おつかれ山っ!/(^o^)\

山行報告&コラム

四万十川自転車ツーリングの旅 No7 2003年1月1日

2017年12月27日 | '02四万十川自転車ツーリングの旅

ゲッ!!
時計を見て飛び起きた。
今日はホテルから桂浜まで走り、龍馬像の前で初日の出を拝む計画だった。
出発予定時刻の5:30を既に10分も経過している。

昨夜は快適過ぎるホテルの中、暑くてなかなか眠れず、ため息をつきながら最後に時計を確認したのが4:30だった。
(んもぉぉぉ〜)
牛のように低い唸り声を上げ、朦朧とする意識の中で身支度を整えた。
起きてから僅か10分でホテルを飛び出した私。
立ち漕ぎのまま、白く吐く息をたなびかせながら桂浜を目指す。
桂浜まで13.3Km。
真っ暗な駅前の道は車通りもなく、黄色い信号だけが静かに点滅していた。

身体が温まり始めたころ徐々に車が増え始め、桂浜を目指す車で渋滞が起きている。
暫くは渋滞している車の横をスイスイ走って行けたが、とうとうバイクの列にまで渋滞が起き始めた。
辺りは徐々に白み始め、日の出を迎えてしまわないか気が気じゃない。
(日本の夜明けは近いぜよ…)
そんな幻聴を耳にしながら停まったり動き出したりを繰り返し、走り出すバイクの後ろを必死で追い掛けたりした。
(間に合うだろうか…)
そんな切羽詰まった状況の中、後ろについた自転車のお兄ちゃんが話しかけて来る。
「どこから来たんですかー?」
「えー?、静岡県」
「へぇー、何日掛かりましたー?」
「いやぁー、電車で来たんだけどねー、四万十川を走りたくてねー」
って!走りながらそんな細かい話しをしている場合ではない。
日の出に間に合わせるのに必死な私だ。

辺りがすっかり明るくなった頃、ようやく桂浜の駐車場が見えて来た。
6:45桂浜到着。
自転車を停めて浜に向かうと大勢の人が初日の出を待っていた。
(間に合った…)
ホッと一息ついてゆっくり波打ち際まで行くと、若者のグループが大はしゃぎしていた。
この日は水平線の上に厚い雲が掛かり、少々日の出が遅れている模様。
雲の隙間が明るくなると
「おぉぉ、出よる出よる!」
隙間が二ヶ所になって光が分散すると
「おぉぉ、ふたーつ出よる!!」
実に楽しそうだ。

大勢の人が待ち受けるなか、7:20になってようやく雲の隙間から初日の出を迎えた。
私も太陽に向かって手を合わせる。
(2003年も、どうか良い年になりますよーに…)
これで今回のミッションは無事完了。
計画を遂行するため緊張感を持って走り続けて来たが、何だか急に肩の荷が降りて力が抜けてしまった。

桂浜を暫し散策したあと駐車場へ戻ると、土産物屋の隣に郷土博物館があった。
せっかくなので立ち寄って行こうと思ったのだが、入り口には「本日休館日」の看板。
改めて考えてみれば今日は元旦であった。
やむなく土産屋を冷やかして行くと、ここで良いものを発見。
高さ10cmほどの坂本龍馬像である。
今回この旅に際し、最終日は桂浜で初日の出を拝むというミッションを強力に後押ししてくれた山仲間へのお土産としたい。
ってか、行ってないのに貰って嬉しいのか、龍馬像?
疑問は残るが、まぁ嫌がらせの意味も含めてお土産屋にしたい。

再び自転車に乗り、ホテルまでの13.3kmを走る。
帰りはのんびり帰ったので、ちょうど一時間掛かりホテルに到着。
チェックアウトの11:00までの時間を部屋で過ごした。
何しろ帰りの電車までまだ二時間以上あり、時間を潰さなければならなかった。
チェックアウト後は併設されたレストランに入り、早めの昼食を済ませる。
何しろ時間を潰さなければならない。
食後のコーヒーを飲みながら、近くで何処か見所はないかとガイドブックをめくっていると…、なんだなんだ、あるじゃないか、はりまや橋!
数百メートルの距離だ。
観光に興味はないが、時間を潰すにはもってこい。
店を出て早速向かってみると、えっ?!これ?ってぐらい小さな橋がビルの谷間を流れる小川に架かっているだけだった。
長さ10メートル程の赤いアーチ型の橋。
特に生活に必要な橋ではなさそうなので、何か歴史があるのだろうと説明書きを読んでみる。
「江戸時代に堀川を挟んで商売を行なっていた「播磨屋」と「櫃屋」が、両者の往来のため私設の橋を架けた事が「はりまや橋」の由来と言われています」
って、おい。
身内でやれ、身内で!
観光名所にすなっ!
思わず突っ込みたい私だった。

傍にあったベンチに座り、はりまや橋を眺めながら時間を潰すが、ビルの谷間は陽が当たらずどんどん身体が冷えて来る。
大した時間つぶしにはならず退散。高知駅へと向かう事にした。
自転車をたたむ時間も考慮して早めに来たが、収納時間は難なく15分で完了。
岡山へと向かう南風に乗り込んだ。

元日とあってか車内は空いている。窓側の席に座り高知に別れを惜しみつつ景色を楽しんだ。
途中、並行して流れる吉野川を見降ろすと、エメラルドグリーンに透き通って素晴らしく綺麗。
今では四万十川より吉野川の方が最後の清流に相応しいのかもしれない。
岡山到着後は新幹線に乗り換え新神戸、新神戸から静岡とでかい荷物を持って移動したが、いずれも荷物を置く場所を確保出来て幸いである。

18:26、長い旅路を終え無事静岡駅に到着。
再び自転車を組み立てて最後の最後まで自転車にこだわり、自宅までの12kmを走る。
4車線の車通りの激しい道。その狭い路肩を遠慮しながら行く。
しかし、四万十川を制した今は凱旋しているような気分だ。
さぁ!今夜は旅を反芻しながら祝杯を上げよう!

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四万十川自転車ツーリングの旅 No6 2002年12月31日

2017年12月25日 | '02四万十川自転車ツーリングの旅

6:30、まだ薄暗かった為もう少し寝ていたかったが、おしっこを我慢出来ずにテントから這い出た。
見上げれば明け始めた濃いブルーの空に三日月と金星が輝き、素晴らしいコントラストを見せている。
気温は−4度。
この寒さの中、鳥たちだけは相変わらず元気で賑やかだった。
沸かした紅茶を啜りながら穏やかな時間を過ごす。

8:00になり、ようやく山の上から陽が差し始めると、辺りは一気に暖かくなった。
今夜は高知駅前のホテルに宿泊するため、テント泊はこれが最後。
テントとシュラフを十分乾かしていく。

10:20、天満宮キャンプ場を出発。
まずはすぐ傍にあった天満宮の鳥居をくぐり、手を合わせて行く。
(無事に源流点まで辿り着けました。ありがとうございます…)
今日の予定は、JR土讃線の土佐久礼駅まで行き、輪行して高知駅へ。
再び自転車を組み立て、駅前のサンルートホテルにチェックインする予定だ。

41号線で四万十川を離れ、僅かに登って行くと夏枯峠(標高455m)に到着。
快晴に恵まれ市街地が綺麗に見渡せた。
ここからは延々下り坂が続き、3日かけて遡って来た四万十川を一気に降る感じだ。
山間のワインディングロードをスイスイ降って行くと最高に気持ちが良かった。
ポカポカ陽気も手伝い、余りの気持ち良さに降ってしまうのが惜しくなった私は、自転車を止めて車道に大の字になった。
誰も来ないのをいい事に寛いでいると、突然やんちゃなお兄ちゃん達が乗った原付二台が通過して行き、何度も私を振り返っていた。

15km走って土佐久礼駅に到着。
時刻は11:20。
ここで昼食にすべく、ガイドブックで紹介されていた手打ちうどんの店を探す。…が、それらしき店が見当たらない。
地図と照らし合わせてみるが、その場所には小さな掘建て小屋しか建っていなかった。
どうしたものかと暫く佇んでいたのだが、スッとその扉が開くと主人がのれんを掛けて行った。
12:00開店だったようだ。
看板がない所から察すると、水面下で営業している地元民しか来ないような雰囲気である。
早速のれんをくぐって中に入ると、4人ほどが座れるカウンターとテーブルが二つ。
極めて狭い。
天ぷらうどんを注文して待っている間、常連と思われる客が続々と現れ、みんな肉うどんを注文していった。
(失敗したな…、肉うどんだったか)
高知入りしてから連日のようにうどんを食べているが、この店の麺が一番コシがあった。
その日の天気や湿度により、塩や水の配合を変える店主のこだわりがあるのだそうだ。
本場だからと連日食べ歩いて来たが、ふとここで大事な事に気付く。
(薄くないか?味…)
地元静岡ではかつおだしの効いた醤油ベースの濃いスープが一般的だが、こちらは全て薄口のスープである。
関西と関東の違いであろうか?
なんかずっと物足りない気がしていた事に、今更ながら気が付いた私である。

昼食を終え土佐久礼駅が近づくと、店の前で路駐する車が多く見受けられた。
車からはおばちゃんが飛び出し、買い物を済ませると足早に走り去って行く。
すっかり忘れていたが今日は大晦日であった。
主婦達は正月を迎える準備で大忙しなんだろう。

ここでもうひとつ、私には大事なミッションがあった。
近くに酒蔵があるとの事なので、ここで地酒を買って自宅に送らなければならない。
と言うか私へのお土産を買わなければならなかった。
地図を頼りに行くと漆喰壁で趣のある西岡酒造がすぐに見つかった。
店内に入って勧められるまま色んな種類を試飲させてもらい、最も呑みやすかった「純平」を選んで自宅に配送。
後日、正月休みに仲間を呼んで一杯やったのだが、改めて自宅で呑んだ時にはかなりの甘口だった。
自転車で5日間も旅を続けた時のチョイスだった為、余りの疲労に甘さを欲していたのではないかという結論に達した。
お猪口ではあったが思いもかけず五杯も試飲させてもらい、いい気分で駅に向かう。

土佐久礼駅に到着した後、自転車の前後輪を外してフレームと共に輪行袋に入れる。
これでサイクリストから、でかい荷物を持ったただの旅行者へと変身した私。
しかし、切符を買いに行って愕然。
次の電車は1時間後である。
やむなく外にあったベンチに腰掛け、日記をつけて時間を潰す。が…、急激にお腹が痛くなって来た。
幸い駅の外に仮設のようなトイレがあったので安堵する。
しかしそれも束の間、今度はカギが壊れて掛からない。
何度もロックを試し、扉をガチャガチャ確認するが(あっ!失礼しました!)みたいに開いてしまうのである。
そうこうしているうち陣痛の波は徐々に短くなり、本当に笑い事じゃなくなって来た。
やむなくカギは諦め、神に祈りを捧げながら任務を遂行。
無事ミッションを成し遂げた。

そんなこんなで時間を潰しながら、ようやく列車に乗り込んだ。
42分の乗車で高知駅に到着。再び自転車を組み立てサンルート高知へ向かった。
チェクインを済ませ部屋に入ると、ずっとテント泊だった為かプライベート空間にドッと疲れが出た。
ベッドに大の字になりながら暫し寛ぐ。

ビジネスホテルで夕食がない為、どこかの居酒屋に行こうと考えていたのだが、大晦日だしやっていなかったらマズイな…と、ガイドブックに載っていた居酒屋に電話してみる。
が…、どこも繋がらない。
これはマズいと急遽外に出て探す事に。
そして繁華街に出て唖然!ギラギラネオンが輝きあちこちやっているじゃないか居酒屋。脅かすでないぞ、高知。
仕込みに忙しくて電話に出られなかっただけかもしれない。
色んな店を物色した後、一番お洒落なビストロ居酒屋「ぎんなん」へと入る。
「独りなんだけど…」
と言うと、中を覗き込んだ店員はカウンター席が空いていなかったのか、入り口近くの4人席を示した。
メニューを開くとひと通りの品が揃っている。
やはり高知まで来たのであるからカツオのたたきを注文。
香ばしく焼き上げられた刺身はとても美味しかった。
日本酒はちょっとケチって安い「自由は土佐の山間より」をチョイスしたので余り美味しくない。
他にウツボのたたきなんていう変わりダネがあったので、話しのタネにと注文してみたが、これが全くなんというか、ゴムのようで全然美味しくなかった。
やはり一般的な料理として名が無いものは美味しくないという、私の持論を立証するものになった。

酔い加減がちょうど良くなった頃、店にはどんどん客が集まり始め、あっという間に行列が出来ていた。
その行列のすぐ目の前、4人席を独り独占して呑んでるおっさんがいる。
もう少しゆっくり呑んでいたかったのだが、その視線がとてもいたたまれなくなり1時間ちょっとで退席。
途中、ラーメンを食べてホテルに戻った。

空調の効いたホテルの部屋は快適この上なく、年末のテレビ番組を観ながら過ごす。
連日のテント泊では今時分0度を下回っている頃だが、この部屋は快適を通り越して何だか暑い。
更に閉め切られた空間は、酸素濃度が低いような気がして息苦しい。
堪らず窓を開け、落ち着きを取り戻す野性化した私である。

テレビは賑やかな紅白から一転「ゆく年来る年」へと変わっていた。
静かで厳かな映像、そして鐘の音。
(ゴォォ〜ン…)
地元静岡では日付が変わると共に、あちこちから花火が上がって騒がしいのだが、ここ高知はどうなんだろ?
窓の外を眺めながら日付けが変わるのを待つ。

5・4・3・2・1…

(ん…)

(んん…?)

花火の音などひとつも無く、ただただ厳かに新年を迎える高知だった。

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四万十川自転車ツーリングの旅 No5 2002年12月30日

2017年12月23日 | '02四万十川自転車ツーリングの旅

AM7:00、テントのジッパーを開けて辺りの様子を伺うと、外は霜が降りて真っ白になっていた。
テントも自転車も真っ白、ロープを渡して干しておいた洗濯物に至っては、カチカチに凍り付いて板のようになっていた。
気温はマイナス3度。温暖な地域だとばかり思っていた高知は想定外に寒かった。
すぐ脇を流れる四万十川も、流れの緩やかな場所は凍っている。
二杯目のコーヒーを入れマッタリ過ごしていると次第に陽が射し始め、川からは湯気が立ち昇って幻想的な風景になった。

8:00ちょうど。神奈川の彼も起き出して来たので挨拶を交わす。
朝食の準備をする彼は、今朝もラーメン、昨夜もラーメン。
彼の事は今後小池さんと呼びたい。

四万十川の河口を出発してから三日目。遂に今日は源流点を目指す日である。
この寒さを思えばここから先は路面の凍結箇所がありそうだったので、陽が昇るのを待ち、少し遅めの9:40に出発。
すぐ近くにある大野見奈路天満宮に立ち寄り、お参りをして行く。
(無事源流点まで辿り着けますように…)

途中にあった雑貨屋に立ち寄り、買ったパンを店先でかじる。
不意にガラスに映った自分の姿を覗き込むと、近年稀にみる素晴らしい寝ぐせであった。
テント生活が続き、暫く鏡を見ていなかった事に気付く。
店のおばちゃんに「自転車?」と聞かれたので
「源流点まで行こうと思って」
そう答えると
「行けるといいね!」
そんな激励の言葉を頂いて気持ち良く出発した。

間もなく、やはり心配していた道の凍結箇所が所々に出て来た。
前輪を取られないよう轍を選び、慎重に走って行く。
途中、道路脇に「久万秋の涌き水」があったので少し水を補給。
今日はテントもシュラフも一切荷物はキャンプ場に置いて来たので荷物は軽く、こんな水の重さも気にならなかった。

四万十川上流に掛かる最後の沈下橋、高補沈下橋に到着。
最後の清流と唄われた四万十川も、河口を出発した時には透明度も低く、こんなものなのか四万十川…がっかりぜよ。と思ったが、ここまで遡って来るとかなり透明度を増して来た。
でっかい魚がうじゃうじゃ泳いでいたので、おぉ、さすが四万十川!イワナもでかいな!と感心しながら目を凝らしてみれば、それは鯉だった。
急ぐ旅でもないので川岸に腰掛け、しばし休憩。
ボーッとしながら流れを見つめていたら、意外だったが頭の中に流れたメロディーは「川の流れのように」
眼に浮かぶ映像はこれまた何故か、以前テレビで見たインドの火葬シーン。
川岸で火葬された死者の遺体を、川へと流す葬儀の場面であった。
川とは流れゆくもの、決して逆らえないもの。
人生とは、この川の流れのように穏やかに身を任せ、騒がずもがかず有りのままに生き、有りのままに死んで行くものなのだ。
そう…、そういうものなのだ。
独り旅を続けていると、日常ではなかなか味わえない感情が生まれて来る。

更に北上し、船戸で197号線を挟んで最後の378号線に入る。
「←四万十川源流点」の標識に導かれ、林道に入ると徐々に道は勾配を増し、山に登って行く感じだ。
必死に自転車を漕ぎ続け、額からは玉の汗が滴り落ちる。
標高790m地点に差し掛かると遂に舗装路が途切れ、ここからはダートの道。
余りの急坂に自転車を漕ぐ事が出来ず、自転車を降りて押しながら進む。

自転車を降りて歩き始めてから1時間30分ほど。
(もしかしたら道を間違えてるんじゃないのか?)
そんな事を思い始め、不安になって来た頃ようやく林道は終点となり、源流点登山口の看板があった。
標高は現地点でちょうど1000m。
看板は、源流点まで25分を示している。
ここからは自転車をデポし、山道を登る。
自転車を手放した事により益々身軽になった私は、水を得た魚のように山道を駆け上がった。
そして15分。
遂に四万十川源流点に到着!
標高は1110m。
源流点の標柱があり、竹筒の先から懇々と水が流れていた。
標柱こそあれ山林の中にあるひっそりとした佇まいだ。

今回の旅のコンセプト、海に注ぐ四万十川を遡る旅。
河口から196Km。3日目にしてようやくその一滴に辿り着き、感動で涙がこぼれてしまうのかと思ったが正直なところホッとしたのひと言。
実はダートの林道に入ってから余りにも長かったので、本当にあっているのか不安になり、引き返そうとまで思っていたのだった。
本当に辿り着けて何よりである。
予定ではこの源流点の水でコーヒーを入れ、悠々と楽しむところであったが時刻は既に13:50。
疲れもピークに達していた為そんな余裕も無く、軽く源流点の水を口にして、記念撮影だけ済ませて帰る事にした。
しかし、源流点まで到達出来た想いは感無量である。

源流点からの下山途中、息を弾ませながら登って来る若いカップルと擦れ違った。
「あとどのくらいですか?」
「すぐそこですよ。入口には25分と書いてあったけど、10分くらいです」と言っておいた。

再び自転車に跨がり苦労して登って来た林道を降って行く。
車道になってからも快調にガンガン降り、途中にあった「四万十源流の家」にて温泉に入ることにした。

疲れた身体をお湯に浸し、ここまでの大変だった道のりを反芻していると、湯舟の中にいたおじいちゃんが不意に声を掛けて来た。
「あっ、昨日の!」
お互いビックリしたが、出会ったのは昨日天満宮キャンプ場の掃除をしていたおじいちゃんだった。
「どう、源流点まで行けたか?」
「はい、苦労したけどおかげさまで行って来れました!」
そうかそうかと、おじいちゃんも嬉しそうだった。
風呂上がり隣接する食堂に入り、独り生ビールで源流点到達の祝杯を上げていると、そのおじいちゃんを含む四人のおじいちゃん達が隣に座った。
聞けば70歳以上で敬老会に入っていれば、この温泉には無料で入れるのだそうだ。
毎日来るとの事で憩いの場になっているようだ。
ここでもまた意気投合してしまい色んな話しをしたが、自らをガキ大将と名乗るこのおじいちゃん。若い頃の戦争体験がとても興味深かった。
日本軍が侵略を進めて行ったフィリピンから続く南の島々。その全てをスラスラと列挙し、数々の島の話しを聞かせてくれた。
「全部行ったよ」
年齢を聞けば82歳。
紳士的で実に元気なおじいちゃんだった。
ほどよい酔い加減になったところで、夕食がてらのカツ丼を食べてから退席した。

途中、今朝立ち寄った雑貨屋に入り、明朝のパンを買いに入くと、おばちゃんが
「どうやった?源流点まで行けた?」
と覚えていてくれていた。
「ちょっと苦労したけど、おかげさまで行って来れました」
そう答えると、うんうんと頷き、我が事のように喜んでくれた。
熱燗で温まりたかったので日本酒を置いてないか尋ねたところ、酒類は置いてないとの事。
近くに酒屋もないとの事だったので諦めて帰ろうとしたら「これ、貰い物じゃけ」と言って土佐鶴の小瓶を二本くれた。
やっぱり四国、お遍路さんが多い為か、旅人への対応が極めて優しい。
大変恐縮しながら礼を言い、キャンプ場への帰路に着いた。
後に知った事だが、これはお遍路さんに対する「お接待」というものらしい。

17:40天満宮キャンプ場に到着。
薄暗くなったキャンプ場には誰もおらず、張りっぱなしのテントと干していった洗濯物だけが風に揺れていた。
今朝凍り付いて板のようになっていた洗濯物も、無事乾いていたので何よりである。
神奈川から来た小池さんは、今日足摺岬まで行くと言っていたが無事に辿り着けただろうか…

洗濯物を取り込んでからテントに入り、コッフェルに入れた日本酒を温める。
…が、ちょっと目を離した隙に沸騰してしまい、アルコール分が飛んで超マズイ酒。
今後、日本酒を直接温める際には目を離さずにしたい。
良い教訓になった。

日記をつけた後、仲間たちにメールを送り、充実感に満たされながらシュラフに潜り込んだ。

21:50就寝。
本日の走行距離50km

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四万十川自転車ツーリングの旅 No4 2002年12月29日

2017年12月21日 | '02四万十川自転車ツーリングの旅

身体じゅう酷い筋肉痛に悩まされ、なかなかシュラフから這い出せず、とうとう7:00になってしまった。
普段自転車に乗る機会がないので、使っていない筋肉が悲鳴をあげている。

夜中にはポツポツとテントを叩く雨音で何度か目が覚めたが、テントから這い出してみれば青空も見えて快晴である。
雨雲は夜のうちに抜けてくれたようだ。
食堂前の自販機で缶コーヒーを買い、昨日買っておいたパンで朝食。
シュラフをしまったりテントを撤収したりしているうち売店が開いた。
すかさず中にいたおばちゃんに了承を得て、携帯を充電させてもらう。
充電を待っていたら少し遅くなってしまったが、9:40出発。
出発前に売店のおばちゃんがみかんを三つくれた。

山間の四万十川沿いを13km走ったところで道の駅四万十大正があった。
ちょうど良いので少し休憩して行く。
日付は12月29日になり、そろそろ正月休みに入ったのか家族連れの車が目立つ。
でかいザックを背負って自転車に乗った私は注目の的らしく、皆振り返っては珍しそうに眺めていた。

大正町から窪川町まで単調な道ではあるが、四万十川を眺めながら快適なツーリング。
アップダウンの少ない道で黙々と距離を稼ぎ、12:00になった所で走行距離も32km。
非常に良いペース。
窪川の市街地に入ると四国八十八ケ所巡りの霊場、第37番札所の岩本寺があった。
お遍路さんの気持ちを味わうべく、ひとつぐらいはと立ち寄って行く。

門をくぐると白装束のお遍路さんはもとより、普段着に笠だけ被ったお遍路さん、私のようにただの観光客など様々な人がいた。
本堂前には何故か一休さんの立て看板が出迎えていたりして、ちょっとポッブな感じである。
本堂は見学自由との事なので入ってみると、格子状の天井には沢山の絵が埋め込まれていた。
厳かな仏さまの絵もあれば、小学生が描いた父の日のお父さんみたいなのもあって様々。
中にはマリリンモンローの絵まで入っていて極めて自由。意味わからん…
るるぶの解説によれば県内外の画家やアマチュアたちにより制作、奉納されたものだそうだが、個人的見解では和尚の説明不足で集まってしまったんじゃないのか?と疑わずにはいられなかった。

時刻は13:00を回ったので、どこか食事をとれる店を探す。
というか、るるぶで紹介されていた中華鍋を握って40年、ベテラン主人が腕をふるう中国料理店「瀧」を探した。
「瀧」は窪川駅のすぐ傍にあった。
でかいザックを担いだまま店内に入り、海老チャーハンを注文。
紹介どおり美味しいチャーハンで満足だった。

腹ごしらえを済ませ、13:50再び走り始める。
窪川町の市街地で少々道に迷ったが、無事軌道修正して四万十川沿いを北上して行く。
清水沈下橋を過ぎると道はどんどん山間に入って行き、黙々と距離を稼いだ。

今夜の宿泊地は天満宮前キャンプ場に決めているが、立ち寄れる温泉は別ルートに向かう松原川温泉の一箇所のみ。
看板が出ていたが、左折4kmと書かれている。
車であれば問題のない距離だが、自転車だとどうしても億劫になってくる。
殆ど登りで往復すれば8km、入浴時間を考えればもう暗くなるのは必至だ。
暫く考えたが、今日は諦めそのまま天満宮キャンプ場に向かう事にした。

途中、野老野峠への登りがありひと汗かかされたが、登り切った峠からの眺めがなかなか良かった。
谷間を吹き抜ける風も心地良い。
ここまでの走行距離は57km。時刻は15:30。
山に囲まれているため既に陽が隠れてしまい、少し気が焦って来たが、これより一気に降った所に天満宮キャンプ場があった。
天満宮キャンプ場、16:00到着。
ここは大野見村が管理しているキャンプ場で、トイレと炊事場以外特別なものはないが、使用料が¥200と安いのがいい。
昔ながらの少年自然の家といった感じだ。
こんな年の瀬迫った冬場にはやはり誰もおらず、私独り貸し切りとなった。

炊事棟を掃き掃除しているおじいちゃんがいたので、挨拶をして料金を支払う。
明日源流点まで行き、戻って来たらもう一泊する予定なので、二泊分の料金を渡すが、一泊分でいいよ!とまけてくれた。
その後、源流点までの道の状況や、近場の温泉の事など色々と教えて頂いたが、このおじいちゃんとは話が合うのか、その後も色んな話しに花が咲いてしまう。
私が静岡から来た事を話すと富士山の話題になり、お孫さんが富士山の見える所に行きたいと言って静岡の修善寺にある専門学校に行っているのだそうだ。
私は当たり前のように富士山を見て日々過ごしているが、普段お目に掛かれない四国の地ではやはり憧れの山なのだろう。

ひとまずテントを張り終え、シュラフを広げて中へ放り込む。
旅に出てから三日目、今日は溜まった洗濯物を洗わなければならない。
炊事場の流しを利用しての洗濯、他に客がいないのが幸いだ。
木と木の間にロープを渡し、絞ったTシャツ、パンツ、靴下…、一気に生活感が溢れ出た。

暫くすると一人のサイクリストが不意に現れた。
神奈川県から来たという男性は、私より四つ若い32歳。足摺岬を目指しているという。
彼もまた正月休みを利用しての旅だったが、横浜からは高知まで夜行バスが出ており、輪行袋に入れた自転車なら手荷物として乗せてくれるのだそうだ。

夕食時、炊事棟のテーブルを使い、温めた日本酒を呑みながらインスタントラーメンを作っていると、彼も隣に来てインスタントラーメンを作り始めた。
何となく世間話などして、晩酌の良い話し相手になってくれたので有り難い。
色んな話しをしたが、時間が経つにつれ気温はどんどん下がり、いつの間にか彼は話しながら小刻みに震えている。
気がつけば気温は−2度だった。
介護施設で働く彼の話しもいつの間にか人手不足や収入の低さ、末は国の政策に対する不満にまで及び、話しがどんどんネガティブになって行く。
呼応するかのようにランタンの灯りも息き絶え絶え…、今にも消えそうだ。
お互いお開きにしてテントに潜り込んだ。

22:00就寝
本日の走行距離63.13km

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四万十川自転車ツーリングの旅 No3 2002年12月28日

2017年12月19日 | '02四万十川自転車ツーリングの旅

思いのほか熟睡してしまい、なかなかシュラフから出られず6:30に起床。
テントの外に置いた温度計を見てみれば、−1度を示していた。
正月休みでも温暖な地域だからと四国を選んだのだが、地元静岡より全然寒かった。

せっかく高い料金を支払いオートキャンプ場に泊まったのだからと、場内を散策。
広い施設内に作られた展望台に登り、海を見下ろしながら日の出を待つ。
7:10、ようやく太陽が顔を出すと海上からは湯気が上がり幻想的な風景。
初めて見たが、これが気荒らしという現象らしい。
幻想的な風景にまどろんでいたら出発が遅くなってしまい、撤収を終えたのが結局9:00。
慌てて四万十川河口に向けて出発した。

河口には5分ほどで到着。
防波堤の上に腰掛けて、海に流れ込む四万十川の流れを見つめる。
これから延々と四万十川を遡り、この水の一滴一滴が流れ込む源流点を目指すのだ!
ようやく、実質的に四万十川自転車ツーリングの旅がスタートした。

まずは四万十川の東岸に沿ってゆっくり行くと、中村の賑やかな市街地へと入る。
チェーン店が軒を並べ、この辺りはどこにでもある風景。
中村市役所の前を通り過ぎ、四万十川橋の手前から川沿いに遡ると賑やかさは一変。
川海苔の養殖場や、笠を被ったおじさんが木造船を漕いでいたりする。
川の流れも緩やかなので、時間がゆったりと流れているような感覚だ。
ちょうど良い所に休憩展望広場と書かれた東屋があったので、しばし休憩。
市街地から一変して穏やかな風景に癒された。

少し行くと、早速四万十川を代表する沈下橋が登場。
(おぉ、ほんとにガードレールも何もないんだ!こんな所を車が普通に行き来するのだから凄い!というか、恐い)
佐田の沈下橋。
四万十川に来たらまずは見たいもののひとつだったので感無量である。
(注:沈下橋とは川の増水時に橋が流されないよう設計された、欄干の無い橋のこと)
少し私も自転車で走ってみたが、隅に寄るとやっぱり川に落ちそうな気がして恐かった。
暫く腰を降ろし、佇みながら沈下橋を眺めていたら、青いお腹をキラキラさせたカワセミが川面を横切って行った。

更に進むとまたすぐに三里沈下橋が出て来た。
河口辺りではだいぶ濁っていた川の水も、この辺りまで来るとだいぶ綺麗になって来る。
太陽が降り注ぎ、辺りも静かで雰囲気がいいのでまたしても休憩。
なかなか進まない旅である。

再び走り出して暫く行くと、工事区間で通行止めになっている箇所に出くわした。
設置された工事案内板を見れば、12:00から13:00までは通行可になっている。
現在時刻は11:40。
対岸の迂回ルートもあるが、来た道を戻って迂回しても自転車では時間的にさほど変わらない。
仕方なく待つ事にして、交通整理のおじさんに「12:00になったら通れるんだよねぇ?」などとプレッシャーを掛けながら待つ。
少しは時間が早まるかと目論んでいたが全く通す気配をみせず、ぴったり12:00になったところでおじさんが大きく旗を振った。
私ひとりしかいないというのに…
公務員というのは時間もキッチリしていて、ケースバイケースとか適材適所とかそういうのが無い。
しかし、12:00になった瞬間にみせた、あのおじさんの「さぁ、どーぞどーぞ!」といった笑顔が忘れられない。

自転車に取り付けたサイクルメーターが、走行距離ちょうど30kmを指したところで、久保川休憩所があったので立ち寄って行く。
だいぶ向かい風が強くなり、自転車が進まなくなって来たところだったので助かった。
休憩を終えて再び走り出すと、次には中半休憩所。
四万十川沿いには7kmから10kmごとにこんな休憩所があるのでサイクリストには重宝しそうだ。

網代休憩所。キャンプ場を出発してから本日の走行距離44km。
向かい風が益々強くなり、時折立ち漕ぎで進む。
向かい風の中、ひたすらペダルを漕ぎ続けていたら時刻はもう14:00近くになり、さすがにお腹が空いて来た。
国道441号線から一度、津大橋で四万十川を西岸に渡り、正面にあった岩城食堂に入る。
またしても四万十うどんを注文したが、ここのは手長エビまで入って割と豪華。
値段も¥500とリーズナブルで、貧乏サイクリストには有りがたい。

国道441号線から道は381号線となり、十和村を目指す。
ここからはJR予土線と並行して進み、時おり現れる列車と付かず離れずして走る。
こちらが山の中腹に差し掛かると四万十川沿いを走る列車が見下ろせたりして、なかなか良い風景に出会えた。

民家が増えて来ると、ちょっとした商店街に入った。
田舎によくある懐かしいお店ばかりだ。
この一画に十和温泉があり、ここを過ぎると宿泊予定地まで入浴出来る場所がない。
時刻はまだ16:00と少々早いが、先に立ち寄って行く事にする。
受付に行くと、まだお湯が溜まっていないとの事で、どうやら夕方からの営業らしい。
様子を見に行ってくれたおばちゃんが
「まだ半分くらいしか溜まってないけど、いい?」
私はアウトドア派のくせに、一日お風呂に入らなかっただけで翌日は一日気分が優れない人なので、とりあえず何でもいいから入りたい。
礼を言って有り難く入浴させてもらう事にした。
しかし、言われた通り湯舟は膝下までしかお湯が溜まっておらず、ひたすら水死体のようにプカプカ身体を浮かばせながら温まる私なのだった。
料金は¥800。
まぁ、汗を流せただけでも十分だ。

サッパリしたところで商店街の雑貨屋に立ち寄り、今夜の酒とつまみ、朝食のパンを買い、宿泊地へと向かう。
夕暮れがせまる17:40、今夜の宿泊地、十和村ふるさと交流センターに到着。
ここは河川敷がキャンプサイトになっており、料金も¥400と安かった。
管理棟は既に閉まっていたが、隣接する食堂に許可を得てテントを張る。
キャンプ場と言っても舗装されていない駐車場程度の広場で、勝手にやれ!といった感じなのだが、なにゆえキャンプ場と称している限り注意される心配がない。
今日も無事に辿りつけてホッとした。

隣接する食堂がまだ営業していたので夕食にトンカツ定食を頼む。
しかし、味は極めてまずかった。
大抵のものは美味しく感じられる味にこだわりの無い私だが、本当に美味しくなかった。
今後この食堂には気を引き締めてトンカツ作りの改善に取り組んでもらいたいと願う。

テントに戻り、気を取り直して日本酒を開ける。
外気温は5度。今夜は風が少し強いせいか、肌寒く感じられる。
疲れた身体にアルコールが染み渡り、ほろ酔い気分で今日の行程を振り返ってみると、なかなか充実した気分で益々酒が美味しく感じられるのだった。

寝る前に歯を磨きに出ると、食堂前には何匹かの子ネコがはしゃぎ回っていた。
ここでエサを貰っているのかとても人慣れしていて、良く撫でさせてくれる。
就寝前のひと時、ネコに癒され良い時間を過ごした。

21:00就寝。
本日の走行距離69.84km

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四万十川自転車ツーリングの旅 No2 2002年12月27日

2017年12月17日 | '02四万十川自転車ツーリングの旅

正月休みにはまだ少し早い年の瀬。
静岡駅のホームにはスーツ姿のビジネスマンが多く並んでいた。
そんな行列のなか20kgのザックを背負い、でかい輪行袋を下げて異彩を放つ私がいた。
しかし心の中では…
「どうだ、今から私は旅に出るのだ!」
そんな優越感で一杯だった。

AM7:15発、新大阪行きの新幹線に乗り込む。
通勤時間帯ではあったが車内はさほど混んでおらず、でかい輪行袋とザックを置く場所も確保出来てホッとひと息。
岐阜に入ると間もなく外は雪景色に変わり、その影響で新大阪への到着が5分遅れていた。
新大阪での乗り換えがある為、隣のホームへ重い荷物を担いで走らされたが、こちらも何とか無事乗車出来て何より。
しかし、岡山へ到達しても尚5分の遅れは解消されておらず、ここからJR土讃線への乗り換えが危ぶまれた。
(乗れなかったらどうしよう、チケットは予め買っちゃってあるし…)
列車の旅に不慣れな私はいつも、不安な子供のようだった。
しかし車内のアナウンスがそんな私の気持ちを払拭してくれる。
「到着が遅れておりますこの新幹線を待ちまして、JR土讃線、南風7号は出発を5分ほど見合わせております」
(おぉ、待ってくれているのか南風7号!子供扱いも程々にせーよ)
そんな訳で、少々慌てはしたが再び重い荷物を担ぎ、大人の余裕を見せながら四国行きの列車に飛び込んだ私である。

列車の窓から初めて見る瀬戸内海の風景を堪能し、旅情も高まって来る。
南風7号に乗ってからは乗り継ぎが無いため、安心からか心地良い揺れにウトウト…
目が覚めた時には四国中央部に位置する大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)に差し掛かっており、山間は雪景色だった。
このとき初めて四国にも雪が降るんだ…と驚いた無知な私である。
温暖な地域であるからとこの旅を企画してみたが、源流点辺りの山間部は大丈夫なのか少々不安になった。

南風に乗って4時間。
お尻もだいぶ痛くなって来た頃、ようやく高知、中村駅に到着。
一日がかりの移動に、時刻は既に午後3時をまわっている。
改札を抜け、手早く自転車を組み立てていると、笠を被った白装束のお遍路さんが早速声を掛けて来る。
「自転車で旅しとるんか?」
ここ四国では八十八ケ所巡りの巡礼者が多く、気軽に声を掛け合う旅人とのコミュニケーションがあるようだ。
しかし、私はたった今到着したばかりであった。

自転車を完成させ、午後4時に中村駅を出発。
今回の目的は四万十川を河口から源流点まで遡る旅なので、とりあえずスタート地点となる河口を目指す。
途中ドライブインがあったので立ち寄り、早めの夕食とする。
うどんのメッカ四国に来たのであるから、早速メニューにあった四万十うどんを注文。
川海苔の入ったうどんだったが、臭みもなくあっさりとしていて美味しかった。
隣にあったスーパーで今夜の酒と明日の朝食のパンを買い、河口の下田に向けて8kmの道のり。午後5時ちょうどに河口に到着した。

今夜の宿泊地を探すべく防波堤によじ登り、辺りを見回してみる。
海沿いはテトラポットに覆われているが、ちょっとした浜があって、ここで一泊しても良さそうな雰囲気だった。
しかし、河口では防波堤の工事が行なわれており、その工事関係者がずっと私を監視するような目で見ていた。
今テントを張ればすぐにでも注意しに来そうな雰囲気である。
10分ほどとぼけながら海を眺めていたが、工事関係者の私に向けられた不審者扱いの眼は一向に立ち去らなかったので、仕方なくここは諦め、とりあえず温泉「いやしの里」に向かう。
¥620とリーズナブルな料金で、露天風呂からは満天の星空が見えた。
湯に浸かり、満天の星空を見上げながら
(私はいま高知に来て、こんな所で露天風呂に入っている…、何をしているのか、私」
そんな風に思った。

温泉施設を出ると、辺りはもう真っ暗。
今夜の宿泊地を探すのはもう諦め、すぐ傍にあったオートキャンプ場「とまろっと」に妥協する。
受付のおじさんに
「自転車だけなんだけど少し安くならないかなぁ〜」
哀願してみるが、事務的なおじさんの表情は揺るがず、1区画¥2800の料金を支払う。
「空き缶はこちらへ、生ゴミはこちらへ、ペットのリードは絶対外さないように…」
等々、事務的な施設の案内を受ける私だった。
場内にはひとつもテントが張られておらず、ロッヂ宿泊の若者6人のグループが賑やかに花火を楽しんでいた。
テント設営をあっさり終え、ランタンに火を灯し、まずは一日目の終了をビールで祝う。
先程の露天風呂でもそうだったが、街の明かりが少ないせいか、星空がとても綺麗だ。
しかし気温は2度とだいぶ冷え込んでいる。
今日は、明日から始まる旅に備え、早めに寝る事にしよう。

21:00就寝
本日の走行距離10.75km

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四万十川自転車ツーリングの旅 No1「プロローグ」

2017年12月16日 | '02四万十川自転車ツーリングの旅

今更ですが、15年前に行なった四万十川自転車ツーリングの旅を連載したいと思います。
何故、今頃になってしまったかと申しますと、実は半分くらい書き上げていた記事だったのですが、パソコンがぶっ壊れたおかげで撮ってきた写真が全て消え、モチベーションが下がってしまったのが原因。
まぁ、バックアップを取っていなかった私が悪いのですが、今回の紀行文には一切画像はありません。
清らかな四万十川をバックに寛ぐ私。
沈下橋を走る私。
源流点での素敵な笑顔の私。
本当にお見せ出来なくて残念ですが、文章中から汲み取って頂ければ幸いです。
尚、15年前の話しゆえ、道路状況や施設等、私の生活環境や配偶者等も変わっている可能性があります。
この記事を元に四万十川の旅を計画されている方は最新の情報を参考にして下さい。


四万十川自転車ツーリングの旅 No1「プロローグ」

気がつけばキャンプにはまり、アウトドアにどっぷりと浸かっていた私。
あちこちのキャンプ場に出掛けては自然を満喫し、お気に入りの富士の田貫湖ではこんな所に住みたいとロッヂ型のテントを構えて10日間も埋没したり、バックパックにテントとシュラフを詰め込んで西伊豆から南伊豆の遊歩道を何日も歩いたり、マウンテンバイクに乗っては伊豆一周に出掛けてみたりと、大いにアウトドアを楽しんでいた。
しかし、全て近場であって、まだ行ったことのないような遠くへの旅には出掛けていなかったのである。
ひとつくらいは遠くに出向いて人に話せる自慢の旅がしてみたい。
そんな思いからどこか遠くへ自転車ツーリングに出掛けてみたかった。

真っ先に思い付いたのが以前からずっと気になっていた四万十川。
自然の代名詞として名高いこの川を、河口から最初の一滴となる源流点まで遡って行けば、さぞかし充実した旅になるのではないか?
自転車で旅をするにも適度な距離である。
冬休みを利用すれば四国は寒くもなく丁度良いだろう。
様々な理由が急速にまとまり、四国四万十川を自転車で遡る旅を決意した。

早速、情報を集めるべく本屋に行くと、爽やかな川の流れの表紙に「最後の清流、四万十川」と書かれた「るるぶ高知」が売られていた。
と言うより、るるぶ自身が…
「ほらほらこっちこっち!」
と、私に向かって手招きをしていた。
本を手に取った瞬間、頭上からは
(行くが良い…)
そんな神のお告げもあって導かれるまま、るるぶ高知を買って帰った私である。

家に帰り今日あった出来事を妻に説明し、四万十川に行かねばならない事になったと訴えてみると
「えぇ〜、何日行くのぉ?」
行くことに対して否定的ではない様子である。
しかし大晦日の夜までには帰って来るように!との条件付きだった。
欲を言えば最終日は桂浜から初日の出を拝み「日本の夜明けは近いぜよ」と言ったあとに暗殺されてみたかったが、まぁ、行けるだけましか…と大晦日に帰って来る約束で取りまとめたのだった。

そんな話を山仲間と呑んでいたときに話したところ、仲間のリベロ氏が…
「なぁ〜にそれぇ〜、せっかく高知行くのに桂浜行かないなんて勿体ないじゃ〜ん」
隣にいた妻にも十分アピール出来るでかい声である。
更にもうひとり、チェブラーシカ氏という男も…
「ダメです、元旦まで行って来て下さい!」
何故か強制的な口調で言われ、うちの家庭事情なのにどうしてそんなに協力してくれるのか不思議な仲間達だ。

酒も入って強気になった私は、そんな仲間達の後押しもあり
「せっかく遠い高知まで行くのに、桂浜で初日の出を拝まないでどうする!もう一泊伸ばせ!…と、あいつらが言っているんだが」と力説すると。
不服そうに膨れっ面の妻だったが、目も合わさずに力説する私の素敵な横顔に負けたのか結局ダメとは言わなかった。

そんなこんなで、5泊6日の四万十川自転車ツーリングの旅がスタートしたのだった。

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