続いてアヤソフィア。
東ローマ時代に、キリスト教大聖堂として建てられ、二階にはキリストのモザイク壁画等が飾られていた。
オスマン帝国時代には、イスラム教のモスクとして改装されるが、キリストのモザイクははぎ取らず、漆喰等で上塗りする程度としていた。
それが近代の調査で漆喰の中から見つかり、イスラム教のモスクの中に、キリスト壁画あり。
という形になったらしい。
ブルーモスクその他は、オスマン帝国以降の建立で、あくまでイスラム教のモスクであります。
異教とはいえ、シンボルを破壊するとやっぱり罰が当たると思ったのか・・・。
または、侵略地の信仰に無言の敬意を払い、国をまとめる力にしたのか・・。
国が陸続きでない日本じゃあ、何百年も後になってようやく異教に触れ、キリストの絵を踏む踏まないで、生死を分けたりしてましたけど。
圧倒的空間。
焼失や地震による崩壊を何度も経験して、今の形になっているとのこと。
二階へは階段ではなく、石畳のスロープで上がる。
キリストの大聖堂時代のモザイク壁画。
窓から、ブルーモスクが見えます。
観るペースがばらばらで、一度逸れると困ったことになる。
国際電話になっちゃうので、トランシーバーみたいに気軽に携帯を使えない。
何時になったら、ここに集合・・・。等、携帯電話を持たない時代の決め事が必要です。