ハイッター・「三時の川岸」

団塊は何かをするとき、空中を浮遊する。

大晦日はこれでしょ

2008年12月31日 | Weblog

ベートーベン第九交響曲、は普通でしょう、自分の集大成ともいわれる最後の交響曲、人類愛を、平穏と幸福のハーモニーで人生が生きられれば最高なのに、心の乱れは誰でもあるが、ティンパニーの楽章は人間そのもの。

そんなに暗いことばかりでない、明るく歌おうではないか!と最後に合唱を。「喜びの歌」、”抱き合おう 千万の人たちよ、この口ずけを全世界に”。200年前のベートーベン時代も、今も地球のどこかでドンパチ。

本当はそうなんだけど、どこか空々しく感じる。それよりも私はドヴォルザークの「悲愴」の方がよっぽど良い。ソ連からの圧制で長年苦しんでも、何か人の心に明るい兆しが見える、感じさせられる、夢が見える。

小沢征弥がタクトを振ってた。突然の大恐慌に日本の大企業が風穴を開けられ従業員を解雇。日本の歴史の中で、自分を守るために子飼いの従業員を簡単に斬んなぎる。今の経営者、皆サラリーマンだからなぁ~。

外国人の楽団に棒を振る 小沢、一人でも欠けたら交響曲にはならない。リストラはできないのである。だから最高の演奏をするしかないのだ。そしてまた、足を運んでもらうしかないのだ。

日本の経営者よ、会社は交響楽団である。素晴らしい演奏を仕様ではないか。

明日からは心は指揮者になりましょう。そしてまた新しい時代のスタートの年にしようではありませんか。今日までが最低である。

 


また一つ

2008年12月30日 | Weblog

今日30日は、毎年我が家では「年とり」 の日である。28日には松飾り・輪通し正月飾りをし、清め払いをする。やはりこの時が一番、一年間の色々遭った事、来年への希望が頭を過ぎるときではないかな。

特に私は去年・今年といろいろ在り過ぎて、まず今年の最大の目標は「親父の齢を超える」ことであった。大変ハードルは、結果的に高かった。でもその分、今はこれを越えたので、次の階段に上がることが出来たと思える。

来年はその次の段階をどう生きるかである。曹洞宗・永平寺でお坊さんが修行の場として、日常生活を一つの修行としている。生活そのものが、決められた段取りの中毎日行われてる。そのような生き方の中に、人としてのあり方探しを模索するのであろうか。

座禅をして 頭を無にし、・・・無になんかなりっこない。と思ってたが、毎日生活と予定に追われると、それが終わって布団に寝ると「お疲れさん今日はありがとう」。これが眠りに入ると一日が無に終わってることになる。これが本当の修行の極意では。

息子家族が到着。料理を運び込み、鯛も、なんといっても一年の御礼にこうして気持ちを捧げる心持は、生活の基本をわきまえた心情が垣間見える。神様を拝んで待ちきれず食事、つい食べるのが早まって詰まる。

次は一円玉落とし、私も入って全員で争奪戦。やはり勝負事は若いも年よりもない、燃えるもんだ。孫だからと手を抜くと、物事に対する姿勢が孫に軽蔑される。やる気があるのかと。座禅と同じ、全てその時点・その時点、一生懸命打ち込む。来年も。


妄想

2008年12月29日 | Weblog

昨日28日で正月休み。焼肉やでどんちゃん騒ぎ、チョット飲みすぎたかな。・・・・・・・・・

チリチリン、今何時だよ!エ!5時、「もしもし、課長だけど利府君が今朝出勤でスリップ事故を起こして、欠勤になった。すぐ出てきてくれないか」。「ハイ分りました」とは言うものの酒が残ってるかなぁ~。

はい!出発進行。スケジュールスタート・オン。「ワァ~ちがったぁ~」どうしたんだ!「再スタートを押してしまった」バカァ~。

まあこれで3時間は動かない。コンピューターを0にして、初めからセットし直さねばならん。

今朝は多分こんな状態でした。大変混乱させて申し訳ありませんでした。まぁ3時間ぐらいなので仕方なかったし、私も臨時出勤だったので許されるでしょう。ねぇ課長!

明日は万全にやってね。


妄想

2008年12月29日 | Weblog

昨日28日で正月休み。焼肉やでどんちゃん騒ぎ、チョット飲みすぎたかな。・・・・・・・・・

チリチリン、今何時だよ!エ!5時、「もしもし、課長だけど利府君が今朝出勤でスリップ事故を起こして、欠勤になった。すぐ出てきてくれないか」。「ハイ分りました」とは言うものの酒が残ってるかなぁ~。

はい!出発進行。スケジュールスタート・オン。「ワァ~ちがったぁ~」どうしたんだ!「再スタートを押してしまった」バカァ~。

まあこれで3時間は動かない。コンピューターを0にして、初めからセットし直さねばならん。

今朝は多分こんな状態でした。大変混乱させて申し訳ありませんでした。まぁ3時間ぐらいなので仕方なかったし、私も臨時出勤だったので許されるでしょう。ねぇ課長!

明日は万全にやってね。


近所の貴重品

2008年12月28日 | Weblog

朝から雪が降り続いている。部屋の温度が3度、外はー3度。ここに北風が吹いたら、倍の寒さになるだろう。最近は寝るのが早いので、朝4時には起きる。布団の中に寝ていれば電気も暖房も掛からないので安上がりになるのだが。

体がむずむずして寝てられないのが、齢を取ったからか。風呂にスイッチをいれ直ぐ入りまず体を温める。頭と体がスタートすると、ベースの練習に入る。一番打ち込める時間帯である。

水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」ではないが、三歩進んで二歩下がる。のが私のベースである。プロになるのは諦めて、少しでも前に進むだけでもよいから、全体のリハビリにと考えて。

午後に近所のただ一人の知人が、大根をほって持ってきてくれる。「お茶でも」といって初めて家に入れる。ベースを見て驚いたのと、音楽が好きで耳が遠いとのこと、かなり高くして聴いているそうな。

今も東北ドックに勤めてるそうで、昭和34年から18の時からだから永い。特殊な技能を使う部署だそうで、この時代止めさせられないだけ勿怪もんだそう。この場所に来たのが津波の来ない場所で選んだそう。

何か同じ考えの人がやはり居るもんだ。今NHKでタイのプーケットで起きた’06・12・26日の津波、映像物語は22万人の命を、この地震国日本人はどのように受け取っているのだろうか。


出入れ多い次は雪でストxプ

2008年12月26日 | Weblog

人との出会いはエネルギーを使うのは当然だが、病み上がりにとってはそれなりに、意識以上に体に効くもんだ。でも使うばかりでなく、貰うことの大きさも内容によっては倍以上のものになってるかもしれない。

やはりこれからの生きていく目標に、次のステップが確実に上がれる議題を掴めれば、こんな素晴らしいことはない。話相手が思いのままを素直に話してくれる人、また私を理解してる上で言いたいことを言ってくれる人だから。

このような人はしょっちゅう話はしないけど、ある程度時間が経つと話したくなることが溜まって来る。それをある時期お互いに爆発するのである。だから刺激が強く、体が燃えてくる。

冬型の気圧配置でぐぐっと冷えた今朝。雪が降ってる。温暖化、海の水が温かいの、と言われながらも、冬は確実にやって来てることの嬉しさは、昔雪を見るとスキーに行きたくわくわくした事を思い出した。

昨日燃えた気持ちを冷静に冷やしてくれた。心の中にぎゅっと絞り込んで、エネルギー気力を一つにできた。これからの人生のステップ・エネルギーが新たに出来た喜びが今、今日、嬉しくてしょうがない。

明日の今年最後のベース・レッスンの練習に勢いよく励んでいる。

 


千客万来

2008年12月25日 | Weblog

今日は朝からお客さんの予定があり、話が話を呼び一日があっという間の一ときだった。一人はバンドのリーダーが今年の総括と、来年のそして2~3年後までのあり方まで、やはり出来たてから作り上げていくバンドの夢は膨らむほどやりがいが。

人それぞれの技量とやる気を引き出す、そして自然と一つにまとまり、自在に演奏できる。こんなバンドを目指して2年目の終りに、その兆しが多少見えてきたこの頃、自信を持って今後への取り組みが見えてきた。

このように新しいことへの取り組みは、人の気持ちの持ちようでどのようにも変更していくので、不安と共に見えぬ方向への楽しみでもある。団長もその気で受けて、前向きに進んでいくことに燃えてくれてることは、こちらも燃える。

昼食も忘れて、午後のお客さんを迎えてる自分には、人と合う気力が自分の中で燃え滾ってるのが、驚くほど分る。この人も5~6年親身に話し合ってなかったので、話が華を咲き、人のつながりの不思議さを改めて確かめた時間である。

話をしてる間に、私のここ2年の病魔の間、人と合う気力のなかったことが、沸々と湧き出てることを感じながら、これからのあり方などを指摘されながら、来年のあり方が提示されたよう。皆さんありがとう。


日本人の宗教観

2008年12月24日 | Weblog

孫たちと儀礼のクリスマス、ケーキを食べるためだけのクリスマス。そこには宗教はない。要は何かの理由を付けて生活の変化を求めてる日本人なのである。この島国の何でも都合よく自分の物にしてしまう臨機応変さ。

地球の片隅では、イスラム教とキリスト教、宗教観の違いが人殺しの戦争ごっこ。テロをしてる連中に、暫らくは日本の中で生活し、考え方の宙ぶらりんを学んで欲しい。でも生まれたときから親を選べというのと同じだもんな。

孫たちも毎日ご飯を食べ、急かされ学校に、悪いといっては怒られ、大きくなって大人になる。その存在は脳味噌や体に染み付いている。どうしようもないくらいである。でもDNAの違いでそれぞれの個性が出てくる。

ケーキが美味い。少ししか食べない子、イチゴだけを食べる子、お変わりをして倍食べる子。大人は同じ量、大きさ、分け合い、そのことに何の不満もなく美味しく食べてる。何か不満を持って好きなように食べることを忘れてる。

日本人は個性を忘れ始めてるようだ。これからの時代は個性を持って、好きなことをとことん追求していくことかもしれない。大企業は従業員を簡単に首にする時代が来た。他人が人の気持ちを考える時代は終わったかも。

 


追われる年賀状

2008年12月23日 | Weblog

朝は門柱に国旗を揚げる。天皇誕生日である。昭和8年生まれ、75歳年にも不足はないが、国家の行事はことごとくこなしている様だ。戦前戦後の一番困難な時期を青春時期に見ているので、昭和天皇の次に国を憂いているんだと思われてならぬ。

とにかく健康に留意して、長生きして欲しいが、この天皇まで皇室関係の血を受け付いているので、今一か。民間からの血は、皇太子からである。世界で神から血を繫いでいる雄一の、とにかく続いていくことである。

日に追われて年賀状に手がついた。書き始めれば一年間のご無沙汰を思いながら、今何をしてるだろうか、健康で居るのだろうか、一人ひとり思いを馳せる。やはりこの時間がまた一年間の納めと、心の締めどきなのであろう。

一年一年、不幸の連絡が多くなるようなのは、致し方ないのだろう。私の人生の一時期を熱く語り合った先輩たちは、私の人間性にどのように影を落として行ってくれたのか、それが身に就いているのだろうか。

時たまは私より若い人もいる。特にそのような人は影ながら私にジャッキを巻いてくれた人が多い。涙がつい流れてくる。こんな越年の時期だから、来年は新しい生き方に挑戦して、心を奮い立たせて向かえに行くのである。

去年・今年と、肉体的偏重が、来たるべく老年への対応する体に造り返られて、新挑戦への下準備が整った。来年一年は準備期間であろう。頭だけは健康になったつもりなので、このギャップとの戦いで一年歩くなのだろう。

 

 


老人ホーム申込み

2008年12月22日 | Weblog

今日は、老人ホームの申込みに行って来た。私が入ってしまうかな。結構いい所で、入るのにも時間が掛かる。入っている人達も、小さい社会の縮図みたいなので、昔の下町の風情と一定の距離を置いた付き合い。

経営はカトリックの財団が運営、日本人の下町の踏み込みすぎとは違い、個人主義だけど自分の周りの社会を大事にするアメリカ主義的、そんな空気が流れてるところである。

みぞれが降って冬の町になった仙台。東北の中心地としてそれなりの趣を益々出来つつあるようなきがする。商業の場と生活の場、その間をエンジョイする場。町並みとしては完成されつつあるが、問題はそこに住む人間である。

政令都市として大きくなって、どこか事務的な町。ずる賢い気の抜けない人間がはびこる町。と昔北海道の苫小牧近辺の人がよく言ってた。そんな人間が三分の一。反面文化の町芸術の町、音楽の町、知的な人が三分の一。

どうでも良い三分の一が両方を巧みに楽しんでいるのである。面白い町である。