凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

赤い鳥「紙風船」

2007年05月17日 | 好きな歌・心に残る歌
 「赤い鳥」というグループの存在を知ったのは、僕はリアルタイムではない。僕が深夜放送を聴き出し、フォークを好きになる頃にはもう赤い鳥は解散していた。活動は、メジャーデビューが1970年(もちろんデビュー以前に前史があるが)、そして74年には終焉を迎える。短い。僕はまだ10歳にもならなかった。
 僕が知るようになるのは、赤い鳥が分裂し、「紙ふうせん」と「ハイ・ファイ・セット」に二つのグループになってからである。ハイ・ファイ・セットは「フィーリング」が大ヒット。同時期に紙ふうせんは「冬が来る前に」でブレイク。その頃が、僕がフォークが好きになる頃と重なる。

  坂の細い道を夏の雨に打たれ 言葉探し続けて別れた二人

 イントロからしてたまらない。僕はやっぱり紙ふうせんに惹かれた。その叙情性。いい曲だなぁと。もちろんハイファイセットも、デビューの「卒業写真」以降、「冷たい雨」など荒井由美路線であったわけなのだが、なんと言うかお洒落すぎて。アレンジのせいもあるとは思うけれども、両者の方向性があまりにも違いすぎて、もともと同じグループであったとはちょっと信じられなかった。後で考えれば、だから「解散」ということになったのだろうけれども。
 
 赤い鳥が活動していた頃は知らなかったけれども、その楽曲は子供だった僕でも知っていた。もちろん「翼をください」と「竹田の子守唄」のことである。

  今 私の願い事が叶うならば 翼が欲しい

 この曲は教科書にも載り合唱コンクールの定番でもあり、また何度もカバーされ近年ではサッカーの応援歌ともなった。綺麗な曲であり、カラオケでもよく耳にする。
 「竹田の子守唄」も教科書に載っていた時期があった。僕は漠然と「京都の民謡」ととらえていて、京都生まれの僕は、ああ伏見の竹田のへんで伝わっていた曲か、という認識だった。民謡にしてはいい曲だな。そういう印象で、覚えたてのギターでよく弾いたものだ。
 僕はこの曲をラジオからエアチェックして所持していたという記憶があるのだが、後年この曲が「放送自粛歌」であったことを知り、その記憶も怪しくなってしまった。もう当時のカセットなど散逸して手元にない。

  はよも行きたや この在所こえて 向こうに見えるは 親の家

 この「在所」が引っかかったということらしいが、詳細を書き出すとえらく長くなる。詳しくは森達也氏の「放送禁止歌」をお読みいただきたい。

 赤い鳥のことは、もう僕の年代の人間からすれば活動時期が昔過ぎて、音源を辿ることは出来てもそのグループがどうして成立したのか、とかそういうことはもう全然分からない。なので疑問点がいくつもある。
 僕が後に、いろいろなところで聞いたり読んだりして知っていることは、そもそもこのグループの発祥はリーダーでもある後藤悦治郎さんが、高校の同級生であった平山泰代さんらと始めたフォークグループが母体となっているらしい、ということである。そして、デビューの際に女性のツインボーカルを望んだ後藤さんが、新居潤子さん(現姓:山本)をメンバーに加えたということらしい。
 それでよくわからないのが、当時新居潤子さんは谷村新司さんのグループに居た(つまり後藤さんが谷村さんのところから引き抜いた)、という話なのである。
 赤い鳥が結成されたのは1969年だと言われている。ということはそれ以前のそんな遠くない頃、谷村さんと新居さんが一緒のグループに居た、ということになるが、確かチンペイさんはもう高校生の頃からロック・キャンディーズを結成していたはず。アリスは1971年からだからまだ先。ということは、新居さんはロッキャンに参加していたことがあったのだろうか。
 僕はよくわからなくなってとりあえず検索してみた。
 ひとつ手がかりを見つけた。ここの掲示板の75番目の書き込み。申し訳ないが引用させていただく。
結成は、尼崎市の武庫之荘にある“赤い屋根の家”に於いて'67年に始まる
後藤が主催の定期ライヴがきっかけ。 ここに後藤と平山、ヒルビリー・シンガーズ在籍の谷村新司(→ロック・キャンディーズ→アリス)、ワインズの山本俊彦、中川イサト(→五つの赤い風船)、梅垣達志、 金延幸子…などが出演。次第に交流が深まっていく。後藤がヒルビリー・シンガーズにいた新居潤子を引き抜き、これに平山、山本が参加。ベースに松田幸一を置き、これが赤い鳥の前身。 '69年6月にK.G.Q在籍の大川茂が会社員を辞め参加。 正式に『赤い鳥』結成。
 あれ、松田幸一さんって確かロッキャンに参加されていたな。しかし「ヒルビリー・シンガーズ」というのは全然知らなかった。でもロッキャンって1965年結成じゃなかったか。チンペイさんはグループを掛け持ちしていたのか? いやホント、分からないことが多すぎる。もっと早く産まれていたかった。
 結局よくわからないのだが、上記引用にもあるように山本俊彦さん、大川茂さんが加わって赤い鳥が結成される。
 (※この件については、後に山本潤子さんのTV出演時のインタビューで詳細が分かった。チンペイさんはロッキャン在籍中、メンバーの大学進学等の都合で活動が思うようにいかない時期に別働隊として、新居潤子らと5名程度でヒルビリーシンガーズを結成。わずか三ヶ月で活動停止したとのこと。赤い鳥結成が解散理由だったかどうかまでは分からない。ちなみに結成のきっかけは新居潤子さんをチンペイさんが心斎橋でナンパしたことからとか 笑 2008/2記)

 今、赤い鳥を聴くと、そのベクトルがどこに向かっていたのかよくわからなくなる時もある。こんなことを書くと生意気で「お前は何も分かっていない」と言われそうだが。音楽性はとにかく高い。ハーモニーが美しい。だが、関西のグループであるはずなのに独特の泥臭さはない。実に洗練されている。
 いや、関西らしいところもあるような気もする。そこが、方向性の多様さを示しているようにも思う。端的にわかりやすく言えば、赤い鳥のヒットシングル「竹田の子守唄」のB面は、なんとあの「翼をください」なのである。多様性というものが分かっていただけると思う。
 そして、赤い鳥はその洗練された部分がどんどん前面に出てくる。「忘れていた朝」「河」「赤い屋根の家」「美しい星」みんな綺麗な曲で、ジャンル分けは無意味だがとてもフォークとは思えない。もちろんカバーが多かったのだけれども。後にメンバーに村上"ポンタ"秀一さんや大村憲司さんが加入してよりそのサウンドはポップになり、初期の頃の「赤い花白い花」や「誰のために」「小さな歴史」といった路線からどんどん広がって、世界的に通用する楽曲を提供できるグループとなってくる。個人的には「二人」とかが好き。
 そもそもが後藤さんの敷いた路線だったのかもしれないし、村井邦彦さんの考えもあったのかもしれないしよくわからない。これは結果を知っていて言えることであってずるい言い方なのだが、赤い鳥には紙ふうせんとハイファイセットがもう既に存在していたのかもしれないと思う。だから楽曲にあれだけの厚みがあったのかとも思う。

 表題に挙げた「紙風船」はいい曲だなと思う。
 この歌は、詩人の黒田三郎さんの短い詩にメロディをのせたものである。この詩は有名で、僕も中学生のときに学校で学んだ(か、ただ読んだだけか記憶が曖昧だが)。

 落ちてきたら/今度は/もっと高く/もっともっと高く/何度でも/打ち上げよう/美しい/願いごとのように 

この美しくも短い詩に後藤さんが曲をつけた。その曲がまたいい。儚げなメロディに乗せて、紙風船を落ちないように掌で支える童の姿が見えるようである。この歌は赤い鳥の活動の中でも後期に入る歌だろうと思うのだが、なんともしみじみとしている。
 そして、この曲の凄いのは、曲半ばで転調するのである。急に目の前が広がるが如く。以前に書いたチューリップの「さよなら道化者」を連想する。名曲だなと思う。
 願いを空に打ち上げる。紙風船というものの存在をもう知らない若い人もいるかもしれないが、富山の売薬のおじさんが持ってきてくれるもので、袋状になっている紙製の風船である。ふうっと息を吹き込んで膨らませる。けれども、空気穴はただ紙に穴が穿たれているだけで、ゴム風船のように結ぶことは出来ない。落ちないようにポンポンと掌で支え飛ばしていると徐々に萎む。なので萎まないようにそっと、大切に打ち上げる。

 大人になるといろいろなことを考える。紙風船は、永遠のようで永遠でない。掌で支えないと落ちる。じゃ支えていればずっと飛んでいるかと言えばそうじゃない。いつかは萎む。萎んだらまた息を吹き込んでやれば形になる。そうしてまた飛ばす。でも、いくら丈夫な紙でも寿命はある。そして、寿命が来る前に子供は飽きてしまう。
 風船なんて儚いもの。それはゴム風船でもしゃぼん玉でも同じ。みんな刹那なんだ。だからこそ、美しい願い事を思う。

  落ちてきたら 今度はもっと 高く高く打ち上げようよ 高く高く打ち上げようよ

 解散後、後藤さんと平山さんは自らのデュオを「紙ふうせん」と名乗る。この曲に思い入れが深いに違いない。新居さんは山本俊彦さんと結婚して山本潤子さんとなり、その母体であったハイファイセットも活動を停止した。でも、今でもよく山本潤子さんの歌声を聴く。「翼をください」は今も生き続けている。あの歌はやっぱり山本潤子さんの声で聴きたい。大川茂さんはちょっと残念なことになったが、サウンドはまだずっと命脈を保ち続けている。
 平山泰代さんとは、関西では時々TVやラジオでお会いできる。たいへん失礼な言い方だが、本当に「可愛いおばさん」である。紙ふうせんとしてもずっと細やかな活動を続けていらっしゃる。
 余談になるけれども、後藤・平山さんご夫妻の家は、今僕が住んでいるところからごく近くにある。もちろんお付き合いなどはないが、豪邸である。印税もたっぷり入るのかな。ついピンポンダッシュをしたい誘惑に駆られ、俺は何歳だよといつもハッとする。

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紙ふうせん (堀本 隆保)
2007-05-24 02:10:07
以前、バーで飲んでたとき、ゆうせんのリクエストとして「赤い鳥の「紙ふうせん」をお願いします」と言ったら、電話口でゆうせんの担当者から”紙ふうせんの「赤い鳥」”の間違いではないですか?といわれて、本当にショックでした。
名曲「翼をください」を歌ったが、もう解散したフォークグループの赤い鳥よりも最近も活動しているデュオの紙ふうせんのほうが今のひとには馴染みはあるのでしょうか。。あの赤い鳥の輝きの時代をしらないひとがふえている。紙ふうせんという素晴らしい曲も聞いたことがないひとがふえている。紙ふうせんを、そう赤い鳥から独立したデュオの名前にもなったあの名曲をもっともっと世間に広めてもいいと思います。
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>堀本隆保さん (凛太郎)
2007-05-25 22:03:42
ありがとうございます。
僕は、記事でも書きましたようにリアルタイムではなく後から遡ったので、「あの赤い鳥の輝きの時代を知らない人」の部類なのですが、いいものはいいですよね。
「ゆうせん」がそういうことを言うとは驚きですが、今もう既に「翼をください」が赤い鳥の曲だと知らずに広まっている状況、そしてかつてのフォークというものが「懐メロ」として特定の曲ばかり取り上げられる現状ではいたしかたないことなのかもしれません。うーむ。

バーでグラスを傾けながら「紙風船」を聴く、というのは一種至福ではないでしょうか。思いが溢れてきそうですね。
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Unknown (たけちゃん)
2007-06-02 10:18:16
こんにちは!
図書館でブログ読んでました

冬が来る前に
むかしギターで弾けるように
練習したものです!
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>たけちゃん様 (凛太郎)
2007-06-03 14:48:14
図書館でブログ読めるのですかー(笑)。PCが使用できるのかな。そういう図書館っていいですねー♪ とにかく読んでいただいてありがとうございます。

僕も、ギターを始めた頃がちょうど「冬が来る前に」の頃だったので、練習しましたよー。いい歌ですよねホント。

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歯を食いしばる。 (まるちゃん)
2007-11-23 15:54:46
「ふゆがくるまえに もういちど」
ここまできたら もう胸が痛い。
「紙ふうせん」に至っては 「落ちてきたら」で精一杯。

まるちゃんは涙をこぼすのはいやなので
唇をぎゅっと閉じ 歯を食いしばり
そうして 決してうつむかないように 空を見上げます。
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>まるちゃん (凛太郎)
2007-11-23 21:41:32
切ないね。焦がれる想いはどうやったら昇華できるのか。

涙をこぼすのを我慢するのはとっても辛いこと。だから、僕は歯を食いしばらない。でも、涙をこぼしているのを見られるのはもっと辛い。強がって強がって生きてきたんだから。
だからそういうときは下唇をやっぱり噛む。でも、誰も見ていないときは、やっぱりお空を見上げるね。
突き抜ける青い空とあたたかな太陽に涙を見られるのは、どうして辛くないんだろう。それがちょっと不思議。
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