クールな生活

日々の雑感と意見

都合の悪いことにはだんまり

2007-05-29 17:22:57 | 時事問題 社会
会社の会議でも、少しえらそうな人であっても、自分に都合が悪いことになると一切発言しなくなり、だんまりを決め込んでしまう人がいる。明らかにその人が関わっているのが分かっていて、その人が少し説明してくれれば、問題を解き明かせるような場合でも、その人はだんまりを続けて自分に当たる風が過ぎ去るのをじっと待つ姿勢を貫いてしまう。終わってしまえばもはや関係ないのだという顔で晴れ晴れといつものように口数も多くなる。周りは呆れてしまうのだが、当事者以外はそれも時が立てば忘れられてしまう。
松岡利勝の自殺は、それである。彼の場合永遠のだんまりになってしまった。なぜ?と誰しもが思っている。自分に都合の悪いことがぞろぞろ出てくるからである。自分にだけかかる火であるのか、もっと奥が深いのか、関係者のみが知ることであろうが、税金を食っているから性質が悪いのである。死者に鞭を打ちべきではない、恥を知った武士としてのはらきりである、などと言う声が出ている。そうであろうか。死んでも詫びになっていないと冷たく突き放してよいのではないか。またもう一方で、彼に死をもたらせた巨悪がいるのではないか、と推測するのは、下衆の勘ぐりであろうか?
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全日空のトラブルと対応

2007-05-28 08:42:59 | 時事問題 社会
コンピュータ・トラブルが発生しておおわらわの状態をテレビで見た。事故を起こさないということが先ず重要であるが、このような事故は起こりうるものとして事故が起こったときの対応を決めておくことも次いで重要である。多分決めていたのであろうが、対応は良かったとは言えない。コンピュータの回復の手をうつ一方で、コンピュータが駄目なら顧客対応を人力で行なうということ実際進めていたようであり、それは正しい処置と言ってよい。ただ顧客数に比べて処理対応が手間取る結果になっている。コンピュータと同じことをしているからである。人力で行なう場合、コンピュータと同様のことをやろうとしたらスピードの点で負けるにとは知っているはずである。
アメリカの西南部を主として運行している航空会社に、SOUTH WEST社がある。大きな会社ではないが経営的に優良会社であった(最近の事情を良く知らないので過去形になる)。彼らの経営で特徴的であったのは、金のかかるコンピュータシステムを使わないことであった。人力でやるわけである。該当便に乗れる数の切符を発券する。座席の予約は無い。乗機の際乗客は搭乗ゲートに列を作り乗機のカードを渡される。カードは乗機を乗機する順の3つのクラスに分けられている。乗客はそのクラスに従って乗り込むが、座席は決まっていないので、どの席に着いても良い。今回、状況をテレビと新聞で知るだけであったが、全日空もこの人力システムを採用していたらもう少し乗客対応が早かったのではないかと感じた次第。乗客にすれば座席の問題よりも、目的に安全に遅れが少なく到着する方が優先することは理解している。航空会社のサービスとは、シートの良さ、食事の向上があってよいことであるが、それよりも、安全と遅れの無い運行である。特に国内便では早さを買って飛行機を選ぶ人が多いだろう。20年に一度のトラブルかもしれないが、また、20年に一日のトラブルであれば経営的には響かないのかもしれないが、顧客第一の姿勢として、顧客の信頼性という計りがたい要素をも考慮する対応を講じておくべきであると言いたい。
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西安と阿倍仲麻呂

2007-05-27 10:13:23 | 中国の話題
空海と並んで西安で名の知られている昔の日本人に、阿倍仲麻呂がいる。阿部仲麻呂は奈良時代の人で、遣唐使として当事の唐の長安に渡り、難しい科挙の試験を通り官位についている。日本への帰国の際、船が難破して帰れず再び長安に戻り、一時安南(現在ベトナム)の長官になったが、終生長安で過ごした。西安人は阿部仲麻呂の偉業を偲び、高い石碑を建立している。興慶宮公園にその背の高い石碑が立っている。興慶宮公園は唐の玄宗の宮殿のひとつで、新宿御苑を思い浮かべるとよい。広々としており、公園の端の方には遊園地も付属していて、西安人の憩いの公園である。池の周りを巡って玄宗皇帝の舟遊びを思い浮かべることが出来るが、当事の秀才に対して西安人が敬意を表していることに心が和む。
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西安とうどん

2007-05-21 11:28:38 | 中国の話題
西安は米が獲れない。小麦の世界である。主食はご飯か麺か餃子である。ご飯は西安以外のところから運ばれる。流通システムは非常によい。ご飯に餃子という組み合わせは当地の人はやらない。餃子は主食のひとつだから。麺はうまい。ご飯はうまいほうではない。麺がうまい店ではみな主食に麺を食べる。麺には作り方がいろいろある。小麦粉をこねて伸ばして引張ってというのは日本と同じである。拉麺というが、日本のラーメンとはまったく異なる。固まったものを刀で削っていくものをある。どちらも日本のうどんである。汁のあるものもないものもある。汁のないものに肉や野菜、トマトなどでごってりしたものをかけるのもある。皿うどんになる。麺の太さは日本のうどんほど太くない。日本のうどんの半分くらいである。きしめんのように平べったいものもある。まったく切らずに長く太いままにして食べるのもある。
昔、西安に空海(弘法大師)が勉強に来た。青龍寺を造っている。青龍寺は今なお残っていて4月には桜の名所になる。日本の特に讃岐からの訪問客が多い。空海は仏教の勉強のほかに西安の小麦粉を日本に紹介している。小麦をもって行ったのかうどんで持っていったのか餃子で持っていったのかはよく分からないが、日本の讃岐に讃岐うどんがあるのはそれであるといわれる。讃岐うどんの麺のこしというか固さ加減は西安麺に似ている。ただし西安麺には塩分はない。うどんの発祥はどこかについてまだ調べていない。讃岐うどんと西安麺の関係ははじめ知った。
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西安日記070514

2007-05-14 15:07:28 | 中国の話題
昨夜中国の西安に来た。仕事で月に一回来る。成田を午後5時に出発、上海まで3時間、上海で入国審査を受けたあと、国内便で西安へ、2時間20分要す。上海発の飛行機が機械トラブルで送れたため、上海で2時間費やしたので、結局西安着は夜の11時半となった。空港から会社が借りてくれているアパートまで車で1時間。通訳と運転手付きの車でなければ、中国では暮らしにくい。飛行機の遅れに関しては幸い上海から携帯電話で連絡がついたので不要な待ちは回避できたが、日曜日のしかも夜中の運転移はやはり気が引ける。運転手は仕事だからなんでもないとは言ってくれる。時差は日本と1時間。北京と上海は同じくらいの緯度だから同時刻でよいが、西安はもろに西であるから同じ時刻とはいえ、1時間の時差があってもよいくらいの日の出、日の暮れようである。
14日、朝から会社に出かける。西安はもう暑かった。半袖である。四季は一応あるのだが、3月の冬が終わると4月には、木蓮が咲き、桜が咲き、八重桜が咲いて、短い春が終わる。するともう夏である。最高気温は28℃、最適音が13℃という日が4月の後半から始まる。5月の半ばは半袖生活になる。バラの花が咲いている。もっとも大陸性気候であるから夜は気温が下がり、昼と夜の温度差が15度くらいになる。冷房は行っているところもあり、節約でまだ積極的に行っていないところもある。冷房なしでは少し汗ばむ。暑さは5,6,7月と増していき、7月がピーク、8月後半からは夏の終わりで、短い秋が1ヶ月、10月には冬の訪れにはいる。北京は四季があるが、西安には、夏服と冬服でまかなえると悪口を言う人もいる。しかしその冬服たるや、厚手のずぼん下をはなせないスタイルである。5月には流石にずぼん下は不要である。
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ウォーキング

2007-05-12 08:39:43 | Weblog
夜は10~11時に床に就き、朝は4時半~5時半に起きるという生活をしている。朝30~40分家の近くの川沿いの道を散歩する。先日テレビで増田明美さんのウォーキングを見て、自分の散歩はてれてれ歩きと思い知った。増田明美さんに倣って、腕を直角にして、歩幅を身長の半分(これは大変)にして、5分続けてみた。完全に運動である。朝から汗ばむと疲労が残るので差し控えていたが、元気を出して続けてみる。少し張りのある朝になったような気がする。歩き方を一つ変えるだけで気分が変わる自分の単純さにも笑ってしまう。
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お金儲けと教養

2007-05-11 22:22:40 | 時事問題 社会
ライブドア事件、村上ファンド事件の結論が出る段階になっています。お金があれば何でも出来るということに対する警鐘を与えてくれたことでも画期的な事件ととらえてよいと思います。事件の彼らから、お金に関する以外の話題が出てくれば、普通の人になったと思われてよいでしょう。彼らが普通の人である必要は何もありませんが、彼らのお金以外の話題を「教養」といってよいでしょう。お金設けは悪いことではありません。ただし、損得勘定の無い、教養がある世界もひとつの世界であると、そしてそれは古代からの賢人が培ってきたのだという認識を新たにして、お金儲けの世界だけが面白いのだということは無いよ、と皆が思うようになることが、幅の広い世界に住んでいる実感が出ることにつながると思います。
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