シーカヤック釣り 海をてくてく

カヤックフィッシングとハイキング
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安土桃山城をてくてく

2020年01月15日 | 散策

連休中日。曇天。

電車とレンタサイクルも考えたけど、雨が降りそうなんで、車で安土桃山城。

麒麟が来る に備えて、ゆかりの地に行きたいなと。

実物のデカさ、広さ、高さを感じようかと。

越前、福知山もゆかりの城があり、仕事に絡めて画策中。

光秀さん、ある程度の位に着くまでの経歴は不明らしい。

まずは最後の主君であった織田信長の安土桃山城。

観光ルートは一方通行で、まずは天皇を迎えるべく作られた天守までほぼ真っ直ぐな階段を行く。

普段は使わないそうな。

羽柴秀吉、前田利家の屋敷を参道の両側に配置し、万が一、敵が攻めてきたときの防御としていました。

明智光秀の屋敷はありません。

秀吉屋敷の石垣。

城の中に寺がありました。

御朱印は下の料金所で気が付きませんでした。先に渡して後で受け取るスタイル。

織田信長像。あちこち沢山ありますが、キリストよりはぶれてません。

天守は四角、六角、また四角の作り。世界中の宗教を和洋折衷。

わずか三年で作られ、わずか三年後、本能寺の変の後、天守だけ火災でなくなってしまいました。

色んな所に、綺麗なカラーの絵や模型がありますが、想像の産物なので作った人の著作権があるらしく、

写真お断りの張り紙が目立ちました。

お茶とお菓子でほっこり。最初に寺を見学するコースだけど、落ち着かない。

全部見てからでいいのでは?

階段を奥へ。

わずか3年で作ったため、石仏も建材としてかき集めたらしい。

階段にも平気で使われています。

端っこだと、踏まないけど気付かない。どっちが良いだろう。

家督を譲られた信忠。

天守の近くには血のつながりの濃い人の屋敷があります。

織田信澄、甥っ子だとか。

石垣の石が大きくなって行きます。ルートもクランクし、先が見えない構造に。

石垣の中に組まれていた仏足石。

まだまだ、見えないところにいっぱいはまっていると思います。

本丸は天守の手前にある邸宅。

天守閣への道。クランクしてブラインドコーナー。

内側の基礎だけでなく、石垣の上全体に天守が乗っていたとのこと。

曇天でスカッとしないけど、田んぼでのどか。

当初は湖の中に立つ城で、他3か所の城を含め、琵琶湖の海運の要所でもありました。

天守から本丸への出口。意外と狭い。

攻められた場合の脱出ルートみたいな所が3か所ほど。

船着き場も何カ所かありました。

 

織田家の墓。

信長以降も血筋は絶えていません。

スケートの織田信成さんまで続いているって、この時代では凄いと思う。

 

帰りは右にそれていきます。

もう一つ、城の中に寺。

摠見寺。

本堂は燃えてしまったけど、三重の塔と門が残っています。

こちらが通用門で、大名などはこちらから寺を経由して天守に上がる構造となっています。

内湖が見えます。

当初はこの景色もすべて湖。

受付で御朱印を貰おうとしましたが、待たされそうなんでパスしました。

天下布武。実にカッコいいので今度は貰おう。

既に書いてる御朱印もありましたが、結局どっかに行っちゃうんですよね。

スケール感が分かったところで、次へ。



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