大阪芸大ジャーナリズム研究会

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大森一樹 映像学科長死去 11月12日、西宮市内の病院で

2022-11-15 13:33:49 | ニュース

 大阪芸大映像学科の大森一樹学科長が亡くなりました。11月12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫県西宮市内の病院で死去しました。70歳。葬儀・告別式は近親者で行われました。日本映画監督協会によると、後日「お別れの会」(期日未定)を行う予定だということです。

(写真:大阪芸大7号館=映像学科棟=前の立て看板 2022年11月15日14時20分撮影)

 1952年、大阪市出身。小学生時代に芦屋市に移り住む。芦屋市立精道中学校、六甲高校を経て京都府立医大卒。
 2005年からは大阪芸術大学芸術学部映像学科で教授、学科長を務めていました。

 高校時代から8ミリフイルムで自主制作を始め、大学時代の1975年に16ミリ作品『暗くなるまで待てない!』を発表。
 1977年、シナリオ『オレンジロード急行』で第3回城戸賞を受賞、翌年、自ら監督し劇場映画デビューを果たしました。
 1980年『ヒポクラテスたち』、1981年村上春樹作品初の映画化『風の歌を聴け』などを手がけ、1980年代初頭に若手映像作家として注目を集めました。

 1987年には黒柳徹子さんの自伝を映画化した、斉藤由貴さん主演の『トットチャンネル』(監督・脚本)で 芸術選奨新人賞を受賞。
 1989年『ゴジラVS ビオランテ』(脚本・監督)、1991年『ゴジラVSキングギドラ』(同)で、平成ゴジラシリーズの初期を飾りました。

 また、1999年には、阪神大震災の復興事業として「明るくなるまでこの恋を」を自主製作しました。

 パンデミックを描いた、2007年のWOWOW2時間ドラマ『黒い春』では、西岡琢也教授(脚本)、栗山和樹客員教授(音楽)らとともに制作にあたりました。

 大阪芸大映像学科は11月15日19時05分、ツイッターに追悼コメントを発表しました。
「大森一樹学科長の突然の訃報に、学生、教員、皆、信じられない思いでいっぱいです。映画監督としてだけではなく、教育者としての先生の教えはこれからも私たち映像学科の大きな指針として受け継がれてゆくことでしょう。これまでのご指導に深く感謝するとともに映画人としての多大なる功績に敬意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます 大阪芸術大学 映像学科一同」。

【外部リンク】大阪芸大公式サイト 映像学科紹介「今日は映画の話をしよう」= https://www.osaka-geidai.ac.jp/topics/channel5_co3 

 

11月上旬には退院する予定だった

 関係者の話しによると、大森学科長は昨年体調を崩し、急性骨髄性白血病と診断され入退院を繰り返していたということです。
 今年7月24日のオープンキャンパスのあと再び体調を崩し、8月には臍帯血移植を実施。11月上旬の退院をめざしていたということです。
 退院後に映画上映会のトークイベントへの出席などの予定を入れて、復帰への意欲を見せていましたが、11月12日に亡くなったということです。

(画像下:大阪芸大映像学研究室のツイッター @eizou_gakka に掲載された追悼コメント)

(写真下:大学案内2022の画像から)