『代々木に人形美術館』
このキャッチコピーから、芝居ではなく展覧会だと思ったお客様がちらほらいたようです。
「人形美術館」…これ実は、人形の美術館ではなく人形(劇)美術の館、の意味を込めていたんですね。
ロビーの展示はもちろん、舞台で展開されるのもさまざまな人形劇…人形美術の競演です。
舞台に参加しない美術家も、ロビーの展示に個性的な人形たちを出品してくれました。
小規模だったけど、その中ではバラエティに富んだ展示だったのではないかと思います。

↑ぷっくりほっぺで思わず微笑みを誘ってしまう、マエストロ川口新氏の赤ちゃん人形。
めっちゃグリグリ表情かわります。
見てるだけでもかわいいのに、動いている姿はなお愛しい。
「近くで見れて良かった!」
「触らせてもらえて嬉しかった!」
「動かしてみてもらえて、良かった!」
と、そんな意見もたくさんいただいただけに、
「ロビーがあまりに混んでて展示はほとんどられなかった」
という方には、申し訳なかったと思います。
これはもう少し工夫の余地がありました。次(やるのか?)はもっとうまくやりたいです。

↑終演後のロビー。お見送りもありでごった返し状態。

↑なんだかひときわ大きい存在感を放っていた、星野毅氏作の人形…。
みなさんの作品網羅してご紹介したいところですが、
今夜はここまで!
じょじょにレポートしますね。
以下、粘着質の実委長による反省文。読みたくない人は飛ばしてください。
今回、本当はやりたかったけどやれなかったこと…。
舞台に上がる作品たちの、舞台に上がるまでの過程含めて展示する…
展示と舞台で完成するイベントを目指したのだけれど、
舞台参加の美術家たちは、本番の幕が上がるその直前まで、舞台の作業にかかっていたので、展示のプランまではなかなか手も頭も回らなかったと思う。
デザイン画や、プランの変遷なども展示したかったけれど、
舞台の本番前に展示を完成させるのだとすると、
ひたすら作業に追われる美術家たちに寄り添って、きっちり取材する体制をとれないと
これは難しかったなと反省。
だから、舞台の作品のデザイン画や写真を飾る予定だったスペースが、
結局プークのポスターを貼ったままになってしまったことが、本当に悔しい。
そもそも、デザイン画をかかない美術家も多かった…。
紙の上でデザインを完成させようとする美術家もいれば、頭の中のイメージを直接素材にぶつけて形作っていく美術家もいる。
その美術家の仕事の過程をどう見せられるか、それぞれのスタイルに合わせた取材・展開の仕方が必要になるなと、今更感じている。
デザイン画がなくても、その美術家がどんな本を読んで、どんな絵を資料にして、
どんな風に彫り進めているか……etc、etc、
これはこれで、ちゃんとやったら面白いだろうな。
と、まあ、
美術家の仕事に着目…したからには、その仕事の過程をふくめてもっと曝け出したかったわけで、
それはギャラリーだけじゃなく、このブログもそう。
同時進行的に、美術が完成していくまでの様子を追いたかった。
追えなかったので、今更ながら、後追いしたり報告したりしてるんだけどね。
先日紀伊国屋画廊で、第37回伊藤熹朔賞選考作品展(舞台美術)を見てきて、
各舞台美術家の、作品模型もそうなんだけど、それ以上にパネル展示が面白かった。
その美術家が、どう、何を考えて、ものをつくったのか。
誰と、どんなことを話して、どう考えが変わったのか。
そういうことが面白かった。興味深かった。
狭い画廊なのに、1時間以上いてしまった。
作品は結果がすべて。だけどその過程が知りたい。
これ、これがほしかったんだな。
(実委長)
このキャッチコピーから、芝居ではなく展覧会だと思ったお客様がちらほらいたようです。
「人形美術館」…これ実は、人形の美術館ではなく人形(劇)美術の館、の意味を込めていたんですね。
ロビーの展示はもちろん、舞台で展開されるのもさまざまな人形劇…人形美術の競演です。
舞台に参加しない美術家も、ロビーの展示に個性的な人形たちを出品してくれました。
小規模だったけど、その中ではバラエティに富んだ展示だったのではないかと思います。

↑ぷっくりほっぺで思わず微笑みを誘ってしまう、マエストロ川口新氏の赤ちゃん人形。
めっちゃグリグリ表情かわります。
見てるだけでもかわいいのに、動いている姿はなお愛しい。
「近くで見れて良かった!」
「触らせてもらえて嬉しかった!」
「動かしてみてもらえて、良かった!」
と、そんな意見もたくさんいただいただけに、
「ロビーがあまりに混んでて展示はほとんどられなかった」
という方には、申し訳なかったと思います。
これはもう少し工夫の余地がありました。次(やるのか?)はもっとうまくやりたいです。

↑終演後のロビー。お見送りもありでごった返し状態。

↑なんだかひときわ大きい存在感を放っていた、星野毅氏作の人形…。
みなさんの作品網羅してご紹介したいところですが、
今夜はここまで!
じょじょにレポートしますね。
以下、粘着質の実委長による反省文。読みたくない人は飛ばしてください。
今回、本当はやりたかったけどやれなかったこと…。
舞台に上がる作品たちの、舞台に上がるまでの過程含めて展示する…
展示と舞台で完成するイベントを目指したのだけれど、
舞台参加の美術家たちは、本番の幕が上がるその直前まで、舞台の作業にかかっていたので、展示のプランまではなかなか手も頭も回らなかったと思う。
デザイン画や、プランの変遷なども展示したかったけれど、
舞台の本番前に展示を完成させるのだとすると、
ひたすら作業に追われる美術家たちに寄り添って、きっちり取材する体制をとれないと
これは難しかったなと反省。
だから、舞台の作品のデザイン画や写真を飾る予定だったスペースが、
結局プークのポスターを貼ったままになってしまったことが、本当に悔しい。
そもそも、デザイン画をかかない美術家も多かった…。
紙の上でデザインを完成させようとする美術家もいれば、頭の中のイメージを直接素材にぶつけて形作っていく美術家もいる。
その美術家の仕事の過程をどう見せられるか、それぞれのスタイルに合わせた取材・展開の仕方が必要になるなと、今更感じている。
デザイン画がなくても、その美術家がどんな本を読んで、どんな絵を資料にして、
どんな風に彫り進めているか……etc、etc、
これはこれで、ちゃんとやったら面白いだろうな。
と、まあ、
美術家の仕事に着目…したからには、その仕事の過程をふくめてもっと曝け出したかったわけで、
それはギャラリーだけじゃなく、このブログもそう。
同時進行的に、美術が完成していくまでの様子を追いたかった。
追えなかったので、今更ながら、後追いしたり報告したりしてるんだけどね。
先日紀伊国屋画廊で、第37回伊藤熹朔賞選考作品展(舞台美術)を見てきて、
各舞台美術家の、作品模型もそうなんだけど、それ以上にパネル展示が面白かった。
その美術家が、どう、何を考えて、ものをつくったのか。
誰と、どんなことを話して、どう考えが変わったのか。
そういうことが面白かった。興味深かった。
狭い画廊なのに、1時間以上いてしまった。
作品は結果がすべて。だけどその過程が知りたい。
これ、これがほしかったんだな。
(実委長)
しかもそこバラすんだ!
…言われるままに飛ばせば良かった…
いや、ギャラリーパート、健闘したと思うよ、小原は。
仕込みの混沌の中で、記事にある内心の忸怩たるジクジクがダイレクトに伝わって来てたからね、顔から。だから火事場のクソ力で帳尻あわせようとしたんだけど展示、結果、至らなくてゴメンね。
実際腰砕けたのは俺だよ。
獅子身中の虫、とまでは言わないが、俺のパンフのコメントの滑る事滑る事。ヒドいよ…美術家さん達…
「フツー人形美術家はね」とくくる事の怖さを痛感。
個人的には反省しないけど。
思うけど、「常に描けること」しか一般人との差異なんかないはずじゃんプロの美術家。
…「描かない」ってさあ、マジ勘弁してくれ。
それでも宮本氏、新氏、エナミ氏、菅澤氏、植松氏、マィア氏の仕事ぶりでやや溜飲はサゲたが。
小原さんのふがいないやを代弁するなら↓↓↓
「座付き、いいかげんにしろ!」か?
…え?ゆってない?
植松さんは「描く」美術家だから、なおさらそうなのだと思うけど。
「描かない」けど常に手で「作り」続ける美術家だっているのじゃないかと、私は思います。
だから、デザイン画を飾る代わりに、頭の中をのぞかせてもらえれば良かったなと。
で、それをやるには、具体的な方策と人員とエネルギーがもっと必要だったなと。
うん、勉強になりました。
いやーでも、あきらめずにエナミさんや若林さんに声かけ続けて良かった。素材感のある素敵な人形飾らせてもらえた!
宮本さんの参戦を迎えられてよかった。ずらり並んだ人形たちに興奮した!
新さんの人形も、ほれぼれした!ずっと触っていたかった!
菅澤さんの作品…キャラ展出品作なのね。ベルとゼブブのお話見たくなった!
マィアさんのデザイン画、りんさんのデザイン画に舞台写真、もっとびっしり飾りたかった!
のいといさん、アリスの人形も見たかった!
児玉さん、今度やるときはエントランスのオブジェやらかしたいね。
星野さん、牧史さん、貴重な人形ありがとうございました。すごい存在感にぶっ飛びました。
斉藤さん、直前に無理言ったのに、快く出品ありがとうございました、あのシリーズ他のも見たい!
城田さんの動きまわる展示作品、仕掛けもにくらしく楽しかった!
植松さん!デザインの変遷からモチーフからすべてやってくれたのは植松さんだけ!ありがとうございました。
弱音ばっか吐いたり、頭真っ白になったりしてたけど、それでも健闘したよと言ってもらえて、ちょっと喜んでしまった実委長でした。
俺なんかは脳内のイメージは字や絵に描き起こしてみないと検証できない凡才タイプなので恐れ入るのだけど、いきなり派の人たち。
う~ん、ホントかあ?
「描く」とはイメージする、という事だ。
その強度が「つくった」ものと「できちゃった」物の差になると思う。
最近の、後者を崇める風潮には実は否。
芸術家、美術家の住み分けにも関わるのかもしれない話。
てかさ、舞台や番組みたいに複数の人間とイメージを共有して創るジャンルでは、やっぱ描けよ。ウソつくな。
…いや、そういう所から抜け出せない俺は所詮商業ベースの凡才か。
あんまカッコよくないな、芸術家みたくは。
「できちゃった婚」てさ、「婚」についての考察より先に「できちゃったもの」への考察を余儀なくされるじゃん。本人たちも周りも。
俺無理。
「結晶」だと思いたいから。