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小山 青巖寺

三重県津市一志町小山にある真宗高田派のお寺です。

善鸞義絶状

2016年01月06日 | 親鸞
 今日は、津中日文化センターで『親鸞の手紙を読む』の講座があり、今回は善鸞義絶状を読みました。

 親鸞聖人は、84歳の時、息子である善鸞を義絶しました。義絶とは、親子の縁を切るということです。善鸞義絶状とは、まさしくそのことを親鸞聖人が善鸞に知らせた手紙のことです。

 「このことどもつたへきくこと、あさましさ申すかぎりなければ、いまは親といふことあるべからず、子とおもふことおもひきりたり。」

 「なんて馬鹿なことをおまえはやってるんだ」と、本当は親子の縁なんて切りたくはないのに、切らなくてはならないやるせなさや悲しさが、切々と胸を打つお手紙です。

 このお手紙は、親鸞聖人の真筆は残っておらず、現存しているのは顕智上人の書写です。とはいえ、親鸞聖人のお手紙として知られているものは40通を超えますが、親鸞聖人の真筆書状として現存しているのは12通だけですので、現存していない方が普通です。

 ただ、顕智上人の書写しかないためか、善鸞義絶状はでっち上げだと主張する方々がいらっしゃいます。「善鸞に送られた私的な手紙を、顕智が書写できるはずがない、そんなのでっち上げだ」と。

 しかし、義絶状というのは私的な手紙ではありませんし、義絶する相手に渡されるものでもありません。義絶する相手に送っても、義絶された本人は「そんな手紙、受け取ってない」とシラを切るに決まっているからです。

 義絶状は、義絶した本人に送られるのではなく、利害関係が対立している者に送られます。その者はその正文を持って、義絶された者のところへ行き、義絶されたことを伝え、必要があれば正文の写しを渡します。それで初めて義絶が社会的に成立します。

 つまり、義絶状は、義絶された本人には届かない、ということです。たとえ宛名が義絶された人であっても。というか、基本的に、宛名は義絶された人で、受け取るのは、義絶された人の対立者である、というのが中世では一般的だったようです。

 また、義絶は、社会的に承認されてこそ意味をなすものですから、私的な手紙ではありません。公的な文書です。

 そして、公的な文書ですから、

 「三宝・神明に申しきりをはりぬ。かなしきことなり。」

 と、「神明に申す」などという、あまり親鸞聖人らしくない表現も出てきます。

 でも、これがなければ、公的な文書としての体裁が整いません。体裁が整わなければ、その文書は無効になります。だから親鸞聖人もちゃんとその形式に則って書かれたわけで、これでこそ義絶状といえるわけです。

 …というようなことを今回はお話しさせていただきました。
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