が来たので、華絵はまた悠治に付き添いを頼んで病院に出かけた。メンタルヘルス科の医師は前回診察してくれた医師と同じ人で、饒舌だった。症状により薬をどのように選択するかが精神科の医師の仕事であるようなことを話していた。華絵が、薬を飲みたくないというと、その医師は怒りだして、ここでは薬でしか治療ができないという言い方をした。悠治はやむを得ず、もう少し今の薬を続けさせます、おかしなことを言うなら、入院も考えます、と応じた。悠治には、華絵に家で鬱々とされるのにはもううんざりしていた。メンタルが治るには時間をかけて何とか待つしかないと思っていたが、環境の変化があればよいとも感じていた。華絵には、田舎の実家に行ったらどうかと勧めたことがあるが、華絵は、年老いた母親の面倒を見なければならず、家にいるより忙しく、静養にならないから、田舎に行くのはいやだと拒否していた。華絵の手足のしびれのために、悠治が買い物や炊事をするのが、すっかり日常になっていたので、華絵は元のように動けないと感じていたのだった。入院は、隔離になりますよ、と医師は言う。華絵は何も言わないので、悠治が、一応次回の予約を入れて、退出する。薬局で薬を受けとり、支払いを済ませた。抗がん剤と違って安く、華絵は健康保険の3割負担であるが、3週間分でも2千円に満たなかった。薬はもらったが、華絵は、悠治の勧めで抗鬱剤を3日ほど飲んだあと、あまり効き目がないと止めてしまった。薬なしでなんとかしてみようと思うと、もやもやが少し晴れるような気がしてきた。睡眠剤も飲まずにいても眠れる日が増えた。メンタルヘルス科には、次回は行かなくともいいかなあと思い始めた。
華絵は、抗がん剤TS-1の服用を2週間行ったが、特に副作用を感じなかった。消化器系の障害はなく、食欲も減じることはなかった。手足のしびれは依然として残っているが、TS-1のためにひどくなることはなかった、しびれの薬の効果はほんの少しずつではあるが、効果があるようであった。前回の診察から3週間後、華絵は、乳腺科のKY医師の診察を受けに病院に出かけた。悠治にまたついて行ってもらった。抗鬱剤には頼らないが、まだ、不安から抜け出せない。血液検査の後、その結果が出てから看護師に呼ばれて、診察に入った。華絵と悠治が診察室の入るとすぐに、KY医師は、パソコンの画面を見せて、笑顔で、腫瘍マーカーCEAが大きく下がったことを伝えてくれた。5以下が正常値といわれるがその範囲に入って4.7の値を示していた。前回は7、その前が12という数値であったから、劇的な下がり様である。悠治も思わず感心した。華絵は、どれくらい意味があるものなのかぴんと来ず、よくなったのかと思いはしたが、悠治ほどの感動がなかった。手足のしびれがずっと残っているので、それが取りきれないので病人という思いが続いているのだった。KY医師は、自分が勧めた抗がん剤とホルモン剤の併用の効果があったと思ったのだろう、終始にこにこ顔で対応してくれた。今回は副作用をあまり感じないと、華絵が言うと、KY医師は安心して、抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスを続けることにしましょうと言い、今度は6週間分を処方してくれた。
5月になって、華絵はあのひどい鬱状態から脱したように感じた。どうしてよい方向になったのか自分でもよく分からないが、もう精神安定剤デパスにも頼らなくてすむようになった。明るくなったわね、あなたは笑顔がよいのよ、電話で話す友人から、そんな声を聞いた。5月の2週目にメンタルヘルス科の予約を入れていたが、悠治から行かなくとも大丈夫だろうと言われると、大丈夫よ、と答えられるようになっていた。
6月の初めになって、華絵は、KY医師の指示に従って、1年ぶりに骨のCTを撮ってもらいに病院に行った。9時半に造影剤の注射をうった後、一度家に帰って洗濯と食事して、午後から再び病院に行って撮影をしてもらった。この日悠治は知り合いの葬儀のため朝から家を出たため、華絵は一人で行かざるを得なかった。薬の副作用を特に感じない状態が続いている。けれどもがんが治っているかという認識もない。華絵にすれば、がんが治るという認識は、どんなものかは知らないが、しびれが残っているから、いつまでも病人でいる気持ちなのであった。
それから1週間後、前回の診察から6週間目、華絵はこの日も悠治に付き添ってもらって病院に行き、KY医師から骨のCT撮影の結果を聞いた。KY]医師は、二人にX線の写真を見せて、1年前の状況と同じであると言う。良くはなっていないが、悪くもなっていない、骨のがんが致命的なることはない、臓器転移がないから、今は心配することはない、というのがKY医師の診断であった。
華絵が乳がんを宣告されてからまる2年経った。手術で乳がん部分は切除された。リンパ腺のがん部も切除されたが、リンパ腺転移があったために骨にがんが転移されている。他の臓器には転移がない。今は再発と転移に気を付けるという状態である。一番初めの抗がん剤の副作用による脱毛は完全に戻ったが、第二段階の抗がん剤による、しびれと足の爪の黒ずみはまだ治らないままになっている。転移を抑えるために、術後に抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスを服用している。TS-1は、通常4週間28日連続服用し、次の2週間14日は服用を休むというのを1クールとしているようであるが、華絵の場合、2週間14日連続服用し、1週間7日休むという形を1クールにしている。それが、3クール9週間が終了したところだった。華絵は、がんとの闘いというより、抗がん剤の副作用との闘いを感じている。幸い、抗がん剤TS-1の副作用は出ていないので、あまり抵抗なく服用している。TS-1の副作用がひどいという人もいるようだが、華絵は同時に飲んでいる体力増強の核酸飲料のサプルメントが副作用の抑止になっていると思っていて、このサプルメントが止められなくなっている。
華絵の退院後3カ月経過した。メンタルの方はなんとか回復したようだが、日常生活がまだ元通りになっていない。手術で突っ張った右腕がまだ回復していない。リハビリをあまり一生懸命はやっていないせいもある。抗がん剤の副作用による手足のしびれは2年越しになる。足のしびれのため、遠出ができない。歩きのリハビリもやろうとしてもなかなかそんな気になれない。道路をまっすぐに歩けないで、自転車にぶつかりそうになったこともあった。買い物は近くでも自転車で行く。自転車乗りは全然問題ないから助かっている。手のしびれでは、包丁を上手く使えないことがある。二、三度指先を切ってが、痛みをほとんど感じないくらいであった。
毎日、薬手帳に薬の服用具合の他に、体温と体重を記入している。体温も体重も、特に目立って上下することはない。食欲も問題ない。そんな意味では体調は悪くないということになる。元々早起きは苦手だったが、一層苦手になった。怠惰のせいと悠治に言われるが、一向に改まらない。睡眠は、床に入るのが夜11時すぎで、起きるのが朝8時半だから9時間は十分にとっている。睡眠薬を使うこともなくなった。病院に行く日が、少なくなったので、朝7時過ぎに起きるということはほとんどなくなった。悠治はもう起きて食事も済ませているところに、のこのこ起きていくのが心苦しくもなくなってしまっている。そんな気持ちを持つのであるが、体がどうしても正常な動きをしてくれない。なんとかしなければいけないと思うが、まだ鬱状態を引きずっているかのような力が入らない日が続く。
前回の診察から6週間後、華絵は悠治の付き添いなしで病院に行けるようになった。KY医師も笑顔で、今日はご主人が来ませんね、と言ってくれた。診察の前に行った血液検査の結果が1時間後の診察の時には出ていて、腫瘍マーカーが前回の下がった値のままキープして、正常値を示しているというグラフを見せてもらう。華絵からは特に質問することもなく、次の6週間後の診察には、血液検査がないことと、抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスの服用の継続を言われ、6週間分の薬3種の処方箋をもらって、診察が終了する。
夏が過ぎる頃になった。昨年の秋は球根植えをさぼってしまったから、今年は華絵は好きなフリージアの花を見ず仕舞いであった。君子欄の橙色の花がひと月くらい咲いてくれたのが慰みであった。6週間毎の診察と薬の受取りの5回目は、10月に入ってからになった。華絵は、病院の乳腺科の待合室で診察の順番を待つ間、隣に座った女性と話しをしたときに、その女性からしびれにビタミン12がよいわよと聞かされ、早速診察時にKY医師にビタミン12の薬剤を下さいと頼むと、KY医師はすぐに対応してくれた。メチコバールという錠剤である。しびれには、牛車腎丸の顆粒とビタミン12で対応することになった。この月は血液検査を行って、腫瘍マーカーの値を教えてもらったが、異常なく、正常値を保っていて、華絵はほっとした。
「薬はいつまで飲むのですか」
華絵が尋ねると、KY医師は、
「1年は続けなければならないですね」
「そんなにですか」
「3年、4年、続ける人もいます」
華絵はしようがないという思いを持ったまま、診察室を出た。
しびれは、漢方薬牛車腎丸の顆粒の服用で、悪い方向に行かないにしてもなかなか治る気配がなかった。もう一つの悩みの親指の爪の黒ずみは、灰色になっては来たが、つめが剥がれそうになってきて不安になっている。11月中旬の6週間毎の診察のとき、華絵が靴下を脱いでKY医師に見せて聞いてみると、皆さんこんなものです、時間を待つしかないです、というだけであった。この副作用については、華絵が悠治にインターネットで調べてもらうと、抗がん剤により皮膚の基底細胞の細胞分裂や増殖が障害されたり、皮膚の基底層というところにあるメラニンを生み出す細胞が刺激されてその活動が亢進したり、爪の成長が障害されることにより起こると考えられているという。パクリタキセルの影響という。これを防ぐには、パクリタキセルの点滴中に凍結手袋で手を低温に保つと、手の皮膚や爪へのダメージが顕著に少なくなるという。抗がん剤は血流に乗ってがん細胞に届けばいいので、指には不要である。そこで手足の先の血管を冷やして収縮させ、血流を減らすことで抗がん剤の影響を抑えようというわけであるという。フランスの実験で、まだ一般的ではないようだが、華絵にとってはもう遅すぎた対症療法である。今や、じっと回復を待つしかない。
抗がん剤TS-1の服用は、華絵の場合、3週間を1クールとして、今年一杯で9カ月、13クールが終了することになる。来年の3月までで術後の薬物療法1年になる。それまで、抗がん剤TS-1とホルモン剤ノルバデックスの併用としびれ取りのために漢方薬とビタミン12を服用するということで進むことになる。華絵のがんとの闘いは、転移しないことと、抗がん剤の副作用のしびれが取れることになっている。まだ掲げるには大分早いかもしれないが、それが来年の華絵の夢になる。今年は大分遅くなったが、フリージアの球根を植えて、来年の春には花に慰めてもらいましょう、華絵には少し余裕ができたようだ。
[第2部完]