凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

高石ともやとナターシャセブン「疲れた靴」

2005年02月09日 | 好きな歌・心に残る歌
 「日本列島ズバリリクエスト」と聞いて懐かしく思ってくれる京都出身の同世代の人もいると思う。これは近畿放送(現KBS京都)の深夜放送番組。僕らが青かった小中学生の頃は、深夜ラジオ全盛期だった。毎晩夜の深い時間までイヤホーンを耳に当て続けたものだ。
 担当は月火が尾崎千秋、水木が高石ともやとナターシャセブン、金土が諸口あきらで、全く思い出は尽きないのであるが、そのなかでもナターシャセブンは、まだ子供だった僕に、フォークソング、そして世界の歌の奥深さを教えてくれた。
 ナターシャセブンはメンバーチェンジを何度もしているのだが、その当時は高石ともや、城田じゅんじ、坂庭しょうご、木田たかすけという黄金のメンバーで、107ソングブックという世界の歌を集めたレコード作成の真っ最中だった。日本のフォークソング、ブルーグラス、世界や日本の民謡、伝承曲、マザーグース、オリジナルソングなどを集めて、11枚組のレコードに仕上げていた。

 それらの歌を毎週少しづつ紹介してくれるのをずっと聴き続け、僕は「うた」が好きになっていった。少年の頃、こんな番組があって本当によかったと思う。
 京都には夏に「宵々山コンサート」というイベントもあり(今も継続中)、ナターシャをはじめ京都にゆかりのあるミュージシャンは大挙出演していた。円山野外音楽堂で催されていたから、お金のなかった少年の頃もその場に行けば入場は出来なくても歌は聴けた。木に登って中を見ようとして怒られたものだ。

 「私を待つ人がいる」「陽気にいこう」等のブルーグラス、世界のうたとして紹介された「娘の便り」「道」、「春を待つ少女」「君かげ草」「想い出の赤いヤッケ」等のオリジナルソングなど珠玉の名曲が並ぶ。どれがいいと言えばみんな書き連ねるしかなくなるが、アメリカの古い歌として紹介された「疲れた靴」という歌は、聴いたとたんに好きになった。
 
  君は長い道のりを歩いてきた 辛い言葉を浴びせられて
  泥にまみれて足も重い でも罵るものはすぐ背中を向ける…。

 美しい旋律にのって、高石ともやさんが訳した「自由への道のり」がテーマの詞が心を打った。メンバーの木田たかすけさんも大好きな歌だと言っていた。木田さんは伝説のロックバンド「ジャックス」の出身で、アレンジャーとして一流だった。
 その木田さんが交通事故で急死するのは僕がまだ中学生のとき。ショックで動けなかった覚えがある。
 追悼コンサートでも「疲れた靴」は流れた。

  少女の笑顔に君は笑う 微笑の輪が広がるように
  人々の声もわきおこり 錆びた扉も崩れ始めた

  疲れた靴を脱いで休んでいかないか? 笑い話をしてあげようか?
  君の瞳は輝いている 黄昏と夜明けを求めながら…

 心にぽっかりと穴が開いたような気持ちで、コンサートのラジオ中継を聞いていた。

 ナターシャを支えた榊原詩朗プロデューサーは、その後ホテルニュージャパンの火災によって亡くなり、ナターシャ・サウンドは終焉を迎える。2年前、あの「花嫁」を作った坂庭しょうごさんが急逝し、そしてバンジョーの名手城田じゅんじさんは僕らのうかがい知れない遠い世界に行ってしまった。高石ともやさんは今でも元気だが、あのナターシャセブンはもういない。

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8 コメント

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Unknown (札幌のヒデ坊)
2009-06-07 17:22:04
ズbzリクは浪人時代の懐かしい思い出です。いやその前カナ、ズバリクバックをもらったように記憶しています。いまでも実家にあるかも知れない。宵々山は今年で一区切りのようですねやはり諸口サンのインパクトは今でも強烈です。
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>札幌のヒデ坊さん (凛太郎)
2009-06-08 23:30:50
ズバリク懐かしいですね。僕は若輩者ですが、子供の頃にはまった最初の深夜放送であり、思い出も鮮烈です。エンディングまで聴くことも多く、よくあんなに遅くまで起きていられたなと今になって思います。
チータンもエッチで好きでしたが、モロさんはなんとも大人でしたね。山崎弘士さんとのコンビも懐かしい。
宵々山も三十年くらいになりますね。「中締め」という言葉を遣われておられるようですが。京都の夏の風物詩のひとつでした。
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その後のナターシャ (アッチャー木村)
2011-10-10 20:09:25
岩尾別旅情について書かせもらいました木村です。じゅんじ氏は現在元気にマレカちゃんというみじん女子医大生とアイリッシュをやっております。今年最後となった宵宵山でも温かく迎えられたそうです。こちら群馬ではおそらく京都に次いでナターシャの影響が強い地だと思います。なぜなら北山氏が群馬大学の講師していた頃から頻繁にライブがあり、バンジョーやフラマン弾きがいまでも結構います。ともやさんのランニングの師匠も群馬大学の山西先生です。さらにショウーゴさんの実家は桐生にあります。「私を待つ人がいる」などを街中でやったりしたら唄えるひとがすぐ見つかりますよ。タブン。ちなみに私も昨夜のライブで「音頭与三郎」をバンジョーで弾き語って、それは大ウケでした。あくまでも本人談。19日はSAMの専属録音スタジオサウンドTAMでじゅんじ氏のライブがあります。
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>アッチャー木村さん (凛太郎)
2011-10-11 03:36:17
最後の宵々山コンサートには僕は残念ながら行けなかったのですが、そのときに城田さんが出演されたというお話は聞いています。元気にバンジョーを弾かれたとか。この記事は書いたのが2005年2月ですので、こういう書き方になっています。
ナターシャが群馬でそれほど膾炙しているとは存じ上げませんでした。
>「私を待つ人がいる」などを街中でやったりしたら唄えるひとがすぐ見つかりますよ
そうですか♪ いいですねぇ~。群馬に越しても楽しく暮らしていけそうです(笑)。
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榊原さん (咲希ちゃんパパ)
2011-11-24 02:12:06
 今晩は、始めまして。このところ、城田さんや坂庭さんの事を調べて、色々検索していて、いろんな方が、まだまだナターシャの事を、思っているのだなあと、嬉しくなっている、横浜出身のものです。京都では、本当にナターシャは人気あったんですね。私の知り合いで京都の人も、全然フォークとか興味なさそうな人でしたが、ナターシャのことは知っていて、宵々山のLPを貰った事もありました。横浜でナターシャのコンサートが中止になり、変わりにマネージャーの榊原さんを囲んで話を聴く会のようなものが、実施され色々な裏話などを、聞かせていただいた記憶がありますが、それから間もなくあのような事故でなくなられ、ショックで呆然としたことを、つい最近のように記憶していますが、本当ははるか昔のことですね。
 ところで、相模湖ピクニックランドというところで、ナターシャのコンサートがあったのを、知っている方はいらっしゃいますか?とても楽しいコンサートでTシャツ貰って帰った思い出があります。取り留めの無い話で失礼しました。また、寄せてもらいます。おやすみなさい。
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>咲希ちゃんパパさん (凛太郎)
2011-11-25 05:29:18
あの頃は、音楽にも「地元密着」の色がまだ残っていた時代だったような気がしています。何でもかんでも東京一辺倒ではなかったような。それは、エリアの狭いラジオという媒体がまだ文化を担っていた時代だったからかもしれません。
でも、こういうお話を伺うとナターシャはやっぱり全国区だなぁと思います。そりゃ何といってもあの高石ともやさんですから。こうしてネットにこんなふとした思い出話を書いても、いろいろな方に読んでいただける。
相模湖ピクニックランドのことはよく存じ上げません。ごめんなさい(汗)。誰かご存知の方いらっしゃるかな。どうもありがとうございました。
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ズバリクバック (yume)
2014-10-30 19:05:52
ズバリクバックで検索してこちらに来ました。
とても懐かしいお話です。

りんたろうさん。。
もしかして、いつぜか 京大の見学会でお会いした方でしょうか?。。。
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>yumeさん (凛太郎)
2014-12-01 05:56:54
ありがとうございます。
ところでその当該の方とは、うーん…何とも言えませんが、おそらく違うのではないでしょうか。
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