ハイッター・「三時の川岸」

団塊は何かをするとき、空中を浮遊する。

蘇り(余震)

2011年03月31日 | Weblog

 ハイビジョンで、白洲正子の特集を放送してるが、いつか私もその歩った所を是非辿ってみたいものだ。吉野の金峰山寺の蔵王堂、蔵王権現の仏像。神様が修行を終り、この仏像に憑依した、と言われる。あの群青色の素晴らしさは、心引かれる。

 天川村の龍泉寺境内の天河大弁才天社にある、能面31面、そして白洲が惚れる阿古ふの面は、私もどこか憧れる面構えである。吉野古道を歩き、那智の滝に何かがおわします空気。岐阜の日吉神社の十一面観音、人間の原点みたいな仏像。

 神仏混合の原点を見て歩き、日本精神の、そして自分の一生のあり方みたいなものが、あるような気がするのである。八百万の神々が、日本人のおう揚さ、一神とうのキリスト教と違う心の持ちよう。逆にキリストまで入れてしまう、日本人。

 そんじょそこらに存在する、神々。たぶんそうなんだろう?いや、まさか有るわけないだろう、でも正月は神社、お盆はお寺、デートはクリスマス。結婚はチャペルで、お葬式はお寺。生活様式まで様々。でも現実に八百万の神様を写真で見せられたら、どう感じるだろう。


蘇り(余震)

2011年03月31日 | Weblog

 ハイビジョンで、白洲正子の特集を放送してるが、いつか私もその歩った所を是非辿ってみたいものだ。吉野の金峰山寺の蔵王堂、蔵王権現の仏像。神様が修行を終り、この仏像に憑依した、と言われる。あの群青色の素晴らしさは、心引かれる。

 天川村の龍泉寺境内の天河大弁才天社にある、能面31面、そして白洲が惚れる阿古ふの面は、私もどこか憧れる面構えである。吉野古道を歩き、那智の滝に何かがおわします空気。岐阜の日吉神社の十一面観音、人間の原点みたいな仏像。

 神仏混合の原点を見て歩き、日本精神の、そして自分の一生のあり方みたいなものが、あるような気がするのである。八百万の神々が、日本人のおう揚さ、一神とうのキリスト教と違う心の持ちよう。逆にキリストまで入れてしまう、日本人。

 そんじょそこらに存在する、神々。たぶんそうなんだろう?いや、まさか有るわけないだろう、でも正月は神社、お盆はお寺、デートはクリスマス。結婚はチャペルで、お葬式はお寺。生活様式まで様々。でも現実に八百万の神様を写真で見せられたら、どう感じるだろう。


蘇り(余震)

2011年03月30日 | Weblog

 土から芽を出す季節は、人間もちょっと暖かいと、外に出たくなる。砂糖が無くなったので、利府駅前のスーパーへ歩きながらの買い物を。辺りの梨の木の手入れをしてる人、別な山には夫婦でお茶のみをしてる風景。

 途中同級生の梨の木の下で、工作機で木の間を、腰を半分曲げながら耕してる。仕事中なので声をかけず、帰りにでもと思いながら、秋の収穫期を期待しながら、でも今一の甘さは、今年も変らないのか?

 まだ東北線は開通せず、駅は閉まったまま。客は来ないのに、タクシーは列を作って待ってる。こんな大災害時、物がないので人の動きがない。仕事がないときはどうすればよいのか?油がないので動かず待ってるほうが、経費がかからないのか。

 砂糖を買い、牛乳もない事に、砂糖はポシェットに、牛乳はビニール袋を背負い、また歩き始める。途中紅梅をもったお婆さん、声をかけたら、「あんまり綺麗だから」、花を持つ女性は幾つでも綺麗だある。

 12000歩、2時間の散歩である。ふらつきギミのスタートであったが、何時の間にか着いていた。距離的にも、時間的にも、少しずつ体力が増してるかもしれない。でも疲れて椅子でうとうと。「何処に居ますか?」突然の呼びかけ、テレビである。終戦後のラジオと同じである。安否確認の放送、2~3年は続いたかな~。


蘇り(余韻)

2011年03月29日 | Weblog

 早朝にトイレ、ゴボゴボと音がする。来た!水の音である。もう寝てなんか居られない。4、5日ぶりの水道は、男やもめの、ほったらかしの、特に台所流しには、5日分の食器のあるたけの量が重なってる。水つけてうる科し、汚れがすぐ落ちるようにしとくのだが。

  早速風呂を沸かす。食器を洗い始めたが、よ~く見ると、裏側がとても汚い。いや よ~く洗ってなかったんだ。さぁ始まってしまった。クレンザーで黄色になった部分や、片隅の部分など、どうにも止まらないが、本当は汚くとも食べるのには関係ないではないか!!

 洗濯物を洗濯機へ放り込む。床を掃いて拭く。炭火を起こし炉に入れお湯を沸かす。疲れてコーヒーを一服。外国の政治経済状況を見る。日本の放射能の問題が主力、リビアと。何かこの震災は我々渦中の中、ニュースが飽きてきた。

 屋根瓦がまた庭に落ちていた。昨日の震度5の遺産だろう。花を潰さず肩透かしでよけたようだ。優しい。見積もりをいつ取ってくれるのか、それまで雨が優しく降ってくれれば。時が経てば、少しずつ被害のヶ所がわかってきて、でもM9の地震でも壊れないことは、我が設計として大いなる自身を持てたのである。


蘇り(余韻)

2011年03月28日 | Weblog

 またM6.4、震度5弱、結構揺れてる。津波警報もでる。石巻方面は従兄弟初め親戚が多いので、連絡取るのが、悲しいことがありそうで、気が進まなかったが、電話回線が復旧した地区があり、丘の上にある従兄弟にまずは連絡してみる。

 出た声が割りと明るかったので、まずほっとしながら、一人ひとりの情報を教えてもらう。半分以上の人は、床上浸水。でも人命には関係なかったようだ。車を持っていかれた人は多い。一歩も二歩も付き合いの遠い人は、安否も取らない辺りからの情報のみ。携帯番号の交換がないのである。

 天気が良いのでウォ~キング。道路に出るとすぐ霊柩車が止まってる。近くには亡くなった人はいないのだが、場所が判らず迷ってるようだ。ところでちと思うのだが、こんなに死者が多いので、ガン箱が間に合うのかと思えるのだが、不足してるという話は聞かない。

 常時大量生産して保管してるのだろうか。以前私はマグロやなので、三陸沖にマグロが大量に水揚げされると、マグロ箱がちょいちょい不足したことがある。100キロ以上の物、60キロくらいの大きさの物、目方で違うが、人間様のはみな同じようだ。

 スーパーで同年代の人と並んで会計してて、「戦後と同じだね」と笑いあったが、このような状況が4~5年続いたのである。今は情報規制がないだけ、東京電力と原子力委員会はあたふたしてるようだ。混迷するのは必ず起きることだから、誤りは誤りと認め、訂正しながら前へ進め!


蘇り(余韻)

2011年03月26日 | Weblog

 朝起きたら、5センチくらい、雪が積もってる。名残雪であろうか。震災をゆっくり味わえと!

 昨日はガソリンを入れにスタンドに。息子の取引先のみとか、指定者のみとか。町の一角をぐるりと回るくらいの、行列の最後に並ぶ。それから一時間、スタンドの前にきたら、私が最期とか!タンクに油がないとか。でも三分の二くらいを入れて、満タンにしてくれた。

 生活様式が全部揃ったと思ったら、昨日からまた断水、31日まで、なんだそれ!!!まだ残り湯の風呂になる。入れない人を思ったら、贅沢は言えない。でも自衛隊の船に用意された風呂にも、話の種として、一回入ってみたい。

 虫の足音もわかる此処は、夜中の地震、遠くから来る振動は、初めのズレから次第に強くなるのが、解る。500キロの長さのこの範囲は、如何にぼろぼろに崩れてるか、何となく想像できるようである。5~6の余震はあたり前田のクラッカー。バリバリ・ぽりぽり、日本が沈んでる。

 近くのまだ水の引かない地区から、手や足が、飛び出してる。ガレキをよけ切れなかった手が、呼んでるようだ。まだこんな情景が見えるのである、よ!天災とはいえ、絶対に忘れるなよ、後世に伝えるのだ。それが今の我々に与えられた使命である。

 


蘇り(大震災)

2011年03月25日 | Weblog

 毎日、素晴らしい、美しい話題が、報道で流れるたびに、涙が枯れることなく流れてならぬ。流れても ぬぐわなくともそのままに、して置けるほど慣れてきた。こんな大災害の被災地になった塩釜、跡取孫が小学校を卒業、見てきた。

 体育館には被災者が生活をしており、4階の廊下の広場での式場である。時がときなので簡素に行うとのこと。卒業生80人くらい、一人ひとり証書を渡された。後の半分が校長先生の話。練りにねっての話だろうが、何を言ってるのか伝わらない。

 メモと前を見るのと、その度に頭のかつらが揺れるようだ。子供たちはよ~く見ているのだ。何で自分の有るがままを見せられないか?子供たちに大人を見せようと、自分を飾ってるんだ。そんな先生族は、尊敬できないで居る。

 ハゲはいやだ。若く見せよう。何で表面だけ飾ろうとするんだろう?すぐ化けの皮が剥がれるのが解らないのか。コマーシャルに感化されて、余計な金を使い、自分の心まで浅い心を見せているのである。何と嘆かわしいではないか。カツラ業者にはお叱りを受けるが。

 こんな大災害、酷いときは酷い。国民も・社会も・政治も、困難に立ち向かうばかりである。農民よ!保証ばかり望むな。プロ野球よ!お客さんは誰なのだ(巨人のオーナー)。政治よ!野党よ!国民を忘れたのか。


蘇り(大震災)

2011年03月23日 | Weblog

 震災地から、どうにも腹の立つことがある。放射能の関係、風評被害で、農家の連中が、この保証はしてもらわねば!と言ってる。あの沿岸平野部の津波が、田んぼ・畑け・温室、等等、どんな勢いで洗われたかを、テレビで見ていただろうか。

 そんな津波で、考えられない10メートル以上の破壊力で、原子力発電所を襲ったのである。100%安全と言うものがあるだろうか?そんな天災の中、家族も死んで仕事もなくなり、勿論住む家もなく、このような人たちには、どんな保証をしてやるのか?農家の連中!!

 この時点において、まだ自分勝手のことを言ってる族がいることの日本が、まだダメである。もう少し・・・利口になれませんかね!被災地の中学生・高校生が自分の親がまだ見つからないのに、ボランテア活動をしながら、前向きに生きようとしてるんだよ!

 いろんな立場でそれぞれ不都合が出てくるだろうが、それを我慢していまの災害に対処する大人が居ないのか?これからテレビに出てくる農家の人たちは、自分たちさえ生きればよいのか。だったら作った野菜を売らずに、自分たちだけで食べればよいのでは。

 本当に頭にくるではないか!


蘇り(大震災)

2011年03月22日 | Weblog

 余命あと三ヶ月を、15年も続けてる可愛い弟分、風呂釜の修理に来てくれた。この釜も15年前に設置した物、水道が復活したが、地震で壊れたと思えたが、凍結により破損したそうな。応急処理で使えるが、水は止まらない。

 思えばこの弟分、米屋さん・燃料屋さんを主力に、こまめに働くよき青年で、若き時代よりなんか憎めない素直な人間である。共にスキーから初め、中年にはゴルフクラブで毎月あちこちのゴルフ場、何故か仕事は関係ないがどこかで繋がってる。

 今は我が息子が釣り船で、兄弟船のように共に釣り揚げ競争をしている。今も余命三ヶ月がまだ元気でいる原因を、考えているが、釣り船で暇さえあれば沖に出てる二人、常時揺れてる船の、無意識にバランスをとってる神経、これが全身を過敏にし、ガンの進行を押えてる、いや!撲滅までしてるのではないか。

 私の親戚(石巻市田代嶋)の8割は船乗りである。漁船・商船に乗って定年で陸に揚がる。上がってから4~5年何もしない人は、まずあの世行きである。自分で小船でつりをしたりしてる人は80~90までも生きている。

 いま毎日、余震が休まず来ている。もう慣れたもので、時たまは気持ちよくさえ感じる物だ。こんな時だからこそ、膿みの根っこまで、搾り出す。日本の平和ボケの膿みも、戦後日本の復興劇を一丸となって、我武者羅に進んだ、あれを思い出せ!!爆撃で焼け野が原になった、原爆でも良い、あれを思い出せ!


蘇り(大震災)

2011年03月21日 | Weblog

 何でもありすぎて、希望もないままに生きて来た日本、とにかくこの危機を乗り切ろうという、そんな希望が日本人に出てきたのでは。

 昨日の朝、ようやく水が出た。10日目で全生活できる状態になった。風呂に入ろうとスイッチは入らない。水道と湯沸し釜の継ぎ目が壊れてた。追い炊きが出来ることが判り、これでスタート。次は洗濯。その次は台所の食器類。次は床の拭き掃除。こんなに一度に出来るわけがない。私は一週間をかけて。

 隣の町(塩釜市)の孫たちが、家族で風呂に入りに来た。10日ぶり。揚がってきた子は何と気持ちがよかったんだろう。この幸せな顔は、如何に普段の生活のありがたさを、いつもは認識してないか考えさせられた。孫たちは大変よい経験をしたと思う。

 また批判になるが、放射能の風評を広めてるのが、馬鹿な報道機関ではないか!!!知ったかぶりの世間知らずの、それを指揮してる上司。まだ解らないのか。報道することと実質の流通と、共に出来る方法を考えられないか。喋ることばかりの。テレビは信用するな!!!

 まず余震が多い。M4~6が頻繁である。岩手沖・宮城沖・茨城沖の三ヶ所でランダムに起きている。家の土台はよ~く・よ~く踏み固められて尚一層地震に強くなってるようだ。震度10でも良い。