
踏み込んでない脚本。勇気がない表現。それが印象。
都会の、せまいアパート、ハードな仕事、郷愁、くたびれだした女。職業は水商売…
確かに要素はそうだけど人物と起きる物事を一面的に捕らえて演じてる(いや、書いてる)気がした。
「軽薄」という言い方が近いか。稽古不足の問題か?
作者の「自分自身」ともまるで違う、ただの作り事に見える。
「小原は投影し、中年女性観客は移入する」、こんな単純な図式を狙ってたんだけど。人形が扱いにく過ぎだって?
シカト。
自分がどういうキャラか(くだらねー言い方)なんてのは他者の見方で決めるものだから、やはりこっち側で見てあれこれ指図する人間(演出と呼ぶ?)が必要だったかしら。役者が「他人の言う自分なんて信じない」というタイプならしょうがないけど。
ステレオタイプの表現はけして「わかりやすさ」や「共感」に繋がりはしない。
ト書きの裏にある気持ちが複雑なら複雑なまま動きにして提示しなくてはならなかった。脚本の分析不足の感。
いやお膳立てや美術はメタファーに届いてたのにうまく機能してなかった。なんだろ、間かな?
「よくあるわびしい女の日常」の域を出られなかった。そんなものをみせたかったわけではないと思うが。
紗羅…
おそらく地方公務員の娘、市役所に務める友人達はどんどんジモッティと結婚、出産。
夢の持てない田舎からの出奔。時代はバブルのまっただ中、なったのはハヤリの横文字商売(インテリア・ナントカ)。男女雇用機会均等、もらったのは『企画デザイン室室長』の肩書きだ。
主流はオヤジギャル。はたまたイケイケか。あてつけのように地元に送る仕送りは当然多額。
そうこうしてたらバブル崩壊。
虚業の空しさが心の隙間に。さらに追い打つ女としての衰え。女性性の確認。人恋しさ…体の商売に転落したいのにそこまでは踏み切れないから、隠れ売春、出会い系…まさに東電OL症候群。
それらの隠喩としての小道具。キンピカだけどちゃぶ台はちゃぶ台。着飾ってもカッペはカッペという意味か。出れば引っくり返すのは昭和家族ドラマの掟。ここにも手紙同様、家族の影が落ちている。
グラスの底の梅干しは、弾けてしぼんだ日の丸か、はたまた甘酸っぱい時期をとうに過ぎてくたびれ始めた女性自身か。桜は散るもの、でも来年もまたここで咲くはず。いろいろあるけど、明日に希望。
そんなドラマだったはずなのに…この設定で自己投影できないわけないじゃん。え?もっと本人全然若いって?
シカトその2。
不特定多数の人々にみせるものとはいえテレビほどじゃないし、まして自主公演、何を恐るることがあろうか。
オリジナルであること。勇気を持てば越えられるのに。誰かに叱られるのがイヤだとしたら、ただ客だけを畏れよ。
本人、何に日和ったわけでもないのにあの解釈になったのなら、失敗の原因はさらに根深い所にあると思う。
「伝えたい思い」が希薄だったのかな…絞りきれなかったというか。
もしかして「本気」とか?それだけが成功と失敗を分つのでは?
え?失敗じゃなかったって?ヒ~、それなら失礼しやした~。
♪稽古不足を幕は待たない 恋はいつでも初舞台~♪
◎じ
都会の、せまいアパート、ハードな仕事、郷愁、くたびれだした女。職業は水商売…
確かに要素はそうだけど人物と起きる物事を一面的に捕らえて演じてる(いや、書いてる)気がした。
「軽薄」という言い方が近いか。稽古不足の問題か?
作者の「自分自身」ともまるで違う、ただの作り事に見える。
「小原は投影し、中年女性観客は移入する」、こんな単純な図式を狙ってたんだけど。人形が扱いにく過ぎだって?
シカト。
自分がどういうキャラか(くだらねー言い方)なんてのは他者の見方で決めるものだから、やはりこっち側で見てあれこれ指図する人間(演出と呼ぶ?)が必要だったかしら。役者が「他人の言う自分なんて信じない」というタイプならしょうがないけど。
ステレオタイプの表現はけして「わかりやすさ」や「共感」に繋がりはしない。
ト書きの裏にある気持ちが複雑なら複雑なまま動きにして提示しなくてはならなかった。脚本の分析不足の感。
いやお膳立てや美術はメタファーに届いてたのにうまく機能してなかった。なんだろ、間かな?
「よくあるわびしい女の日常」の域を出られなかった。そんなものをみせたかったわけではないと思うが。
紗羅…
おそらく地方公務員の娘、市役所に務める友人達はどんどんジモッティと結婚、出産。
夢の持てない田舎からの出奔。時代はバブルのまっただ中、なったのはハヤリの横文字商売(インテリア・ナントカ)。男女雇用機会均等、もらったのは『企画デザイン室室長』の肩書きだ。
主流はオヤジギャル。はたまたイケイケか。あてつけのように地元に送る仕送りは当然多額。
そうこうしてたらバブル崩壊。
虚業の空しさが心の隙間に。さらに追い打つ女としての衰え。女性性の確認。人恋しさ…体の商売に転落したいのにそこまでは踏み切れないから、隠れ売春、出会い系…まさに東電OL症候群。
それらの隠喩としての小道具。キンピカだけどちゃぶ台はちゃぶ台。着飾ってもカッペはカッペという意味か。出れば引っくり返すのは昭和家族ドラマの掟。ここにも手紙同様、家族の影が落ちている。
グラスの底の梅干しは、弾けてしぼんだ日の丸か、はたまた甘酸っぱい時期をとうに過ぎてくたびれ始めた女性自身か。桜は散るもの、でも来年もまたここで咲くはず。いろいろあるけど、明日に希望。
そんなドラマだったはずなのに…この設定で自己投影できないわけないじゃん。え?もっと本人全然若いって?
シカトその2。
不特定多数の人々にみせるものとはいえテレビほどじゃないし、まして自主公演、何を恐るることがあろうか。
オリジナルであること。勇気を持てば越えられるのに。誰かに叱られるのがイヤだとしたら、ただ客だけを畏れよ。
本人、何に日和ったわけでもないのにあの解釈になったのなら、失敗の原因はさらに根深い所にあると思う。
「伝えたい思い」が希薄だったのかな…絞りきれなかったというか。
もしかして「本気」とか?それだけが成功と失敗を分つのでは?
え?失敗じゃなかったって?ヒ~、それなら失礼しやした~。
♪稽古不足を幕は待たない 恋はいつでも初舞台~♪
◎じ
軽くする為に材質変えたじゃん。
あのとき時間なくてさ、あれだけ部品のある人形の中で、あそこの部分だけ唯一タッチ入れてないんだよね。業界用語で「坂上状態」ってやつ。
他の部分は皮もビニールも思う以上に全部ヨゴシ入れてあるもんだから素材のナマが目立って目立って(あわよくばワザとやりました的言い逃れできるかな、などと考えてた)、特にビデオは目立って安っぽくて、ああ、やはりご指摘いただいた様だね。
バレたか。
見てる人は「なぜ違和感があるのか」原因が突き止められなくても違和感を覚えて帰るのだね。
ポリのツノの、スウェードにモコモコタッチの質感なら許していただけたかもしんないね。
見た人に何かを残せて御の字。遣いのヘボさも分かってもらえて御の字。
嬉しいアンケートだったね。
嬉しい事です。
自分を投影…まではできなかったけど、結局自分の程度がそのまんま出てしまった舞台。
というか、舞台ってまんま出てしまうところだな…だから怖いんだけど。
そんな舞台を笑ってくれたお客さん、どうもありがとう。つまらなかったお客さん、ごめんなさい。
言い訳してもしょうがない。ともかくもっと精進します。
植松さん、こんな私に人形作ってくれてありがとうございました。
腰のチュ-ブと首グラの隙間に、見た事の無いコントローラを付ける幻想に捕われている。
絶対「ひとりでできるもん(番組が古い)!」
じゃなきゃいっそ各関節に遣い手ひとりずつ着けるとか。それはそれで面白い。天守で試したかったけどやりきれなかったし。
アイツのポテンシャルを最大限生かす出し物として、ちょっとエロネタ(カラミあり)を考えてみるわ。短編がいいな。