オバマ氏と大統領候補の座を争ったヒラリー・クリントンが国務長官に就任し、ブッシュの任命したゲーツが国防長官に留任した。
こうしたTeam of Rivalsという戦略は、オバマが意識的に模倣しようとしているリンカーンと共通するものだと、Newsweek11月24日号の"Obama's Lincoln; During the campaign, he pledged to be a unifying leader. Good thing for Obama there are other presidents whose experiences he can draw on, including one, in particular, from his home state"という記事に書いてあった。
なお、この記事では、謙虚さという美徳についても二人は共通しているとあり、さらに、リンドン・ジョンソンとも共通点があるとしている。
ヒラリーといえば、(「ゆりかごを揺らす手」に主演したレベッカ・デモーネイは似てると思う)最近、彼女の自叙伝Living HIstoryを読んだ。
シカゴのバリバリの共和党員の父と母の間に1947年に生まれ、幼い頃の母の離婚により、父方の祖父母に引き取られ、16歳まではメイドのような仕事をして生計を立てるなど、辛酸をなめてきた母親の影響で、正義感の強い女性として育ち、とくに子供の権利の擁護のために働く著名な弁護士になったという彼女の生い立ちがわかった。
写真もふんだんに入っているが、子供の頃の写真は、チェルシーにそっくりである。
また、アメリカは女性の権利ではかなり進んでいると思っていたのに、私と15歳しか違わない彼女が「女性として初めて」という経験をたくさんしてきたことも、興味深く、この本は、アメリカのフェミニズムの歴史を辿るものともなっている。
以前もこのブログで取り上げた女子大学の卒業式での彼女のスピーチは、実は学生スピーチそのものが初めてだったとか、
http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/a492592ec36f245e02c4ab88004768bf
ロースクールはHarvardかYaleを目指していたが、Harvardに見学に行ったとき、「ペーパーチェイスに出てくるような教授が」(というので私には誰だかすぐにピンと来たが)、「第一に、わが校にはライバル校はない。第二に、Harvard Law Schoolにこれ以上女子学生は要らない」といわれたので、Yaleに決めたとか(この保守的な教授の言葉がなければ、ヒラリーは大統領夫人にはなっていなかったのである)、
所属する法律事務所で初の女性パートナーになる際、「君には身のまわりの世話をしてくれる妻がいないから無理だ」と同僚に言われたとか、
ビルが州知事の仕事をしているときも、ヒラリー・ロッダムという旧姓を仕事で使用してきた(それで、州政府を相手取る訴訟も担当していた)が、ビルが大統領選に出る際に、有権者から反感をもたれないようにと周囲のアドバイスでヒラリー・ロッダム・クリントンを名乗らざると得なくなったこと
などである。
ロースクール卒業後、ワシントンDCとアーカンソー州の司法試験を受け、前者は落ちたというのにも驚いたが、それなのに、ニクソン弾劾委員会の仕事をしていたというのも不思議だった。
そして、彼女が民主党の代表戦に敗北した原因が、ファーストレディ時代に胚胎していたこともこれで知った。
つまり、1998年モニカ・ルインスキー事件に於ける、妻としての苦悩(議院で弾劾されるに至ったのであるからその苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあった。これが、スター検事による、Whitewater疑惑やポーラジョーンズによるセクハラ告発など、一連のクリントン政権への攻撃の一端であったことも、この本を読んでわかった。私は「スター報告書」を当時旅行の際アメリカの空港の書店で買ってきた。こういうものが出版されるのもアメリカらしい。ビルは生まれる前に実父に死なれ、継父からひどい虐待を受けて育ったので、その辺のこともこういう事件に関係しているかもしれない)の記載の中に、イラク空爆のことが出てくるが、いかにもとってつけたようで、やはり(当時もそう思ったが)世間の目をそらすためであった、という批判は当たっていると改めて思った。
だから、ヒラリーは、ブッシュのイラク攻撃も賛成しないわけにはいかなかった。そして、オバマに負けた最大の原因は、イラク攻撃を支持したことだったのである。ヒラリーは「10年前ビルがあんな愚かで『不適切な』なこと(モニカのことである)さえしなければ、私が大統領になれたのに。妻としてだけでなく、政治家としても大変なダメージを与えられた」と改めて悔しがっているだろうと私は思う。
しかし、和訳に
キリスト教的実在主義 とか、
nominal damageを名ばかりの損害賠償と訳すとか、誤りがあったのは残念であった。
こうしたTeam of Rivalsという戦略は、オバマが意識的に模倣しようとしているリンカーンと共通するものだと、Newsweek11月24日号の"Obama's Lincoln; During the campaign, he pledged to be a unifying leader. Good thing for Obama there are other presidents whose experiences he can draw on, including one, in particular, from his home state"という記事に書いてあった。
なお、この記事では、謙虚さという美徳についても二人は共通しているとあり、さらに、リンドン・ジョンソンとも共通点があるとしている。
ヒラリーといえば、(「ゆりかごを揺らす手」に主演したレベッカ・デモーネイは似てると思う)最近、彼女の自叙伝Living HIstoryを読んだ。
シカゴのバリバリの共和党員の父と母の間に1947年に生まれ、幼い頃の母の離婚により、父方の祖父母に引き取られ、16歳まではメイドのような仕事をして生計を立てるなど、辛酸をなめてきた母親の影響で、正義感の強い女性として育ち、とくに子供の権利の擁護のために働く著名な弁護士になったという彼女の生い立ちがわかった。
写真もふんだんに入っているが、子供の頃の写真は、チェルシーにそっくりである。
また、アメリカは女性の権利ではかなり進んでいると思っていたのに、私と15歳しか違わない彼女が「女性として初めて」という経験をたくさんしてきたことも、興味深く、この本は、アメリカのフェミニズムの歴史を辿るものともなっている。
以前もこのブログで取り上げた女子大学の卒業式での彼女のスピーチは、実は学生スピーチそのものが初めてだったとか、
http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/a492592ec36f245e02c4ab88004768bf
ロースクールはHarvardかYaleを目指していたが、Harvardに見学に行ったとき、「ペーパーチェイスに出てくるような教授が」(というので私には誰だかすぐにピンと来たが)、「第一に、わが校にはライバル校はない。第二に、Harvard Law Schoolにこれ以上女子学生は要らない」といわれたので、Yaleに決めたとか(この保守的な教授の言葉がなければ、ヒラリーは大統領夫人にはなっていなかったのである)、
所属する法律事務所で初の女性パートナーになる際、「君には身のまわりの世話をしてくれる妻がいないから無理だ」と同僚に言われたとか、
ビルが州知事の仕事をしているときも、ヒラリー・ロッダムという旧姓を仕事で使用してきた(それで、州政府を相手取る訴訟も担当していた)が、ビルが大統領選に出る際に、有権者から反感をもたれないようにと周囲のアドバイスでヒラリー・ロッダム・クリントンを名乗らざると得なくなったこと
などである。
ロースクール卒業後、ワシントンDCとアーカンソー州の司法試験を受け、前者は落ちたというのにも驚いたが、それなのに、ニクソン弾劾委員会の仕事をしていたというのも不思議だった。
そして、彼女が民主党の代表戦に敗北した原因が、ファーストレディ時代に胚胎していたこともこれで知った。
つまり、1998年モニカ・ルインスキー事件に於ける、妻としての苦悩(議院で弾劾されるに至ったのであるからその苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあった。これが、スター検事による、Whitewater疑惑やポーラジョーンズによるセクハラ告発など、一連のクリントン政権への攻撃の一端であったことも、この本を読んでわかった。私は「スター報告書」を当時旅行の際アメリカの空港の書店で買ってきた。こういうものが出版されるのもアメリカらしい。ビルは生まれる前に実父に死なれ、継父からひどい虐待を受けて育ったので、その辺のこともこういう事件に関係しているかもしれない)の記載の中に、イラク空爆のことが出てくるが、いかにもとってつけたようで、やはり(当時もそう思ったが)世間の目をそらすためであった、という批判は当たっていると改めて思った。
だから、ヒラリーは、ブッシュのイラク攻撃も賛成しないわけにはいかなかった。そして、オバマに負けた最大の原因は、イラク攻撃を支持したことだったのである。ヒラリーは「10年前ビルがあんな愚かで『不適切な』なこと(モニカのことである)さえしなければ、私が大統領になれたのに。妻としてだけでなく、政治家としても大変なダメージを与えられた」と改めて悔しがっているだろうと私は思う。
しかし、和訳に
キリスト教的実在主義 とか、
nominal damageを名ばかりの損害賠償と訳すとか、誤りがあったのは残念であった。