会社の会議でも、少しえらそうな人であっても、自分に都合が悪いことになると一切発言しなくなり、だんまりを決め込んでしまう人がいる。明らかにその人が関わっているのが分かっていて、その人が少し説明してくれれば、問題を解き明かせるような場合でも、その人はだんまりを続けて自分に当たる風が過ぎ去るのをじっと待つ姿勢を貫いてしまう。終わってしまえばもはや関係ないのだという顔で晴れ晴れといつものように口数も多くなる。周りは呆れてしまうのだが、当事者以外はそれも時が立てば忘れられてしまう。
松岡利勝の自殺は、それである。彼の場合永遠のだんまりになってしまった。なぜ?と誰しもが思っている。自分に都合の悪いことがぞろぞろ出てくるからである。自分にだけかかる火であるのか、もっと奥が深いのか、関係者のみが知ることであろうが、税金を食っているから性質が悪いのである。死者に鞭を打ちべきではない、恥を知った武士としてのはらきりである、などと言う声が出ている。そうであろうか。死んでも詫びになっていないと冷たく突き放してよいのではないか。またもう一方で、彼に死をもたらせた巨悪がいるのではないか、と推測するのは、下衆の勘ぐりであろうか?
松岡利勝の自殺は、それである。彼の場合永遠のだんまりになってしまった。なぜ?と誰しもが思っている。自分に都合の悪いことがぞろぞろ出てくるからである。自分にだけかかる火であるのか、もっと奥が深いのか、関係者のみが知ることであろうが、税金を食っているから性質が悪いのである。死者に鞭を打ちべきではない、恥を知った武士としてのはらきりである、などと言う声が出ている。そうであろうか。死んでも詫びになっていないと冷たく突き放してよいのではないか。またもう一方で、彼に死をもたらせた巨悪がいるのではないか、と推測するのは、下衆の勘ぐりであろうか?