前回のブログの通り
子育て出直しのハハです。
次男の悪行発覚後ちょうど1ヶ月が経とうとしているのですが
2週間ほどは完全ノックダウンしてしまっておりました。
この上なき悲しみと怒りと憤りと自分を責める気持ちとで
うちひしがれて
なーんにも手につかない
骨抜き人間になっちゃってたのですが、
ここ数日、やっと落ち着いて今までの、そしてこれからの
子どもと自分に関わる諸々を
頭と気持ちで整理し直しています。
「子育ては自分育て」
「子育てじゃなくて子育ち」
「育児でなく育自」
ここ数年来、いや十数年来でしょうか
繰り返されているこんなフレーズの数々はどれも、
育児にカラダもココロも埋没してしまう母に対して、
子と母とが別個の存在であって、
子は子で育っていくことであったり、
子育てがひいては母の人生にもメリットがあるかのようなことを
謳ってくれていたと思います。
そしてそれは
時に自分を見失いがちな母たちを多いに支えてもくれたと思います。
でも、今回私が
あらためてひしひしと感じてしまったのは
やはり、
子どもはどうしたってこうしたって親と一心同体なんだなあ、
ということ。
そして、結果として親自身も育つことは事実なのだけど
それ以前にやっぱり親は
自分がどうしようもなく元気がなくてへろへろなときも、
途方もなく道に迷っているときも、
その姿は子どもに必ず映し出されてしまうし
親が子に与える影響は、子から親が受けとる自分育ての糧よりも
ずっとずっととてつもなく大きく強烈だということ。
その責任をがっしりと背負うのが
親なのだということ。
子を持つことだということ。
今回次男がやらかしたトラブルも
過去に次男が私の頭を悩ませたあれもこれも
長男が私を怒らせたハプニングも
長女が私を心配させたあの事件も
深く思い出せば思い出すほど
そこには
どこかしら奥底で自分の当時の姿や心持ちが投影されています。
でもかといって、
常に親がベストな状態でいられる訳がない。
親だって悩む。苦しむ。怒る。怒鳴る。
子育て以外にもやることは山ほど。
とてもとても子どものために
自分を常にベストコンディションになんか
保ち続けられません。
やることの多さを呪って
子どもに八つ当たり。
うん、やるやる、私みたいなダメ親はしょっちゅう。
それでも
絶対責任がある。
絶対子に影響力をもっている。
うー、逃れたい。
でも逃れちゃいけない。
親は絶対に逃れないぞ。
君の人生に責任をもっているぞ。
君の人生を思っているぞ。
何だかまるで
悪玉菌と善玉菌の戦いみたいになってきちゃったけど。
そして
こんな感じの、けっして立派でない類いの
イケてない親のできることと言えば、
子どもを引っ張ることではなくって
ただとにかくとなりに並んで歩くことかも。
絶対となりに並んでいるよ。
常にとなりに並んでいるよ。
そう子どもに感じてもらえるように
今日も明日もあさっても
その次もそのまた次も
いいときも悪いときも
だらしないときもめちゃくちゃな時も
並び続けることかも。
そんな感じなんじゃないかなあ、と
子育て15年目にもなるのに
思い直すのです。
んじゃあ、
並ぶってどんな?
それは人それぞれのやり方がありそう。
私にとっての並び方は
思いっきり共感するってことかなあ。
そいえば、
この数ヶ月あまりにやることがいっぱいあって
パツンパツンで、テンション下がりまくりで、
次男と一緒に声を出して大笑いしたことなかったかもなあ。
人を笑かすことが取り柄の彼だったのに
申し訳なかったなあ。
はあ、
なんとかちょっと子育て人生振り出しに戻ってきたハハです。
子育て出直しのハハです。
次男の悪行発覚後ちょうど1ヶ月が経とうとしているのですが
2週間ほどは完全ノックダウンしてしまっておりました。
この上なき悲しみと怒りと憤りと自分を責める気持ちとで
うちひしがれて
なーんにも手につかない
骨抜き人間になっちゃってたのですが、
ここ数日、やっと落ち着いて今までの、そしてこれからの
子どもと自分に関わる諸々を
頭と気持ちで整理し直しています。
「子育ては自分育て」
「子育てじゃなくて子育ち」
「育児でなく育自」
ここ数年来、いや十数年来でしょうか
繰り返されているこんなフレーズの数々はどれも、
育児にカラダもココロも埋没してしまう母に対して、
子と母とが別個の存在であって、
子は子で育っていくことであったり、
子育てがひいては母の人生にもメリットがあるかのようなことを
謳ってくれていたと思います。
そしてそれは
時に自分を見失いがちな母たちを多いに支えてもくれたと思います。
でも、今回私が
あらためてひしひしと感じてしまったのは
やはり、
子どもはどうしたってこうしたって親と一心同体なんだなあ、
ということ。
そして、結果として親自身も育つことは事実なのだけど
それ以前にやっぱり親は
自分がどうしようもなく元気がなくてへろへろなときも、
途方もなく道に迷っているときも、
その姿は子どもに必ず映し出されてしまうし
親が子に与える影響は、子から親が受けとる自分育ての糧よりも
ずっとずっととてつもなく大きく強烈だということ。
その責任をがっしりと背負うのが
親なのだということ。
子を持つことだということ。
今回次男がやらかしたトラブルも
過去に次男が私の頭を悩ませたあれもこれも
長男が私を怒らせたハプニングも
長女が私を心配させたあの事件も
深く思い出せば思い出すほど
そこには
どこかしら奥底で自分の当時の姿や心持ちが投影されています。
でもかといって、
常に親がベストな状態でいられる訳がない。
親だって悩む。苦しむ。怒る。怒鳴る。
子育て以外にもやることは山ほど。
とてもとても子どものために
自分を常にベストコンディションになんか
保ち続けられません。
やることの多さを呪って
子どもに八つ当たり。
うん、やるやる、私みたいなダメ親はしょっちゅう。
それでも
絶対責任がある。
絶対子に影響力をもっている。
うー、逃れたい。
でも逃れちゃいけない。
親は絶対に逃れないぞ。
君の人生に責任をもっているぞ。
君の人生を思っているぞ。
何だかまるで
悪玉菌と善玉菌の戦いみたいになってきちゃったけど。
そして
こんな感じの、けっして立派でない類いの
イケてない親のできることと言えば、
子どもを引っ張ることではなくって
ただとにかくとなりに並んで歩くことかも。
絶対となりに並んでいるよ。
常にとなりに並んでいるよ。
そう子どもに感じてもらえるように
今日も明日もあさっても
その次もそのまた次も
いいときも悪いときも
だらしないときもめちゃくちゃな時も
並び続けることかも。
そんな感じなんじゃないかなあ、と
子育て15年目にもなるのに
思い直すのです。
んじゃあ、
並ぶってどんな?
それは人それぞれのやり方がありそう。
私にとっての並び方は
思いっきり共感するってことかなあ。
そいえば、
この数ヶ月あまりにやることがいっぱいあって
パツンパツンで、テンション下がりまくりで、
次男と一緒に声を出して大笑いしたことなかったかもなあ。
人を笑かすことが取り柄の彼だったのに
申し訳なかったなあ。
はあ、
なんとかちょっと子育て人生振り出しに戻ってきたハハです。
子供が、多いほど誰か1人はギャングがいるものです。
私は、2人しか産めなかったので3人いらっしゃる、そとっこさんがうらやましいです。
わたしも、いつもニコニコ笑顔で、心に余裕があって、怪獣たちの話をちゃんと聞いてあげれたら。。と反省の毎日です。
子育て、難しいです。
子供が問題を起こした背景には、必ず当時の何かが影響しています。
友達・家族・学校。。
今、娘がなんだか不安定なんです。
4年生なので、反抗期もあるのでしょうか?
担任の先生が変わった頃から、言葉も、弟にも乱暴になりました。
そのば、その場で注意はしていますが、難しいです。
見守り加減と注意の加減、子供と並ぶ立ち位置の加減。。難しいです。
コメントありがとうございます。
確かに女の子もこのぐらいの年齢のときは色々とありそうですね。
自分自身の心の成長の過程でバランスの取りにくい時期なのかもしれませんね。
うちの長女もやはり4年生のころ、学校で先生や友だちとの距離感に悩む時期がありました。
高学年の間はずっとどこか危うい不安定さを抱えていました。
中2になった今も決して大人になりきった訳ではありませんが
それでも、私のブログを読んでダメ出ししてくれたり、
男子たちの子育てにアドバイスをくれたり、
なんだかちょっと同志っぽくなってきて楽しいです。
先生や友だちに対するスタンスも、悪くいえば冷めて、よく言えばバランスがとれて
きているようです。
必ずそうやって成長するって、分かってはいるのですが、
その渦中では、どうしたら良いか分からない瞬間の連続ですよね。
永遠にオヤには悩みが尽きないのかもしれません。
そして悩み続けるのがオヤかもしれませんね。