奥の細道を訪ねて(第14回)~越後高田雁木通りの高橋孫左衛門商店&ガーベラ 2013年9月11日(水)
新潟県上越市南本町3丁目の雁木通りの一角にある高橋孫左衛門商店に立ち寄りました。
この店は、江戸時代の作家十返舎一九著作「諸国道中金の草鞋(かねのわらじ)」に紹介された文化文政時代から続いているとのことで、2階には十返舎一九の絵などが展示されていました。
(上)「十返舎一九と高橋飴屋 上越市 南本町3」という見出しで「にいがた歴史紀行」に掲載された文章は下記の通り。
粟飴と『金の草鞋(わらじ)』 「東海道中膝栗毛」の作者として有名な十返舎一九(じつぺんしゃいっく)は文化11年(1814)、長野善光寺に参詣して高田城下に入り、5日間も滞在した。この間、飴屋高橋孫七・孫八父子のもてなしを受けた。
十返舎一九は、高橋飴屋の繁盛ぶりを道中記『金の草鞋(かねのわらじ)』に粟にて製したる水飴至て上品にて風味よく此所の名物なり 評判は高田の町に年を経て 豊かに住(澄)める水飴の店 と書いている。
高橋家の祖先は越前藩主松平忠直の家臣であったが、主家没落後、松平光長に従って高田城下に移り、菓子屋となった。初代六左衛門は寛永年間(1624~1644)、粟を原料として「粟飴」を製造した。4代孫左衛門は寛政2年(1790)モチ米を原料にして淡黄色透明な水飴を製造することに成功した。その名を全国にとどろかせたが、いぜん粟飴として販売し、今日に至っている。
翁飴は粟飴に寒天を加えて方形に固めたもので、高田藩主榊原(さかきばら)家に献上して「翁飴」の名称を頂戴した。榊原家や加賀の前田家が江戸への土産にしたので高田の名物となった。
笹飴は文化文政のころ(19世紀前半)に、製造販売されたもので、夏目漱石「坊っちゃん」の中で「清が越後の笹飴を笹ぐるみむしゃむしゃ食べている」で有名になった。
ガーベラ(Gerbera) キク科 ガーベラ属 Gerbera jamesonii
南アフリカ原産で非耐寒性。有柄の根出葉を出しロゼット状。花柄は25~40cm、頭花は直径10cm、舌状花は橙色。ただし、現在のガーベラは同属のビリディフォリアG.viridifolia、オーランティアカG.aurantiacaなどとの交雑により、種々の品種が育成されている。
20cm程度の矮性種、80cm程度の高性種、花径は5.5~12cmまで、花形は一重、半八重咲き、丁字咲き、八重咲き、花色は白、緑、黄、桃、紅などにそれぞれの濃淡、覆 輪などがある。組織培養苗が販売されるが、播種する鉢物用品種もある。
切花は花茎が腐敗しやすいが、近年、フロリアントcv.Floriant」やマリアcv.Maria」黄金の輝きcv.Ougonnokagayakiポルカcv.PolkaMスノー・ストームcv.snow Stormなど花もちのよい品種も育成されている。[栽培]冬に加温すれば1年中開花。