クールな生活

日々の雑感と意見

置き忘れの鞄を届けてくれた親切な外人と日本人

2019-05-31 06:15:10 | Weblog
5月の土曜日、高校の同級生の集まりをもった。75才を過ぎたメンバーで9人が昼食を共にすることとなった。場所は上野の東天紅という中華料理の店であった。11時半食事開始で11時15分の集合であった。
大間は地方から前日に来て上野にホテルをとっていた。大間は上野に不案内というので幹事役の戸井がホテルに迎えに行き、二人はタクシーで東天紅に向かった。集合時間にはまだだいぶ早かったので、二人は東天紅のビルのすぐ前の不忍池の公園に入って池の畔のベンチに腰かけて話し合った。大間は暑くなったのか着ていたカーディガンを脱いでベンチに置いたのを戸井は見ていた。
「そろそろ行くか」と二人は立ち上がり、東天紅のビルのエスカレーターで2階に向かった。「上着は持った?」戸井が聞く。「ああ、持った」大間が答える。
ロビーにほぼ全員の8人が集まったのを機に昼食会場に移動した。昼食会場は5階であった。大きな円卓が用意されていた。戸井が席について会費を集めにかかった。大間から思いがけない言葉が出てきた。
「おれは公園のベンチからくるときにバッグを持っていたろうか?」
確か大間は小型のバッグを肩にかけていたが、公園から移動してきたときは戸井も確かめてはいなかった。あれから20分くらいは経っている。ロビーで集まったときに確かめなかったのだろう。
「今ロビーに戻ってみたのだがないので、多分公園のベンチかも」
「何が入っているの?財布は?」
「財布はここにある。カードが入っている」
「大事だね」
「探しに行ってくる」
「じゃあ、おれがついていく」谷地がいっしょに部屋を出た。
東天紅の昼食会場から不忍池が見下ろされる。大間と戸井が腰かけたベンチも少し木の陰になっていたが、黄色い色が見えた。丁度戸井が下を見ていたとき、大間と谷地が歩く姿が目に付いた。二人はベンチの位置を越して先に行った。「ああ、行き過ぎだよ。大間は忘れちゃったのかな」谷地の後の話では、このときの動きは二人が一度ベンチまで行ってみたが鞄がなかったので、警察に届けることにして警察の在処を聞きにホテルに戻り、公園内にある警察に行くところであったようだ。
戸井は携帯電話を取り出して谷地に電話した。ただいま電話に出られません、のメッセージが流れてきた。「大間は携帯を持っているかな。一応かけてみよう」発信音の後、人の声がした。
「大間、行き過ぎているよ」
「・・・・・」
「大間じゃない?」
「外人が鞄を拾って私に手渡してきて、これから警察に届けようとするところです」
「えっ。あなだ誰?鞄を拾った方ですか?」戸井は事情を理解した。
「携帯が鞄の中にあったのですね。それはありがとうございます」
「これから警察に持って行きますが」警察に行くといってもどこにあるのだろうか。
「あなた、今どこにいますか?」
「湯島天神です」湯島天神ならここから近い。
「我々は今、東天紅という中華料理店にいるのです。湯島天神から近いですからタクシーを使って持って来てくれませんか。タクシー代はこちらで出します」
「東天紅という料理屋ですね。分かりました」
「東天紅の入り口で待っています。失礼ですが、お名前は?」
「・・・・・」すごく物分かりのよい人であった。
「ちょっと分担しよう。三浦はこれでタクシー代を払ってあげてくれないか。おれは大間ら二人を捜しに行くよ」三浦と戸井は部屋をあとにして、親切な人に対応しようとする。戸井は携帯メールで谷地に、「あった、戻れ」と打った。
三浦と戸井が東天紅から出て、エスカレーターに乗ろうとしたとき、それらしき人がエスカレーターに乗ってくるところであった。
「電話の方ですか?」
青年であった。いやはやずいぶんと早い。三浦と戸井の二人は2階で青年がエスカレーターで上がってくるのを待った。三浦が「タクシー代です」といってお金を出したが、「歩いてきましたから」といって受け取らない。「いや、お礼です」三浦が、札を青年に掴ませる。戸井は鞄を開けてカードが入っていることを確かめる。
「ありがとうございました。助かります」
青年は何も言わず去った。
三浦は昼食会の部屋に戻る。戸井は大間ら二人を捜そうと公園に向かってきょろきょろしたが、おいそれと見つかるものでない。今度は電話に出るだろうか、かけてみよう。谷地の携帯に電話する。出た、出た。
「あったよ。親切な人に届けてもらったよ」
「えっ、あった!今警察で遺失物届を書いているところ」
「カードもあったからすぐ戻るように。先に始めているね」
クラス会は時間が30分以上も食い込んでしまったので、大間と谷地の戻りを待たず、戸井が昼食会の部屋に戻ると早速始めることになった。乾杯を終わって料理に手を付け始めたとき、二人が参加できた。「よかった、よかった」
こんな親切な人たちがいるんですね。
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36才の電子レンジ

2009-10-15 06:48:46 | Weblog
私と女房は、昭和48年、1973年に結婚した。その際、女房は実家の近くに住んでいる、父親の知人からもらったという、その頃出始めた、電子レンジをもってきた。日立製の出力は400W品である。50Hzしか使えない。片側がやたら重く、上手くバランスを取らないと持てない本体である。太い銅の棒がアース線の先端に付いていてアースを必ず取れという指示があった。洗濯機でも確かにアースを取らなければ危険であるが、太い銅線を見てアースは必須でアースなくしては使えないもの、アースを取れといわれても、マンションの6階が住まいであったので、銅の棒を地中に埋めるアースが取れないとなって、どうしようかとしばし迷っていた。それでも銅の太棒は犠牲にして銅線を水道管にアース線としてつないで、多分水道管が地中に行っているであろうと楽観して使うことにした。使い方はマニュアルではいとも簡単に記述している。しかし効果がよく分からない。それまで料理はガスレンジで行なっていたものをこれにするメリットは何か。コップに水を入れて、チンをしてみると暖まる。こんなものかと思う。無知であった。休日に家の近くの商店街に出かけた際、電子レンジの普及のための販売キャンペーンを電気店の前の路上で行なっていた。女性の販売員がマニュアルに出ていたような料理を披露していたので実際出来ることが分かり、やっと台所の戦力に加わることに相成った。宝の持ち腐れを一ヶ月間したことになる。これが電子レンジとの馴れ初めであった。

以来、ご飯の温め直し、牛乳の暖め、冷蔵庫保存の前日のおかずの温め直し、酒の澗、冷凍魚の解凍と茹で、その他冷凍品の解凍、これらが我が家の電子レンジの利用メニューで、36年間続いている。一度も故障がない。単機能のみで、マグネトロンがしっかりしていれば他に壊れるところがない器具であるせいだろうか、丈夫で長持ちしている。日立の家電にしては珍しく長寿である。一般に工業用製品で30年というのは珍しくない。日立の初の電子レンジは日立の工業製品の技術で、それだから家電の信頼性というよりも工業製品並みの信頼性になっているのではないだろうかと勝手に解釈している。

娘が結婚するということで、家電を一緒に見に行った。そこで見たのは、オーブン電子レンジで、シャープ製のもので、オーブンを蒸気で行なうというものであった。娘が気に入って購入を積極的に考えている。これはよいと、思わず説明員の前で声を出してしまった。新規に買うのなら、シャープ製は人気通り利用範囲が広く、それでよいだろう。ただ、我が家には単純機能しかないとはいえ、頑強な一台があるからとても新規を買う気にはならないし、買う必要性もないなあ、と独り言を言うと、説明員は二台あってもよいですと言う。そうではあろうが、そこまではしない。当分古女房と一緒に、見方を変えて言う人には、古亭主に換えず、36年ものを使い続けることにする。
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カトリックの葬儀ミサ

2009-05-03 10:48:16 | Weblog
大学時代の友人が亡くなった。友人の死は、血液のがんで、3年間抗がん剤との闘いであったと奥さんからの挨拶が告別式にあった。友人の通夜、葬儀ともカトリック教会で行われた。その教会は友人が若い頃からずっと通っていた、自宅近くのカトリック教会である。友人は若いときからカトリック信者で、学生時代にはすでに洗礼を受けていた。友人とは学生時代以降での付き合いがなくなったが、キリストの教えは素晴しいと自分に話してくれたことを覚えている。就職して貯金が出来てからエルサレムへ巡礼に出たほどの信者であった。ただ、奥さんや残された娘さんたちはカトリック信者ではないようであった。

私は通夜には自分の都合があって出れず、葬儀にのみ参列した。カトリック教会の正式な葬儀に参列するのは始めてであった。葬儀次第があり、葬儀はそれに正確に沿って時刻どおり進められた。神父さんと司会者、それに助手というのか、皆それぞれに名称があるのだろうが自分は知らないからそう呼ぶが、三人が進行を司った。参列者は遺族とその親戚の方々および友人、会社関係や近所の一般であったが、その他後の席に教会関係者というのかその教会の信者と思われる人たちがまとまって座っていた。それは、司祭あるいは司会者の問いかけや促しに直ぐ呼応して台詞を呼んだり讃美歌を歌ったりすることから知られた。この人たちがいなければ葬儀が進まないという役割を演じている。

説教で神父さんが話したことで記憶に残っていることがある。人は、というよりもカトリック信者はという方が当るだろう、三度死ぬ、という。一度は、洗礼を受けたとき、二度目は日々の活動の中で自分を殺して他者に譲るとき、そして三度目が実際の肉体的な死である。二度目の死では世の中での摩擦や争いごとが対象になるのであるが、「譲る」精神を皆が持ってくれれば世界はもっとずっと住みやすくなるのだろうが、カトリック信者でもことを起こしている事実にはなんとも答えようがないだろう。戦争による人殺しがあり、神父様でも修道院でセクハラをしている事実が今なおあると聞く。三度目の死では、信ずる者には死のあと復活がある。復活があるから死は何も悲しいものではない、という。
自分には、父と子と聖霊の三位一体の神が今なおよく分からないでいる。信ずる者でなく、心の貧しきものになるのだろうが。

葬儀の最後に「聖体拝領」ということが行われた。名前は聞いたことがあったが実際に見るのは初めてであった。「聖体拝領」はカトリックの洗礼を受けた人のみが受けられる行為で、今度の場合、後の席の教会関係者のみが拝領している。遺族は見守るだけである。パンと水の儀式の後に聖体拝領が行われるのは、カトリックにすれば自然の流れなのであろうが、私にはなぜこの「聖体拝領」という儀式が葬儀の中にあるのかがよく理解できなかった。特に故人は信者であるが遺族は信者でない以上、なんら関与できない儀式の意味は、故人をキリストの元に行かせるという意味合いがあるのだろうが、故人を弔う遺族が信者にお任せになっている気がしてならなかった。
これも信者でない者が言う戯言なのだろう。

思いはさらに馳せて、キリスト教は自分たちと関係のない他人のことは全然考えないといっていた本のことを思い出すに至った。その本では、キリスト教は平和主義では必ずしもないこと、カトリックではないがブッシュの戦争、イスラエルの攻撃、アメリカの日本への原爆投下など殺戮が、キリスト教徒以外の人々を対象にするのをなんらためらわずに行われてきているということを指摘していた。
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阪神が悪いのは岡田監督ではない

2008-10-12 20:22:11 | Weblog
阪神が優勝を逸した大きな原因は星野にある。その元は星野の思い上がりだろう。オリンピックで自分の好き好みで選手を選ぶ、特に阪神の選手の中枢をもっていって、かつ、優勝どころかの成績で終わり、あろうことか新井の骨折まで知らずにペナントレースにまともに復帰させれなかった。プロ野球(に限らないが)は、選手の自己管理であるが、星野に不調や不満をいえなかったということはあったろう。星野は選手の情報を把握し、理解するという管理者としての心をなくしてしまっている。
たしかに岡田の後半の成績が悪く、早い時点であと2勝をと、必死で取ろうとしていなかった馬力のなさを責めることはあって然るべきだろう。しかし、敗北が続いたのは岡田采配が悪かったからでは必ずしもなかったと見てよい。不運も、選手の責任もすべて将の問題なのではあるが、阪神は予想以上の戦いっぷりであったし、今年は巨人の奮起を促すことで日本プロ野球を面白くした功績がある。
星野が阪神の監督に再度なるという噂があるようだが、星野は辞退すべきであろう。ファンは元気をくれる監督を待っている。星野は心身ともに衰えている。言い訳が多いということは自分に自信がなくなっている証拠なのである。星野の再任を許すべきでない。
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クレマチス

2008-04-27 15:55:13 | Weblog
一昨年買ったもので、少しずつ大きくなってきて、鉢を植え替えました。
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君子蘭

2008-04-24 10:18:00 | Weblog
今年も君子蘭が咲きました。鉢植えを買ってきてから、三十年以上になります。
その間、咲かない年もありましたが、このところよく咲いています。
水だけで生きていますから立派です。癒されます。
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聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎

2007-08-30 14:29:46 | Weblog
半藤一利の本に抵抗のある人もいると思う。この人のノモンハン事件は真実でなく、この人の本のお蔭で真実がゆがめられたと述べている人もいた。自分にはどちらが真実かよく分からなかったので、実践における身のおき方と見方の相違を考えていた。

この本は終戦の勅語を発するにいたるときのことをよく書いている。昭和天皇と鈴木貫太郎はどちらも無私になれたひとであると私は見た。著者は小説家だから物語なっているのであろうが、真実としての重みを感ずる。一昨日、ある友人と会い、一献傾けた。彼が最近感銘したと言うこの本を丁度私も2週間ほど前に読んだばかりであったので、同調して、意気投合した次第であった。
今の世の中で、無私の精神たる人が為政者にいれば、日本はもっと内政においても明るさがあり、諸外国にものを明快にいえるだろうと思えてならない。

小泉の独裁もどき、日銀の福井や小泉の後の安倍のごり押し勝ち、果ては朝青龍のごね得、金金金の世界、格差激しい世界の放置、金が無くなれば見知らぬ人を殺してまで奪う貧困な心、皆、無私になることを忘れている。そのように思われてならない。
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スペイン、ポルトガルにスリが多いのは本当ですか?

2007-08-27 14:46:46 | Weblog
10月にスペインとポルトガルに行く旅行計画を作っています。どの案内書を見てもスリの体験談と気を付けようのことばですが、そんなにひどいのでしょうか?

仕事も含め、インドネシア、フィリッピン、中国やメキシコ、東欧などいわゆる後進国にも行きましたが、被害に会ったことがありません。また案内書にも余程でなければ体験談の記載はなかったように記憶しています。
一度、ドイツで手を怪我していたとき、隙をつかれて鞄をもちにげされました。そのときは明らかに自分がうかつにしていたときでしたので、納得するものでした。スペイン、ポルトガルは、あからさまに、複数で取り囲むなどという物騒な事態なようですが。

スリがいたって、それでも魅力があるということなのでしょうが。
案内書を読むたびになぜか、うんざりするような気持ちがしてきています。
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ウォーキング

2007-05-12 08:39:43 | Weblog
夜は10~11時に床に就き、朝は4時半~5時半に起きるという生活をしている。朝30~40分家の近くの川沿いの道を散歩する。先日テレビで増田明美さんのウォーキングを見て、自分の散歩はてれてれ歩きと思い知った。増田明美さんに倣って、腕を直角にして、歩幅を身長の半分(これは大変)にして、5分続けてみた。完全に運動である。朝から汗ばむと疲労が残るので差し控えていたが、元気を出して続けてみる。少し張りのある朝になったような気がする。歩き方を一つ変えるだけで気分が変わる自分の単純さにも笑ってしまう。
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