夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

ヒラリー・クリントン 国務長官に就任

2008年12月03日 | profession
オバマ氏と大統領候補の座を争ったヒラリー・クリントンが国務長官に就任し、ブッシュの任命したゲーツが国防長官に留任した。

こうしたTeam of Rivalsという戦略は、オバマが意識的に模倣しようとしているリンカーンと共通するものだと、Newsweek11月24日号の"Obama's Lincoln; During the campaign, he pledged to be a unifying leader. Good thing for Obama there are other presidents whose experiences he can draw on, including one, in particular, from his home state"という記事に書いてあった。

なお、この記事では、謙虚さという美徳についても二人は共通しているとあり、さらに、リンドン・ジョンソンとも共通点があるとしている。

ヒラリーといえば、(「ゆりかごを揺らす手」に主演したレベッカ・デモーネイは似てると思う)最近、彼女の自叙伝Living HIstoryを読んだ。

シカゴのバリバリの共和党員の父と母の間に1947年に生まれ、幼い頃の母の離婚により、父方の祖父母に引き取られ、16歳まではメイドのような仕事をして生計を立てるなど、辛酸をなめてきた母親の影響で、正義感の強い女性として育ち、とくに子供の権利の擁護のために働く著名な弁護士になったという彼女の生い立ちがわかった。

写真もふんだんに入っているが、子供の頃の写真は、チェルシーにそっくりである。

また、アメリカは女性の権利ではかなり進んでいると思っていたのに、私と15歳しか違わない彼女が「女性として初めて」という経験をたくさんしてきたことも、興味深く、この本は、アメリカのフェミニズムの歴史を辿るものともなっている。

以前もこのブログで取り上げた女子大学の卒業式での彼女のスピーチは、実は学生スピーチそのものが初めてだったとか、

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/a492592ec36f245e02c4ab88004768bf

ロースクールはHarvardかYaleを目指していたが、Harvardに見学に行ったとき、「ペーパーチェイスに出てくるような教授が」(というので私には誰だかすぐにピンと来たが)、「第一に、わが校にはライバル校はない。第二に、Harvard Law Schoolにこれ以上女子学生は要らない」といわれたので、Yaleに決めたとか(この保守的な教授の言葉がなければ、ヒラリーは大統領夫人にはなっていなかったのである)、

所属する法律事務所で初の女性パートナーになる際、「君には身のまわりの世話をしてくれる妻がいないから無理だ」と同僚に言われたとか、

ビルが州知事の仕事をしているときも、ヒラリー・ロッダムという旧姓を仕事で使用してきた(それで、州政府を相手取る訴訟も担当していた)が、ビルが大統領選に出る際に、有権者から反感をもたれないようにと周囲のアドバイスでヒラリー・ロッダム・クリントンを名乗らざると得なくなったこと

などである。

ロースクール卒業後、ワシントンDCとアーカンソー州の司法試験を受け、前者は落ちたというのにも驚いたが、それなのに、ニクソン弾劾委員会の仕事をしていたというのも不思議だった。

そして、彼女が民主党の代表戦に敗北した原因が、ファーストレディ時代に胚胎していたこともこれで知った。

つまり、1998年モニカ・ルインスキー事件に於ける、妻としての苦悩(議院で弾劾されるに至ったのであるからその苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあった。これが、スター検事による、Whitewater疑惑やポーラジョーンズによるセクハラ告発など、一連のクリントン政権への攻撃の一端であったことも、この本を読んでわかった。私は「スター報告書」を当時旅行の際アメリカの空港の書店で買ってきた。こういうものが出版されるのもアメリカらしい。ビルは生まれる前に実父に死なれ、継父からひどい虐待を受けて育ったので、その辺のこともこういう事件に関係しているかもしれない)の記載の中に、イラク空爆のことが出てくるが、いかにもとってつけたようで、やはり(当時もそう思ったが)世間の目をそらすためであった、という批判は当たっていると改めて思った。

だから、ヒラリーは、ブッシュのイラク攻撃も賛成しないわけにはいかなかった。そして、オバマに負けた最大の原因は、イラク攻撃を支持したことだったのである。ヒラリーは「10年前ビルがあんな愚かで『不適切な』なこと(モニカのことである)さえしなければ、私が大統領になれたのに。妻としてだけでなく、政治家としても大変なダメージを与えられた」と改めて悔しがっているだろうと私は思う。

しかし、和訳に
キリスト教的実在主義 とか、
nominal damageを名ばかりの損害賠償と訳すとか、誤りがあったのは残念であった。




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所有権と占有権の違い―Death Note-

2008年12月02日 | profession
現在私は、2回生以上を対象とした民法Iを担当しているが、これは、民法総則・物権である。

実は、前任校では、学部でも法科大学院でも契約法や担保・保証のところを教えていたので、民法総則・物権を教えるのはこれが初めてである。毎回準備も大変なのであるが、前任校の学部教員時代(法科大学院ではそういうことはしにくい)に映画、ドラマ、小説、マンガを副教材に使っていたのと同様、理解を助けるためにそういう教材を取り入れている。

特に、民法総則は、ドイツに倣ってパンデクテン方式をとる日本の民法において、最も抽象度の高い部分で、初学者が理解するのが難しい。

まず、93条心裡留保を説明するために、ドラマ『カバチタレ』を使ったが、これは、随分助けになったようである。

先日民法総則が終わり、物権法が始まったのだが、やはり初学者には難しい所有権と占有権の違いの理解にうってつけの教材として、Death Note(noteでは、書かれた文書そのものを指すので、帳面自体をさすなら英語としてはNotebookが正しい)を用いた。

Death Noteのルールのうち、

○デスノートを紛失または盗まれるなどした場合、490日以内に再びノートを手にしないと所有権を失う。

○所有権は自分のままで他人に貸すことは可能であり又貸しも出来るが、死神はあくまで所有権のある人間に憑く。

○デスノートの所有者が、所有権を持たない人間にノートを貸した場合でも、死神はあくまで所有権のある人間につかなければならない。

といったものが、所有権をもっていることと、占有権しかもっていないことの違いの理解に役立つと考えたからだ。

教室で聞いてみたら、この作品についてはマンガ、アニメ、実写映画のいずれかを見たことのある学生が殆どであった。

教科書(内田貴『民法I』)にも「自分が単なる占有権でなく、所有権をもっていることをを証明するのは困難で、悪魔の証明といわれる」とあることを指摘し、「そのとおりで、死神だけには物理的にノートをもっているのが誰かにかかわらず、誰が所有権者かわかっているのですね」といったら、学生の反応がすごく良かった。

私は藤原竜也の主演した映画版しか見ていない(L役の松山ケンイチもすごい名演技だった)し、原作マンガとは違うようなのだが、疑問だったのは、「殺したい人間の名前は、その人物の母国語で書かないといけないのではないか。だとしたら、タイ語やタミール語など、それを母国語とする人間以外には書きにくい言語圏の人間が心臓発作等で多数死んでいるかどうかが、ノートの所有者の特定に役立つのではないか。なぜ、そういうことを警察は考えないのか」ということだ。

どなたか知っている人は教えてください。

また、他の設定は最先端のdigital思考なのに、ノートの記述だけは、「筆記具で紙に書く」という原始的なアナログ行為だというギャップも大変面白いと思った。アナログである限り、ノートのページ数は有限のはずだ、ページがつきたらどうするのか、と疑問に思っていたのだが、ここだけはまたアナログを貫いていなくて、いくら書いてもページが尽きることはない設定だと知った。

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裁判官の守秘義務

2008年11月27日 | profession
来年5月に始まる裁判員制度であるが、TVコマーシャルも始まり(古手川祐子は随分ふくよかに映っている。「ホームレス中学生」でガンで死ぬ母親役をやっていたのに…)、明日は、350人にひとりに、最高裁から裁判員候補者になった通知がいっせいに発送されるそうだ。

裁判員にはなってはいけない人と、辞退できる人がいる。前者は、弁護士や、大学で法律学を講じる教授・准教授(専任講師や非常勤講師は対象にならないというのが変だ)等の専門家、後者は、70歳以上の人や学生等である。

ということで、もし私に通知が来ても欠格事由に該当すると回答するだけなのだが。

しかし、もし法律の専門家が裁判員になったら、他の裁判員が彼/女らの意見に引きずられるから(確かに三谷幸喜脚本・中原俊監督の映画「12人の優しい日本人」でも、弁護士だと名乗ったトヨエツ(東京サンシャインボーイズ時代に舞台でこの役をやった野仲功(ドラマ「働きマン」で嫌味な長身の同僚役)が、「映画でもこの役を俺がやっていたら、今頃トヨエツくらいブレークしてる」といっているそうである)の発言で流れが大きく変わった)、ということだが、専門家中の専門家である裁判官が3名も合議するのに、そちらに引きずられるということは考慮しないのはどう考えても矛盾である。

最高裁の広報ビデオを見た学生が、「裁判長(榎木孝明)が裁判員を誘導していた」と感想を述べていた。

このブログにも書いたとおり、私は裁判員制度に反対である。
http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/2c281cde9768e584ea315a5ff12b3efd

現在、1回生(関西ではこういうのである。未だに慣れない)の入門演習を担当している。必修科目なので、10人の教員が、それぞれ10人くらいのクラスを担当し、14回の講義で2-3冊の新書を読む、という講義である。

その1冊目として裁判員関係の新書を選定し、学生に分担して発表させながら読みつつ、最高裁の広報ビデオ、陪審制を扱った映画、「裁判官は訴える」「12人の浮かれる男」などの副教材を見たり読んだりし、最終的には、3班に分かれた学生のそれぞれの班に「あるべき裁判員制度」について発表してもらう予定にしている。

最初に発表した班が、「裁判員は、一生評議の秘密を守らされ、破ったら懲役や罰金があるのに、裁判官には守秘義務はない」といったので、「裁判官にももちろん守秘義務はありますよ」と指摘したのだが、よく調べてみたら、裁判官の守秘義務は在職中のみで、しかも、サンクションは弾劾や懲戒のみ。裁判官を辞めた後は守秘義務を負わないことがわかった。

だから、最近、冤罪事件について、退官した担当裁判官が「自分は無罪という意見だったのに、評議で多数決で負けた」などと発言しても何ら処罰はなかったのであった。

以下にまとめたものを記す。

裁判員裁判における裁判官の守秘義務
1.裁判官の評議の秘密を守る義務
(1)根拠条文
裁判所法75条
第七十五条 (評議の秘密)  合議体でする裁判の評議は、これを公行しない。但し、司法修習生の傍聴を許すことができる。
○2  評議は、裁判長が、これを開き、且つこれを整理する。その評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については、この法律に特別の定がない限り、秘密を守らなければならない。

(2)罰則   なし
ただし、弾劾裁判によって罷免されたり、懲戒処分を受けたりすることがある。
憲法第六十四条  国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
○2  弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。
裁判所法
第四十九条 (懲戒)  裁判官は、職務上の義務に違反し、若しくは職務を怠り、又は品位を辱める行状があつたときは、別に法律で定めるところにより裁判によつて懲戒される。

しかし、退職後の義務違反に対してはサンクションがない。

(3)国家公務員法
なお、国家公務員法100条は守秘義務について定め、109条1項12号はその違反について、1年以下の懲役または50万円以下の罰金を定めているが、裁判官は、国家公務員法の適用を受ける一般公務員ではない(国家公務員法2条3項13号、同4項)ので、これは適用されない。

(4)刑法
また、裁判官は、刑法134条の秘密漏洩罪の対象にもなっていない。
(秘密漏示)
第百三十四条  医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。
2  宗教、祈祷若しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときも、前項と同様とする。

2.裁判官以外の者
(1)裁判員 終生の守秘義務。違反したら6か月以下の懲役または50万円以下の罰金 (裁判員法108条)
(2)調停委員
民事調停法
(評議の秘密を漏らす罪)
第三十七条  民事調停委員又は民事調停委員であつた者が正当な事由がなく評議の経過又は調停主任若しくは民事調停委員の意見若しくはその多少の数を漏らしたときは、三十万円以下の罰金に処する。
(人の秘密を漏らす罪)
第三十八条  民事調停委員又は民事調停委員であつた者が正当な事由がなくその職務上取り扱つたことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

家事審判法
第三十条  家事調停委員又は家事調停委員であつた者が正当な事由がなく評議の経過又は家事審判官、家事調停官若しくは家事調停委員の意見若しくはその多少の数を漏らしたときは、三十万円以下の罰金に処する。
○2  参与員又は参与員であつた者が正当な事由がなく家事審判官又は参与員の意見を漏らしたときも、前項と同様である。
第三十一条  参与員、家事調停委員又はこれらの職に在つた者が正当な事由がなくその職務上取り扱つたことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

3.なぜ、裁判官のみ特別扱いか
裁判官の独立は憲法上保障されている
第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
第七十七条  最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
○2  検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
○3  最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。
第七十八条  裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

裁判所法
第四十八条 (身分の保障)  裁判官は、公の弾劾又は国民の審査に関する法律による場合及び別に法律で定めるところにより心身の故障のために職務を執ることができないと裁判された場合を除いては、その意思に反して、免官、転官、転所、職務の停止又は報酬の減額をされることはない。

国民の司法参加のような場面では罰則により評議の秘密を担保し、裁判官(相当程度継続して在職することが想定され、職責上守秘に関する理解認識も一般に高い。また、裁判官の独立ということもある。)については分限法による懲戒または弾劾という形で担保しようとする考えが背景にあるのでは?

もちろん、次の講義で解説しておいたが、「負うた子に教えられ」という気分である。

日本裁判員制度と米国陪審制度の相違

           日本裁判員制度  米国陪審制度
裁判官が評議に参加するか   する。  しない

合議体       裁判員6名裁判官3名が原則  12名とする州が多い

量刑まで評議で決めるか  決める。  決めない。事実認定しかしな                        い。(法定刑に死刑を含む犯                        罪の場合死刑にするか否かに                        ついては意見を述べることが                        できる。Cf.映画「12人の怒                        れる男」)
決議方法 多数決(但し多数意見には裁判官一人以上の賛成が必要)原則全員一致

民事事件にも適用されるか          されない    される。

被告人は裁判官以外の参加を拒否できるか できない。 できる。                              (陪審による裁判                             は憲法で保障され                             ている人権なので                              放棄可能。ただ                             し裁判所の許可が                              いる州もある)

証拠排除の原則が厳格か(素人の予断を排除するため)
          さほど厳格でない     厳格(例:轢き逃げ後犯人が車を                      修理に出したことも証拠として提                      出できない)

争点の事前整理が可能か(裁判員を長く拘束できないため。従来の重大な犯罪に関する刑事裁判は短くても数年かかる)
事前開示制度を最近導入した。争点の整理については、「情状として主張できることが限定されて被告人に不利益」という声あり。

事前開示制度が徹底されている。(cf.映画「いとこのビニー」)

犯罪の構成要件が細分化されているか(陪審員・裁判員がその有無を判断すべき事実が予め明確か) 十分にされていない。 殺人だけでもmurder,                            voluntary manslaughter,                          involuntary manslaughterなど                       に分類され、それぞれが、第1                       級から第3級くらいまで分類さ                        れている。
 
司法取引 刑法上の犯罪にはない。 ある。刑事事件の9割は司法取引                       で決着。


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祝!オバマ大統領誕生!!!

2008年11月06日 | profession
ハローウィンでもある誕生日が過ぎ(確かケルトの古代信仰で、翌日神々が登場するから、その日に悪魔や妖怪が一斉に出てくるという日なので、ちょっと複雑である。蒋介石も同じ誕生日である。なお、アメリカに留学した年の誕生日をメキシコで過ごしたのだが、メキシコではこの日は故人の好物などで祭壇を飾りつけ、髑髏のオブジェをおくというまるでお盆みたいな祝い方をしていた)、三島由紀夫が亡くなった年齢を超えてしまった。

改めて、短い人生の間に残した作品の質・量のすごさがわかる。それにひきかえ、私は研究者としてまだまだ半人前なのが恥ずかしい。

アナウンス効果とか、ブラッドリー効果とかが心配されていたが、オバマが勝利して本当にうれしい。

アメリカは自由と多様性=Diversityに絶対の価値を置く国だが、本音と建前の違いも激しくて、人種差別主義者も多いのに、アフリカ系を選挙で選んだのだ。(惜しむらくは、彼が、大多数のアフリカ系アメリカ人のような奴隷の子孫ではないことだが)アメリカの民主主義は死んでいなかった。

ただし、イラク戦争は泥沼化し、未曾有の金融危機にさらされ、アメリカ型の政治・経済政策の失敗と限界がかつてないほど深刻に認識され、いわばアメリカ人全員が自信を喪失し、大きな変革を望む風潮がなければ、どうなっていたかわからない。

こういうところが、アメリカには批判すべき点が多いといいつつ、アメリカを憎みきれない理由である。(「そんなにアメリカが嫌いならなぜアメリカの弁護士資格を取ったのか」などと検討違いな放言をする輩もいるが、批判するためには、国の基本になる法律を十分知っておくべきだ、と思い、40を過ぎて過酷な受験勉強をしてニューヨーク州の弁護士資格をとったのは、きちんと批判する資格を得るためでもある。もちろん、資格をとった主な理由は、前任校の法科大学院で英米法を担当することに決まったからだが)

確かにアメリカは度し難い部分のある国である。しかし、たとえば、911で家族を失いながらも、憎しみの連鎖を断ち切るための平和運動に従事する人々がいて、ひどい迫害(何回引っ越しても家の庭に汚物を投げ込まれるなどの嫌がらせをされたり、子供が学校でいじめられたりする)を受けても尚、ひるまないという事実を知ったりすると、この国の底力をつくづく感じるのだ。


もともと私はもちろん、民主党支持派だが、オバマはHarvard Law Schoolの先輩でもある。Harvard大学全体では、ケネディをはじめ8人の大統領を輩出しているが、Law Schoolは、初めてではないだろうか。

新聞の経歴欄にあった、「アフリカ系で初めてHarvard Law Reviewの編集長になった」という件について、なぜそれがわざわざ経歴に出ているか疑問の人がいるだろうから、説明する。

日本の大学の紀要は、査読がある方が珍しい(なお、前任校の法科大学院は、業績の虚偽申告の不祥事のあと、査読制を取り入れた。私は就職してから辞めるまでに発行された全ての紀要に論文を掲載した)のだが、アメリカのロースクールの紀要には全て査読がある。Harvard Law Schoolには、Harvard Law REview 以外にも、Harvard International Law Reviewなどたくさんの紀要があるが、全世界から論文が投稿され、とくにHarvard Law Reviewに掲載されることは、ものすごいstatusである。

なお、4月1日はそのパロディ版"Harvard Law Revue"が別の学生グループによって出版されるのだが、私が在学していた1992年のそれは、Harvard大学の近くで惨殺された、New England Law Schoolのフェミニズム法学を専攻する女性教授でもあり、HLS教授の妻が書いた未完の論文"A Psostmodern Feminisit Legal Manifesto"(法廷で以下に白人男性のみが優遇され、女性が差別されたものを力説したもの)を"He- Manifesto of Post-Modern Legal FEminism"という題で、「私は男狂いだ」といういような内容に書き換え、揶揄する非常識なものだったので、関係した学生が処分を受けた.

なお、このパロディ版には、47名の教授によるものをはじめ、学生や様々な市民団体からも正式な抗議文がだされたのだが、このことは、大学に於ける言論の自由についての論争に発展した。ダショーウィッツ教授がロスアンゼルス・タイムズに「リベラリスト、フェミニストの多いキャンパスではそうでない者の言論の自由は抑圧される」という記事を発表したのに対し、トライブ教授が反駁し、二人の間に論争が展開された。

また、この学生の処分が、教授採用におけるマイノリティ差別に抗議して座り込みをした学生の処分よりも軽かったことも、大きな問題になった。

HLSでは、客員教授がテニュアをとるというコースが多かったのだが、候補者がいる間に投票するのは不適切だというので、彼女/彼が母校に戻ってから投票をするルールが樹立されていたところ、HLSでテニュアが承認されたときには既に母校でテニュアをとってしまっていた、という例が多く人材流失を招くので、このルールを「投票を延期できない特別な事情がある場合は」適用しないことになったのだが、この例外の適用の仕方が、マイノリティや女性については原則通りにし、Caucasianの男性については例外として早期に投票をするというように恣意的に運用されており、そのために現にたくさんのマイノリティや女性教員がHLSでのテニュアをとり損ねているということで、学生運動が、当時かつてないほど盛り上がっており、抗議のため座り込みをする学生がいたのだった。

この機運を受け、HLSでアフリカ系として初めてテニュアをとったデレク・ベル教授が、「HLSが有色人種の女性にテニュアを与えるまで、戻ってこない」と宣言して自主的にHLSを休職してNYUで教えていたところ、HLSに来て講演を行ったりした。その休職期間の満了が迫っていたので、ベル教授がHLSの職を永遠に失いそうになっている折も折、教授会が4人ものCaucasian男性の教授にテニュアを与えたので、学生の怒りは爆発し、連日のように抗議集会が開かれたり、「Deanの回答期限まであと○日」という宇宙戦艦ヤマトのようなポスターが貼られたりしたのである。

だから、パロディ事件が起きたとき、グループ15と称する学内有志が「この事件は、個人の中傷にととどまらず、HLS全体に巣食うsexismと racismという病気の一症状ととらえるべきで、教授の採用上の差別も同根である」という声明を発表した。

また、パロディ事件の犯人の処分が、先の差別に抗議して座り込みをした学生の処分よりも明らかに軽かったのに抗議して、9人の学生がDean室で、Deanの退陣を迫って、4月6-7日に徹夜で24時間の座り込みをする事件がおき、マスコミもかけつけるほどの騒ぎになった。彼らは、その部屋のある建物の名前をとってGriswold(HLSの建物の名前は過去の偉大な学者にちなむ)9と呼ばれ、英雄視され、そのうちの1人の女子学生は、その直後の選挙で次年度のHLSの学生代表に選ばれたほどだ。

そのGriswold9の処分のための公聴会にもたくさんの学生がつめかけ、大学側と学生側にそれぞれ教授等(大学側は私も会社法を習ったVagts教授、学生側は、財産法のフィッシャー准教授と学生人権連合代表の3Lの学生)が弁護人としてつくという手続が行われた。

5月に発表された処分はWaitingという処分の中で最も軽いものだったので、9人の中に、Asian Women Student Associationで仲良くしていた中国系のルーシーが入っていたので私もほっとした。
とはいえ、こうしたことで学生が処分されるのは、1970年代以来のことだった。

こうした学生の執行部への不信は卒業式まで続き、抗議のためにガウンの袖に白いリボンを巻く(私も巻いた)学生が多く、また、本来ならひとりひとりDeanから卒業証書を手渡されるところ、それを拒否して、Deanの前を素通りして事務員から証書を手渡される手続を選んだ(そういう手続を学生の要求に応じて用意するHLSもすごい)学生もたくさんいた。私は熟考した末、恥ずかしいが、企業派遣ということもあり、個人の判断だけでそうすることが躊躇われ、Deanから受け取ったが。

「予備校のような授業をしろ」などと要求し、教科書も買わずに予備校本を授業中読んでいる日本の法科大学院の学生との、何たる違いであろうか。

Law Reviewに話をもどそう、愕くべきことは、日本なら、教員が編集委員になって編集するのを、アメリカでは、学生が編集委員になって編集・査読を行うのである。編集委員には、よほど成績が良くないとなれない。law Schoolの学生時代に「Law Reviewのeditorだった」というのは、すごい経歴ということで、必ず履歴書に書かれるので、学生はみななりたいが、成績による厳しい選抜がある。編集長であったということは、事実上、オバマは首席の学生だったということだ。本当に頭の良い人なのだなと思う。

(なお、Harvard Law Schoolでは、1階でボランティアの学生が貧しい人に無料で法律相談に応じている建物の2階が、このHarvard Law Reviewの編集室だった。同じ建物の1階に弁護士報酬の払えない人々がいれば、2階には将来を既に約束された全米トップエリート中のエリートがいるという実にアメリカ的な構図だなと感じた)

アメリカのロースクールはこのように全てが成績で決まるシビアな世界だ。1年生と2年生の夏休みに学生が参加するSummer Internshipでどの法律事務所で働けるかが卒業後の進路を事実上決定するのだが、それも成績次第。この時期になると、友達のJD学生は、リクルートスーツで必死の形相で歩いていた。

オバマは、このInternshipで行ったシカゴの法律事務所で同じHLS出身の弁護士・ミシェルさんと知り合って結婚するが、首席のオバマが行くような法律事務所で弁護士をしていたミシェルさんもまちがいなく超優秀な弁護士だったのだろう。彼女(こちらは奴隷の祖先をもつアフリカ系)の両親は貧しく、奨学金を受けてHLSに行ったという苦労人でもある。演説も上手で、First Ladyとして、すばらしい仕事をするだろう。

とにかくめでたい。ついうかれて添付した写真は、9月に訪れた、若狭は小浜市のケーキ屋さん。(大統領候補者が市の名前と同じ発音だからといって、その政策なども知らずに応援するのは、いかにも植民地根性で嫌なんだが、町おこしの涙ぐましい努力に免じて。アフリカの多くの国のNativeの苗字は母音が多いものが多く、私が仕事上使っている旧姓のローマ字表記は結構同名の人がアフリカにある国にいる。また、スペイン語圏にも同じ名前があるらしく(イタリア系のスコセッシ監督の名前にも入っているが)、メキシコ旅行の際、メキシコシティの空港で、待ち合わせたガイドが、名前から私をヒスパニックだと思い込んでいてなかなか見つけてくれなかった)でも、小浜市は近来にない大名作朝ドラの「ちりとてちん」(虎様素敵!)の舞台になって十分知名度は上がったと思うのだが)

また、私を応援してくれているブログを今更見つけ、うれしかったのでリンクを貼っておく。
http://d.hatena.ne.jp/akehyon/20080428#

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三浦事件と二重の危険(一事不再理)その3

2008年10月14日 | profession
連休は毎年この時期恒例だが、一日目は金融法学会、二、三日目は私法学会に出席した。私法学会ではある研究グループの民法改正私案についてのシンポジウムがあり、現行民法の問題点を総ざらいする内容で非常に勉強になった。

会場となった名古屋大学では、地下鉄の駅に「ノーベル賞受賞者4名のうち3名が名古屋大学関係者です」という、益川、小林、下村博士の写真入の看板があった。

理系音痴(といっても数学だけは高校卒業までずっと5<もちろん5段階評価>だった。クラス42人中12名が東大に現役合格<うち理系は7人>したクラスでだったのだから理系一般というより化学物理がだめだったのだ)の私にはよくわからないが、報道をみるかぎり、30年も40年も前に発見した原理や法則が後に証明されたり、長い間に多くの場面で応用され、極めて有用だと認識されるようになったため
らしい。二人が80代であることから見ても、長生きすることもノーベル賞をもらえるための要素だと思う。

川端康成がノーベル賞を受賞したとき、理由として本人が「サイデンステッカー氏などの優れた翻訳があったこと、そして三島くんが若すぎたこと」を挙げている。
三島ももう少し長生きすれば受賞できたと思う。

村上龍がアメリカ人を描写するとき、判で押したように「ミシマのペーパーバックを読んでいた」とあるが、アメリカの大きな書店にはfictionのコーナーにアルファベット順でマーガレット・ミッチェルの直前に三島の作品が並んでいる。

香港で中国語のクラスメートだった香港フィルでチェリストをしているアメリカ人に「三島が好きだ」といったら、「僕はGOlden PavillionとCOnfession of Maskしか読んでいないけど」といわれた(この「しか」に三島作品の海外での著名さが表れていると思う)し、イスラエル旅行で知り合ったユーディットの住むオランダの小さな町のカフェに[Lady Aoi]の上演のポスターがあった。


ロサンゼルスに移送されて17時間後に自殺した三浦容疑者であるが、このような結末になったのは残念だ。拘留機関として最も注意しなければならない容疑者を自殺させるという失態を演じたロス警察は責任を問われるだろう。

不謹慎かもしれないが、司法手続が進めば、conspiracyについて本当に二重の危険違反がないのか、日本で裁かれた共謀共同正犯の共謀の部分の構成要件が重複しているのでやはり二重の危険違反であるという反論が予想され、憲法上も刑法上もきわめて面白い法律論争が行われる可能性が高かったので、注目していただけに残念である。

ところで、conspiracyは複数犯を前提としているのだから、三浦容疑者と共謀したとされる実行犯の方をconspiracyで訴追すればいいではないか、という疑問があるかもしれないが、多分実行犯については司法取引で訴追しないことになっているのではないかと思う。

司法取引は日本の刑事手続には原則的にないのであるが、一定の合理性をもった制度だと思う。
人権尊重・適正手続が徹底している国家では、刑事訴訟には膨大なコストがかかる。たとえば、サリン事件等で起訴された麻原彰晃の裁判は、一審判決が出るまでだけで10年近くを要している(私は一度東京地裁に傍聴に行ったことがあるが、麻原は目をつぶって微動だにせず、まったく無反応なのに驚いた)。もちろん、裁判費用等に税金が何億と使われており、その一方で、被害者は十分な補償を受けていない。
犯罪を犯された上に、国民の税金を費消するのでは、泥棒に追い銭である。

そこで、アメリカでは、刑事被告人が有罪を認め、進んで捜査に協力すれば、略式の手続で罪一等減じる司法取引制度を活用し、刑事事件の9割が司法取引で解決されているという。だから陪審のいるtrialまで進むケースは少ないのである。(そうではない日本で、同じリソースで裁判員制度を円滑に進めるために、ここの裁判の拙速は避けられないと思う)

私が2004年に大学のあった県の弁護士会の依頼で通訳としてハワイ州の司法制度視察にいったとき、連邦地裁でまさにこの司法取引に立ち会った。

被告人はシアトルからホノルル行きの飛行機内で、酔って前の席の背もたれを強く蹴り上げ、連邦刑法上の暴行罪で起訴されていた。
アメリカの刑法は州法と連邦法があり、ほとんどの犯罪は州刑法上のものだが、飛行機や列車などの交通手段内での犯罪は、それ自体州をまたぐことが多いので連邦刑法犯にもなっている。

そこでは、まさに裁判官を立会人とする、検察官と被告人の「契約書」が取り交わされる手続が展開されており、裁判官の質問は、「あなたは司法取引をしなければどんな法定刑に処されるかを知っていますか」「あならは取引の内容を十分理解していますか」「精神病歴はないですか」という、まさに契約書締結能力を問う質問ばかりしていた。司法取引のために被告人は保護観察処分だけですみ、調印の直前に検事の要望で断酒プログラムへの参加義務も付け加えられていた。

1985年の日航機墜落事件も、司法取引のためにボーイング社の徹底訴追ができなかったそうだ。

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ゲートウェイの破産と預り金

2008年10月07日 | profession
留学斡旋会社ゲートウェイが自己破産の申立を行い、留学志望者が同社から留学先に送るために預けた預り金が戻ってこないということで問題になっている。

普通に考えれば、この預り金は(準)委任契約上の前払費用にすぎないので、留学志望者は一般債権者になり、回収できないことになる。

互助会やデパートの友の会なら割賦販売法上、会員の保護のために別途保証金を供託する等を義務付ける制度があるので、前払い金を取り戻すことができるが、留学斡旋会社はこれには当たらない。

また、留学仲介に近いものとして、旅行代理店なら、旅行業法上、営業保証金を積まねばならず、旅行者の保護が図られているが、留学仲介業者はこれには当たらない。

この事件を受けて、早晩、留学仲介についても業法上の規制が課されるようになると予想される。

こういう事態について、業法だけでなく、私法上の法律構成による解決はできないだろうか。とくに、今回の事件は、業法上の規制がなかった以上、それしか解決方法はないのではないか。

預り金について、志望者とゲートウェイの間に信託契約が成立しているという法律構成はできないだろうか。

信託の持つ倒産隔離機能こそ、こうした場面で生かすべきではないか。

類似のケースとして、最高裁判所の平成14年1月17日判決が、公共工事の請負人が保証事業会社の保証の下に地方公共団体から預った前払い金について、当該地方公共団体と請負人の間で信託契約が成立することを初めて認めたことがある。

このときは、信託法改正前であり、「信託」という構成に批判的な見解があった。

しかし、信託法が大改正され、信託法の規定(単独行為による信託についてはここでは触れない)が信託契約という一種の契約についての任意規定であるという位置づけがはっきりした(つまり、民法上の典型契約に準ずるものとして信託契約を位置づけることができる)現在、当事者がはっきり典型契約の一つであると意識していなくても、客観的に見て典型契約のどれかである(前納授業料返還訴訟については学生と大学の契約を準委任契約を中核とする無名契約としての在学契約と構成したが)と評価して法律関係を律するように、「信託」という意思を有していなくても、信託契約成立と評価することができるのではないかと考える。

いずれにせよ、この件でまた平成14年判決の再評価が行われるだろう。

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橋下知事敗訴

2008年10月07日 | profession
予想通り、光市母子強姦(どうしてこの文字をマスコミは使わなかったり、「性的暴行」という間接表現を使うのか。「強姦」という言葉を使わないことが、却って被害者に対するいわれなき偏見を助長しているとなぜ気づかないのか。傷害の被害者も強姦の被害者も非難される余地のない被害者であることにかわりはないのに、言葉の禁忌が強姦被害者をして全く感じる必要のない恥を感じさせ、告発するのを躊躇わせるマイナス効果があると私は思う)殺人事件の弁護人が橋下知事のTVでの懲戒請求呼びかけについて提訴していた事件の一審判決があり、橋本知事の責任を認め、800万円(請求額は1200万円)の損害賠償の支払を命じた。

予想通りの判決だが、現在大阪府に在住する者として、その知事の言動に利害関係を持つ者として一言書いておこうと思った。

まず、弁護士の癖に、法の支配の徹底した立憲国家で刑事弁護人が期待されている役割、どんなに許しがたい犯罪を犯した犯人でも、その味方になって弁護するプロのつかないところで裁かれてはならない、その役割を担うのが弁護人であるという基本中の基本がわかっていない。

中国では、刑事弁護人になっただけで、弁護士が信号無視などの微罪で逮捕・拘留されたりして、公正な裁判を受ける権利を被告人が簡単に剥奪され、2002年に南京でおきた御粥に入れる油条に毒を仕込んだ無差別殺人については、わずか数ヶ月で死刑執行までいったりしている(rule of lawの確立している日本では、私も傍聴に行ったことのある麻原彰晃(終始目をつぶっており全く無反応だった)の裁判が一審判決まで10年近くかかっていることと比べてほしい)。

悲惨な戦争を経て、やっと、日本が基本的人権や適正手続を重視する立憲国家になったこと(もちろん、有罪率99.9%とか、皇室については表現の自由が制限されているとか、日本の法の支配にも欠けるところがないわけではないが)を、一体どう考えているのか。

また、「被告人の主張を弁護団が組み立てた」という発言は明らかに名誉毀損に当たるであろう。

何よりも、自ら弁護士であるならなおさら、自分の法的責任が問われている裁判には出廷してほしかったのに、法廷に一度も現れなかったということに大変失望した。また、「自分がまちがっていた」と繰り返し謝罪しながらも「判決が不当だというわけではないが、ちょっと高裁の意見をうかがいたい」などというふざけた理由で控訴するというのも、裁判制度を愚弄している。府民としてこんな人に知事でいてほしくない。

しかし、私見では、光市事件の弁護団は、別の意味で訴訟戦略を誤ったと思う。
いくら被告人がドラえもんがどうとか、蘇りの儀式だとかいっていても、それをそのまま法廷で主張させるのは、「反省の色がない」という心証を裁判官に与え、却って被告人に不利である。現に、差戻審高裁判決では、「反省していない。反社会性は増大している」と厳しいことをいわれ、死刑を回避すべき特段の事由はないとされ、最高裁で死刑判決が出る公算がさらに高まったではないか。
(これはもちろん、懲戒の対象となる非行とまではいえないが)

今後は、以下のような理由で弁護士の弁護方法が厳しい批判の目にさらされることになるだろう。

この話題はしばらく避けたかったのだが、現在既に司法修習生の3人にひとりが就職難といわれ、今後は弁護士の生き残りも大変だと思うが、そんな中、今後日本で成長が期待される弁護士の職域は、弁護過誤で弁護士を訴えるというビジネスだと考える。(アメリカでは医療過誤と比肩される訴訟で、その専門の弁護士ももちろんいる)(光市の弁護団に弁護過誤があるとはいっていないし、現実にこの程度では弁護過誤ではないと考えている。そこは誤解しないでほしい)

従来だったら、依頼人の主張が法的に全く根拠がなく、裁判で勝てる見込みがないようなケース(裁判所が保守的とか,イデオロギーがどうとか、そういうこととは関係なく、主張内容が法律論にすらなっていないトンデモ言説であるケースもある。こんな訴状を受け取った裁判官は気の毒だなと思う。訴訟代理人の引き受け手がないのは、そんな弁護を引き受けたら弁護士としてlegal communityから笑いものにされるからなのに、「自分の弁護の引き受け手がいなかったのだから弁護士は足りないのだ」とか、「弁護士さえつけてもらえば勝てる」と公言し、自分の言説に与しない<といってもそのように本人にいったりはしていない。個人的な会話や手紙を曲解した上で名指しで公表されたり侮辱されたりプライバシー侵害をされ、それこそ訴えれば勝てても、とにかく相手にするのが馬鹿馬鹿しいので、放置しているだけで、「あなたの公開している訴状は法律家から見ると九九もできないのに微積分の問題を解いた気になっているようなあまりにひどい内容だ」なんて親切に教えてやったりしないのに>法律の専門家に対して、名指しで「法律家の癖にそんなこともわからないのか」と公開の場で罵ったりするのに至っては、「どうして法律の専門家でもないのにそんなことがいえるのか」と、その全能感はどこから来るのか、と不思議で仕方なくなり、その傲慢さに唖然とするほかないのである。裁判で負けたのはイデオロギーの問題で、自分は少数派だから公権力から迫害されている、とまでいうに至っては、もう論評する言葉すら浮かばない)では、依頼に応じる弁護士が皆無(弁護士のモラルとしてそういう訴訟は受けない)で、依頼人が裁判を起こすのを諦めたり、本人訴訟をやったりすることになるのだが、食い詰めた弁護士が着手金がほしいばかりに(弁護士の報酬は、着手しただけでかかる着手金と依頼事項を遂行した後支払われるものと両方支払わなければならない)、そうした依頼でも受けてしまうようなことが出てくるのではないかと危惧するものである。それでは依頼人が敗訴した上に訴訟費用に加えて着手金まで弁護士に支払わなければならず気の毒である。

また、裁判官の友人が「司法修習生で民法177条(民法で最も頻繁に争点になる条文の一つ)を知らない者が複数いる。法曹の質の低下はもはや誰の目にも明らかだ」といっていたが、そんな弁護士が、就職できなくてOJTも受けずにいきなり開業したりして、まともな仕事ができるのだろうか。それで迷惑するのは他ならぬ国民なのである。

この点、私の恩師米倉明先生は、戸籍時報の9月号で「弁護士の数が増えても、その能力や得意分野について国民に徹底的に開示すればできの悪い弁護士にあたって迷惑するということはないだろう」と仰っているが、そんな開示のシステムの実現可能性は殆どないのが現実だろう(例えば医師の能力についての開示だって、よほどの名医はマスコミで紹介されたりするが、藪の場合は、近所などのクチコミに頼るしかなく、全国的なcomprehensiveな開示制度などない。
弁護士の場合は、「近所のクチコミ」などというものすら存在し得ないだろう。)

法律家としても人間としても世界一尊敬する先生であるが、この点だけは賛成できない。先生は正義感が強すぎる方(そもそも、これだけ問題点が指摘されている法科大学院制度なのに、その当事者はなかなか口を開こうとしないところ、先生は法科大学院で教鞭をとっておられる立場で果敢に意見を述べてこられたのである)
なので、司法試験合格者数拡大に反対する弁護士は自分たちの既得権を守りたいからだと考えてらっしゃるのだろうが。

ところで、光市の被害者が残した手紙が「天国からのラブレター」として出版されており、映画化もされたのだが、これも被害者への同情という点ではマイナスになるのではないかといわれている。被害者が親友から洋氏を奪ったエピソードなどが赤裸々に描かれ、被害者の、よくいえば人間くさい(悪く言えば…)姿が浮かび上がるから。しかし、これはおかしい。被害者を美化し、人格高潔な人であったから殺人は許せない、という論法は実は危険で、被害者がどのような人となりの人であれ、強姦して殺害するなどとという行為は、絶対に許してはならないのだ。

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金融安定化法案 放火と殺人

2008年10月07日 | profession
アメリカで修正された金融安定化法案が成立した(是が非でも通すために反対派議員の利益誘導を含んだもの。「ラム酒業者税金還元」とか。また、来月の選挙に備え、共和党の牙城の州の消費税連邦負担まで盛り込まれている)にもかかわらず、世界同時株安が止まらず、日本株も今日中に1万円を割りそうである。
政府も何らかの対応を迫られることになりそうである。


1日未明に起きた個室ビデオ店での放火事件は私の家のすぐ近所だった。
早朝からヘリコプターがたくさん上空を飛んでいた。
犯人は「火をつければ人が死傷するかもしれないと思った」といっていると報道されている。これは殺人罪の「未必の故意」にあたり、現住建造物放火致死だけでなく、殺人罪でも立件するつもりなのだろう(現住建造物放火致死だけで極刑に処されたケースは案外少ない)。しかし犯人は自分のこの自白の持つ法的意味を多分理解していない。もちろん、身勝手な理由で15人もの尊い命を奪う行為は絶対に許すことはできないが、適正手続ということを考えると、日本にもアメリカで用いられているミランダ・ルールの導入が必要なのではないかと考える。

ミランダルールについては下記のエントリーを参照。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/9be9c578508210ae0675dc198709c857

もちろん、避難誘導について適切な処置をとらなかった店側も過失致死の責任を負うべきだし、実際は安い宿泊所として用いられているのに旅館業法の規制を受けていない状態を野放しにしていた行政側にも問題があるだろう。

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比較法学会で報告(目的信託について)2

2008年10月07日 | profession

(承前)
以上のように、母法である英米信託法では、広義の目的信託の中で許容されるのは、公益信託と狭義の目的信託だけである。
実は、公益信託と狭義の目的信託の境界は曖昧である。
とくに、前述したEnforceability Principleでも説明できない二つの例(動物:Re Deanと一族のmonument: Re Hooper)は、いっそ公益信託といってしまった方が理論上もすっきりする。現に、動物に関しては、2007年2月27日に施行されたばかりの新公益法(Charities Act 2006)第2条(2)(k)に動物の福祉が入れられたので、現在は公益信託に分類されるようになった。
つまり、目的信託と公益信託をどのように区別すべきであるかという問題がよりクローズアップされているのである。2006年11月8日に成立し、2007年2月27日に施行されたCharities Act 2006は、それまでのCharities Actを抜本的に改正するものである。
無論、Charities Actは公益信託のみに適用されるものではないが、初めて条文上「公益目的」の定義を行うなど、公益信託にも画期的な変化をもたらすものである。
この改正法が成立した背景には、従来の公益・非営利信託/団体の法規制が現状に合わなくなってきているという問題意識があった。
benefit要件、つまりどのような目的が“公”の利益といえるか否かについては、MacNaghten卿がCommissioners of Special Income Tax v Pemsel (1891年) で打ち出した、いわゆる「マクノートンの分類」が指針になっていた。
それによると、次の4つのカテゴリーのいずれかに該当しないと原則として公益目的とはいえないことになる。
A:Relief of Poverty 貧困からの救済
B: Advancement of Education 教育の振興
C: Advancement of Religion 宗教の信仰
D: Other Purposes beneficial to the community not falling under any of the preceding heads
DはA~Cでカバーされないものを補充的に救済するためのものであるが、”beneficial to the community”といえるためには、Statute of Charitable Uses 1601 (1601年エリザベス法)の前文 に列挙されているか、または、アナロジーによってその精神と目的を反映したもの(” which by analogy are deemed within its spirit and intendment ”)でなければならないとされてきた。
これは、前文に位置するという点で、厳密にいうとstatutory definitionとはいえない。また、この法自体が、1888年にMortmain and Charitable Uses Actによって廃止されたが、前文だけは同法第13条2項によって効力を保存された 。しかし、この1888年法も1960年のCharities Act1960 によって廃止されたので、1601年法の前文も効力を失ったことになるわけだが、Pemsel判決で提唱された「マクノートンの分類」の中にその精神は生きており、Charities Act 2006(以下「2006年公益法」という」が施行されるまで公益信託解釈の指針となっていたのである。
この点、2006年公益法は、第2条(2)で12項目の公益目的を明示した。これは、公益目的について初めてstatutory definitionを行ったという点や、判例法によって蓄積されてきた事例を法文化した点で注目に値する。

しかし、注目すべきことは、Englandでは、このようにCharities Actを抜本的に改正しても尚、公益目的以外の目的信託は原則として無効という態度を堅持していることである。
公益信託についてまだ経験の浅い日本で、目的信託は全て有効としてしまってよいものだろうか、という問題意識を論じたのである。

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比較法学会で報告(目的信託について)1

2008年10月07日 | profession
話は古くなるが、6月に比較法学会で研究報告を行った。

一昨年のジェンダー法学会、昨年のアジア法学会に続き、3回目の発表になる。

私が所属している学会は大会の開催場所を、東京、翌年は他の地方、また東京という具合にローテーションしているものばかりで、今年はたまたま東京以外で開催される年にあたる(日米法学会はずれていて今年が東京だった)。

今年の比較法学会は大阪大学で開催されたが、私は昨年秋からずっと体調が悪くて、夫に付き添ってもらって行った(学会が終わるまで夫は豊中の実家(夫は京都は高野、宮本武蔵の決闘で有名な一乗寺下り松の近くで生まれ育ったが、実家は現在、豊中にある)に行き、また迎えにきてもらったのである)。

発表したのは「改正信託法の比較法的考察―目的信託を中心に」というテーマ。

1922年に制定されて以来、実質的な改正がなされていなかったわが国の信託法を抜本的に改正した新信託法が2007年9月30日に施行され、最近の社会経済の発展に的確に対応したもの であるだけでなく、信託宣言や後継ぎ遺贈型信託など、英米信託法に固有の制度とされてきたものを取り入れるのみならず、英米信託法でさえ原則としては認めていない目的信託を導入するなど、比較法的に見てもかなり思い切った内容になっている。
とくに目的信託については、Englandにおいて2007年当初にCharities Actが大改正され、初めて条文上公益目的の定義がなされるなど、目的信託の解釈にも影響を与える可能性のある変化があるので、この目的信託について、母法である英米信託法でなぜ目的信託が原則として認められないのか、改正Charities Actはどのような影響を与えるか、そして、日本の改正信託法の目的信託導入をどう評価するかについて発表したのである。

信託を三大確定性のひとつである受益者の確定性を重視した分類をすると、α-1 受益者の存在する信託
α-2 受益者の存在しない信託=広義の目的信託
 α-2-1 公益信託
 α-2-2 狭義の目的信託
目的信託(purpose trust)とは、受益者が特定されていないが、一定の目的に従って設定される信託である。
こうした目的信託は、その目的がcharitableである場合、すなわち公益信託(Charitable Trust)が成立する場合以外は原則的に無効とされる。これは、公益信託以外の信託には受益者=beneficiaryの存在が不可欠という意味でBeneficiary Principleと呼ばれる原則である。そのBeneficiary Principleの基盤になっているのは、Enforceability Ruleといわれるルールである。しかし、このEnforceability Ruleをつきつめると、受益者でなくても、enforceする者さえいれば信託の成立を認めてもよいのではないか、という理論も成り立つ。
 こうした考え方から、England判例法上、非公益信託である目的信託の有効性を認めた例外が、大きく分けて二つある。
ひとつは、potential enforcerが存在する場合であり、たとえば、会社の福利厚生施設として運動場を作るという信託が会社の従業員=potential enforcerであるとして有効と認められたケース(Re Denley[1969年]) がある。
もうひとつは、potential enforcerが存在しないのに、特別目的ありとして例外的に有効性を認めたケースだが、例外中の例外なので、二つのケースに限定されている。ひとつは死後のペットの飼育を目的とするRe Dean〔1889〕 もので、もうひとつは、一族の墓とmonument の21年間 の管理を目的とした信託(Re Hooper[1932]) である。ちなみに、自分のためにmonumentを立てるという信託は認められなかった(Re Endacott 1960年) 。(にもかかわらず、法案審議に呼ばれた法務省の参考人は、第165回国会参議院法務委員会 財政金融委員会連合審査会(2006年12月6日)で、「英米法では目的信託は広く認められており」「自分の死んだ後に自分の墓を管理する」場合も目的信託になると発言しているが)

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三浦事件と二重の危険(一事不再理)その2

2008年09月27日 | profession
三浦事件と二重の危険について、本ブログの9月23日のエントリーで、「conspiracyについては二重の危険原則違反にならず、訴追が有効となる可能性がある」と書いたが、

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/6c36f6cce2d950220402433d1c5e3330


ロスの裁判所はやはり、「conspiracyについては日本の刑法にはない概念なので、二重の危険の対象とはならず逮捕状は有効」と判断したと報道された。


アメリカ金融危機についてだが、Harvard 大学全体のパネルディスカッションについてはご紹介したが、Harvard Law Schoolの専門家たちの意見をまとめたニュースレターがあるので、リンクを貼っておく。

http://www.law.harvard.edu/news/spotlight/business-law/25_economic.html

留学時代に授業を受けたHal Scott教授も出ていて懐かしい。

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お知らせ:Harvardにおける金融危機に関するパネルディスカッション

2008年09月25日 | profession
Harvard Law Schoolの同窓会からメールが来て、現在の金融危機について専門家をよんで、パネルディスカッションを現地時間25日16時から行うということだ。

インターネットでも配信するそうなので、関心のある方はぜひ。

以下のメールに詳細があります。

Dear Harvard Law School Alumni,



President Drew Faust has assembled a special panel discussion for the Harvard community this Thursday, September 25, at 4:00 P.M. entitled "Understanding the Crisis in the Markets: A Panel of Harvard Experts." In her invitation to the campus she said, "we are fortunate to have on campus some of the nation's leading scholars and practitioners in finance, policy, law, and other fields relevant to the current situation, and several of them have generously agreed to participate in a special session for the Harvard community to help us understand and interpret recent developments in the U.S. and world markets."



The panel will begin at 4:00 P.M. and will be webcast live at: http://video2.harvard.edu:8080/ramgen/broadcast/FinMktsPanel.rm



The panel will feature the following faculty members:



Robert Kaplan, Professor of Management Practice



Jay Light, Dwight P. Robinson, Jr. Professor of Business Administration and Dean of the Faculty of Business Administration



Gregory Mankiw, Robert M. Beren Professor of Economics



Robert Merton, John and Natty McArthur University Professor



Kenneth Rogoff, Thomas D. Cabot Professor of Public Policy



Elizabeth Warren, Leo Gottlieb Professor of Law





If you would like to hear from some of Harvard's leading experts on the current turmoil in the financial markets, please join us on the web tomorrow at 4:00 P.M.




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ミランダルール

2008年09月23日 | profession
オックスフォード大学から、「Mrs. ○○」と私の名前の入った招待状が来た。

アシュモレアン博物館所蔵のピサロ展を大丸東京で行うに際し、大学総長と美術館長が出席するレセプションへの招待状である。

いきたいのは山々だが、その日は大学で卒論中間報告会があるので東京にいくのは無理である。

今の大学は学生の面倒見がとてもよくて、卒論は4年生全員が中間報告を行い、修論、博士論文は、構想報告会、中間報告会、最終報告会まで行うのである。


前のエントリーで米国刑事訴訟法について書いていて、最近(遅ればせながら)見たトム・クルーズ主演「マイノリティ・レポート」を思い出した。

3人の超能力者がかなり高い精度で犯罪を予知するので、未然に犯人を逮捕することができるという未来社会を描いているのだが、そのシステムを用いて犯人を突き止め逮捕する警察官である主人公は、上司の秘密を知ったために、罠にかけられ、自分自身が殺人をする予知を見てしまう。警察から逃亡し、殺人予告の被害者をつきとめたら、息子を誘拐した犯人であることがわかり、本当に殺しかける(実際は上司に雇われた男がそのふりをしていただけだった)。しかし、男にピストルを向けながら、「あなたには黙秘権がある、あなたの発言は裁判で不利に用いられることがある、あなたには弁護士を代理人に雇う権利があり、金銭的に無理な場合は公選弁護人をつけることができる」と話しかけるのである。

この4つを逮捕の際告げなければならないのはミランダ・ルールという米国刑事訴訟法上の一大原則である。

一度は犯意を抱いても、良心に妨げられそれを翻すことができるのが人間である、という重要な真理を主人公が体現する本編最大の見せ場だが、ミランダ・ルールが一般人に広く知られていなければ、主人公が「あなたには」と言い出したその瞬間に何が起こっているのか(殺すのを思いとどまり逮捕することにしたこと)が観客にわからない。

つまり、それくらい重要な法律の内容が周知されているということで、さすが長年陪審制度をやってきた国らしい。

私が日本の裁判員制度に反対する理由は多々ある

「裁判員制度への懸念」http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/2c281cde9768e584ea315a5ff12b3efd

が、こうした背景の違いも不安材料の一つである。

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三浦事件と二重の危険(一事不再理)

2008年09月23日 | profession
元妻殺害に関してサイパンで逮捕され、先日カリフォルニアへの移送が決定した三浦事件であるが、弁護人は「一事不再理に反する」と主張している。

刑法は私の専門ではないのだが、私見では、一事不再理(二重の危険)違反にならない可能性もあると考えている。

今回は、殺人そのものでなく、Conspiracyで逮捕されているからだ。

Conspiracyを日本のマスコミは「共謀罪」と訳しているようだが、正確ではない。

Conspiracyは、日本の刑法にはない概念であり、原則的には
①二人以上の合意
②合意を成立させる意図
③合意した内容を実現する意図

があれば成立する。

なお、④overt act (外的行為)も要件とする州が多いが、[overt」の定義はかなり、緩やかなものである。

何をする合意かというと、従来は公序良俗に反することなら何でも、と解されていたが、最近は犯罪に限定される傾向がある。

①の合意だが、Model Penal Codeの考え方を採用する州では、一方の意図が本心ではないfeigning agreement(他方が覆面捜査している刑事などの場合)でも成立するくらいだ。

ちなみに、前に、このブログでも、「米国法では親子・兄弟の特別扱いはなく、夫婦のみ特別扱いする」と書いたとおり、夫婦は一心同体なので、かつては夫婦間にはConspiracyは成立しないと解されていた、というのが面白い。

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/402294ebd5145f24f8097edbef6e3da1

日本の刑法に置き換えると、予備罪(殺人、放火、強盗、身代金目的略取罪にある)に近いが、殺人などの本罪を犯した場合は、予備罪込みで包括一罪になるのと違い、Conspiracyは、その意図通りの犯罪を遂行した場合も、包括されることはない。別の罪として独立に罰せられる。場合によっては、本罪よりも重い罰が科されることもある。

というのも、殺人などの本罪の保護法益が人の生命等であるのに対し、COnspiracyは公序を保護法益とする犯罪と考えられているからだ(もちろん、公序違反を広く解釈しすぎるのは憲法違反とされている、という留保つきだが)。

なお、「本罪で訴追されたことがあるという理由だけで、Conspiracyで訴追することが二重の危険に反し禁止されるということはない」という判例もある(United States v. Felix, 503 U.S. 378(1992))。

ただ、日本で訴追された内容に米国刑法にいうConspiracyの部分も入っている、という反論は可能だろう。

裁判の行方が注目される。

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米国の金融危機

2008年09月23日 | profession
サブ・プライム・ローン問題で始まった米国の金融危機は、リーマンブラザーズの破綻に見るように、抜き差しならぬ状況になっている。

あらゆる債権を証券化し、格付して販売するレバレッジ金融、際限なく高度化する金融工学に基づくデリバティブ商品の開発など、米国の金融市場が実経済からかけ離れたものになっていったことが原因であろう。

そもそも、1999年のGramm-Leach-Bliley Actで業際問題を実質的にクリアした後も、Commercial BankはFRBの厳しい監督に服し、Investment Bankは比較的自由度の高い(といってもサーバンス・オックスリーアクトで多少の厳格化はされたが)SECの監督を受ける、という区別をしてきた金融監督行政モデルが、こうした米国型金融には合わなくなってしまったのである。

前者が厳しい監督に服すのは、預金者保護の必要があることに加え、Systemic Risk (銀行一行が潰れると、いわゆるBank Run現象が起きるため、銀行業界全体が、ひいては経済活動全体がcollapseすること)はCommercial Bankにしか発生しないとされてきたからである。

しかし、証券化商品、デリバティブ商品、とくにCDS(Credit Default Swap)によって、数え切れない金融機関が業態や国境を越えて、互いに相互依存関係にあり、Investment Bankだからsystemic riskはないということはもはや通用しないようになってしまった。

米国当局もこうした事態に手を拱いていたわけではない。

数年前から、SECは、Bear Stearns, Goldman Sachs, Lehman Brothers, Merril Lynch, MOrgan Stanleyの5つのInvestment Bankグループを、consolidated sypervised entities(SCEs)として、SCE Programと呼ばれる監督の強化を進めてきた。

そのプログラムでは、本来commercial Bankに課されるBIS規制(自己資本比率規制)で要求される10%以上の自己資本比率をクリアすることをCSEに課し、毎月自己資本比率をSECに報告する義務を課した。

また、流動性リスクについても、EUのFinancial Conglomerates DIrectiveと軌を一にするほど厳格にコントロールするようになっていたのである。

しかし、今年3月のBear Stearnsの危機においては、SECのChairmanであるCoxも予想していなかったといっているのだが、自己資本比率にも流動性リスクについても基準をクリアしている同社が資金調達できなくなり(もっとも従来優良担保とされていた米国債の価値が急落していることもあるが)、本来Investment Bank救済は行わないFRBが救済措置を講じた上でJPMorgan Chaseが合併することになった。

http://banking.senate.gov/public/_files/CoxOpeningStatement.pdf

また、こうした垣根を越えたFRBによるInvestment Bankの監督は、今年の7月にSECとの間で覚書を交わして継続することになったが、既に米国の金融危機は末期的症状で、今回の事態に至ったというわけだ。

しかし、米国政府はリーマンは救済せず、前述のCDSで大打撃を受けたAIGは巨額の公的資金を投入して救済した。保険契約者の保護の必要が理由として説明されている。

このCDSは、債権を保有したまま信用リスクだけをヘッジできる商品で、ペースになる債権がハイリスクでも、証券化の際CDSをつければ高い格付を獲得できるので、不良債権化しそうな債権でもこれによって資本市場に出すことができるなど(CDSの40%以上がジャンクボンドにつけられている)のメリットから、隆盛を見た金融商品で、2007年末の残高は62.2兆ドルにも達する。しかし、所詮はババ抜きのようなもので、AIGのようなCDSの発行者が大きな損害を被ることになるのである。CDSは保険類似の商品といっても、保険のように大数の法則による適正なプレミアムの算定ができないし、そのリスクには信用リスク・市場リスク・流動性リスクなどが複雑に絡み合っているのである。

日本では、①リレーションシップ・バンキングの文化や、②債権のセカンダリーマーケットが欧米ほど発達していない(たとえば、バブル絶頂期の邦銀は、1986年、ユーロトンネルプロジェクトに当事者である英仏の銀行団よりも高額の融資を行ったが、不良債権化し、殆どの邦銀が欧米のセカンダリーマーケットで売却した)、③債権の簿価が取得原価なのに、CDSになると時価会計になり、齟齬ができる、等の理由から、欧米ほどにはCDSは利用されていない、というのが不幸中の幸いである。


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