毎年秋になると背中に出来物が出来、1センチ位になり白い「キサズ」のような物が出て、治っていく。今年も10日くらい前から出てきたが、治るだろうと多可をくくってたが、大きくなり寝るのに痛さを感じてきた。
これではダメだと、昨日赤石病院に行ってら、「赤いから切った方がいいね」11時から手術します。「はい、OK」気軽に返事し表面をちょっと傷をつけ、搾り出すのだろうと気軽に手術室へ。
そうしたらパンツ一つの完全手術モード。うつ伏せの部分麻酔のスタート。「完全に根っこまで取るので」の説明。それから延々1時間、血は弾け降ってくるは、どっかちくちく引っ張られるは、もう縫い終わり?と聞いたらいやまだ取ってる。
同じ階の古い建物を解体中で、ドリルの音がうるさくまた腹にも振動が来る。でもそれが気を紛らわし、頭が傷口に集中せず大いに助かった。
「はいようやく終わりました」もうかれこれ1時間は過ぎて、ドリルの音もなくお昼になってた。3センチくらいの袋が弾けて、全部取るのが時間がかかったと。袋がシワクチャ。筋肉の下まで入ってたので、筋肉4針り、皮膚4針、縫ったそう。8針もよ!
毎年 もう10年くらい同じようなところに出る「出来物」は、早めに小さいうちに根っこを取っておくのがベターである。冗談半分で「もしかして皮膚がんの塊では」と聞いたら、「長年の体の毒素の塊り、出来物」、こんどは溜まる所がなくなったので、オシッコで出てしまうと。
来年の今頃は、何の悪いところを手術するのだろうか。体の部分であればいいが、もしかして全部かもよ。3年は続くから3回目は、後は神のみぞ知る。
今日は傷口の検査である。日曜なので直接看護室に、居たは一年前の知ってる看護婦ばかり、「今度は何」、「前でなく今度は後ろ」。?そこに先生が来たので影の方で笑ってた。
先生は素足のサンダル、指の付け根が黒っぽい。水虫にでもなってるんでは?消毒してるから まさかそんなことは、と思えた。「傷口は何ともないね、風呂もシャワーくらいにしておいたほうが」。この先生は独身なのか、生活観が見えない。
外科の先生は、人間の体は営業物件、通常受ける方は痛さも感じる自分の体、このギャップは。・・・・・・・・・・・・・・・・でも今度もそうだけど、私は自分の体であって、でもその体を借りて生きてるような感覚を受けている。
昨日のテレビで、胃がんの検査や術後の大変さを、放送してたが、その中でも全部摘出と抗がん剤の人の、後遺症のことを強調してたが、私がそれに当てはまる当人としては、考え方のあり方ではないかと思う。
一次貯めて満杯の指令を出す、消化剤を出させる、それで軟らかく、ゆっくり腸に流してやる、この一連の流れがなくなる。ではどうなるか、を考えればよいだけだ。こう見ると自分の体であっても、客観的に見ないと納得しかねない。
抗がん剤もガンが転移してるかどうか分からない時点で、ガン細胞がどっかうろついてないか、体中探して歩るってる。居るのか居ないのか、草を刈ったり、水の底を探したり、殺人犯をさがす。もう高飛びしてるかも知れないのに。
今日 思い知らされた。自分の体をどう上手く持たせて、何年使いこなせるかと。使いこなす脳は、安泰。あとは手足の先まで支障なく動かす経路に、如何に潤滑油を注いで回るか、である。
幽 体 離 脱
使 い こ な す か
二 十 年
今 は 音 楽 と 酒 と 涙 と
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