ハイビジョンで、白洲正子の特集を放送してるが、いつか私もその歩った所を是非辿ってみたいものだ。吉野の金峰山寺の蔵王堂、蔵王権現の仏像。神様が修行を終り、この仏像に憑依した、と言われる。あの群青色の素晴らしさは、心引かれる。
天川村の龍泉寺境内の天河大弁才天社にある、能面31面、そして白洲が惚れる阿古ふの面は、私もどこか憧れる面構えである。吉野古道を歩き、那智の滝に何かがおわします空気。岐阜の日吉神社の十一面観音、人間の原点みたいな仏像。
神仏混合の原点を見て歩き、日本精神の、そして自分の一生のあり方みたいなものが、あるような気がするのである。八百万の神々が、日本人のおう揚さ、一神とうのキリスト教と違う心の持ちよう。逆にキリストまで入れてしまう、日本人。
そんじょそこらに存在する、神々。たぶんそうなんだろう?いや、まさか有るわけないだろう、でも正月は神社、お盆はお寺、デートはクリスマス。結婚はチャペルで、お葬式はお寺。生活様式まで様々。でも現実に八百万の神様を写真で見せられたら、どう感じるだろう。