本気で本格復旧を実情に反映された姿勢で臨むのであれば、これほどの遅延や無関心で済むはずがないのだが、未曾有の遅滞ぶりが、この能登の復旧復興にはついて回っている。
これは象徴的であって、「以後に続く震災に日本政府はこれくらいすべからく冷たく当たる」と例示したようなものと、国民は肌感覚に知った。
これはそういう「以後もそうである」を囲っている。
震災時、震災以後に国家規模のセレモニーや催しを並行させていれば、国家は復旧復興を並行させるとしたうえで、全力でリソースと知力を投入しないケースの「前例化」する。官僚は以後に「これに倣う」模範とするだろうし、ここを証左の物言いを以後に展開できる素地を得た。
間違っている。
支払ってきた税金相応の見返りがこれである、と今まざまざと日本人は見ている。そして政治家たちは「それどころではない」を見せ続けている。
置き去り。
放置。
自主努力。
ボランティア募集。
ん?では、国の復興の力はどこに見たらいいんだ?
これが首相の口にしてきたことの成れの果てであるなら、全然足りていない。
さすがに異常に映る。
そして自浄は期待薄である。
憤りは、黙ってこらえていても伝わらない。
太田光「真っ青な顔してブルブル震えてた」ウエストランド河本とタクシー運転手のトラブルに言及
「揉める酒」に駒をすするひとは、払拭が下手さに「忘れるための酒」に走りやすい。
口にした約束が守れる人なら揉める酒には至れない。
知ってるだけで、分かってる次元まで行けるわけじゃ無い。これを機会に出来るかが瀬戸際。
罰せられて治るものでも無い。