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おつかれ山っ!/(^o^)\

山行報告&コラム

南アルプス縦走の旅 No9

2005年11月05日 | '05南アルプス縦走の旅

AM5:30起床。下山した安心感からか、昨夜はぐっすりと良く眠れた。
標高を一気に落としたここ椹島ならどんなに暖かいだろうと思っていたが、しっかりテントは凍り付いて、気温は0度を下まわったようである。意外と寒い。
とりあえず今朝は、売店横の自動販売機で缶コーヒーを買ってひと息つく。
お金を入れてボタンを押すだけで、即座に温かいコーヒーが出て来るなんて、なんて幸せな事なんだろう。
いつもなら甘過ぎると感じる缶コーヒーも、今はこの甘さがとても美味しい。
売店横のベンチに座り、タバコをふかしながら、静かな朝を満喫した。

朝食を済ませ撤収をしていると、椹島ロッヂ職員のおじさんが薪を燃やして暖を取り、こちらの様子を伺っている。
「こっちおいでよ!あったかいよ!」
そう言っておじさんは手招きしている。
せっかくだからと、私達は撤収の手を休め、焚火にあたらせてもらう事にした。
おじさん「これから山に登るのか?」
私「いや、昨日下山して、今日はもう帰ります」
おじさん「どこに登って来た?」
奥田「北岳からずっと縦走して…」
おじさん「ほぉ~そりゃ大変だったなぁ~、何日かかった?」
奥田「一週間ですねぇ」
おじさん「ほぉ~」
と、感心している。
「寒かったろ…」そう言って、おじさんは焚火にまた薪をくべた。

撤収も終えてAM8:10、椹島から畑薙第一ダムまで、最後の林道歩きをスタート!売店の女の子も「気をつけて!」と笑顔で見送ってくれた。

歩き出してすぐに、赤石沢の谷間から赤石岳が見え、その高さに圧倒される。
ここ椹島からは2000mの標高差があるのだから当たり前だが、そびえ立つ!と言う言葉が良く似合う眺めだ。

50分ほど歩いて聖岳への登山口があった。今回は日数が少なくて登れなかったが、いつか聖岳~光岳の周回コースに使う事になるだろう。

林道と並行して流れる川幅が広くなってくると、そこには赤石ダムがあり、湖面に映る紅葉の山がとても綺麗だった。

そんな景色を楽しみながら歩いていると、どんな許可をもらって入って来るのか知らないが、時々マイカーが砂ぼこりを上げて走り抜けて行く。
畑薙第一ダムからは一般車両通行止めになっているのに、どうも腑に落ちない…
ここ南アルプス南部の山域においては東海フォレストと言う会社所有の土地になっている為、当社の経営する山小屋に宿泊したもののみ(テント泊と冬期開放小屋は不可)が、椹島ロッヂからの送迎バスに乗れる仕組みになっている。
マイカー規制をするならば、登山者の為に路線バスを運行するのが普通である。
畑薙第一ダムに向かう送迎バスは、誰ひとり乗っていないのに私達を乗せていってもくれず、砂ぼこりをあげて走り抜けて行く。
どうも腑に落ちない…
林道の真ん中にでかい石を置いてやろうとしたが、奥田に「大人気ないからやめて下さいよ!」と言われたので、また次回にしたいと思う。

コースタイムで五時間と長い林道だが、紅葉に染まる山を眺めながら歩くのはなかなか気持ちが良く

畑薙第一ダムが近づくにつれてサイクリングやハイカーの姿も現れ始めた。
笊ケ岳登山口にかかる中ノ宿吊り橋の前で休憩していると、おばちゃん二人組のハイカーに声をかけられた。
おばちゃん「どこの山に行って来たの?」
私「北岳から入って一週間縦走して来ました」
おばちゃん「へぇ~凄いわねぇ~、北岳から!!私達も北岳行ったけど、二俣から右俣コースをとって一泊で帰って来たわよ」
私「じゃ、御池は寄らずに、肩に行って?」
おばちゃん「そう!帰りはハ本歯越えて帰って来たわ」
私「良い周回コースですよねぇ」
ここでふと気付いたが、山好きな人と山独特の地名なんか出しながらサクサク会話している私は、結構詳しいじゃないか!
もうそろそろ山やってる!とか言っても恥ずかしくないんじゃないのか?
深田百名山も今回の山旅で29座になった私である。

歩き始めて三時間、そろそろお腹が空いて来た。
実は、この旅の終わりに畑薙第一ダムまで車で迎えに来てくれる山仲間のOじろー氏がいるのだが、昨日、椹島から電話して、あんぱんと牛乳を買って来て欲しい!と頼んでおいた。
山旅の疲れで、急に甘いあんぱんが食べたくなり、奥田もこの意見には賛同してくれて「じゃあ、牛乳も頼みましょう!」と、言う事になった。
以後、私達は、畑薙第一ダムのゴールを目指し、左足を出しては「あんぱん!」右足を出しては「牛乳!」
「あんぱん!」
「牛乳!」
「あんぱん!」
「牛乳!」
と、何かに取り憑かれた様に進んだ。
ハイカーが見たらきっと「山で何かを見たんだな…」と思った事だろう。

真っ赤な畑薙橋を渡り、畑薙湖が近づくと、紅葉を見にやって来た沢山のハイカーとすれ違った。
でかいザックを背負った私達は、何処の山に登って来たのかと何人かに尋ねられ「北岳から縦走して来ました!」と、言うと「北岳から!!ほぉ~若いっていいなぁ!」と、言う人や「き・き・き・き・きただけぇ~!!」と、驚きの余りサンプリングマシンみたいになって、飛び出したヨダレを拭いてるおじさんなんかもいて、結構みんな驚いてくれるので気持ちが良かった。
面白かったのは、そのサンプリングおじさんが一緒に来ていたもうひとりのおじさんに「この人達、北岳からずっと歩いて来たんだって!」と説明すると…
「ほぉ~、ほぉ~か」で、終わってしまった事(笑)
北岳の場所も知らなければ、驚きようが無いと言うものである。

畑薙大吊橋を通過して、残す所あとわずか。遂に七泊八日におよぶ南アルプス縦走の旅も、もうすぐ完結する。
スタートの広河原を出発する時、最終日にゴール直前の畑薙湖畔を歩きながら、どんな気持ちになっているんだろう?
まだまだ余力があって、このまま歩いていたい!と思うのか、もうヘロヘロで二度とこんな辛い思いはしたくない!と、思うのか楽しみだった。
答えは、あんぱんと牛乳が食べたい!である。
体力的にはまだまだ行けそうで、こんな晴天に恵まれればどこまでも歩いていたい気分だが、まともな食事が出来ないのが辛く、今はとにかく甘いあんぱんが食べたい。

林道が左へカーブした所で、遂に畑薙第一ダムの沼平ゲートが見えて来た。
たくさんの車が停まり、遠くOじろー氏が手を降っている姿が見える。
(やった…帰って来た!)
「お疲れさま~!どうだった?」と、Oじろー氏は山行報告を楽しみにしていたが、とりあえず、あんぱんくれ!だ。

その時、ひと口食べたあんぱんの、体中がとろけそうな美味しさは今でも忘れられない。
ありがとう!あんぱん!
いや…、ありがとうOじろー!

(南アルプスの縦走を終え、微笑む奥田氏)

その後、Oじろー氏が運転する車の中、二人とも臭い!だの酸っぱい!だの言われ、大変恐縮しながら3時間。静岡市街に到着。
帰路に着こうと思ったが、そのまま行きつけの居酒屋「鳥幸」に直行してもらい、七泊八日におよぶ南アルプス縦走の旅の成功を祝ったのだった。

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南アルプス縦走の旅 No8

2005年11月04日 | '05南アルプス縦走の旅

一時は雪に阻まれ行動不能になるかもしれないと思っていたが、天気予報の「秋空が戻り、穏やかに晴れるでしょう!」と言う言葉を聞いてからというもの、安心を通り越してテンションがグングン上がってしまった。
ピーカンの赤石山頂を想像しワクワクして眠れず、やっと眠れたかと思ったらAM2:00頃には目が覚めてしまい、ずっとシュラフの中で朝が来るのを待っていた。
何度時計を見ただろうか、AM4:30になるのを待ってシュラフから這い出し、ランタンに火を点けると真っ暗な小屋の中、奥田の顔が浮かび上がりビックリした。
とりあえず入れたコーヒーを片手に、外の様子を伺いに出ると、雪は止み満天の星空が広がっていた。
視力の悪い私にも確認出来るくらい、小さな星まで無数に輝きまたたいている。
あまりにも綺麗なので、小屋の中にいる奥田にも声をかけ二人で星空を眺めた。
奥田「おぉ!凄いですねぇ~」
私「ほんと!こんな星空、街の中じゃちょっと見れないよなぁ~」
奥田「あっ!あれ、北斗七星ですよ!」
私(いや、わかるよそれぐらい…)
奥田「いやぁ~、北斗七星って初めてまともに見たなぁ~」
と、小学生みたいなコメントに、本当に感動しているのか怪しい奥田である。
その時!スーッと星が流れて…
私「あっ!流れ星!」
奥田「あっ!流れ星!」
と、同時に男二人で声をあげてしまい、こんな山の中、ふたりっきりである事を再確認してとても不愉快な気持ちになった。
出来れば、こんな星空は若い女性とふたりっきりで見たいものである。

小屋に戻り、朝食を済ませてから再び外に出てみると、今度は明るくなり始めた水平線が、赤からオレンジ、黄色、紫、青、そして星がきらめく黒の順に素晴らしい色彩を見せていた。
その中に富士山が美しい円錐形のシルエットを見せ、私はしばし感動で固まってしまった。
これは、私が以前から見たかった風景のひとつだったので本当に嬉しかった。

明け方からのんびりし過ぎて遅くなってしまったが、AM6:30赤石岳に向け荒川小屋を出発。とりあえず大聖寺平までの巻き道を行く。
昨日降り積もった雪面には、カモシカ、雷鳥、ウサギなど、所々に動物のかわいらしい足跡が見られた。

小屋を出発して間もない場所に、こんなに動物がいっぱいいるのかと思うと、本当に山は動物達のもので、人間は山に入れば訪問者なんだと思い知らされる。

小屋を出てから40分ほどで大聖寺平に到着すると、西側の展望が開け、中央アルプスを一望。
北を見れば雪で真っ白になった穂高連峰も見え、槍の姿も確認出来た。
ここ大聖寺平より急登が始まるが、標高を上げるにつれどんどんと雪が深くなり、登山道は不明瞭。コースを外れ、何度か修正を繰り返す。

雪は膝まで潜る様になり、先行でラッセルしている奥田も辛そうだ。
私も奥田の踏み固めた穴に足を入れて進むが、足のリーチが違うので足が届かない。もう少し気を使ってほしいもんである。

深い雪と急斜面に息を切らし、やっとひとつ目のピークに乗った所で小赤石から赤石岳の雪深い稜線が見え、私は思った…
(こんな所で何をしているんだ…)
(雪山じゃないか…)

ピッケルも持たず、六本爪の軽アイゼンのみでこんな場所にいる。
山をナメちゃいかん!とはまさにこう言う事だ。
本当に、もう一日雪が降っていたら赤石岳は越えられなかっただろう。

小赤石岳を越え、登り返して赤石岳山頂を目指す。
さすがに最後のきつい登りに奥田もバテ始め、立ち止まって息を整えている。
今まで、どの頂きもこの男に先を越され、両手を振って嬉しそうな奥田ばかり見て来た。
この山旅の最後の頂きぐらい私が先に踏みたい!
そんな気配を悟られない様に、立ち止まって息を整えている奥田に一歩一歩静かに近づいて距離を縮め

最終コーナーで遂に奥田をかわし、走る様にして山頂の三角点にタッチ!
AM9:20、遂に最後のピーク赤石岳山頂に到着した。

振り返れば苦労して越えて来た3000m級の峰々が、真っ白な姿で連なっている。

長い縦走の末に辿り着いたピークに立ち、私は目頭が熱くなって思わず涙がこぼれそうになるのかと思ったが
(ほんとうにいいのか…)
(雪山じゃないか…)

呟いてしまった…

最後の頂きは快晴に恵まれ360度の大展望!
南の富士山から西へ、大井川を挟んで、笊ケ岳、布引山。
南アルプス前衛の大無間山から光岳、聖岳。
西に中央アルプスが横たわって、北を見れば真っ白な穂高連峰。
そして、苦労して越えて来た南アルプスの峰々。
最後のピークで、こんな展望を得られた事は本当にラッキーだ。

山頂にある赤石非難小屋で軽い昼食を取った後、下山に向かおうとするが、奥田はこの素晴らしい展望に降るのが惜しいらしく、同じ写真ばかり何枚も撮って、なかなか進もうとしなかった。

AM10:15下山開始。
赤石岳を急降下して、富士見平、赤石小屋を経て椹島まで、2000mを一気に下るコース。
長い長い下りに膝がガクガクと笑い出し、奥田も疲れ切って魂が抜けたラクダの様な目をしている。
ラク田「魂は赤石岳に置いて来ちゃいましたよ…」
と、大きくそびえ立つ赤石岳を振り返っていた。

長い長い、本当に長い下りを終えて、PM3:35椹島に到着。
売店に入ると可愛い女の子が「今、降りて来られたんですか?お疲れ様でした!」と、奥田は無視して私だけに微笑んでいた。

椹島ロッヂでテント場の受付をすると、顔見知りの男性が現れた。
彼は以前、山道具の店コージツで働いていた人で、山の店なのに何故か自転車ツーリングの話題で盛り上がってしまい、私の紀行文も読んでくれた人だ。
その頃の私はパーマをかけたナイスなヘアスタイルだったが、今は坊主にしてしまったので全く気付かないでいる。
「コージツで働いてたKさんですよねぇ?」と、声をかけると。
「おぉ!気付かなくてごめんなさい!」
そう言って、大変申し訳なさそうだったが、以前の私の杉山清貴もびっくりするほど爽やかな印象も、今や「どうしちゃったの!?」と言うほど、悪いミッキーマウスみたいな坊主頭になってしまったので気付かないのも無理はなかった。

Kさんのご好意により、通常ロッヂ宿泊者しか入れないお風呂に入れさせてもらい、一週間の汚れを洗い流した。
湯舟は三人も入れば一杯になりそうな小さいもので、奥田と二人で入っているのはとても不愉快だったが、何より一週間ぶりの風呂は有り難く、とても気持ちが良かった。

風呂上がりは売店に隣接している食堂でビールを頼み、無事の下山を祝った。
店内には薪ストーブが有り、パチパチと音を立てて良い雰囲気である。
この時の一週間ぶりのビールが旨かった事!旨かった事!
今でも忘れられない味である。
山を降り、風呂に入り、ビールを飲んで、とても心地の良い夜だ。
PM7:00就寝

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南アルプス縦走の旅 No7

2005年11月03日 | '05南アルプス縦走の旅

今まで出発が遅かった事を反省して、今朝はAM4:30起床。
まだ夜が明けない中、シュラフからはい出してランタンに火を付ける。
軽い朝食をとった後、小屋の外にタバコを吸いに出たら、急にうんこがしたくなった…
真っ暗でシーンと静まりかえった小屋の外、トイレまで約10m。
当然電気など付いていないから、真っ暗な中ヘッドランプひとつで用を足して来なければならない。
気味が悪いので、もう少し明るくなってからにしようかなぁ…と、一旦小屋に戻ったが、やっぱり我慢出来なくなり、意を決して闇の中へ突入!
こんな時にクマに「ワゥッ!」なんて襲われたらきっと、うんこ漏らすな…
いや、きっと鹿が駆け抜けただけでも、うんこ漏らしてしまうな…
そう思いながらも、何とか闇の中のトイレに到着し、任務完了!無事帰還した。

出発の準備を整え、AM6:10高山裏非難小屋を出発。
今日はあいにくの天気で雪が舞っているが、針葉樹に積もった雪はクリスマスツリーの様で、とても良い雰囲気。
そんな樹林の巻き道を抜けると、突然開けた河原のような場所に出た。ここより一気に急登が始まり高度を稼ぐ。

2700m…

2800m…

2900m…

高度を上げるにつれて風が強くなり、雪も横から叩きつけて来る。
全く展望が無いので立ち止まる事も無く、奥田も黙々と先行する。
手持ちの高度計が3000mを示した所でようやく稜線が見えて来た。

地図に前岳とあるので登ってみたが、ピークに看板は無い。

分岐を荒川岳方面に進んで中岳を越え、吹雪の中にうっすら中岳非難小屋が見えた時、今までに見たどの非難小屋より非難する小屋に見えた。

小屋の屋根からはつららが下がり、看板には風に吹かれてエビの尻尾が出来ている。
辺りは全て凍り付いた世界である。

小屋に入ってザックを降ろし、とりあえずホッとひと息。
ラジオの天気予報を聞いたが、どうやら夕方まで天気は回復しない模様。
停滞していても仕方が無いので、「行ける所まで行って、危険だったら諦めよう!」そう奥田に申し合わせ、重いザックを非難小屋にデポし、空身で悪沢岳山頂に向けて吹雪の中へ突入した!
ザックを降ろした体は軽く、奥田もガンガン先行する。登山道は危険箇所こそないが、強い風に煽られて時々体が飛ばされそうだ。
着込んだレインウェアも見る見るうちに凍り付き、奥田の鼻水も凍っていた。

そんな奥田が、急に足を止めたので「もう、やめましょうよ…」って言うのかと思ったら「雷鳥がいますよ!」なんて、少年のような瞳をキラキラさせていた。

しかし、依然鼻水は凍ったままだ。
奥田の指差した方向を見ると、保護色で半分白くなった雷鳥が二羽、岩の上をトコトコと歩いている。フサフサの白い毛をまとった足がとても可愛い。
雷鳥はとても臆病な鳥で、敵がいないこんな霧に包まれた日にしか姿を現さないのだが、結構人慣れしてしまって、近づいても逃げる気配はない。
今度捕まえて、人間の恐ろしさを教えてあげなければいけないと思う。

登山道は勾配を増して行き、岩に手をかけながらひと登りした台地の上、先行した奥田が大きく両手を振っている。
AM11:15悪沢岳登頂!
こんな過酷な条件の中、行けないかもしれないと思っていただけに、無事登頂出来て何よりである。
山頂では横殴りの雪に叩かれて、じっとしていると身体が凍り付いてしまいそうなので、休憩もそこそこに記念撮影だけ済ませて下山に向かった。

再び中岳非難小屋に戻り、ひと息入れた後、ザックを背負って荒川小屋に向け出発した。
稜線から南に下る荒川小屋への道は、風が遮られて少しは楽になったが、依然雪が交じる霧の中、黙々と進む。
PM1:50荒川小屋到着。
今日は雪の中で展望を楽しむ事も無く、黙々と進んで来たので到着時刻も驚くほど早い。
とりあえずラジオを聞きながらコーヒーを飲んで寛ぐ。
小屋には必ず登記帳と言う、立ち寄った人が自由に書き込めるノートが置いてあるのだが、同じ南アルプス縦走中の松尾君が書き込んでいないか確かめてみた。
すると、彼は昨日のうちに、この荒川小屋まで来て宿泊しており、つまりは私達が二日かけて歩いたコースを一日で歩いた事になる。
松尾くん…、私達の旅が台無しじゃないか…
書き込んだ内容を読んで見ると
「この登記帳を読ませてもらって、世の中には健脚な人がいっぱいいるんだなぁ~と驚きました!」
って、健脚なのは、おまえだよ!松尾!と、すかさず突っ込んでしまう私なのであった。

雪が積もっていないか心配になり、時々外の様子を見に行くが、一向にやむ気配は無く、シンシンと降り続いていた。
最後、寝る前トイレに行った時には辺り一面真っ白になり、積もった雪は10cm位。このまま明日も雪が降り続けば、登山道も探せず行動出来なくなるだろう。
奥田と「やばいなぁ…」と、地図を見直しエスケープルートを探すが、長野県側に降りる、一泊は必要な長い長い林道しかなかった。
やっぱり、予定通り赤石を越えて行くしかないのかなぁ…、
でも、雪になったら登山道はおろか視界が利かなくなって、進む方向すら分からなくなるしなぁ…
など、不安はつのるばかりだ。

そんな事を考えながらシュラフの中でウトウトしていると、つけていたラジオから天気予報が流れ始めた。
(低気圧の通過に伴い、今朝から降り続いた雨は今夜には上がり、明日は秋空が戻って穏やかに晴れるでしょう)
私はシュラフの中で小さくガッツポーズを取り「いぃぃ~よしっ!!」と、声を上げると、隣で寝ていた奥田は「ほんとに晴れるんすかねぇ~」なんて弱気な事を言っている。
何を言っているんだ奥田!たった今、今夜にも雨は上がり、明日はピーカンの秋空で虹まで出ちゃうぞ!この野郎!って言ったじゃないか!
それからというもの、雲ひとつ無い晴天の赤石岳で小躍りしている自分の姿を想像し、ワクワクして眠れなくなってしまった。
PM7:30就寝

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南アルプス縦走の旅 No6

2005年11月02日 | '05南アルプス縦走の旅


自宅を出発してから寒い中でのテント生活が三日も続いていたので、昨夜の三伏峠小屋はとても快適だった。
南アルプス全縦走中の松尾君はAM4:30頃から起き出して、まだ寝ている私達を気使いながら静かに朝食を取っている。
ようやく私達が起き出したAM5:20、「じゃ、お先に!」と言って、まだ薄暗い樹林帯の中へ元気に出発して行った。
塩見岳の写真を撮りに来たおじさんも、AM6:00にはカメラを片手に出発。山の朝はとても早い。

取り残された私と奥田は相変わらずのんびりだらだらとやっており、山のサイクルに全く順応しておらず、奥田は昨日通らなかった三伏山に行きたい!と散歩に出掛け、その間私は小屋の前に座って、ただただ塩見岳を眺めてはタバコをふかしてコーヒーを飲んでいた。
しかし、これも山の楽しみ方は人それぞれで、マイペース尊重型の私は、楽しまなければ!と開き直るのである。
 
本谷山から帰って来た奥田を待ってAM7:30、ようやく三伏峠小屋を出発。
樹林帯を抜けて、烏帽子岳から前小河内岳と、ガレの淵をまわって標高を上げて行くと、小河内岳山頂が見えて来た。
鮮やかな緑のハイマツに覆われた丘陵地には、真新しい赤い屋根の非難小屋が建っていて、何だかアルプスの少女ハイジが長いブランコに乗って現れそうな、そんな雰囲気だった。

AM10:25小河内岳到着。
振り返れば、昨日越えて来た塩見岳が、堂々とした風格を見せていた。


それを見た奥田は「角度によって、また違った表情を見せますねぇ~」なんて、どこの本から拾って来たんだか分からないキザなセリフを真顔で言ったもんだから、思わず私は吹き出してしまった(笑)
「また違った表情!」って…、やめて下さいよ、奥田さん!

小河内岳には、ちょうど非難小屋もあった事だし、ここで昼食を取る事にした。
今日の行程は高山裏避難小屋まで5時間20分と、今回の旅の中でもっとも短いコースタイムである。
時間に余裕があるので、今日はお湯を沸かしてアルファ化米の五目御飯を作る。
出来上がりを待つ間、とっておきの胡麻煎餅を食べて至福の時間を過ごした。
至福の時間?胡麻煎餅?と思われるかもしれないが、これには深い訳がある。

以前、独りで上高地から涸沢をベースに北穂高~奥穂高に登った時の事、北穂高山荘で名物のパスタを食べようと当てにしていたら、ランチの時間帯AM11:00~PM2:00の間にしかやっていないと言われ、着いた時にはまだAM9:30だったので食べる事が出来なかった。
仕方がないのでコーヒーだけ飲みながら槍の景色を眺めていると、後から来た登山客が隣に座り、とても美味しそうな音をたててバリバリと煎餅を食べ始めた。
非常にお腹が空いていた上に、私の大好物の煎餅だったのでとても羨ましく、山で煎餅!こんなのも有りかな…と、その時いつか山頂で素晴らしい景色を眺めながら胡麻煎餅を食べたい!と言う小さな夢が生まれたのだった。
今回、その夢を叶えるべく、密かに忍ばせておいた胡麻煎餅。今この展望を眺めながら食べている。感無量である。
食事が出来るまでの間「美味しいですよ!」とか言いながら胡麻だけを食べている可哀相な奥田にも、とっておきの胡麻煎餅を別けてあげると、複雑な顔で、“また違った表情”を見せていた。

ゆっくりした昼食を取り、AM11:20再び重いザックを担いで歩き出すと、独りの男性登山者が現れた。
年齢的には私達と同じ位だろうか。
滅多に人に会わない山の上なので、やっぱり言葉を交わす。
私「こんにちは!今日は最高の天気ですねぇ~」
男性「ほんとですねぇ…」
私「今日はどちらまで?」
男性「いやぁ…中岳非難小屋まで行きたいんだけど、今この時間じゃ無理かなぁ…、高山裏非難小屋までかなぁ…」
私「う~ん、ちょっと中岳非難小屋までは厳しいですよねぇ…、僕等も高山裏非難小屋までですよ、きっとまた後でお会いするでしょうね!」
そう言って山頂に彼を残し、私達は出発した。

大日影山、板屋岳と稜線沿いに、いくつかのピークを越えて、今日は順調にPM2:50高山裏非難小屋に到着。
ザックを降ろし、早速水場と書かれた看板に従い沢の水を汲みに行く。

沢に降りてみると水はだいぶ枯れていて、地表に現れた部分はわずか水溜まり程度しかなかった。
余り綺麗じゃないけど仕方ないか…と、水筒に入れた水を覗いてみると、へんな生き物がピョンピョン跳ねている。
かなりためらったが、この水を使わない限り今夜の夕食は食べられないので、まぁ、煮沸すれば腹は壊さないだろう!と、諦めて小屋に持ち帰った。
山旅に入って五日目、私も随分とタフになったもんである(自画自賛)

今日は到着時間も早く、夕食にするにはまだ時間が早いので、コーヒーを飲みながら胡麻煎餅を食べて寛いでいると、突然奥田が「うわぁぁぁ~!!!」と、妙な声を上げた。
私「なになにぃ!?」
奥田「ヒル!!水筒の中にヒルがいる!」と、泣きそうな顔で水筒を見つめている。
私も流石にこれは気の毒に思い、沢までまた水を汲みに行くなんて大変だなぁと思って見ていると
奥田「まっ!煮沸すれば腹は壊さないでしょう!」と、私よりずっとタフになった奥田がそこにいた。

日も暮れて、結局この日の高山裏非難小屋の宿泊者は私達だけとなり、二人で酒を飲みながら談笑していると、思い出したように奥田が…
「そう言えば、小河内岳で会った兄ちゃん、どこ行っちゃったんでしょうねぇ?」
なんてボソッと言うから、思わず酒を吹き出してしまった(笑)
笑う所じゃないかもしれないけど、ほんとどこ行っちゃったんだろ?。
何事も無くどこかの小屋にいれば良いが…
PM6:30就寝

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南アルプス縦走の旅 No5

2005年11月01日 | '05南アルプス縦走の旅

目は覚めているが、余りの寒さにシュラフから出られず、少し明るくなり始めたAM6:00に起床。
テントのジッパーを下ろすと結露して凍り付いた氷がバサバサと落ちて来た。
気温は-8度。外を覗くと、昨日の吹雪とはうって変わって快晴の朝を迎えていた。
南には富士山が大きく裾を広げ、振り向けば兜の形をした大きな塩見岳が朝日に照らされて立ちはだかっている。

驚いたのは、昨日視界不良で気付かなかったが、テントを張ったこの場所の北側斜面が300m程スッパリと切れ落ちていた事。
地図を見れば、この場所は大崩壊地と書かれていて、昨日の吹雪の中、その淵をずっと歩いていた事になる。今はその淵に近づく事すら出来ない。恐い恐い…

今日の行程は三伏小屋までコースタイムで5時間45分と少し余裕があるので、コーヒーを飲みながらテントとシュラフを干して、まったりと過ごした。
温かな朝陽を浴びて、とても心地の良いこんな朝に限って大変恐縮な話しだが、うんこがしたくなった…
一応キャンプ指定地になっているので小さな物置くらいのトイレはあったが、冬になった為か扉を釘で打ち付けてあり、使用出来なくなっていた。
理由が分からない…
夏でも冬でも、春夏秋冬ところ構わず出るもんは出るちゅう話や!ホンマ正味の話し!と、中指でメガネを押し上げたい気分だが、仕方が無いので辺りを物色すると、テントを張ったすぐ脇のハイマツの中に、ポッカリと穴の開いたキジ場らしき場所があった。
シーズン外れで私と奥田以外、全く人気が無いので躊躇なくその場所に身を隠し、スコップで穴を掘った。
開放的な青空の下、ズボンを降ろし、素晴らしいうんこを…いや違う違う違う!素晴らしい展望を眺めながら清々しい朝を迎えたのだった。

凍り付いたテントも、しっかり乾かした所で撤収し、ザックを担いでAM8:00出発!
いきなりハイマツ帯の急登に喘ぎながら2時間かけて塩見岳と北俣岳の分岐に到着。しばし休憩を入れる。
昨日の間ノ岳でステファンとすれ違ってからというもの全く人に会っておらず、誰もいない静かな山中で至福のタバコをふかし、ひと息入れていると、奥田が「二人っきりですねぇ~」なんて言うからゾッとして鳥肌が立ってしまった…
すると突然、髭を蓄えた一人のお兄ちゃんがハイマツの中から現れたのでびっくり!
「こんちわぁ~!いやぁ~ずっと足跡があったから、誰か登ってるな!って思いましたよぉ~!」と、人の少ない山の中、私達の足跡を追ってやっと追い付いた安堵と喜びに満ちた笑みを浮かべ、嬉しそうだった。
「今日はどちらまで?」と、聞くと私達と同じ三伏小屋泊まりだった。
「じゃあ、また後で!」と、彼は先に進み、見る見るうちに塩見岳に登頂、私達を見下ろしていた。
続いて私達もゼイゼイ言いながら、やっとの思いで今回の旅三つ目の百名山、塩見岳に登頂!
お兄ちゃんに「お疲れ様ぁ~!」と祝福される。

山頂は狭く、ハイシーズンには混雑するんだろうな~、こんなんじゃ昼飯もゆっくり食べられないんだろうなぁ…なんて思いながら奥田を見ると、雪を溶かしてラーメンを作っている…
「信州限定のポンちゃんラーメンですよ!羨ましいでしょ!」と、たぬきの絵の付いたパッケージを見せながら奥田は微笑むが、全然羨ましくもなんともなく、いくら今日は時間に余裕があるからってラーメン作るこたぁないだろ!奥田!
そんなこんなで塩見岳山頂には1時間も停滞したので急いで下山。
しかし、これがなかなかの急斜面で時間が掛かった。
クサリも無い岩場で三点支持を心掛け、滑落しないよう慎重に下る。
塩見岳は、どちらから登っても結構急な斜面が多く、苦労する山だった。

ようやく樹林帯に入り、ペースを上げてコースタイムを稼いで歩く。
息を切らしながら最後のピーク、本谷山に到着した時には既にPM2:35。
しかし、なんとか日没までには三伏小屋に到着出来そうな雰囲気でホッとした。
ひと息入れながら、今夜の水の確保の為に、お互いの地図を見ながら確認を取る。
奥田「水は途中で汲んでから小屋ですね!」
私「なんで!?小屋のすぐ脇なんだから、小屋にザック降ろしてから汲みに行けばいいじゃん!」
奥田「えっ!?だって小屋より全然手前じゃないですか!」
私「んっ??」
どうも話しが噛み合わないので地図を照らし合わせて確認すると、私の地図には載っている水場近くの三伏小屋が、奥田の地図には載っていない…!?
奥田「僕のは今年買った地図だから間違いないですよ!」
私「…」
すっかり気にしていなかったが、私の地図はまだ山を始めたばかりの七年前に購入したもので、発行を見れば1998年になっている。
急遽、宿泊地は更に先の三伏峠小屋になり、プラス40分の道程になってしまった。
休憩もそこそこに、慌てて水場に向かう。
谷から流れる水量豊富な水場に辿り着くと、私の地図に載っていた三伏小屋は見るも無惨な崩壊を見せ、人間の夢の跡みたいになっていた…
とりあえず水を確保し三伏峠小屋へ急ぐが、ただでさえ重いザックに水3L=3kgが加わり、ズッシリと重い。
それでも日没までには行動を終わらせないと、日が暮れた山では信じられないほど真っ暗になる。
ゼイゼイ言いながら登り続け、ようやく樹林の中に三伏峠小屋が見えて来た時には本当にホッとした。
PM4:05三伏峠小屋到着

ここ三伏峠小屋は、長野県側から鳥倉林道を使えば2時間30分余りで簡単に来る事が出来る。
多くの登山者が入る為か、山小屋も大きな棟が三つほど有り、かなりの収容人員が有りそうだ。
現在は既にシーズンは終わって小屋閉めしており、一部が冬期登山者の為に開放されている。
その冬期小屋の扉を開けると、塩見岳で一緒になったお兄ちゃんが既に寛いでいた。
部屋は六畳ほどのスペースがふたつ有り、10人も入れば一杯と言ったところだろうか。
早速、日本酒を飲みながら夕食の準備に取り掛かる。
奥田も持参した焼酎を飲みながら、胡麻を食べている。
「胡麻、美味しいですよ!でも、あげないですけどねっ!」
(いらないっちゅーに…)
小屋の中での作業はテント泊とは違い、荷物は広げられるし立ち上がれるし、壁にもたれかかって座る事だって出来る。何よりテントより温かいのが良かった。
結局この日は、塩見岳の写真を撮りに来た中年のおじさんが後から現れて、宿泊者は4人になった。
見ず知らずの人間が、こうして同じ狭い空間で一晩を共にするなんてのも、なかなか山小屋ならではで面白い。
塩見岳で一緒になったお兄ちゃん(松尾康弘君)と話しをしてみれば、なんと彼は夜叉神峠から入り、鳳凰三山~甲斐駒ガ岳~千丈ケ岳~北岳~間ノ岳~塩見岳~悪沢岳~赤石岳~聖岳~光岳を経て、寸又峡に降りる10日間コースだと言う。
南アルプス総なめじゃないか…
私達も結構ハードな山旅だと思っていたが、やはり世の中にはツワモノと言うのはいるもんだ!と、思い知らされた。
私達の旅が台無しじゃないか…

彼は今年、北アルプスの笠ヶ岳山荘で働き、小屋閉めになった為、山を降りて来たと言う。
自宅がある博多に帰る途中、せっかくだから南アルプスを縦走して帰るのだそうだ。
せっかくだから、長野限定ポンちゃんラーメンを買って帰る奥田とは訳が違う。
博多に帰ったら、山小屋で溜まったお金を持って、今度は海外に行くそうである。
そんな自由気ままな彼の生き方を、とても羨ましく思い、色々考えさせられてしまう夜だった。

一緒に宿泊している二人が早めに寝てしまい、おじさんの方は既にいびきまでかいている。
私達も迷惑にならないよう
今夜は早めにシュラフに入った。
就寝PM6:15

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南アルプス縦走の旅 No4

2005年10月31日 | '05南アルプス縦走の旅

AM5:00起床
北岳山荘のテント場で朝を向かえ、まだ薄暗い中テントからはい出ると、南面には富士山の綺麗な円錐形のシルエットが日の出を迎えようとしていた。
手持ちの温度計は-6C゜。テントは凍り付き、テント内に入れた水も凍ってしまった為、水筒ごとコンロで解凍し、ようやくコーヒーを入れる。
軽い朝食を済ませ、テントを撤収。出発の前に小屋に挨拶に行くと「コーヒーでも飲んでいって下さい!」と温かいストーブの前に座った小屋の主人に勧められた。
非常に有り難かったが、さっき苦労して入れたコーヒーは何だったのか?と、小屋泊まりの快適さを思い知らされてしまう。
温かいコーヒーを飲みながら南に面した窓を覗くと、眩しい朝日に照らされたオレンジ色の雲海がウネウネとうねっており、幻想的な景色が広がっている。
素晴らしい!
素晴らしいじゃないか!山!
と、山上で迎えた朝に感動した。

シーズンも去り、小屋閉めを間近に控えた北岳山荘は宿泊者も少なく、昨日の女性二人組とドイツ人の男性(ステファン)の三人のみ。
ステファンは今日、アイゼンも持たずに、間ノ岳を踏んで帰ると言う。
私は身振り手振りの堪能なドイツ語で「アイゼン持ってないんだったるぁぁ~、凍結箇所でぇ~、滑って転んでぇ~、下山は早いけぇどぉぉ、ケガをするからやめた方がいいどぅぅぅ~らぁったひん!(意味不明)」
と、説明すると朝食のシリアルなんか食べながら「あぁ…わかった!わかった!」なんて、軽~い調子でうなづいている。
もう少し抵抗するかと思ったが、心配する私の気持ちを思いの外すんなりと受け入れてくれたので内心ホッとした。

AM7:30、小屋のまわりで昨日登った北岳の撮影などを済ませ、北岳山荘を出発!
歩き出すと、登山道はすぐに登り始め、いきなり息が切れる。
凍結箇所も少しあったので安全を考え、早めにアイゼンを装着し、急な登りをザクザクと進む。
ひとつピークに乗った所で間ノ岳山頂までの長いルートが見えて来た。
…と、良く見ると間ノ岳から一人こちらに向かってもの凄いスピードで下山して来る奴がいる!

んん…!?
ステファン!!

いつ出発したのか?私達が小屋のまわりで写真撮影などしているうちに、ステファンは出発し、今もう既に下山してくる所だった。
あれほど、アイゼンが無いならやめた方がいい!と言ったのに、人の忠告など全く聞いていなかった…
息を切らして登って行く私達の前にステファンは、あっと言う間に現れて「いやぁ~素晴らしい展望だったよ!」みたいな笑顔を見せながら
「山頂直下辺りの登りは少し滑るから気をつけた方がいいよ!」などと、稜線を指差して忠告してくれた。
ありがとうステファン!グッドラックだ!そう言って、私達は重い荷物に喘ぎながら間ノ岳に向け、トボトボと登り始めたのだった。

北岳山荘を出発してから2時間30分、時刻はAM10:00。広い丘状の間ノ岳山頂に到着。

今日も好天に恵まれて素晴らしい展望が広がっていた。
「すげえなぁ~おい!」と、奥田を振り返ると、買い込んだパンが切れたのか、今日は胡麻を食べている。
「美味しいですよ、これ!胡麻は身体にもいいですしねっ!」
(知らんがな、そんな事!)

南には、これから進む塩見岳、悪沢岳、赤石岳の姿も見え「あそこまで行くんだなぁ…」と、思ったら、期待と不安の入り交じった不思議な気持ちになった。
間ノ岳を越え、濃鳥岳への分岐を左に分けて、塩見岳への長い縦走賂に入る。
道は一度、一気に標高を落とし、樹林帯に入ると熊の平小屋が見えて来た。
ここは既に小屋閉めとなり、一部が冬期小屋として開放されているが、今日はもう少し進んでおきたいので、近くにあった水場で水だけ補給して行く。水2L(2kg)が加わり、更にザックが肩に食い込んで行く。

熊の平小屋から目指す北荒川岳キャンプ指定地まで、比較的アップダウンも少なく、気持ちの良い稜線歩きを楽しんでいたが、だんだんと雲行きが怪しくなり、PM2:00頃からとうとう雪が降り始めた。
長野県出身の奥田は「これは雪じゃなくて、あられですよ!」と、力説したが、雪の降らない静岡育ちの私にとっては、そんなのどっちでも良い話である。
しかし、降って来たのは本当に手の平に乗っても溶けない、玉のようなものだった。

思いの外アプローチが長く、進んでも進んでもなかなか北荒川岳が見えて来ない。と、言うか、いつの間にか霧に包まれて視界が全く無くなっていた。
PM4:00をまわり、気持ちがだんだん焦り始めた頃、ハイマツのトンネルを抜けた所に北荒川岳山頂の標柱があった。
キャンプ指定地を探すが、山頂は吹雪いていて、どこにあるのか全く分からない。
仕方がないのでなんとなく下って行くと、ようやく幕営したような痕跡が見つかり、ここだ!と、確信。
風を受けない斜面にテントを張ると、とにかく一晩なんとかなりそうな雰囲気に、ようやく心も落ち着いた。

まさかこの時期の南アルプスで、雪の上にテントを張るとは思ってもいなかったので、疲れ切った身体にテンションも下がり気味だ。
こんなんじゃ、こんな所まで何しに来たのか分からないので、無理にくだらない話しをして自分を盛り上げる。

私「あれっ!?星出てんじゃん!」

奥田「えぇっ!?マジっすか?」

私「うっそ、ピョョョ~ン!」

奥田「…」

しかし、夕食を済ませた後、タバコを吸いに外へ出てみると、風も止み、本当に星が出ていた。
明日の朝は期待出来そうである。
PM7:00就寝

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南アルプス縦走の旅 No3

2005年10月30日 | '05南アルプス縦走の旅

AM5:20、隣で学生のパーティーが撤収している音で目が覚めた。
当初はAM4:30ぐらいには起きようと思っていたが、思いのほか熟睡してしまい、少し遅めの起床。
テントから出るとまだ薄暗い中、隣のパーティーがザックを背負い既に出発する所。もめている様子もなかったので、昨夜は何事も無かったようだ。
良かった良かった!おじさんは安心した!
天気の方も予報通り、雨もあがって、ちらほら青空も見えている。
良かった良かった!更におじさんは安心した!

急いで朝食を済ませてテントを撤収。AM7:20広河原山荘に入山届けを提出し、遂に一週間の山旅がスタートした!

大樺沢沿いに登り始めると、昨日降った雨でかなりの水量があり、時折、登山道まで川のようになっている。靴を濡らさないよう慎重に進む。
樹林帯を抜け、ようやく陽の当たる広い場所に出たので一旦休憩を入れると、先ほど私達と抜きつ抜かれつ同じペースで登っていた、二人組の女性も休憩していた。

女性A「今日はどちらまで行かれるんですか?」

私「今日は北岳山荘まで」

女性A「じゃ、私達と一緒だから、また後でお会いしますね!でも大きいザックだからテント泊かな?」

私「えぇ、今日北岳山荘のテント場に泊まって、明日から間ノ岳越えて赤石まで縦走する予定です」

女性A「赤石まで!へぇ~カッコイイ~!」

そう言って彼女はタバコをプハーッとふかした。

女性A「仕事は何してるの?急にそんな重い荷物担いで縦走って出来るもんなの?」

私「まぁ仕事は現場の仕事だから、体動かさない事務職の人よりは大丈夫ですけどねぇ」

女性A「ふ~ん、縦走かぁ…、私も長い縦走に憧れるし、一度やってみたいと思うけどねぇ~」
(そう言う彼女のザックもかなり大きかった)

私「お姉さんは仕事何やってらっしゃるんですか?」

女性A「私?まぁ私も現場で土方だけどね!」

そう言ってタバコの煙をプハーッと吐き出しながら立ち上がり、再び大きいザックを背負って登って行った。
(よっぽどお姉さんの方がカッコイイじゃないか…)

右手に、青空に栄える北岳バットレスを見上げながら高度を上げて行くと、登山道も凍結箇所が多くなって来た。
早めに軽アイゼンを装着してザクザク踏み締めながら登る。
やせ尾根のハシゴを二、三登った所で稜線に出ると、一気に視界が開け、雲海の中に標高の高い山が頭を出していて素晴らしい眺めだ。
同行の奥田と、この素晴らしい展望を堪能しようと思い「すげぇなぁ~おい!」と振り向くと…
「あぃ!?」と、おむすびを食べていた。
さっきから休憩ごとに、振り向けば常におむすびを食べている、非常に燃費の悪い男である。

ハ本歯のコルに掛かる長いハシゴを登り、更に登って行くと北岳山荘と北岳山頂との分岐に出た。
一旦ここへ重いザックを降ろし、空身で北岳山頂に向かう。
ザックを降ろした体は宙に浮いてしまいそうなほど軽く、走るようにして15分。
PM2:00北岳山頂に到着!
晴天に恵まれて素晴らしい展望が広がっていた。


富士山に次ぐ日本第二位の標高3192mを誇る北岳山頂は、今回で二回目。
前回は山を始めたばかりの頃で、ここから見える八ヶ岳を見ては「あれは何処の山でしょうねぇ~」と言い。
甲斐駒の花崗岩を見ては「凄い!雪積もってますよ!」と、はしゃぎ。
鳳凰三山、地蔵岳のオベリスクを見ては「こんな山奥にまで鉄塔を立てるなんて人間は最低ですね!」と怒った。
間ノ岳(あいのだけ)に至っては読み方すら分からず「まのだけ」と読んでいたあの頃がとても懐かしい。
今や随分と山にも詳しくなって、重いザックを背負い、簡単にこんな所まで来てしまえるようになった。
私も成長したもんである。

誰もいない静かな山頂で、ゆっくり展望を楽しんだ後、下山に向かい、デポしたザックを再び背負って北岳山荘に向かった。

PM3:20北岳山荘到着。
小屋の前には先ほどの女性Aがタバコをプハーッとふかして立っていた。
「お疲れ様ぁ~、お客さん二名入りまぁ~す!」と、慣れた呼び込み口調で私達を招き入れてくれたが、売春宿にでも通された様な妙な気分だ。
後で分かった事だが彼女達は北岳山荘の常連客だそうである。

テント場の受付を済ませ、とりあえずビールでも飲もうと食堂に入って行くと、彼女達は早速、生ビールのジョッキ片手に宴会を始めており、ストーブの上では持参したウィンナーや、そら豆が沢山焼かれていた。
私達も、ジョッキを片手にテーブルに着くと「まぁまぁ!」とか言いながら、その焼きたてのつまみ類を次々にご馳走してくれて、あげくの果てに二杯目のビールまでご馳走になってしまった。
どうやら、私達はだいぶ気に入られてしまったようだ…

その後は、まるで新入りのホストのように恐縮し、彼女らの隣に座って色んな話をした。
女性Aの名は上条さんと言い、海外にもよく出掛ける山岳ガイドの仕事をしていると言う。
確かに土方みたいなもんだが、全然違うじゃないか!
どうりで、でかいザックに沢山のつまみやワインのボトルまで入れてヒョイヒョイ登ってくる訳である。
やはり、ただ者では無かった。

一方、上条さんとは対照的な、おとなし目の女性Bの名は河原さん。
花が大好きで、北岳の花の豊富さに惚れ込み、今月に入ってから北岳に登るのは今日で四回目だと言う。
(四回目って!毎週じゃないか…)
彼女は、この山の花好きが講じて来年から仕事も辞めて、この北岳山荘で働くと言う。
こちらもただ者ではない様子だ。

上条さんは関西から、河原さんは群馬から来ており、一昨年ここ北岳山荘で出会い、意気投合して、時々こうして麓で待ち合わせをして登って来るのだそうだ。
二人の共通点は花が大好き!と言う点で、その話題でも盛り上がった。
河原さんは今日、北岳山荘へ来る途中、この時期終期を迎えた枯れた花を見つけては「可愛いぃぃ~!」と、言って地に伏せたまま20分も動かずにいたそうである。
やはりただ者では無い…

酒も入って盛り上がり、話は尽きないのだが、私達はまだテントを設営していないので残念ながら退席する事にした。

帰り際、山荘のアルバイトのお兄ちゃん達は、もうすぐ小屋閉めで下山する為、山を降りたら飲みに行ってから風俗に行くのか、風俗に行ってから飲みに行くのかと言う熱い議論を戦わせていた。
もうすぐここも小屋閉めとなり、雪に閉ざされた白い世界になる。

外へ出ると、小屋の中が暖かかっただけに冷たい風にさらされて、何だかとても惨めな気分になった。
気温は-3゜C、テントを設営した後、温めたレトルトカレーの夕食を済ませ、今はシュラフから出られずにいる。
PM9:00就寝

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南アルプス縦走の旅 No2

2005年10月29日 | '05南アルプス縦走の旅

忘れ物が無いか、ザックの中身を何度も確認した。トイレットペーパーにおいては、五回も指差呼称を行なった。
初めての山旅に少々緊張気味な私であるが、不安な事ばかり考えていても仕方が無いので気持ち良く晴れ渡った山頂で、腰に手を当てスキップしている自分の姿をイメージして自らを盛り上げていた。

AM9:30自宅を出発。
東海道線から身延線と乗り継ぎ甲府駅に到着。駅前に出ると早速、広河原行きのバスが停車していた。
出発まで、まだ時間があるのでコンビニを探し、今日明日のパンやおにぎりを買い足す。
奥田は、ひとつ目のコンビニでは納得がいかなかったのか、更に向かいにあるコンビニに入り、袋いっぱいのパンを買い込んで来た。
奥田「びっくりしましたよぉ~、金額見たらパンだけで2000円近くなってましたよぉ~」
そう言って嬉しそうに袋いっぱいのパンを掲げて見せたので、びっくりしたのは私の方である…

バスに乗り込むと小さなザックを持った男性が一人座っていた。暫くして、でかいザックを背負った学生風の男女四人のグループが乗り込んでバスは出発。
広河原に向かうバスは、やはり登山客しか利用しないようだ。
市街地を抜け、山道に入り、暫く走った夜叉神峠でバスは止まり、20分程の休憩に入る。
運転手と搭乗していた、乗務員のパンチパーマのおばちゃんは、すぐさまバスを降りると、プハーッ!とタバコをふかしている。
「今日の客は冴えねぇ~なぁ~」と、でも呟いているさびれた温泉街のストリッパーみたいで、背中に哀愁を感じた。
夜叉神峠から、バスは更に山奥へと進み、原生林が目立ち始めると、ちょうど紅葉の時期を迎えており、車窓から眺める景色はとても綺麗だ。

PM4:12広河原到着。
バスを降りると下界とは全く違うひんやりとした空気に包まれ、少し肌寒い。
考えてみれば、ここへ来るのも今回で三度目になる。
過去二回ともハイシーズンだった為、300台程停められる駐車場は車で溢れかえり、どこからこんなに人が集まるのか!?みんなバカじゃないのか!?と、言った賑わいを見せるが、今は誰ひとり歩いていない。バスを降りた私達七名のみである。
山バッヂを買おうと思っていた、売店のあるアルペンプラザのシャッターも閉まり。「あぁ…もう今日は客が来ねぇからやめた!やめた!」と言う態度で全くやる気が無い。
最も残念だったのは、このアルペンプラザ二階にある、南アルプス巨大ジオラマが見れなかった事だ。
私は山の立体地図を見ると、異常な興奮にアドレナリンが大放出されて、鼻の穴が広がって閉じなくなってしまうのだが、今まで登った山頂や、歩いた稜線などを立体的に見られるのは、何とも言えない気分だ。
老後は年金で日本アルプスの巨大ジオラマを造り、自分のミニチュア人形を指でつまんで、孫と一緒に遊ぶのが夢である。

私「おじいちゃん今日は、涸沢カールから北穂高に登るよ!」
孫「わぁー!おじいちゃん、はや~い!」
私「じゃ、今日は北穂高山荘に泊まって、明日は大キレット越えて、槍まで行くからね!」
孫「すごぉ~い!おじいちゃん!こんな細いとこ通るのぉ~」
私「ははっ!おじいちゃんなら平気だよ!あっ…おっとっとぉ~」
孫「あっ!おじいちゃん落ちちゃうよ…」
私「大丈夫!大丈夫!ほらもう大喰岳だ!」
…話は逸れたが、アルペンプラザが閉まっていて非常に残念だったと言う話だ。

仕方が無いのでそのまま広河原山荘に向かい、テント場の受付を済ませ幕営作業に入った。
私達が設営していると、先ほどバスに乗っていた学生風四人のパーティーも、隣にでかいドーム型テントを設営。こんな若い男女がひとつのテントに寝て大丈夫なのか?おじさんは心配を通り越して色んな想像をしてしまうじゃないか…、バカ…

設営を終えた私達は、小雨が降っていたので炊事場の軒下を借り、ビールを飲みながら明日からの山旅について話し合った。
しかし、ここまで来た以上、明日からは畑薙第一ダムに向け、ひたすら山を越えて行くしかなくて、ただただ晴天を祈るのみである。
今夜の雨も、明朝には上がる予報。
晴天を期待したい。
PM8:30就寝

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南アルプス縦走の旅 No1

2005年10月28日 | '05南アルプス縦走の旅
今年の夏は、例年にない仕事の忙しさに働き詰めであった。
会社側の都合で私の夏休みは勝手に削られ、みんなが夏の浜辺でスイカのビーチボール飛ばしてキャッキャ!キャッキャ!やってる時にまで働かされた。
私の夏休みをどうする!私の夏の浜辺をどうするつもりだ!
「そんな事言うなら帰るよ!」と、石原都知事ばりの勢いも見せたい所だが、そうも言えない悲しいサラリーマンの宿命なのである。
しかし、労働基準法うんぬん、年間休日どうたらこうたら、取得日数ちんぽこかんぽことやらで、急遽10月も終わろうとしている今頃、10日間も休みを取れと言う。

こんな季節はずれに10連休なんて、そんな勝手な事されて、とても嬉しいじゃないか。
「それを早く言いたまえ!君!」と石原都知事ばりの態度だ。

とりあえず10連休もあるので、夏の仕事疲れを癒す為にも、どこか旅に出たいと思った。
自転車ツーリングの旅、伊豆遊歩道の旅、と行なって来た私は、今度はいつか山旅に出てみたい!と常々思っていた。
しかし、山の長旅を独りで行なうと言うのは危険じゃないのか?
寝る事ひとつ取っても、インナー、フライシート、テントポール、ペグ、マットレス、シュラフ、シュラフカバー等々、どれかひとつ忘れただけでも大変な事になる。もし、トイレットペーパーなんか忘れた日にゃ、誰にも借りられないから手で拭かなければならないのである。
山をナメてはいけない!生死に関わるじゃないか!

そんな事を考えていた時に、会社同僚の奥田からメールが入った。
「今度の10連休、北アルプスか南アルプス辺り、一緒に縦走しませんか?」
この奥田と言う男について説明しなければならない。

彼は、私の主催する宗教法人アウトドアサークルの信者で、月に一度は一緒に山に登っている会社の同僚である。
歳は私より三つ若く現在36才、身長は186cmとかなり高く、いつも小柄な私をラクダの様な瞳で見下ろしている。
長野県出身で、鬼と相撲をとった時に尻もちをついた場所が諏訪湖になったと言う伝説を持つ男だ。
細身の割に体力だけは有り、山登りの際には足のリーチを活かして、これみよがしに良いペースで登って行く。
そんな奥田から、山旅に行きたいと思っていた私に願ってもない誘いだった。

しかし、北アルプスか南アルプスって!?
11月の初旬だと言うのに北はないだろう…。
ピッケルも12本爪アイゼンも持っておらず、雪山登山の経験も無い私達に、11月の北アルプスなんて無理に決まってるじゃないか奥田!
山をナメてはいけない!


結局、適切冷静沈着無謀な私の判断で、山梨県の広河原から、北岳~間ノ岳~塩見岳~悪沢岳~赤石岳と、3000mを越える峰々を踏破して、静岡県の畑薙第一ダムまで降りて来ると言う、七泊八日にも及ぶ大計画となった。
それに対し奥田は…
「そんな重たいザック背負って八日間も歩いた事あるんすか!?おれは正直不安です!自信ないっす…」
と、言って弱気な態度を見せるが、奥田!私をナメてはいけない!
旅は人生だ!(意味不明)初めから私に声を掛けたのが間違いなのである。
残念だが諦めてもらおう。

とは言え、正直私も不安である。
一週間の旅なら今までもやって来たが、必ず街があり店があった。
好きな時に好きな物を食べ、毎日温泉に浸かってはプハーッ!と、冷えた生ビールなんか飲み、自転車ツーリングに出掛けた知床半島ではウニ丼も食った。四万十川では讃岐うどんも食った。伊豆遊歩道の旅に出掛けた時には船盛りを頼もうとしたが高いのでやめた。
しかし、今回は山旅であり、食料は全て担いで登らなければならず、贅沢な食事など一切ない。汗をかいても風呂にすら入れないのだ。
不安である。本当に七泊八日の山旅なんて出来るのだろうか?
こんなお坊ちゃま育ちの私に…

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