こんにちは れいです。
数日前の私の体調不良ですが、
実はブログで復活宣言をした翌日から再び悪くなり現在に至ります。
特に昨日はとても辛く、早朝から30分おきにトイレとお布団の往復でした。
母娘ともに「大変」が重なった1日でした。
6月4日 夜10時ごろ
娘のかかりつけの先生がわざわざ紹介状を届けてくださり
「電話で連絡を取り付けて明日5時半に予約が取れました」とのこと。
一応診察だけの予約だけれど
院長先生に見てもらえれば予約なしでもCTを撮るということがあるそうで
念のため明日の朝ご飯は抜いて薬も飲まさず連れて行ってください、と。
そのとき
・CTには麻酔を使うこと
・娘ちゃんのこの肺の状態で麻酔をかけるのは危険なのでよく相談すること
・骨の検査が必要になったら大変な痛みを伴うこと
その検査で骨折し二度と歩けなくなる可能性があるのでよく相談すること
・決して安くはない料金がかかること
などなどいろいろ説明を受けました。
6月5日 水曜日
朝ご飯抜き、娘お腹がすくのかどこかが痛いのか元気がない
元気がないというかシュンとしている感じで目力がないというわけではない
お水はそこそこ飲んでいるようだ
心拍相変わらず速く、ちょっと辛いのかな…
病院にいく前に自宅の駐車場でトイレをさせる
どちらも普段通りでいい状態
氏神様にごあいさつをしてから病院へ
6月5日 5時32分
院長先生じきじきに名前を呼ばれる
主治医の先生の紹介状を読み、私の生活メモに目を通す
「これ(CD)の中はレントゲンだけかな?」
「そうだと思いますが私は中を見ていないのでよくわかりません」
「わかりました、ちょっと見せてもらいますね」
すぐ隣りで見ている様子。こちらから表情などはわからない
しばらくして戻り、何度もうーんうーんと言ったあと
「これは肺ガンだね…可哀相だけどね…」
意味がわからずキョトンとしてしまう
その後何を言われたのか全く覚えていない
「もう一枚レントゲン撮らせてもらってもいいですか?」
「はい…あ、はいどうぞ」
「ちょ~っと抱っこするぞ~、娘ちゃん鳴くなよ~ …ホイッ」
と言いながらそっと抱き上げ連れて行く先生
別の部屋に移りますので待合室でお待ちくださいといわれる
座ってぼーっとしている。
ガン? …ガンなんだって、娘。
え、なんで?
ガンって何のことだろう?
ぽかんとしてしまって全く現実味がない。
しばらく待つと院長先生に呼ばれ
処置室とは別の部屋に入る
「粟粒性(ぞくりゅうせい)の肺ガンで間違いないです。 …もう99%」
先生の口ぶりは”100%”と言いたげだった。
その後のお話しは短くまとめると
・CTを撮るまでもない(撮ってもいいけどあまり意味がない)
・この肺の状態で麻酔をかけるのは危険なこと(検査中に命を落とす可能性がある)
・ここまでひどい状態だと手術は出来ない(出来る種類のガンではない)
・100を数えるほどもあるガンの中でこの子が何のガンなのか
調べることは出来るけれど自分はそれは勧めない
・食べていても体重が減っていくというのはガンの証拠
主治医の先生に言われたのと同じことを院長先生はおっしゃった。
一つ一つを丁寧に説明してくれた。
そうか…
娘の体重が徐々に緩やかに減っていくのは
ガンだったからなんだ。
頭でそう思ってみたけれどまだぽかんとしている。
それ以外のことでは
まれにだけれど喀血が見られることもあるということ、あと
「咳は出てない?」と聞かれました。
娘はまだ咳は出ていませんが
進行が進めば出てくるということなのでしょう。
そして人間で言う骨粗しょう症の状態に近いので骨折させないように、と。
レントゲンでも腰椎はとてもしっかりしていて濃く写っているのに対し
胸椎の全てが透けているように薄い。
院長先生は
「もっと濃くていいんだよなあ…薄いでしょ?
これはガンが骨に転移してるのか骨粗しょう症なのかどちらもなのか?
転移とみるなら”触られて痛くて鳴く”というのはあるかもしれません。
いづれにしてもここの骨が折れたらもう二度と歩けなくなるから
今後は骨折に充分気をつけてあげて」
とおっしゃいました。
このときに主治医の先生にも全く同じことを言われていたので
ああやっぱり、と思いました。
さまざまな説明を聞いている合間にポツリと
「どうして気付いてやれなかったんだろう…」
と言うとすかさず
「わかんないよ?わかりませんよ。
娘ちゃん9才でもうシニアだからって3ヶ月ごとくらいに肺ガンだけを気にして
何度も何度もレントゲンとって…なんてできないもの。
そりゃあ最初の小さいのは見つかるかもしれないけど
そればっかり気にして検査したり生きたりしてないでしょう?
だって元気なんだからわかんないって。
わからないよそれは」
と気遣ってくださいました。
そして院長先生は
肺ガンで亡くなったご自身の親友お二方のお話しを聞かせてくださったあと
「一番気になってるのは余命ってことだと思うんだけど…
わかりません。
肺ガンはわかんない。
…死ぬまで生きる!」
私がふっ…と笑うと先生も微笑んでこちらを見ました。
「先生、あの…返って良かった。安心しました」
というと頷きながら
「でもね?寿命と生命力は別物だからね?」
という言葉もくださいました。
元気なんでしょう?とお聞きになるので元気ですと答えると
それなら今まで通りでいいんじゃないかと。
食事も替える必要はないし
お散歩の量も変える必要はない。
本当にしんどくなったらもう動かなくなりますから、と。
そして…
「…現実的なことを言うとね。
人間に飼われるようになった犬と言うのは甘えることを覚えたから
少し具合が悪いだけでも食事を摂らないことがあります。
”なんか調子悪いなー”
”おいしいご飯なら食べてもいいかなー”
”そっちの缶詰のほうがいいなー”
なんてね?
本来の犬は絶対そういう事はないんです。
どんなに具合が悪くても食べないという事はないです、必ず食べます。
でも食べない、ということは
自分はもう生きていられないから食べ物はいらない、という意味です。
食事を口にしなくなるという事は
犬からの、最後の、(飼い主への)アプローチです。」
私は頭のどこかで
息子は最後の朝食を食べなかったことを思い出していました。
長い説明が終わり、私と娘は待合室へと戻っていきました。
お会計を待っている間
隣りにかなり高齢のマルチーズとシーズーがいました。
”もう右目が見えないんです”
というシーズーの飼い主さん。
そうなんですか~と答えながら
舌をだらんとたらしたマルチーズちゃんのお尻を拭く飼い主さん…
「息子が12歳、カンタは13歳だったね。
娘ちゃんあの二人には負けたくないでしょう?
意地でも14歳まで生きなさい?(笑)
でも出来ればママと一緒に成人式迎えようね?」
ついこの間までそんなこと言ってたのに。
現実問題としてその願いが叶わないことをぼんやりと考え
最終的に
「私も娘の老後のお世話、したかったな」
「どんなに可愛いおばあちゃんパピヨンになったことだろうか」
ここに思考が行き着いたとき
待合室のベンチで私の膝の上に座りながら
ちょこんと座って前を見ている娘を撫で
撫で
撫で
抱きしめ
抱きしめ
ちょっとだけ涙が出ました。
帰り道かかりつけの病院に行くと
時間外でしたが電気がついていたので
ドアを何度かノックすると先生が出てきてくださって。
病名を告げ、CTを取るまでもないと言われたというと
そっか…と。
「好きなもの食べさせて楽しんだほうがいいよ。
娘ちゃんの好きなことさせてあげようよ。
だってさあ、人生楽しまないともったいないじゃない」
と言いながら少し鼻の頭を赤くした。
「息子ちゃんのときと同じですね~」
と言うと静かに頷いた先生。
帰りがけに
「ねえ先生?私、いつ崩れるんでしょうね?
多分ショックすぎるんだと思うんですけど
な~んともないんですよ。
泣かないし。
泣いてないし笑ってるし。
何かよくわかんないです。 ははっ」
と言って帰ってきました。
娘、昨夜はだいぶ呼吸が速く気をもみました。
軽くケホッケホッと咳をしただけなのに苦しいんじゃないかと思って…
娘はここ数日で一回り小さく、細くなりました。
今日の朝ご飯はしっかり食べたわよ? …5分もかかっちゃったけど。
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